第4章06「行きは虚しく、帰りは満ちる2」
食材をたっぷり詰め込んだ荷車を引きながら、オレたちはフローア村に向けて歩き出していた。…嘘をついた、オレは程なくして荷車の中に押し込められていた。
オッサンの体力は現役の暗殺者や格闘姫たちと比べるのもおこがましい程に貧弱で、動かす足も大変遅い。魔法で身体強化でもしているのだろうかと邪推してしまう程に足が速い彼女たちに、現代人がついて行くのは土台無理な話だった。
そういえばレイラさんと最初に会った森からの移動も、オレの移動速度を気にしていたように思う。あれはレイラさんが異常なのかと思ったが、どうやらオレの中の常識が間違っていたらしい。
この夢世界における「常識的な速度」とは、正月で流れる駅伝選手たちの走る速度以上の事を指すらしい。小走り感覚で汗ひとつ流さず荷台を引きながら移動する暗殺集団たちにあっという間に置いていかれてしまった。漫画の世界か何かかよチクショウ、でもここってオレの夢の中の世界だから似たようなものかコンチクショウ!
「カケル様、お抱えしましょうか?」と、レイラさんからの無自覚パンチを浴びて精神的に折れてしまったオレはそのお言葉に甘え。あっという間に距離を詰めてしまった彼女によって生鮮食品に囲まれた荷車に乗せられ、こうしてガタガタと揺られている。
勿論ここは夢世界なので、シートベルトなんて気の利いたものはない。荷台から放り出されないよう、荷物に縋りつくしかオレに生き残る道はなかった。
…嗚呼、腰と生気をすっかり抜かしたオッサンの何と情けない画である事か。
「ある晴れた昼下がりーー」
「自分を家畜扱いするのは些か自虐が過ぎるよ、少しはヒトらしく心を持つと良い。それとキミ、かなり音が外れているようだが…わざとかい?」
うるせぇ、ひと回りくらい歳下の女の子に何度も抱えられるオッサンの気持ちにもなってみやがれチクショウ!…音痴なのは認めるけども。
というより今のフレーズを聞いただけで曲名が解るとか、現実世界の音楽にも通じていらっしゃるんですか自称女神様。
「キミの記憶を覗いた時に、現代の知識は少し学ばせてもらったよ。書物に音楽、そして料理。他にも色々な娯楽に満ちていて、キミの世界は飽きないね」
「そういえばそんな事言ってたなコンチクショウ」
紅茶やらシフォンケーキやらを再現し、それらを優雅に食べていた当時の女神様を思い出して眉を寄せる。
他人に記憶を覗かれるのはあまり良い気分ではない、記憶モグモグタイムの疑惑もまだ完全には晴れていないのだ。
「さて、ボクに対するその疑い深い心は少しの間置いておいてほしい。…大事な話があるからね、真剣に聞いてもらいたい」
「な、何だよ急に」
唐突に真剣な表情を向けられ、思わず姿勢を正してしまう。この手の会話の切り出され方は良くない事の前触れであると、現実世界での経験則でオレは識っている。
先ほどとは異なる疑念と警戒で満たされた心を向けた所で、女神様の表情は変わらない。むしろその変化を望んでいたかのように、彼女は小さく頷き…ゆっくりと口を開いた。
「“夢守”の話を、以前キミにした事は覚えているかな?」
“夢守”…確か“ヤツヨ”が持っていた、元の世界に帰る為の鍵を作る為の小さな機械だったような。
戦闘を繰り返してエネルギーを7回溜めろと言っていた気がしたが、アクリス村での戦闘がそれを満たした…とか?
いやそんなまさか。たった2日程度で溜まる戦闘エネルギーとか、それこそ女神様が集めてこい案件になる。
「その期待に応えられないのは申し訳ないね。…装置のエネルギーが、また少し溜まっていたんだ」
「お、おぅ。そうか」
思わず拍子抜けした報告で、少し緊張感が薄れてしまう。満たされた、とは言われなかったから若干安心したけども。
逆に、命を賭けた大脱走やら老司祭との戦闘を経ても少しだったのか…と腑に落ちない感情もある。まるで、エネルギーを溜める事ができた戦闘そのものが少なかったようなーー。
「どうやらエネルギーが溜まるタイミングは、タロット持ちの相手を下した時…のようだ。量が少ない、というキミの疑問にはこれが解答となる」
そう、か。確かに超越物質を持っている相手と対峙する戦闘は少なかった、なら溜まるエネルギーが少ないのも頷ける。
つまり、今後は老司祭を定期的にボコれば解決できると。良心の呵責はあるが、現実世界に帰る為なら致し方なしーー。
「残念ながら、その不正はできないらしい。既に試した後だからね」
「試すって…。よく私刑をレイラさんたちが許したな」
オレたちを襲ってきた相手とはいえ、捕虜扱いの人間を必要以上に痛めつける行為はレイラさんは赦さないだろう。フローア村でのプリシラの件があるので、ソレイユたち『黎明旅団』の面々ならやらかし兼ねないが。
だが、必要以上に殴っても得られるエネルギーが無いというのは解せない。そんなの、まるで殺した後でしか得られないような言い方じゃないか。
「ーーキミの想像通りだ。タロット持ちの死、それによって“夢守”にエネルギーが溜まる仕組みらしい」
…女神様の言葉が、オレの頭を重く叩きつけた。同時に、オレの口の中の水分が急速に失われていく。
乾いた笑いが思わず漏れる。必死に掴んでいた荷物から、力が抜けていくのが分かる。ーー今の“ヤツヨ”の言葉には、それだけの衝撃があった。
「は、はは…。いきなり何なんだ、誰かの死が夢世界から脱出できる条件って。冗談が過ぎるぞオイ」
「残念ながら事実だ。だが…ボクもまさか、こんな悪趣味な起動条件になっているとは思わなかった」
彼女の視線が、普段よりも下がっている気がする。何かを見下すようなそれではない、後ろめたい何かを隠しきれない視線の動かし方だ。
ならば一体何を隠しているのか。その答えを、残念ながらオレは持ち合わせていた。
「…“ヤツヨ”、タロット持ちって」
「そうだね。キミも該当する」
そう、今のオレは老司祭と同じくタロットを持つ者。つまり、“夢守”のエネルギーになり得る存在という事だ。
女神様の乱心一つでオレの命なんて簡単に吹き飛ぶだろう。オレの呼吸が浅くなり、乱れていくのも無理はない。
逃げる?高速で走らせている荷台から身を投げて命が助かるとは思えない。レイラさんが近くにいる保証もない。
戦う?埋められない力量差を積木1つ分上乗せた程度で“ヤツヨ”を倒せるとは思えない。”悪魔”のタロットを自分の意志で起動させた事すらないのに、積木そのものをどうやって用意すると言うのか。
「ボクは今のところキミをどうこうするつもりはない。そもそも“悪魔”には…元の世界で受けた恩義があるからね」
オレの理性が狂気に呑まれる前に、“ヤツヨ”が諸手を挙げる。レイラさんではないが、今の言葉と行動は嘘偽りのない本心だろうと何となく理解できた。
それでも、一度植え付けられた恐怖の萌芽は止まらない。命を狙われる危険があると認識してしまったヒトは、それだけで感情が満たされてしまう。
「だが、このまま手をこまねくつもりはない。この世界から脱するには、やはりキミの働きが鍵になる。…今の話を女教皇ちゃんにも伝えると良い、何か妙案があるかもしれないからね」
勿論、そうさせてもらう。こんな話、オレ一人で抱えられる許容量から大きく超過している。
だが今は、誰とも話をしたくない。このまま荷台の中で震えていたい気分だった。
もうすぐフローア村につくと、外で喜びの声がする。ようやく一息つける筈のオレに、笑顔はなかった。
●この世界における「常識的な速度」
時速30㎞程度の速度で歩く事を指します。マラソンランナーより速いとか化物かな?
そもそもここはソレイユたち『黎明旅団』の面々にとっては敵地、チンタラと観光する暇なんてありません。急がねば月の国から恐ろしい兵士がやってきます、捕まればBAD END LOG行きです。
また、当然ながら魔法による補助付きでの速度となります。そうでなければ、長距離を短時間で走り抜く事なんかできませ…でき、まーー。
………………そういえば、ヒロインちゃんって数十秒でフローア村とアクリス村を行き来できるんでしたっけ。彼女の脚力、どうなんているんですか。
●”夢守”にエネルギーが溜まる条件
作中で女神様が触れている通り、「タロット持ちと戦闘し、これを下す事」となります。しっかりトドメまで刺さないと判定されません。この辺り、とても厳格なのです。
…さて、何故私がこの話題を取り上げているのでしょうか。
裏がある?勿論あります。特級の見落としポイントが…。




