第4章03「無自覚の毒2」
男の独房に女が迷い込んだら、獣の欲を刺激する卑下た空間が生まれるのは自明の理。漫画やゲームではよくある展開だが、それが美人・美少女なら尚更の事だ。
だが同じゲームのような世界でも、オレの夢世界の場合は事情が異なるらしい。鉄格子を挟んでいるとはいえ、オレの心は汗まみれだ。
…何故って?理性がしっかり本能を抑えているからな。ただし働いているのは、下手な刺激で心臓を貫かれる殺意に当てられて恐怖に駆られない為の理性だ。
オレの監視として残された女二人の内、まず男として目を引くのは肌面積の広い褐色美人…メリスと呼ばれた女だ。大きな双丘はむしろ魅せるように、扇情的で煌びやかな衣装もより強調させる踊り子を彷彿とさせる。
踊り子は踊り子でも槍を携えている事もあってポールダンサーを連想させるが、彼女の持つ力強い眼光は獲物を狙う戦士のそれ。
ーー魔性の女、という表現が何となく似合う女性だと思った。舐めてかかったら、色々な意味で容赦なく搾り取られる様が容易に想像できる。
しかし真にオレの直感が警戒音を鳴らしているのは、素朴な衣装を身に纏ったエルフ少女の方だ。終始にこやかな表情を浮かべているが、殺気の大部分を隠している事が伺える。
他のエルフたちに囲まれていた時の、控えめでオドオドしていた態度は今の彼女からは感じられない。…異常な速度で生唾が喉に溜まる程に彼女の殺気に当てられているのは、この底知れぬ感情の読めなさが原因なのかもしれない。
村娘を思わせる衣装を纏っている筈なのに、深窓のお嬢様を思わせる隠しきれない容姿の良さはオレ以外の男も思わず振り返ってしまう事だろう。男によってはマイナス査定となる慎ましい身体も、彼女の武器となっている。
改めて少女が武装している緑の篭手を観察すると、蔦と花を思わせる可愛らしい装飾がよく目を引く、武器というよりは少女の細い腕を護る防具として機能している事を思わせた。
…目を引くというより、引き付ける呪いのような強制力を感じるのは気のせいだろうか。
「じゃあおじ様ーー」
そのエルフ少女に言葉を掛けられ、オレの視線は束縛から解放させられた。少女の顔には尚も、笑顔が張り付いている。
…忘れてはならない、今のオレは命の天秤に掛けられているのだ。最初の一言目から選択を誤れば、間違いなくオレは殺されるだろう。しっかり相手の求める答えを見極め続けなければーー!
「私たちとの会話の種、考えてね」
「まさかのセルフサービス式に初手から詰むとは思わなんだ」
思わず口から出てしまったつまらない言葉でオレの命運は決まってしまった。…すみませんレイラさん、オレの命はここまでのようです。
一昔前にやったアドベンチャーゲームですら選択肢は解りやすかったというのに、現実は何故こうも理不尽に溢れているのだろう。
「ねぇトリシュ。あの人、この世の終わりみたいな表情してるけど?」
「大方、私たちの機嫌を損ねたら殺されちゃう!って考えてたりして。フフっ、可愛いよねぇ」
「つまりさっきのあたしたちの殺気に当てられただけってコトかしら…、ご愁傷様」
しかし、オレの命は何故かまだ繋ぎ止められていた。理由はよく解らないし、何だったら解説が欲しいとも思わないが。
ただ何となく解るのは、いつでも不埒者を殺せるよう二人の手に得物が今も握られているという事だ。言葉と態度が釣り合っていない、それすなわち不発弾。今もふとした刺激で吹き飛ばされてしまう命である事には変わりない。
その上で不可解なのは、会話を良からぬ方向に流しそうなエルフ少女を宥めつつ、こちらに目配せしてきたあの踊り子美女の思惑だ。もう少しマシな話題を寄越せ、という事だろうか。
だが残念ながらオレの会話力はレベルが低すぎる。この土壇場でも「今日もお日柄がよろしゅう事で…」だったり「今日も変わらず美しいですな」といった、どこの誰が使えば得をするのかサッパリ分からない挨拶が浮かぶくらいだーー。
(…ん?容姿?)
ふと、出鱈目に並べた筈の文言集の中の単語に引っ掛かりを覚えた。容姿…正直に言って肌面積の広い人間をまじまじと見つめるのは趣味ではないし、抵抗感の方がむしろ強いのだが、オレの記憶が何かを伝えようとしている…のかもしれない。
もしかしてオレ、この美人さんに既に会った事があるのだろうか?この都合の良い前提のもと、オレは記憶を改めて洗い出してみる。えっと…多人数と会ったとしたら教会の絡み酒の席だ。
…成程、確かにあの場で似た顔をオレは見た事がある。その中でも特に強烈に覚えていた男女の記憶、女の方の名前はーー。
「確か貴女は、教会の絡み酒の時のメリ…ス、さん!」
「やっと思い出してくれたんだ。そ、ジューク…あの時の酒男を締めてたお姉さんよ」
よ、良かった…直感ってやっぱり大事なんだな。人の顔と名前が一致しない事が多いオレの事なので、万が一に人違いだった時はどうしようかと思った。
…その時はオレの首が物理的に飛ぶ?嫌だなぁ、そんな怖い未来を膨らませないでくれよハハハ。
「えー!メリス、私より先に話をしていたの!?ズルいよぉ!」
心中で胸を撫で下ろすオレを他所に、エルフ少女が不満げに声を荒げる。…オレからしてみれば、二人とのマトモな会話はこれが初めての筈なんだがなぁ。
膨れた頬を見せつけられた美人さんは、しかし大人の余裕を崩さない。見た目で比べるのは失礼だとは思うが、女性にしては長身のメリスと現代女性の平均よりも背が足りないエルフ少女の対比は、どこか駄々をこねる妹を宥める姉を見ているようだ。
「アタシはクライムハート教会で絡み酒に行ったジュークの横にいただけで、彼との会話なんて一言二言くらいなものよ?」
「私だっておじ様とは顔を合わせた事があるし、何だったら色々魔法を掛けてあげたのに扱いがあんまりだわ!ぶー!」
それは今の状況下での印象の問題です。牢屋越しとはいえ、にこやかに得物を握られて命の危機を感じないのは、現代人として肝が据わり過ぎてて逆に心配になるぞ…。
勿論オレは、そんな図太い精神なんか持っていない。売っていたら教えてくれ、金額によっては購入する事も吝かではない。
…さて、聞き慣れない単語が出てきたな。クライムハート教会って、フローア村のあの教会の事だろうか。
そのまま訳すと「罪心」…意訳で心の罪って所か?考察してみたい所だが、思考の海に潜ると暫く帰ってこれそうにない予感がする。折角会話の糸を垂らしてくれたのに、それに乗らない訳にはいくまい。
「えっと…。君に魔法をかけてもらったって、一体いつ?」
「私とソレイユ様が入れ替わる時にちょこっとね。お陰で普段より早く動き回れたでしょ?」
…言われてみれば、走り回った時に息切れするまでの時間が現代よりも長かったような気がする。魔法をかけてもらった自覚はなかったが、助けにきてくれたお礼は素直に伝えるべきだろう。
「その節はお世話になりました。…えっと」
「トリシュよ。というより、おじ様に何かあったらソレイユ様がすっ飛んでくるし。例えばこう、背後からニュルっと腕が伸びてきてぐぇッ」
それは一瞬の出来事だった。気を良く話し続けるエルフ少女の背後の壁からソレイユの身体がすり抜けつつ、彼女の首に腕を巻き付けたのだ。
隣に立っていた美人さんも、影から突然現れた主からの絞め技に反応出来ず、ただ顔を青くしながら成り行きを見守るしかできない。
一体今の会話のどこに刺激があったのか。オレには全く見当もつかないが、ソレイユの爽やかな笑顔は更に深くエルフ少女を絞め上げていく。
「食事を持ってきてあげようと思ったけど、トリシュには必要ないみたいね…!?」
「ご、ごべんなざいゾレイユ様…。だがらギブ、ギブぅ…」
壁に耳あり障子に目あり。影から現れる事ができるソレイユの恩恵の恐ろしさを改めて思い出させる一幕に、我が事のように自分の首に手を当ててしまう。
ーーソレイユの悪口だけは言わないようにしよう。オレは密かに、心の中で誓うのだった。




