2.
彼女の名前は、妹尾ミユミというらしい。キレイな名前だと思った。
実際、彼女はキレイだった。
長い髪は薄っすらと茶色く、若干巻き髪だ。横顔も端正で、鼻筋が通っていて顔も小さい。背も高いし、体はきゅっと引き締まっている。ただ、
「そっちは?」
「あぁ、私は戸田サイコ」
「サイコ? どんな字、書くの」
「才能の才、に、子。変な名前でしょ。恥ずかしいよホント。頭なんか良くないのに」
「ああ、珍しいよな」
その眼力。
時折こちらに向けられる眼光はとても鋭い。切れ長の若干釣り上った目。まつ毛も長くて、どことなく妖艶な雰囲気も漂わせている。この目が、彼女全体の雰囲気を作っていると言ってもいいくらいに、ひんやりとクールだ。
「長いよねこの道。どのくらいかかるの?」
「30分ぐらい」
答えるその唇もなんかエロい。タバコが似合いそうな唇だ。
総じて、彼女はかっこいいのだった。
私と同い年くらいに見えるのに、この大人な雰囲気は私の憧れそのもののよう。
彼女はこんな片田舎には不似合いだ。田んぼに囲まれた道をチャリンコ押しながら歩いて汗流して、なんてのは全く似合わない。でもたぶんだけど彼女は本当はここの人間じゃないんだろうと思う。キレイな標準語喋るし、都会的だし、物怖じしない態度も。
「妹尾さん、ここ地元なの?」
「いや。アタシは違うんだけど、ジジィの故郷でさ、引っ越して来ただけ」
生ぬるい風が吹いて、彼女の髪を散らした。真夏の暑さに上気した頬を歪めて、あちー、と悪態を吐いていた。
私もそろそろ疲れてきた。元々体力には自信はないし、ポンコツバイクの重さが尋常じゃない。彼女はタイヤの小さな折り畳み式の自転車で軽いんだろうけど、私のペースに合わせてくれている。
「もうすぐ着くよ、ほら」
彼女がアゴで示した先に、ちっさい町が見えてきた。
「おー、よかった。がんばろ」
そう言ってはみたがやっぱり辛いのでのろのろと同じ歩調で歩く。すると、
「あ、あれ、何?」
「あ? あーアレ?」
私の目に入ったのは遠くの山間に見える円形に並んだ作。結構広い土地みたいで農園のようにも見えた。
「アレは馬事公苑だよ」
「馬事公苑?」
「まぁ、今はもう閉めてるけどな」
「ふぅん。なんか懐かしい。私の地元にもああいうのあったんだ」
もう少し進むと、そのレース場の側に無数の土が積まれた小さな山が見えた。
「あれ何? フン?」
「あれは馬が埋まってんじゃねぇかな?」
「え、全部!?」
「たぶんな。やっぱ処分に困ったんじゃねぇの?」
うわぁ、と私は声をあげてしまった。
私の故郷のもこんなことをしていたのだろうか。
「…ほら早く。ここ曲がったらすぐだよ」
彼女は私の少し先で手招いていた。見える曲がり角は急な坂になっていて否応なくやる気を無くさせた。
カーブミラーの光の轍の中を彼女は臆することなく進んで、長い髪を揺らしながらズカズカと登っていく。
私も前に全体重をかけ、踵を、ふんばる。
彼女の案内でたどり着いたのは小さな修理工場。彼女は外で待っていると言い、私は一人で工場のおっちゃんと話をする。故障のことよりもバイクの汚さを指摘され、イジられてしまった。執拗にニヤニヤイジッてくるおっちゃんに愛想笑いで誤魔化しつつ、必要な手続きをして早々に工場を出た。
フェンスに足を組んでもたれ掛かりながら、彼女は待っていた。私が出てくるのを見ると体を起して七分丈のパンツのポケットに手を入れた。
「どうだった?」
問うてくる彼女に、私は少し変な違和感を覚えた。
「結構かかるって。2,3週間くらい…」
「…ふぅん。金は? あんた大丈夫なの?」
「うん。たぶん。なんとか」
彼女は足先でリズムをとりながら、顔をしかめた。
私はそこでやっと違和感の理由に気がついた。
彼女は私を待ってなんかいなくていいんだ。
ここまで連れてくるというのが彼女に頼んだことで、私のこれからのことなんか彼女には関係がない。もうここに来た時点で、それじゃあな、って去って行ってもよかったのに、彼女は何で待ったんだろう。
帰るタイミングを外してしまって、気まずく思っているのだろうか。だったら私が終わらせないといけないんじゃないだろうか。
「あの……、ここまで案内してもらって、ありがとう。もう大丈夫だから、その、……」
こういうことはどうも苦手だ。どうなっても後味が悪くなる気がする。でもいつまでも引き留めてはおけないし、仕方がないんだろう。
私がさらに謝辞と別れの言葉を言い募ろうとした時、彼女が口を開いた。
「あんたこれからどうすんの?」
「それは…、自分でなんとかするよ」
「こんなとこ、ホテルなんて一軒もないよ。あったとしてもそんな余裕ないでしょ?」
「まぁそりゃそうなんだけど…、野宿でもするから」
私が懸命に平気さをアピールしていると、彼女はため息を吐いて、
「そんなゲッソリした顔してさぁ、ほっとけるわけないじゃん。行くとこないんだったら、ウチに来なよ」
「いや、そこまで迷惑かけられないし」
「迷惑じゃないって。アタシ一人暮らしだし」
「でもさ……」
「2,3週間でしょ? アタシも夏休み入ってるし、問題ないって」
な? と彼女は念を押した。
私は眼鏡越しに彼女の目を真っ直ぐに見据える。鋭い眼光は私に迷う余地を与えない。
私はしばらく悩んで、あるいは悩むフリをして、最後には頷いた。
「じゃあ、よろしくたのんます……」
ぺこ〜…っと頭を下げながら見上げると、彼女は初めて、かすかに、10:1の割合の食塩水くらいの薄さで微笑んだ。
あっと思った時には彼女はもう自転車に跨り、顎で荷台を指していた。
「この先だよ。乗って」
トントンとサンダルが地面を蹴ってタイヤが回る。私は走って、なんとか荷台に喰らいついた。
彼女の背中に寄り添って、おずおずとお腹に手を回す。彼女の背中は熱くなく微妙な温度で、硬かった。
彼女の長い髪が目の前に広がって私の視界は狭くなって限られたものしか見えなくなった。
坂道と入道雲の間。そこに彼女のウチはあるらしい。