第4章04「無自覚の毒3」
人間、一度でも苦い体験をすると安全策を欲するようになるものだ。特に多くの人間を纏める立場の者ほど管理の徹底っぷりには目を見張るものがある。
かく言うソレイユもこの枠に収まるらしく、彼女なりのやり方で情報統制に臨んでいた。具体的には、床に溶けている部下の失言をこれ以上引き出されないようオレと一緒に牢屋へ入りこちらを睨んでいる。…この太陽の国の自称王女様、頭のネジを締め直してきた方が良いのでは?
「あの、ソレイユさん」
「何よ。というより、今更さん付け?」
「男の入った牢屋に入り込んだ女が幅を利かせていれば、言葉で刺したくなるものだって」
人によっては猛獣に餌を与えるようなものだ、非常に状況がよろしくない。世紀の大泥棒もダイブ待ったなしの環境は心臓によろしくない。
オレとて男、本能は多少なりとも持ち合わせている。理性で押し殺し、なるべくソレイユの正面を向かないよう答えるのが今オレにできる精一杯だ。
…理性が敗けるのは時間の問題?フフフ、そう思いますか皆さん。
「それより、ここオレのベッドなんですが?」
「ハッ!オジサン、そんな気なんか無い癖に。だからここで見張ってんのよ。…本気で押し倒すつもりなら蹴り殺すけど」
このように、まずオレの本能が理性に打ち勝つ事はあり得ない。なので敗者は席を譲り床で胡坐をかく他ないのだ。
…言い負かされて男として恥ずかしくないのか?そんな恥はとうの昔に捨ててきた。押しても押されても、結局物事は元の鞘に収まるように出来ているとオレは知っている。
オレの異性に対する小心っぷりも、多少の勇気を出した程度では揺るがない。踏み出すのなら大きな一歩が良い、これ人生のテストに出るからよく復習しておくように、若い子らよ。
ーー閑話休題、ソレイユがこうして会話の機会をくれたのだから利用しない手はない。用意してくれた果物カットを勧められるままに摘みながら、オレは本題を切り出した。
「どうしてソレイユたち、この村まで来たんだ?オレを助けてくれたのは嬉しいけど、何か別の目的があって来たとか?」
「アンタの聞き方が素直すぎて逆に口が軽くなりそうだわ…」
しまった…、ついレイラさんと同じスタンスで言葉を選んでしまった。レイラさんなら隠さず話をしてくれるので、情報共有としては非常にありがたいのだが。
しかし目の前にいるソレイユは、そのレイラさんと顔を合わせる度に殺意マシマシの拳と脚を交換し合う敵対者。今でこそ(傍から見れば)休戦状態だが、会話のどこに起爆スイッチが隠されているのか。
「その愚直さに免じて少しだけ話をしてあげる。教会で皆が飲み騒いでいた時、裏切り者が動いたわ」
サラっと何てことを言いやがるこの忍者。『黎明旅団』って一枚岩じゃないのかよ。
思わず飲み込みかけた果物を戻しそうになり、「汚いわね」と溜息をつかれてしまう。…流石に今ので踵を落とされたらあんまりだ。ピクリとソレイユの脚が動いたのをオレは見逃していないぞ。
「あろう事か全員が飲む水に毒を仕込んでいたの。全部の瓶、全部の酒樽によ?流石にこれじゃ活動が立ち行かないって事で、水源のあるこのアクリス村まで足を伸ばす羽目になったのよ」
「ちなみにその犯人はジュークね。酔って会話をするフリして毒を入れ回ってたみたい」
成程、オレが盛大に地下牢で血反吐をぶちまけたのはその毒の所為か。確かにオレ、お酒の代わりに水をガブガブと飲んでいたからなぁ…。プリシラが心変わりしてくれなければ今頃どうなっていた事やら。
おのれ陽キャ、許されるのは世の中に迷惑を掛けない範囲での内輪ネタくらいなモンだ。皆は眠剤とか毒を勝手に他人の飲み物に入れるんじゃないぞ、絶対だぞ!
そこでふと、疑問に思った事が一つ浮かび上がる。謎が浮かび上がったのなら、それを解消しない訳にはいくまい。
「だとしたら、どうやってソレイユたちは毒を回避したんだ。全部の水に仕込まれたって話だし、あの場で水分に口を付けなかった人間って誰もいなかった筈だけど?」
「ーー言わないわ」
何故だ…。途端に不機嫌になったぞ、この忍者王女様。これ見よがしに頬を膨らませて睨む所が何となくハムスターを連想してしまう。
でも何となく状況は察した。ソレイユのこの機嫌を損ねるタイミングと怒り方が、レイラさんと敵対した時のそれと同じなのだ。ならば、レイラさんが絡む何かが当時あったのだろう。
念のため鉄格子の外に控えているトリシュとメリスに視線を向けてみるが、二人ともこちらと視線を合わせてくれない。…むぅ、情報統制が徹底されているようだ。
(レイラさんに助けてもらった可能性が高い、んだろうなぁ。毒も効かなさそうだし)
ならばこれ以上話題に触れぬが吉、折角見えた地雷を踏みに行く事もない。
では違う質問をぶつけ直してみよう。幸い、今の話で次のネタが浮かんできた。
「じゃあ話題を変えて。プリシラは今どこに?あのスライムも見かけないけど…」
「アイツらは別の牢に閉じ込めているわ。今のところ暴れる様子はなさそうだし、その素振りもないけど、念のための処置ね」
…まぁ、それはそうか。プリシラは月の国の兵士という肩書きらしいし、敵対関係にあるソレイユたちからすれば捕虜という扱いになる。
教会の地下牢みたいな私刑はないと思うけど、ソレイユの許可が下りれば彼女の様子を見に行っても良いかもしれない。
「ところで、アタシからも聞きたい事があるわ。あの自称女神、アイツ何者なの?何か知っている事があれば話しなさい」
そんな抜けた事を考えていると、ズイとソレイユの顔が寄ってくる。どうやら影を使って瞬間移動したらしい。
整った美少女顔がこちらに近付くだけで心臓が跳ねるというのに、恩恵を使ってまで迫らないでもらいたい。折角半歩退いた距離も関係なく詰めてくる様に、オレの矮小な心臓は更に締まってしまう。
「近ッ、近い!?」
「アタシと話をするならこれくらい慣れなさい。それより、アタシからは情報を提供したわ。今度はアンタの番よ?」
「分かった、分かったから!話すけどオレもそんなに詳しくは知らないからな!?」
だから少し離れてくれと、ソレイユの身体を押し戻すジェスチャーでこちらの希望を伝える。流石にこの要望は通してもらえたらしく、ソレイユは1歩離れると膝を折って床に座り直した。
「さっきも言ったが、オレも詳しくはあの自称女神様の事は知らない。ただ、オレと同じ目的があるって話だから、利害の一致みたいな関係で協力しているだけだ」
「アンタみたいな弱いオジサンと同じ利害関係ねぇ…」
訝しむようにこちらを睨んでくるソレイユだが、こちら側にやましい事は何もない。むしろオレの方が、あの自称女神様について知りたいくらいだ。
暫く睨まれるが、根負けしたのか納得したのか、ソレイユに溜息を深くつかれた。
「良いわ。嘘をついていなさそうだし、今はオジサンの言葉を信じてあげる。その代わり、また話を聞かせなさい」
「…分かったよ」
ようやく殺気の籠った視線の拘束を解かれ、オレの全身から力が抜ける。あまりに緊張していたのか、世界がふらりと傾くのを感じた。
ーー瞼が、体が重い。意識を手放しかけた頃になってようやく、オレの身体からまだ疲労が抜け切れていないのだと自覚した。
目を丸くし、慌ててこちらを介抱するソレイユの幻想が見える。必死に声を掛けているようだが、もう何を言っているのかも分からない。
そういえば持ってきてくれた果物、まだ食べきってなかったな。その心残りだけを抱いて、オレは思考を完全に沈めた。




