第4章07「脱走者からの歓待1」
人間の置き物は『黎明旅団』の皆様に大変不評らしい。村に到着しても一向に動く気配のない、荷台のくっつき虫となっていたオレを軽く引き剥がすと、「邪魔だからあっち行ってな」と文字通り放り出されてしまった。
オレと一緒に乗り合わせ、同じく荷台から降りなかった“ヤツヨ”には何もないのか…と恨めしそうに視線を投げてみる。…しかし待てど暮らせど、あの女神様が自分の足で降りてくる素振りも、荷台から摘まみ出される様も見られなかった。
何故?と疑問符を普段なら浮かべる所だったが、しかし心の余裕のない今のオレにはそれすら贅沢な思考だ。なので何となく、木の柵で囲まれた牧草地を眺める事にした。
我が物顔で闊歩する牛らしき動物や、柵の外の出来事なんかどうでも良いと知らぬ顔をする羊のような生物。初めてフローア村に辿り着いた時と全く同じ風景が、そこには広がっていた。…草を食むウマに化けた水色の軟体生物さえ混ざっていなければ。
「美味しいねぇ。ここの牧草、美味しいねぇ」
あろう事か、ウマになり損ねた奇怪生物が木の柵をすり抜け、こちらに擦り寄ってきている。こんな所で軟体生物の特性を活かすな。
知らぬ存ぜぬを貫こうにも、「隣の芝生は青く見えるって言うけど、ありゃ嘘だぜ。どっちも同じ地面に生えた草だから味も変わらねぇぜぇ」と謎知識を披露してくる始末だ。あと汚いから咀嚼した後の草をオレの足元に吐き出すんじゃねぇ。
「…滑っているし、ハジケるつもりなら他所でやってくれ。今はツッコミを入れる気分じゃないんだよ」
「おヌシが何かに憑かれたような表情だからと思って心配したのに、ただのくたびれ儲けかよぉ。婆さんに何と報告したら良いのやら…」
「今は放っておいてくれ。それと『婆さん』って誰の事を言っているのかは知らないけど、本人に聞かれたら半殺しにされるぞアンタ」
『黎明旅団』の面々にも女性はいるし、レイラさんやプリシラもいる。少なくとも彼女たちに聞かせて良い単語ではないのは確かだ、年齢は女性陣たちにとって地雷原だというのは恐らくどの世界でも共通の筈だしな。
そも、オレの気を引こうとしているのかもしれないが言葉選びが壊滅的だ。二度と口を開かないでほしい、鏡を見ている気分になる。
「んで、実際ナニがあったん?吾輩、話なら聞くぞぉ?」
「…二度も同じ事を言わせるなっての」
「ぅわーお重症だねぇ」
ケラケラと笑いながら、吐き出した草を再び口へと運んで咀嚼し始めた。…お前の生態は羊か何かか。
というよりプリシラはどうしたんだ、ずっと煙たがられながらも頭の上で鎮座していただろうがーーいや、こんな生態だからこそ離縁状よろしく地面に叩きつけられたんだろうなぁと容易に想像できてしまう。
だが、逆心の兵である今のプリシラを放置するのは大変よろしくない。それは彼女自身がよく知っている筈なのだが、一体この軟体珍生物はその仕事を放棄して何をしているのだろうか。
「吾輩、あの”女帝”とは違って読心術なんて便利な機能は備わっていない。だがおヌシの言いたい事は分かるぞ、あの水遊び嬢ちゃんはどこに行ったのか…とな」
「なら話は早い。プリシラはどこにいるんだ、何かあってからじゃ遅いんだぞ」
「フハハハおヌシめ、自分の方が弱いのに圧倒的強者の他人を心配とは恐れ入ったわフハハハ」
この夢世界でオレが最弱なのは知っているから、もはや意地になって反論する気にもならない。
それよりオレの答えはまだか?と視線を強めると、「やれやれ」と肩をすくめるように溜息をつかれた。
「あまりシリアスな雰囲気になると内に秘めたダンディズムが漏れ出るから、おヌシのような空気に合わせるのは吾輩苦手なのだよぉ。ーーいい加減吾輩を信じろ、凡骨め」
ゾクリと、冷たい指で背筋を線引かれる。たった一言だけで、目の前の軟体生物が“悪魔”へと変貌した。
空気がビシリと凍り付き、身体が金縛りにでも遭ったかのように動かない。まるで冷たい不可視の鎖が纏わりついて、オレの全身を支配しているかのような錯覚だ。
それでも呼吸が多少苦しいくらいで済んでいるのは、感情のコントロールを得手としているからなのだろう。少なくとも、レイラさんの殺意を直接浴びるよりも受ける拘束は厳しくない。
「大方、吾輩を過度に信用するなと“女帝”に吹き込まれたのだろうが…程度があろう。いくら吾輩とて、おヌシの意向に沿わない真似はせん。嬢ちゃんには吾輩の分身体をつけているから、相応の相手でなければ“女帝”の庇護にあるより安泰よ」
「しれっとマウントを取るんじゃねぇ」
このように、思わず突っ込みを入れられる程度には縛りが緩いのだ。脇が甘いとも言う。
オレから生まれた超越物質らしいので、この妙に人間味のある性格も親譲りなのかと思うと複雑な気持ちではある。
「ともかく手は打ってある。凡骨はここで吾輩の分身体共々待っているがいい、さすれば一帯の状況が手に取るように解るというものぷぎゅ」
しかし、“悪魔”の言葉は最後まで続かなかった。背後から寄ってきていたプリシラが腕を首に滑り込ませたかと思うと、あっという間に頸動脈を絞め上げていく。
それだけでなく、器用に足払いをする事で身体を宙吊りにして首へのダメージを決定的なものにしていく。流石はレイラさんを殺しにきたという暗殺者、格闘スキルはお姫様たちにも劣らない。
「ごぼ、ごぼぼぼ…」
なんて事を考えている間に、“悪魔”の口から泡が生まれてくる。骨のある生物であれば、今頃ゴキリと音を鳴らして全身から力が抜けていた頃だろう。
さらばウマモドキ、お前の事は5秒ほど忘れない。首のある生物に変化していた自分を呪うがいい。
「とりあえずしめてみたけど、これでよかったかしら」
「まったく問題ないです。むしろありがとう」
完全に“悪魔”が落ちた事を確認したプリシラが、ようやく羽交い絞めから解放する。
それを蔑むように見下ろすプリシラ…ではなく、彼女の頭上を陣取る分身体。そういえばさっき、自分の分身体をプリシラにつけていると言っていたな。
「おぉ吾輩の本体よ、こんな所で死んでしまうとは情けない」
「あなたも、ほんたいとおなじまつろをたどってみる?」
コキリと拳を慣らすプリシラに、「いやすまなかった」と平身低頭の“悪魔”。二人の力関係は、この時点で察した。
さて、心配の種は取り除かれた。次は何故、この“悪魔”が『黎明旅団』やレイラさんの監督なしに単独行動を許していたのかを聴かなければ。
「んで、プリシラは何をしていたんだ?」
「…そうだったわ。いくさみこたちからきいたはなし、つたえなきゃいけなかった」
戦巫女…たしか、レイラさんの事だったっけ。確かにあの無類の強さを目の当たりにしたら、そう名付けたくなるのも頷ける。本人は大変不名誉そうな表情をしていたが。
だが心配なのは、そのレイラさんがオレ宛の伝言を頼んでいたという事。あまり良い予感はしないが、聞かない訳にはいかないだろう。
「このむらでとらえたっていってた、『たいようのくに』のしかく…そのにせもの?がにげたって」
「あらそれは大変、すぐこの場から離れないと」
荷物を下ろし終えてすっかり無人になった荷台の影、そこから聞き慣れない人間の声がした。ギョッと目を剥くオレの手を引き、プリシラが庇うように水の大鎌を作り出す。
そういえば教会の飲み会の時、刺客の一人を縛って牢に放り込んだという話が呑兵衛たちから出ていた気がする。当時はすぐ皆が対処するだろうと軽く聞き流していたが、全員毒を盛られた事できっと対応も後ろに回さざるを得なかったのだ。
「『風刃』の妾から、ねぇ?」
黒髪大正浪漫な別嬪さんの、艶めかしい声色が男心を刺激する。同時にオレの、生命の危機を知らせる頭痛が鳴り響く。
甘い死の予感を漂わせる女の気配を、オレとプリシラ以外が感じ取るには風向きが悪い。だが幸いな事に、背後に向かって走ればフローア村の中心へと辿り着く事ができる。援軍も呼び寄せる事が可能だろう。
ーーさぁ考えろ、木偶の棒とプリシラがこの場から生き残るにはどうするべきかを。
●荷台から降りてこない女神様
“女帝”の負債によってタロットのスリープモードに入ってしまったようです。その為、しばらくは女神様の力を借りる事はできません。
直近で行動指針は示してくれているものの、雲隠ればかりしているのでヒロインちゃんたちからの心象も下がるばかり。暴落する女神様の株は、一体いつ上がるのでしょうね…。
●奇怪生物と化した”悪魔”
スライムの自在な変形能力を用いたお遊びです。主人公君がタロットとして用いた時と同様に変化した能力をしっかり有しているので、ウマに扮しているつもりの彼は牧草だってムシャムシャと食べられます。
ただしスライムの身体なので骨はありません。プリシラの地雷をうっかり踏んで絞められても、ぺきゅりと首の骨をへし折られる事もないのです。だからって自分から地雷原にタップダンスしに行くのはどうかと思いますけどね!
●分身体
“悪魔”の恩恵によって作り出された、瓜二つの身体。身体が分かれたと言っても、持っている力まで半分になる訳ではありません。女神様同様、繰り出し得のクソ技ですね。
ただし、分身体から更に分身を作る事はできないようです。コピーのコピーは出来ない、という事ですね。これは自動人形の製造過程にも関与します。
●脱走した『風刃』
そもそもこの『風刃』(偽)さん、ヒロインちゃんたちがアクリス村まで出張していた時はクライムハート教会の地下牢に放り込まれていました。捕虜とはいえいつ背後から刺してくるか分からない敵兵を、アクリス村まで連れていく訳にはいかないですからね。
なので、脱走しないよう少数の『黎明旅団』のメンバーに警備を任せていたようです。…だとしたら、脱走も容易ではなさそうです。一体、どうやって脱走したのでしょうか?




