3.
尻の痛さに耐えながら、そういえば人の温度がひどく懐かしいような気がしていた。
たぶん半月ぶりくらいになるだろうか。生身の人の言葉、温度や匂い。ああこういうものもあったんだなぁ、と変な感慨と共に懐かしさが込み上げていた。
私は少しだけ彼女にしがみつく腕に力を込めて、長い髪を手に取る。彼女は香水をふっているのかシャンプーだけじゃない、甘い匂いがする。
それがすきっ腹に心地よくて、気付かないだろうとタカをくくって思いきり嗅ぎ続けていると、急に自転車は速度を落として止まってしまった。
バレたかなと思って彼女の背中から離れると彼女は振り返って、
「着いたよ。ここ」
と指さした。
「え、ここ?」
私も同じように指さしてみる。彼女は頷いた。
二人して指さしたのは全く無骨極まりないトタン張りの二階建ての建物だった。建物だ。どうにも家には見えなかった。
私は自転車を降りてまじまじとよく見てみる。赤や青の剥げかけペンキで塗装され、工場、か何かの作業場の雰囲気だ。すぐ隣には普通な民家はあるのだが彼女は平然とトタンのほうへ向かっている。どうやら本当のようだった。
私も彼女のあとに付いて行き、階段を上る。
「この下はジジイんちの倉庫だから。アタシが使ってんのは二階だけ」
彼女はポケットから鍵を出すとドアを開けて入って行った。
「……おじゃましまーっす」
私は中を覗き込んでみてからゆっくりと中に踏み入った。
中は意外に広く、物がたくさんあって雑然としているがなかなか住み心地は良さそうだった。しかし玄関は狭い。端っこのほうにスニーカーを脱いで部屋にあがる。
彼女は散らばった雑誌なんかを重ねながら、
「散らかってて悪いけど、適当に荷物置いて。あーベッドの後ろ空いてない?」
長方形の部屋の右奥にベッドがあった。薄暗い部屋の中を脱ぎ散らかされた服を飛び越えながら進んで、持ってきていたリュックとボストンバッグを置いた。これが今の私の全財産だった。
むんむん蒸し暑い部屋の中を横断してこの部屋に一つしかない窓際に移動する。
「ね、窓開けてもいい?」
「ああ、いいよ」
サッとカーテンを引いて窓を全開に開ける。開けるときにザリザリと嫌な音がして、サンを見てみるとびっしり砂が詰まっていた。
眩しい日光が部屋に射して、私は眩しすぎて光に背を向けた。振り向くと彼女はいなくて、奥のドアから物音がしていた。
またも意外だった。私が想像していた彼女のうちは、シャレたマンションか最悪もっと普通のアパートとかだと思っていたのに、全く違う。
しかしこの汚さはなんとなく分かる気がする。
こじんまりした台所にはカップラーメンの抜け殻が重ねられてあって、分別はしているらしいゴミも、ゴミ箱に入っていないものがあった。赤い皮張りの高そうなソファの上にはタオルケットやパンツが乗っかっている。たぶんここで寝ることもあるんだろうと推測できた。
壁には特に絵なんか飾っているわけでもないが、ところどころにフックがついていて、そこにTシャツなんかが掛けられていた。そのTシャツのロゴを、なんだか見たことある気がする。ちょっと近寄ってみてよく見てみる。ますますどこかで見たことある感は強まったけど分からなかった。英語も読めない。
Tシャツの端を摘まんでみるとその下にもう一つ服があるのが見えた。ぺらっとTシャツをめくってみると、
「あ」
そこにあったのは制服だった。
チェックのプリーツスカートに半そでのシャツ。かわいいリボン。女物。
「なぁ、風呂入れといたけど、あんた入る?」
そこへ彼女が戻ってきて、私は勢いをつけて振り返った。
失礼も承知で指をさして、
「せ、妹尾さんって、もしかして、高校生……、だったりする? の? かな?」
うまく回らない舌で質問を投げかける。私のぷるぷる震えている指先を見ていた彼女が、ああ、と声を上げ、
「そうだよ。今高3。うん……、だからあんたも、ミユミでいいよ」
と何でもないように言ったのだった。
「み、見えないねぇ……。全然。……あ、あー、じゃあ私もサイコで」
私は今まで2つも年下の子にあんた呼ばわりされていたのか。
いやそれよりも、今日一番の驚きに私は目を見開くことしかできないでいた。彼女が制服を着ているところなんて想像できない。
毎日鞄を持って通学して友達と他愛ないお喋りをして、部活なんかもしちゃって汗を流してる彼女……。私の想像力ではその光景はぼんやりとしか浮かんでこなかった。
「風呂入んない?」
「あ、入ります……」
風呂を借りてしばらく、私は赤い皮張りのソファに座ってくつろいでいた。目の前のブラウン管テレビをなんとなしに眺めながら、お茶をすする。
彼女、ミユミは今台所に立っている。なんか飯でも食えよ顔色悪すぎ、とのことで彼女はご飯の用意をしてくれているのだった。
ミユミは冷たい見た目に反して、親切な人だ。言葉使いは乱暴で遠慮もなんもないけれど、それも実は相手に気を遣わせないためではないかとさえ思えてくる。
ミユミが注いでくれたお茶をすすり終って、私は冷蔵庫を物色している彼女の傍へ近寄って、
「何か手伝おうか? やってもらってばっかは悪いから」
「あ? いや、つっても簡単なもんだから……」
よいしょっと立ち上がった彼女が手に持っていたのは缶詰だった。サバ缶が3個。
「アタシ料理とかできねぇし……」
「……」
そして彼女はドバッ! っとサバ缶の中身を白い皿の上に勢いよくぶちまけた。私は息を呑んでその光景を見続けた。
最後のサバ缶をぶちまけ終えると彼女はその皿を持ってソファの前のテーブルに置いたのだった。
やっぱりあのまま食すようだ。ご飯を盛ったお茶碗とフォークを置いてソファにあぐらを掻いて、ミユミは私にも座るよう促した。彼女がタオルケットをどけたところに私も座る。
「こんなもんしかないけど、とりあえず食って。この辺ファミレスとかあればいいんだけど」
「ううんいいよ。なんもかもしてもらうの悪いし。……よかったら、ここに居る間料理私が作ろうか? 一人暮らししてるから、ちょっとはできるし」
「マジで? じゃあ頼もっかな。あんた大学生?」
「うんそう。大学二年」
「へぇどこの大学?」
は!? と、ここから県二つ跨いだところにある大学だと言うと彼女は眉根を寄せて驚いた。その目は余計に凄味が増していて、怖い。
「どんだけ旅して来てんだよ……」
「う~ん、半月くらいかな」
「そういうことじゃなくて」
私は笑って、彼女はまた話を進める。
「つーかなんで旅なんかしてんの? つらいでしょ?」
「あぁ、まぁそりゃつらいけどね。特に理由、はないっていうか何となく?」
フォークでとろとろのサバをつついてほぐす。あんまり箸が進まない。
「ふぅん……。よくやるな」
それに、彼女にはすべて見透かされていそうで落ち着かなかった。
冷たく凄みのある彼女の眼光はまだ真っ向から見つめるのはまだ少し怖い。私はそれを気取られないようにチラチラと彼女を見やる。
私はサバをご飯に乗せて頬張る。飲み込んだ後にあくびが漏れてしまった。ミユミはお茶碗を空にして、フォークを置いていた。彼女は額をボリボリ掻きながら、
「そういえばあんたさっき道路で寝てたよな。 まだ眠い? ベッド貸すから寝るか?」
「え? あー、うん。そうかも。いいの?」
フォークを噛みながら彼女を見上げると、彼女は頷いて弾みをつけてソファから立ち上がった。カモシカのようにくびれた足首が散らばった服の上を跳んでいき、ダブルベッドのシーツを整え始めた。
「ほら、ベッド使って」
「あ、うん」
ベッドの端っこからよじ登って真中にごろんと寝転がる。彼女が赤いタオルケットを投げてくれた。
彼女が上から覗き込んできて、つい数時間前のことを思い出しながら彼女の薄い色の瞳をぼんやり見上げた。
「どう、寝れそ?」
「うん。あのー、すごい今更だけど、色々とありがとね」
彼女の厚意はさりげなくはないけど、自然で、いつもこうなんだろうと思わせる。私はそれを流されるまま受取ってきたけどまだお礼も言っていなかった。ずっとそれが引っかかっていたのだけれど彼女は気にしていなかったのだろうか。
しかし彼女は至って普通の表情、ホントになんでもないみたいに、
「いいって」
そう言って彼女はまた薄く笑った。私も笑って、瞼を下ろす。
彼女と同じ、私も同じシャンプーの匂いのする枕に頭を預けて、その心地よさに体中の緊張が一気にほぐれていく。
しばらくして水の流れる音と何かがぶつかる高い音が聞こえてきて、帰った時に送るお礼を考えていると意識が沈んでいった。
指が、痛い気がして寝返りをうつと目が覚めてしまった。最近目が覚める瞬間というのはすごく不安で、無理矢理引きずり出されるような感覚に怯えながらいつも朝を迎えていた。
目を開けて、少し汗ばんだ身体を仰向けにして、息を吐いた。
怖いのは、旅をしているときは毎日違う景色が出迎えるからだと思う。見知ったものがないというのは思いのほか怖いものだった。起きた時の寝袋の感触にもうんざりしたし蚊が刺した痕を見つけては怒りも湧いた。そしてまたあてもなく彷徨うことに、体も精神もひどい倦怠感に悲鳴をあげていた。
今はもう日が差さない部屋の中には赤や青紫の光が発光していた。光の元を辿ると、小さな後頭部が見えた。
ミユミはソファに座っておんぼろいブラウン管テレビを眺めていた。音量は小さくまったく聞こえないほどだった。
時刻は丑三つ時。壁掛け時計はそう差していて、まさに草木も眠っているような静けさだった。
私は静かに起きだして、足をついた拍子によろけて壁に手をついた。ミユミが振り向いて、あ起きた、と口にスプーンを咥えたまま呟いた。
「おはよう、久々よく寝れた。ありがと」
「そう」
ミユミの隣に同じようにあぐらを掻いて座り、一緒にテレビを眺めることにした。
「なに見てるの?」
「さぁ、適当についてたの見てるだけ」
テレビに映っているのはサスペンス調の洋画だった。ミユミはカップのアイスをスプーンで掬って頬張りながら、だらだらとまるで内容に興味なさそうに見ていた。
私も同じようにただ何となく画面に目を向けながら彼女にぽそっと話しかけた。
「こんなに夜更かししていいの?」
「夏休みだし。休みの後半になったら学校行って受験べんきょしなきゃなんないし、今だけだから、ヒマなの」
「自主勉じゃないんだ。いいトコの学校行ってるの?」
「んー。まぁここらではそれなりの進学校かな」
「へー頭いいんだ」
「あんたは? 大学、聞いたことない名前だけどさどんなとこ?」
「普通の学校じゃないんだよね。被服系っていうか、服つくったりしてる学科に通ってる」
「へぇ、だからこんな感じなんだ?」
ミユミは私の前髪に指で梳くように触れる。私はまた出会った時のことを思い出して、少し驚いたけど、逃げたりしなかった。嫌でもない。彼女の触れ方は優しい。
ミユミは私の一部だけ白に染めた前髪を摘まんで横に流す。彼女の細い指が額に触れて、冷たい。
「どこで売ってんだか分んないような服着たり、バイクで理由なく旅したり、やっぱそういうとこ通ってる人って個性的な人多いよな」
「そ? やっぱ変?」
私が笑っていると、ミユミはいいや、と緩く首を振って落ち着いた声でしゃべる。
「いいんじゃん? 似合ってるよ、メッシュ」
「んふふ、ありがと」
そろそろ物語も佳境、というところでミユミはチャンネルを変えた。今度は音楽番組が画面を陣取る。
「もしかして、オールする気?」
「うん……」
「いつ寝るの?」
「朝んなって眠けりゃ寝ればいいし……」
ナマケモノの如く怠惰で不健康な生活だ。私はソファに半分埋もれ、これからしばらくお世話になるであろう宿の主人の横顔を眺めて、またお礼の品を考える続きをしながら朝食のことも頭の隅で思案していた。しかし夜明けの青白い光が見えてしばらくしても、結局冷蔵庫の中身を想像するだけに留まったのだった。
「ミユミ、このアンチョビの缶詰使っていい? あとキャベツ」
「あぁ。パスタ、下の棚に入ってる」
ミユミはソファの上にだらしなく寝そべってピスタチオを剥いていた。大きく開いた長い脚が真っ白で、朝日が反射している。
私はキャベツを片手に台所へ向かっていた。約束通り私は朝飯を作ろうとしているのだが、私も料理は得意なんかではない。一人暮らしを始めてからは比較的自炊もするようになったがレパートリーも少なく偏っている。それにミユミの家の冷蔵庫の中は想像よりも何とも寂しく、缶詰やプリンなどが大半を占めていた。調理に使えそうな食材と相談しながら思い出したのは昔読んだ料理本のレシピだった。
春キャベツとアンチョビのパスタ。一度だけしか作ったことのない料理を人に食べさせるのは少し不安だが、今はこれしかできそうにない。
キャベツを刻んで、その間にパスタを茹でる。フライパンに油を引いてキャベツをそこに入れながら、そうだ味付け。味付けの仕方がわからない。とりあえず塩コショウだろうか。
「ねぇし……」
小さく呟く。殻が割れる音が油の爆ぜる音に混じって聞こえる。
ミユミは塩コショウもなしに、今までどんな生活をしてきたのか。目玉焼きを焼かないのか。
とりあえずアンチョビに塩分が含まれているし、塩コショウはいいことにして、パスタを茹でて、その上に炒めたものをかけて一応仕上がった。
「一応出来たんだけど」
盛り付けた皿をテーブルに置くと、ミユミはのっそり起き上った。長い髪をぐしゃぐしゃとかき回しながら、「おぉ」と感嘆混じりの声を上げる。
「へぇ、結構うまそうじゃん」
「どうだろ。味見してないし、味の補償は出来ないけど。とりあえず食べてみて」
ミユミはフォークでパスタを掬い、口に運ぶ。耳に髪をかけ、顔を突き出しながら慎重に口に含んでしばらく咀嚼すると、
「なんか、嫌な味……」
「はっきり言うね……」
私の受けたショックと同じようにじわじわと、白々しい朝も更けていった。
なんだかんだで朝食を全部食べてくれたミユミに、食器の片付けを終えた私が声をかけた。
「私今日どうしてればいいかな? ほんとに何もやることないんだけど」
居候の身の私はこれから二週間ここでお世話になるわけだが、見知らぬ他人の家で好き勝手にできる訳もないしずっと家に籠っているのも何だが、ここは観光に行くような土地でもない。こんなに暇な状況は無い。
ミユミはメガネをタオルケットで拭きながら、重たそうに口を動かす。
「じゃあ適当にこの辺の散策しとく? スーパーぐらいあるからさ、知っといたほうがいいんじゃね。場所」
「スーパー、あるんだ」
「うん、マックスバリュー。あ、あと海も見える」
「海!」
ミユミの指からメガネが飛んだ。ゆっくりと拾う。
「海、行きたいの?」
「2年以上行ってないんだ。行きたいっ」
「つっても泳げるような海じゃねぇよ?」
「あ、なんだ」
行くにしても水着も持ってきていなかった。それに日焼けだけは勘弁、と毎朝日焼け止めだけは塗っているのに、わざわざ全身唐辛子を擦り付けたように真っ赤になりに行きたいのか。私は嫌に冷静になって考え直した。
「まぁでも見に行くぐらいだったらいいんじゃん? それなりにきれいだし」
後で連れてってやる、と約束を私の中に置いて、彼女はサンダルをつっかけた。彼女は寝起きのタンクトップ姿で玄関の扉を開ける。私も寝ていた姿のままで彼女の後に続いていった。錆びた階段の下から自転車を連れてきて、彼女はもう跨って待っていた。昨日と比べるとかなり落ちつて荷台に尻を落とすことが出来た。
「とりあえずスーパー行くか」
「遠いの?」
「微妙。10分くらい」
私が頑張っても爪先しか届かない地面をサンダルの裏が悠々と蹴って、タイヤはチキチキと進みだした。私はミユミの背中にしがみ付き、彼女の体の脇から前を見る。
ふざけたような道路のアスファルトの継ぎはぎの上を私たちの自転車はするする滑る。もう昼が近付いているのに人通りはない。坂を下って、無理やり神社を横断。信号もないこんなところでは、自転車は車より脅威ではないだろうかと思うようなスピードで走る。ミユミは一度も立ち漕ぎなどせずにスーパーまで辿り着いた。ほとんど汗もかいていない体から手を離して、私たちはスーパーの中へ入る。
「塩コショウ無かったから買っていい?」
「ああ。これ使えよ」
彼女は尻ポケットから無造作にドルガバの長財布を取り出した。五千円札を抜き出し、ぽいと私の手の平に落とした。ただの紙切れと同等の扱いをされた札を、私は握りなおした。
「こんなにいらないよ」
「他にも欲しいもんあったら買っといていいから」
そう言って彼女はひとり歩いて行ってしまった。
これは、ご飯用に食材を買え、ということか。そうじゃなくても他人の金でただの趣向品だけを購入してしまうのは気が引ける。私は大人しくかごを持って食料を買いそろえることにした。
「……なにそれ」
「プリン」
バラ肉かミンチか、どちらも手に取ってみて思い悩んでいたとき、ミユミがいつの間にか傍にいて、私のかごにプリンを放り込んだのだった。重みの増したかごを抱えなおして、ミユミを見上げる。
「プリンばっかり何個買うつもりだよ」
「いっぱい食うし、まとめて買っといたほうがいいじゃん」
「いや、冷蔵庫の奥で一個カビ生えたプリンあったけど」
「あー……」
ミユミはうなじを掻き回して、あんたの分、と小さく言った。私は甘いものはそんなに好きでもないけれど、ここは勿体無い精神に則って、頑張るしかないようだった。
独特の潮の匂いを嗅いで荷物の揺れる音を聴いているうちに、無意識に鼻歌を歌っていたようで、ミユミが振り返らずに喋りかけてきた。
「それなんて歌だっけ」
「ゆずだよゆず」
「あー」
私の下手くそな鼻歌をちゃんと聴きとってくれたのが嬉しく、少しだけボリュームを上げる。歌詞もよく知らない歌をサビだけを二回ほどリフレインする。その後はどうしていいのか分からず、黙って彼女に体を預けた。
ミユミは聴いていてくれたのか、嫌でも聴こえるだろうが、私の歌が終わった後自転車のスピードを速めた。
左に海が見える。沖の方は日光を浴びてきらきらと光を反射させて楽しそうだが、岸の方は粘っこいものを煮ている鍋を覗き込んだように青黒く滾り、そのまま落ちてしまったらきっと帰ってはこれないだろう。よくわからない不安に襲われ、沖の方を見る。
最初に期待を壊されていてよかったとさえ思ってしまった。
「海、あんまりかも」
「え?」
ミユミが振り向いて聞き返した。ううん、と零れてしまったどうでもいい呟きは無かったことにして、海を見るのはやめた。
それから二人とも無言で、いくつか小さな橋を渡り、来た道とは違う道を通ってあの家へ帰った。