第3章39「死神の恋文2」
世の中の「驚く出来事」というものの大概は、常識という枠組みを少し拡張するだけで受け入れる事ができてしまう。目の前で起きた超常現象に対しても「そういうモンだ」と無理やり納得するだけで、必要以上に錯乱する機会はグッと減るだろう。
だが今回ばかりは、オレは目の前の出来事を受け入れられなかった。何故?それは当然、目の前の軟体生物がどのように現れたのかを見てしまったからだ。
(いくら色恋沙汰に疎いオレでも流石に解るぞ、この状況)
いつから潜んでいたのかは分からないし別に知りたいとも思わないが、突如オレの口から現れて間に割り込んだ行為は、気持ちを整理して臨んだ少女の尊厳を踏みにじっていった…と説明するまでもないだろう。何もしていないどころか、むしろ被害者の一人であるオレも、プリシラに対する心情は複雑極まるものだった。
プリシラのキスを回避できた安堵、(推定)唾液から生まれた珍生物の乱入による混乱、現在進行形で感情に薪をくべていく少女への畏怖。恋愛経験値ゼロのオレでは、残念ながらこの感情を適切に処理できる気がしない。助けて恋愛強者!
「……、…………」
心にダメージを負ったその乙女の表情が、当然ながら徐々に険しくなっていく。しかし元々感情の起伏が乏しい娘なのだろう、変化の速度そのものは比較的緩やかだ。
しかし表情の温度差は、風邪を引くレベルでは済まなかった。殺る気スイッチを静かに…しかし力強く叩き潰したかのような無の表情。変化の末期は、ピキリと空気が凍り付くような幻聴さえ聞こえてきた。
マンガやアニメでしか見た事のないお約束展開になるのかと、オレが責められている訳ではないのに体温が急激に冷えていく。レイラさんやソレイユのような火薬庫が、追加で拵えられたような気分だ。
「…あぁもう、最悪だよチクショウ」
「そうだろう、そうであろう?おヌシのその表情が見られただけでも、恥辱に耐えてまで小汚いおヌシの中に潜んだ甲斐があったというものよ!」
フハハハハとご満悦な高笑いが響く中、最後の起爆スイッチを自ら踏んでいく謎の軟体生物。我が春を謳歌しているようなうるさい表情が余計に腹立たしい。
そんな軟体生物の表情が、突然オレの視界から鼻につく高笑いと共に消え去った。…正確に言い直そう、プリシラの拳が躊躇なく軟体生物の身体を貫いた事で、表情を構成していた組織が潰れた。飛び散った破片の一部がベタリとオレの顔に張り付き、一拍遅れてそれがプリシラの火薬庫が爆発した音なのだと理解する。
「ぁ、ぇ…ぁ?」
殺人的な速度で突如振るわれオレの眼前で止まった死神の鎌が、オレの全身の汗腺を一気に開放させる。簡単な単語ですら組み立てられない程の恐怖は、オレの心臓に早鐘を打たせた。
あと数ミリこちらに突き出されていたら、潰れていたのは軟体生物だけではなかっただろう。拳圧によって乱れた髪から、想像したくない未来を思い浮かべて想像の中で身震いする。
格闘姫たちの戦闘を間近で見ていて慣れたつもりだったが、所詮は門前小僧程度の理解だったらしい。格闘家の拳は凶器同然であると言われる所以を、改めてオレは学ぶ事となった。
だが、オレの心臓が過剰に反応した理由は他にもある。オレの顔に飛び散った軟体生物の破片が、モゾリと動いているのだ。
(嘘、だろ…?コイツ、今のパンチを受けても生きてるのかよ!?)
意識したが最後、オレの顔の上で破片たちがたちまち蠢き出す様はまさに地獄絵図。身動きが取れない現状も相俟って、オレの思考は命を刈られる小動物の如く瞬く間に追い詰められていく。
というより、早く助けてくれ“ヤツヨ”!?こんな時まで無視を決め込むんじゃねぇぞチクショウッ!
「“悪魔”、遊び心は大切だが行き過ぎるのは感心しない。後でフォローするボクの身にもなってほしいね」
『“女帝”には言われたくないけどナ。…仕方ない、からかうのはここまでにするか』
…待て、待ってくれ。確かに助けてくれとは言ったけど、アンタこの不思議生物と面識があるのかよ!?
そんなオレの動揺を読み取ったらしい“ヤツヨ”は、「そういえば二人には説明していなかったね」とため息交じりにこちらを見下ろした。
「この不思議ナマモノ…レヴィは、キミの中に留まっていた過剰な魔力を使って生み出した魔法生物のようなものだ」
「どーもぉ、レヴィでーす。今後ともヨロシクぅ」
オレの中に過剰な魔力があった?それを使ってペットを創った?ちょっと何を言っているのか理解したくないんですけど!?しかもこの軟体生物、いつの間にか再生し終わってるし!?
突然降ってきた非現実に頭を抱えたくなるが、残念ながらオレの身体は全く言う事を聞いてくれない。隣で同じ話を聞いているプリシラも、認めたくないと言わんばかりに呼吸を乱しているようだ。
「このせいぶつから、あたしとおなじちからをかんじるのは…どうして?」
「嬢ちゃんは戦闘中、嬢ちゃん自身の恩恵を使っただろう?あれは吾輩が嬢ちゃんの恩恵を解析して、それっぽく再現した“悪魔”の力を行使しただけに過ぎないのサ」
つまり勝手にプリシラの恩恵を解析して、勝手に真似たって事か?流石は悪魔、やる事為す事全部がデタラメだなオイ。夢世界らしくなってきたと言われればそれまでだが。
「キミが発現したタロット、“悪魔”は他者の力を借りる能力だ。だが、借りた力を再現する為に膨大な力を逆に生み出すらしくてね。景気よく恩恵を使っていた死神ちゃんによって、キミの中には消化しきれない膨大な魔力が一時的に溜まってしまったんだ」
「当然であろう?吾輩、この世で『枯渇』という言葉が大キライなのだ。資材は潤沢に用意するべし、それが吾輩の方針なのだよ!フハハハハハ!!」
それで自分の財布がカラになったら元も子もないのでは?言葉には出さなかったが、女神様に視線だけで疑問を投げかけてみる。
それへの返答は、「残念ながらその通りさ、自制したまえ」という諦めに近いものだった。…いっそ貧乏神にでも命名し直すか、この悪魔。
「溜め込んだ魔力をどうにか放出する必要があったが、下手な方法で抽出すればキミ自身が一帯を吹き飛ばす爆弾になる。そこで今回は、簡潔に手っ取り早く魔力を消化できる“悪魔”の疑似人格を作る方法を採らせてもらった。その際に依り代として使用させてもらったのが、死神ちゃんがキミの体内に仕込んでいた水だったのさ」
ゲームやマンガでも、悪魔の召喚には材料が必要となる描写が多い。学習材料にされただけでなく、プリシラの恩恵に縁のある材料が用意されてしまった事で、余計に水っぽい軟体生物の容姿になってしまったという訳か。
というよりプリシラ、いつからオレの体内に水を仕込んでいやがった。酒宴か?酒宴の時か!?一瞬でバツの悪そうな表情を浮かべるんじゃねぇぞチクショウ!!
「吾輩の中には、解析した全ての恩恵が眠っている!思い出した時にでも使うと良いぞ、対価はいただくけどナ!」
「…このように、タロットの扱いは非常に難しくてね。まず初めて扱う場合は絶対と言いきって良いほど逆位相する。死神ちゃんも今後覚えておくといい、二度目の機会があればの話だけどね」
「そう、する」
タロットの注意事項はまずオレにしてほしかったな、耄碌女神め!プリシラも素直に頷くんじゃねぇよ!
…もういい、戦闘は木偶の棒なオレが何を言っても無駄なのは今に始まった事ではない。多少の自衛手段が持てたと、無理やり納得するしかないだろう。
「ところで吾輩、先ほど嬢ちゃんに殴り飛ばされた時にこんな情報を手に入れましてな」
ゲッソリとしたオレの心の隙間に入り込もうと、悪魔がすり寄ってくる。聞きたいとは思わなかったが、残念ながら今は耳を塞ぐ方法がない。
だったら無視を決め込めばいいかと眼を閉じた瞬間、オレの鼓膜に爆弾が放り込まれた。
「嬢ちゃんを落とす時は、『何があってもオレはお前の味方だよ』らしいですぜ」
「…は?」
言葉の意味を汲み取れなかったオレは、思わず目を開け視線が悪魔とかち合ってしまう。そんな小っ恥ずかしい台詞で誰を落とせるってーー。
瞬間、再び悪魔がオレの目の前で爆散した。少女の拳の形をした隕石が、今度は雨の如く降り注いでいく。
飛び散った破片を一つずつ丁寧に、しかし恐るべき速度で密告者をモグラ叩きの如く潰していく今のプリシラは、大事なものを奪われて狂化した獣のようだ。
「つぶす…!ひとかけらものこさずつぶしてやる!!」
『今みたいな低めの声がストライクゾーンらしいですぞ、頑張れ脈あり男子ィ!!』
史上最低なエールを受けたオレは、奇しくも女神様と同じタイミングで溜息を漏らす。
モテたくないかと言われたら嘘にはなる。しかし解答を提示されてしまったら、それはもう機械のやり取りだ。人間の感情ではなくなってしまう。
「…“ヤツヨ”。あの悪魔を消す方法、教えてくれないか」
「溜め込んだ魔力を全て吐き出させる事だよ。ボクも、でき得る限り協力させてもらおう」
密かに『助けておヌシ!』と聞こえた気がしたが、今度こそ無視を決め込む。そもそも動けないし、自分からトラブルに巻き込まれにいく理由もない。
まぁ、乙女心を二度も踏みにじった悪魔に慈悲は要らないだろう。むしろ処されろと、割と本気で思った三十路を超えたオッサンなのであった。
●え…主人公君の唾液から生まれたの、この悪魔…
ヒェッ…(作者、思わず逃げ腰)。
実際は後に語られている通り、プリシラが事前に仕込んでいた水を用いた召喚魔物のような立ち位置です。決して唾液で作られている訳ではありません。良かったね、主人公君!
ちなみに「プリシラが事前に仕込んだ水」というのは、閑話3の酒宴で散々主人公君に呑ませていたお酒そのものです。大量に飲ませて、意のままに操りたい(自分のものにしたい)というプリシラ自身の欲がよく出ていますね。…まさかプリシラって、地雷か?
●プリシラの水から生まれた魔法生物、レヴィについて
女神様が触れている通り、“悪魔”の疑似人格です。性別は男となります。
プリシラ生存ルートの場合はギャグ路線もバッチコイなおちゃらけた性格に、討伐ルートの場合はプリシラの疑似人格となってシリアスに立ち振る舞います。
これまでに主人公君が起動させた“悪魔”の、契約状態となった人物が使用した恩恵を解析し、情報を溜め込むデータバンクのような存在。つまるところ、記憶のバックアップです。
…おや?記憶について解説した回がどこかにありましたね。女神様の講義内容をもう一度復習してみましょうか。




