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サイコ  作者: あさこ
1/3

1.

 



 あたりの景色が赤らんで、影が濃くなる。

 夕焼けかと錯覚した。

 徐々に暗闇が濃い紫色になり溶けていく。一瞬強く光が差して、寝不足の目が痛んだ。

 クラクションがものすごい近くで鳴った。驚いてハンドルを握りなおす。どうやらいつの間にか反対車線へ寄ってしまっていたらしい。バイクのタイヤが道を擦る音だけを無意識の中で聞いていたから、周囲のことに疎くなっていたみたいだ。

 

 オレンジ色の線が後ろに流れていくのをただ眺めて、時々前も向く。ここから先がいったいどこなのかも知らないし、目的もなかった。

 もう時間の感覚もない。現在地なんて、何日前に確認したきりだろう。ただただ続く道を走って来ただけだ。


 でも何も思い出さないのは楽だった。頭の中はからっぽで、余計なことは考えなかった。

 あー、最近山のなかを走るのが多いなー。寝るときに虫が寄ってきたらいやだなー。思うとしてもそれくらいだった。まるでバカな子どもに戻ったみたいだ。

 朝焼けが皮膚を焦がす。心地よかった気温とももうすぐお別れ。ゴーグルに反射する光を手で遮り、スピードをあげた。

 するとたくさんの白い光の中に別の白色が見えた。それは煙だった。焦げ臭いような、嫌な臭いもする。すぐに車道を外れ、エンジンを切るとバイクはそれきり動かなくなった。

 山の合間に太陽は隠れ、こちらをこっそりと覗いていた。














「すいませーん! 誰か、おられますかー? 開けてくださーい!」


 人気も家もない、道の端にぽつんと佇む一軒の小さな自転車屋。ここでバイクを修理できるところを教えてもらおうと思ったのだが、朝も早いからか、シャッターも下りていて人のいる気配はない。


「どうしよ…、この辺、街とかあんの?」


 思わず独り言をつぶやき、地図を広げる。見えるのは豊かな山々と濁った池。電柱なんかは一本も立っていない。道路はなんとかきれいで、数羽の鳥が降りてきてミミズを食っている。愛らしい頭をしきりに動かして道路の真ん中で朝食タイムだ。私も道路の真ん中。まったく車なんて通らないので問題ない。

 道の先を眺めて、しかし辛いのはこの長さだと思った。見える限りでも何キロも続いている。もしこの先にとてつもない楽園があったとしても今の私には歩く気は絶対でない。

 

「……疲れたな」


 寝不足なんだった。痛む目を擦って私は決めた。寝ることにする。

 ヘルメットを被ったせいでぺったんこになった髪を乱暴に掻く。めちゃくちゃになったショートの髪を適当に手ぐしで梳く。バイクに括りつけた寝袋を引っ張り出して道の真ん中に放り投げた。その重い音に驚いた鳥たちが逃げて行った。

 私はとりあえず財布とケータイだけ、ポケットに入れて寝袋に潜り込む。キツい締め付けられるような感触も、今では結構慣れた。アスファルトの固い感触が厚い寝袋ごしにも伝わる。でもなかなか安定感があっていい感じに思える。私は目を閉じて、朝日をいっぱい浴びるように顔をのけ反らせ空気を吸った。

 ああ、久しぶりに安住の地を見つけることができた。いやなことは全部後回しで、私は深い眠りに落ちようとしていた。


 聞こえるのはスズメの鳴き声が少しと、木のざわめく音。

 寝袋の臭さを差し引いてもいい寝床だった。

 しかしあと何か、おかしな音も聞こえてくる気がする。何かが滑るような軽やかな音とザリザリとアスファルトを削るような音。それは徐々に徐々に近づいてきていた。

 きっと人が来たんだ。恥ずかしいけど、通り過ぎるまで爆睡しているふりをしてやり過ごそう。誰も、こんな所で寝ているような変人に声をかけたがる人なんていないだろう。

 私は目を閉じて眠りに集中する。

 ザリザリザリ…、音はだんだんと大きくなり、一定のスピードで近づいてくるのがわかる。これは自転車かもしれない。タイヤの回る音がする。

 もう私の存在に気付いているだろうと思う。早く通り過ぎればいいのに。


 小さなブレーキ音と共にザリザリいう音は聞こえなくなった。代わりに人の足音が聞こえ始めた。その足音は私の頭近くで止まり、私の目の前の暗闇は濃くなった。

 人の気配を、息遣いをとても近くで感じる。

 私は目を開けない。

 

 寝袋の端を掴まれてぐらぐら揺すられる。反応がないと、やめた。

 しばらくして、


「なぁ」


 抑揚のない低い声。


「生きてる?」


 







 無反応。この場合は無視か。

 私は声をかけられてもタヌキ寝入りを続けていた。

 この人も一度声をかけたきりで、そのあとはただ黙って、傍に立っているようだ。


 どうすればいいんだろう。私は、しつこく声をかけられたのなら起きてみようと思っていたんだけれど、こうなってしまってはどうすることも出来ない。今更起きるのも変だ。

 しかしなんで立ち去らないのだろうか。もしかして、私が本当に死んでると思って救急車を呼ぼうとしているとか。

 私は薄目を開けてその人を確認しようと試みた。なかなかうまくいかず、瞼が痙攣したようにピクピクするばかりだ。

 すると人の手が私の前髪ごと額に触れてきた。ピクピクを見て死後痙攣だとでも思ったのか、いたわるように優しい手つきだったが、私は突然のことに驚いて目を開いてしまった。

 開いたのだ。


「……」

「……」


 目が合った。逆光でよく見えないし、その人はメガネをかけていたし、長い髪が垂れ下がっていて邪魔だったけど確かに合った。

 その人は女だった。

 冷静な瞳で私を見下ろし、一言も発さない。これは、私が喋ったほうがいいのか。


「ぁ、あの……」

「生きてたんだ」


 彼女は冷静な表情を崩さぬまま喋った。すっと立ち上がる。

 私もつられて上半身だけを寝袋から出して、起こす。

 彼女は長い髪を手で梳きながら、


「マジで死んでるかと思った。顔色悪いし。……で、なんでこんなとこで寝てんの」

「えっ、と…」


 私も髪を整えながら大急ぎで言葉を探した。


「私、旅してるんです。バイクで。それがさっき壊れちゃって、この辺よく知らない、ってゆうか一回も来たことないから修理してくれる店とかわかんなくって、そんで、色々迷ってるうちに眠くなっちゃって、寝てたんだけど……」

 

 なんか、半分寝袋におさまってこんなことを必死に説明している自分って、すごく滑稽なんじゃないだろうか。私は恥ずかしくなって、彼女から視線を外した。


「そう。でもあんた、ホント顔色悪いよ。修理の前に病院行った方がいいんじゃねぇの?」

「いえいえ、だいじょぶですっ。疲れてるだけだから」

「ホントに?」


 私がうなずくと、彼女はポリポリと後頭部を掻いて、赤いフレームのメガネをかけなおした。

 私は寝袋を這い出て、フラつきながらも立ち上がった。彼女と目の高さが合わない。私は見あげることになった。

 彼女は少し冷たい雰囲気の女性だった。少し怖い。お礼を言って、早く退きとってもらった方がいいかもしれないと考えていると、


「修理してくれるところまで連れてこうか? この先にあるから」

「え、でも悪いですよ」

「アタシは全然、いいよ」


 私はとても運がいい、のだろうが、ちょっと気が引けた。

 悩んでいると、彼女は静かに言い募った。


「アタシの帰る途中だし、結構近いし、他に用とかあるの?」

「ない、けどでも……」


 チラリと彼女を見上げると、彼女は髪を手で梳きながらダルそうに返事を待っている。

 悪い人ではなさそうに思えた。それにこれだけ言っておかせて断るのは余計に失礼だと気付く。


「本当に、いいの…?」


 彼女は2,3回気だるげにうなずく。


「……じゃあ、お願いしますっ」


 笑顔でぺこっと頭を下げる。彼女もあいまいにうなずきを返してくれる。

 私は急いで寝袋を片付け、バイクに縛り付ける。同じく自転車を押して歩く彼女と並んで歩き始めた。

 先にはあの長い道。その先で、姿を現した太陽がこちらを見下ろしていた。






 






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