小鳥のさえずり
ぐるぐるぐるぐる
っぽ。
両かぎ針を使って毛糸を巻き取って、作業をすすめる。
本日の毛糸ちゃんは、ごきげん斜めだ。
いつもは、素早く行える作業も、手癖と噛み合わず、毛糸がするっと逃げていく。
私は、ふうっと白い息を吐く。
毛糸ちゃんも寒いのだろうか。
目に見えない程度の毛を逆立てて、私の裁縫の邪魔をしてくる。
ふふふ。しかし。甘いのだよ。
そんなときに行うべき対処法は、決まっている。
話しかければ良いのだ。
だれにって?
もちろん。毛糸ちゃんに話しかけるのだ。
「もしも〜し」
私は手元の毛糸に話しかける。
毛糸は私の呼びかけに応じるように、先端部分を体をよじるようにねじると、
通そうと思っていた毛糸が手元から、茶色のテーブルに向かって飛び跳ねる。
毛糸ちゃんは、まるで、自分がここに、存在することをアピールするように、一本の毛糸から、ヒト文字の形になって動き出し、私の使っているテーブルの前で踊りだす。
その軽やかな動きに、私も思わず、頬を緩ませながら、そのダンスの出来に小さな拍手を送る。
毛糸ちゃんが満足そうにお辞儀をするのを見図ると、私は、ゆっくりと話しかける。
「この、なかなか通りづらい場所があって、お願いしたいんだけどできるかな?」
私は、小指サイズの毛糸ちゃんに話しかけると、毛糸ちゃんは、お任せあれと、言いたげに、お辞儀をして、ダンスを行っていたテーブルから飛び跳ねる。
そして、ヒト文字から、一本の毛糸に伸びると、その先端が今まで通りづらかった穴に向けて、するするっと、身をよじりながら、ぐんぐん、間を縫っていく。
私が縫ってほしいと思うところまで、狭い空間をすり抜けると、役割を終えたように毛糸ちゃんは姿を消した。
「助かったよ。ありがとう」
私は、毎回困ったときに助けてくれる毛糸ちゃんへのお礼をつぶやきながら、外を眺める。
見上げれば、曇り空。
この部屋の窓側には、紫陽花が写り込んでいた。
ビシャビシャ、激しい雨で、雨どいに溜まっているのか。
地面に向かって、大粒の塊で水がこぼれ落ちて、地面に当たる。
「今日は、ドシャ降りかぁ」
私の作業には、天気はそんなにも関係ないのにも関わらず、私は憂鬱な気分になる。
かといって、晴れだから、特に作業がはかどる訳ではないのに、天気に自分の調子の理由を聞く。
しばらく、考え込んで、やっぱり自分の靴がびしょびしょに濡れるのが嫌で自分が憂鬱になっているのだと、気づいたところで、友達の声が聞こえてくる。
「ねぇねぇ。廊下側見てよ。ほらほらっ。ドアの向こうだってば」
先程まで、テーブルの向かいで作業をしていた友達が、男子生徒の声が聞こえたと思えば、教室の中をウロウロしだして、
しまいには、木製のドアに身を潜め、薄い曇ガラスから、廊下の様子を観察しだした。
そして、私のテーブルのもとに戻ってきては、その目を輝かせて私に言う。
「かっこ良くない?やっぱ、ヒロキ君。雨の日になると、外部活が出来なくなるから、廊下で筋トレしてるんだけど、うんうん。横顔も良いし。私結構、タイプかも」
彼女は、すでに、文化祭に向けての作品作りは、中断。テーブルに毛糸や道具を置いたまま、興奮している様子で、話を続ける。
「でも、あんなにカッコ良かったら、気づくはずなんだけどなぁ。去年は見かけなかったし、何年生なんだろ。同い年だったら、嬉しいなぁ」
彼女は、そう言って、私達が座っているテーブルから、遠目で廊下の方を見つめる。
「ねぇ。マナも一緒に見に行かない。トイレに行くふりしてさ。
チラッと見に行こうよ」
彼女は、机を軽く叩きながら、私が立ち上がるようにせかす。
「ほぉーら。行こうってば」
立ち上がって、両手を使って、一人じゃ行けない。とせがむ彼女に、私はようやく重い腰を上げる。
人数が少ない部活なのに、私達が、部室から出ていってしまってもよいのだろうか。と、せっかく入ってきてくれた後輩の男子部員の様子をチラ見する。
彼は、今までやってきたことのない裁縫を不慣れながら、初歩から一生懸命学ぼうと、手を動かしていた。
「でも」
私が、彼の方を向くと、彼と目があって、彼はそれに気づくと、急いで目を手元にそらす。
「ほーら。ほら。早く行こうよ。陸上部いつ終わっちゃうか、わからないじゃん」
私は、悩みながらもドアの手前まで、友達に引っ張られて、その強引な手を振り払うかどうか、考える。
せっかく、裁縫に挑戦しようと頑張っているのに、それを見なかったことにして、この部屋から出ていってしまっていいのか。
私の好きな手芸をやりたいって、入ってくれた部員がいるのに、こんなことをしてて良いのだろうか。
私は自分さえ裁縫ができれば、良いと思っていたのに、2年生にあがって、後輩ができて、もう少し、教室の様子を観察するようになっていた。
もっと、手芸が好きな人が増えれば良いな。みたいな、大層なことは考えていないけど、せめて、一緒に楽しさを共有できれば良いなと、最近考えるようになった。
「いいよ」
普段は、そんな言葉、ちっとも出せなかったのに。
今日は、友達にボソッと。つぶやく。
「え?前は、ついて来てくれたじゃん?なんでよ」
友達は、普段とは違う私の反応に、驚いているようで、ドアの前で立ち尽くす。
気まずいな。。
初めて、フウカが言うことに、反論した。
こういうとき、どうすれば良いんだろ。
私は、思わず、目の前に立つフウカから、目を背ける。
フウカの視線を感じる。
私はこの時間が一番キライだ。
だから、自分の思うことは、なるべく口に出さなかった。
なんでよ。か。
そのまま言えたら簡単だろうけど。
なんて、言えばよいのかわからない。
ちょんちょん。
ちょんちょん。
毛糸ちゃんが、戸惑っている私の肩を叩く。
「ごめん」
私の手元から伸びる毛糸ちゃんに今度は急かされて、男子生徒の方へ向かう。
「あ。あの」
私が声をかけると、私とは別の机で、独り苦戦していた男子生徒は、一生懸命、動かしていた手を止めて、私の方へ顔を見上げる。
ずっと、俯いていた彼とまた目が合う。
「すいません。僕のせいで、先輩方に気を遣わせてしまって。
もう少し、自分で調べて、やってみるので、大丈夫です」
「ううん。私こそ。ごめん。せっかく、練習してくれてるのに、全然様子見れてなくて」
「毛糸ちゃん」
私が声をかけると、彼が手に持っている毛糸が動き出す。
うわっ
彼が声を上げた途端、毛玉がはじけ飛び、空中に跳ね上げって、どんどん解けて、宙に浮いて、滞留する。
そして、宙に浮いている毛糸はそのままに、その先端を掴んで、彼が持っている道具に手を添えて、使い方をレクチャーする。
「一回、輪を作って、ここに通して、こういう状態になったら、これを繰り返すの。」
私は、自分の好きなことを伝えるのは、好きで。
彼が、興味津々に視線を注いでいるのを感じながら、伝わっていることを確認しながら、ゆっくりと解説をする。
すごい。
彼はそう言って、私の手さばきを眺める。
春。桜の花びらが散ったあと、新しい芽が育った頃に、入部した彼は、一度もこの手芸部を休んだことはなかった。
真面目に、毎日の放課後にココへ来て。
熱心に独りで、作業に熱中していた。
そんな彼は、どこか私に似ていて、クラスに馴染めずに、この部活に入り浸る私と近いものを感じていた。
この世界は、私を置いて、どんどん目まぐるしく進んでいく。
ずっと、中学生の頃も仲が良かったフウカは、いつの間にか、気になる人ができて、ウキウキしているし、手芸部の此処にはまだ、来ていない残りの部員「コトハ」は、裁縫のプロの講座にお熱をあげていた。
「ねぇ。気にならない?裁縫のプロの話。すっごくうまいんだよ。ここで、独学で作っているより、ずっと楽しいから。一緒に講習受けに行こうよ」
夏。小鳥のさえずりが、しばらく、聞こえなくなった頃、コトハが部室にやってきた。
「ねぇ。行こっ。行こってば」
コトハは私に、いつもの机を叩いて、一生懸命にアピールする。
「ぜんぜん、マナ。外に出ないじゃん。面白いよ。いろんなこと知れて」
コトハは、手持ちの両かぎ針を揺らしながら、話しかける。
彼の方を見ると、また黙々と裁縫を続けていた。
コトハは暇そうに、部室を見渡す。
「毎回思うけど、この部室は、静かだよね。一生懸命、裁縫をするのは、マナと、新入部員ちゃん。フウカは、最近は、お隣の陸上部のヒロキくんにお熱みたいだし。
マナは、ここで、ひたすら作業してる」
ふぅ。
ため息をついて、机に腰を掛けるコトハは、べらべらと話し続ける。
「詰まらないとは、思わないの?ずっと、ここにいて。
ずっと、同じ作業をしていて。
私は、続かないわ。色んな人から、刺激を受けて、やっと趣味も続けることができる。
マナは凄いよ。
独りで黙々と。
後輩君も、あれは、文化祭に向けての作品づくりかな?」
コトハは、隣の机で作業をしている後輩に目を向ける。
コトハは、短い間にいろんなことに興味が向く。
「すごくないよ。私は、自分の好きなことしかしてない。
居心地の良い場所でずっと。
それしかしていない。」
私は、コトハの言葉の隙間にやっと、返事を差し込む。
言葉が数が少ない私にとって、このくらいのテンポでの返しがコトハとの調度良い距離感だった。
自分の手元に目を向けると、毛糸ちゃんが、ぬくぬく、窓から差し込む光で日向ぼっこしているようだった。
「ここで、ずっとこの作業してても良いけどさ。
私達の関係はどうするの?
私達3人、最近、一緒に遊んだりしないじゃん?
このままでいいの?フウカとも最近話してないし」
そう言われて、私は、しばらく考えこむ。
フウカの誘いを初めて断わった私。
自分が大切にしたいことは、何なのか、一瞬、自分の心を見つめ直した気がした。
私は、観測者だった。
ただただ。
話しかける友達の会話に付き合い。
この部室から、季節の移り変わりを観察する。
小鳥が、気ままにちょこちょこさえずるように。
私も、世界の美味しい部分だけ、摘んでいた。
友達がどんな状態なのか。目を瞑って。
「うん。。私はいいかな」
私が、そう言って、躊躇う間にも、季節は進む。
秋。いつの間にか。窓の外の景色は色づいていた。
「マナ!いっっっっしょうのお願いっ」
久しぶりに、フウカが、部室にやってきた。
その天真爛漫な表情に、私は、少し安堵する。
「どうしたの?」
私は、フウカに久しぶりに声をかける。
「一緒にテスト勉強をしてほしいの」
フウカは両手を合わせて、内容を伝える。
「実は、気になっていたヒロキくんが。一緒にテスト勉強してくれることになって。」
嬉しそうなフウカは夢中になって、毛糸ちゃんがそこにいることは知らずに、机に肘をついて、話を続ける。
「でも、二人じゃ。気まずいから。一緒についてきてほしいんだ。
駄目、、かな?」
フウカは両目をつむって、神に祈るように、両手を合わせていた。
私に、できることは少ないけど。
こんなにも、フウカが頑張っているから、応援したくて、私は、
いいよ。と、珍しく外に出ることを了承した。
「あー難しぃよおお」
隣の席で、フウカがうなる。
フウカの向かいの席に座っているヒロキくんは、そんなフウカの様子を見て笑っている。
「広野、ここ、ムズいんだけど分かる?」
ヒロキくんが、そんな唸っているフウカを横目に私に話しかけてくる。
「え。。えっと。」
私は、急に話しかけられて、動揺する。
私もそんなに勉強してないし、わからないよ。。と、言おうとした矢先に、フウカが割り込む。
「あ、わかるよ。ここの部分っ。ここは、あれだよ。あれ」
フウカは頭をポコポコ当てながら、頭に入っている知識を引っ張り出す。
「ほんとに、分かるのかよぉ」
ヒロキくんは、半ば、呆れながら、フウカと、また話し出す。
なにか、置いていかれている気がして、私は俯いて、手元のバックに向けて呟く。
毛糸ちゃん、私。どうすればいい?
私がそうつぶやくと、毛糸ちゃんはバックの中から、ニョロニョロっと出てきて、私の手元を優しく触れる。
手触りが良くて、落ち着く。
毛糸ちゃんは、私が触ると、触り返してきて、ほんのり甘い香りがする。
私、ここに居る必要あるのかな。
毛糸ちゃんは、その呟きに、毛先を揺らす。
「そうだよね。私もそう思う。。」
****
「やったぁー。久しぶりに揃ったじゃん。私達」
コトハは、いつもより大きい声で、フウカの肩を叩く。
「うん。久しぶり」
フウカは、少し、恥ずかしそうにコトハの返事をする。
「仲直りしたの?二人は?」
コトハは、私とフウカの方に順番に目を向けて、尋ねる。
そうだね。
うん。
そう言われて、私達はそれぞれに頷く。
「講座も良かったんだよぉぉぉ。達人の縫い方は一味違うの。なんていうのかな。こう。道具の使い方もうまいし、あれもこれも、そう。そうなんだよ。」
コトハは、元気に両手を挙げて、体を使って、私達にその凄さをアピールする。
「もう外は、雪が降ってるし、恋しいよね。毛糸が。縫い物が。
あれれれ。後輩くんも、必死に作ってるねぇ」
隣の席の後輩に目を向けて、必死に作業をしている様子にコトハは感心する。
「もうすぐ、ヴァレンタァァインの季節だし、楽しいこと多いよねっ」
そう言われた、フウカはコトハの言葉に頷く。
うふふふ。ふっふー。
今日は、3人揃って、ものすごく、コトハはご機嫌のようだった。
部室の外の廊下では、なんだか、いつもより騒がしい声が聞こえて。
普段は、あまり耳にしない。男子の叫び声が聞こえる。
その段々と近づいてくる声に、私は、半信半疑に耳を傾けていると、手元の毛糸ちゃんが、慌てて、机の下に身を隠したのが分かった。
ガラガラと。手芸部のドアが開く。
と同時に、かけだした足音が迫ってくる。
「ひっっヒロキくん」
フウカは、急に部室に入ってきた例の男子を目の前にして、驚いて立ち上がる。
「おおおぉぉ。あれが、噂のっ」
コトハは私に近づいて、ウキウキしながら、ヒソヒソ声で話しかける。
耳を真っ赤にしたフウカは、しどろもどろしながら、ヒロキくんに目を向けて、何か話しかけようとしていた。
しかし、突然、部室に入り込んできたヒロキくんも、なにやら次の言葉を出せずに、黙り込んでいた。
その沈黙の間を廊下から眺めている男子生徒の声が埋める。
私は、いつもと違う。
部室の中では起こらなかった事件に、耳をさらに澄ます。
風が吹いて、雪が屋根から、崩れ落ちる音がしたかと思うと、二人の声が響いた。
「あ、あのっ」
フウカは、か細い両手を強く握りしめ、目をつむり、少しうつむきながら、恥ずかしそうに、ヒロキくんに話しかけた。
が、次に聞こえたのは、私も想像もしないような言葉だった。
「お、俺、広野マナのことが、好きなんだ!
こんな俺で良ければ、付き合ってほしい!」
ヒロキくんの声が、部室の中を駆け巡る。
えっ。。
気づいたら、ヒロキくんは、自分の顔を見て、そう言っていた。
こんなにも、真剣な目で誰かから、見つめられるのは、初めてだった。
こんなにも、力強い言葉で、言われるのは、初めてだった。
私は、眼鏡に手をかけて、今の現状を捉え直す。
どうして、私が。
なにが、どんなきっかけで、こんなことになったのだ。
気づいたら、両かぎ針は机の上に落としていて、突然のことに動揺していた。
助けを求めるように、隣の席の男子生徒に目を向けると彼は、私と目を合わせないように俯いていた。
「突然、過ぎだよな。いや、突然なのは、わかってるんだ。
でも、その。。
どうしても伝えたくて」
ヒロキくんは、今の雰囲気を隠すように、言葉を繋ぎ始める。
あ、ありがとう。
私が、やっと息を吸って、おぼろげにその言葉を伝えようとしたとき、横からその言葉が遮られた。
「どうして!!!」
どうして。
私がさっきまで、思っていた言葉を、発したフウカがいた。
そして、瞳に涙を浮かべ、涙混じりに言葉を次々に吐露する。
「なんで、マナなの!どうして、どうして!!
ねぇ。私の方を向いてよ。ヒロキくん!!」
そう言って、フウカは一歩踏み出し、ヒロキくんに近寄る。
ヒロキくんは、横からそう言われて、気まずそうに、やり過ごしていた。
フウカの方には、目を向けず、私のことをじっと見ていた。
その圧迫感に気圧されて、私は思わず、席を立ち上がる。
わ、わたし。
そう、言葉を発するタイミングで、またフウカの声が、部室を駆け巡る。
「なんっで。マナなの。こんな地味で、勉強もできない。可愛くもない。手芸のことしか考えてない奴のどこがいいの!
私は、努力してる。
私は、努力してる。
皆から、よく見られるように努力してる。人一倍、皆と会話してる。
なのになんで。私を選んでくれないの!!」
「ちょっと。」
コトハの制止も聞かずに、フウカは言葉を続ける。
「マナ。あなた、ヒロキくんに、何話したの?
そういえば、勉強会のときも先に帰ってたよね?
なにか、企んでたの?」
フウカの問い詰める目が怖かった。
私は何もしてない。
私が、何を言おうと、止まらない。
私には、なんて答えたらよいか分からなかった。
毛糸ちゃん、わたし。どうすればよいの?
「なんで、あなたが。
何もしてないあなたが」
フウカはブツブツ、言葉を連ね、やるせない気持ちを発散する。
コトハはフウカを諌めるために、私に話しかける。
「とにかく、断ってあげて。フウカが好きな子なんだから。
別にマナは興味ないでしょう?恋愛」
私を置いて、目まぐるしく、会話は進む。
いろいろな感情がこの部室の空間で入り交じる。
静かな私を、置き去りに、告白や憶測が飛び交う。
一気に詰められていた私を見て、隣の席から物音がする。
「そんな言い方はないでしょう。フウカ先輩もコトハ先輩も。
マナ先輩だって、十分に魅了的だと思います」
ヒロキくんではなく。
隣の席の後輩くんが、まっさきに声を上げた。
いつも静かだった。後輩くんは、顔を真っ赤にして、立ち上がり、声を出す。
「そんなこと言うことは僕が許さない」
「ちょっと。なんで、あなたが肩を持つのよ。後輩のくせに生意気。
あんただって、そうよ。
地味でマナと一緒じゃない。世間には何も興味ない顔して、ひたすら、裁縫してるだけ、つまらない男。
黙れよ。インキャ」
フウカの言葉は、どんどんキツイものになる。
淀んだ空気に耐えられなくなって、ヒロキくんは、そそくさと部室を出る。
後輩くんは、罵られても辞めなかった。
フウカに向かって、泣きながら、意思を曲げなかった。
「僕のことはなんて言っても良い。
マナ先輩のことは、撤回してください」
どうして。こんなことになったの。
こんなにも、黒い空気で満たされている空間が手芸部だったっけ?
私が、原因なのかな。
言い争っている二人のことを見つめる。
コトハの言葉も、私を庇っているようで、私の胸を深く突き刺していた。
全部。そうだったのだろうか。
最初から、私の事をそう思って、話をしていたのだろうか。
私が知らない世界で、私は勝手にどう思われていたのだろうか。
仮面を外して、みんな本性を露わにしていた。
言葉の裏に隠された感情が、こぼれ落ちていた。
ずっと、皆でここで、おしゃべりしていたかっただけなのに。
それを私は望んでいたのに。
私が原因で、皆の仲が悪くなった。
フウカとコトハの目が怖かった。
面白がって、部室を見る男子生徒の声が怖かった。
私を必死に守ろうとして、傷つく後輩が怖かった。
気がつけば、私は、部室を飛び出していた。
珍しく、廊下を走る私を白い視線が交差する。
私は、目をつむって、ひらすら走った。
走って。
走って。
気がつけば、校舎の外に飛び出していた。
寒波が全身を襲う。
寒い。
小鳥がさえずりをしていた季節はあっという間に過ぎ去り。
路上や街路樹には雪が降り積もっていた。
いつもの癖で制服のポケットに手を入れる。
何も反応しない。
勢いに任せて、部室を出てきてしまったせいで、毛糸ちゃんは此処にはいなかった。
暖かい巣を離れて、ついに私は一人になってしまった。
周囲を見渡すと、あらゆる構造物が雪に埋もれ、白い空間が際立った。
寂しい。
私は、なにを望んでいたのだろうか。
学校生活になにを望んでいたのだろうか。
趣味を優先して、世界との繋がりを絶つことなのか。
うわべの会話で、自らの心を満たすことなのか。
私は、安心するこの場所で、過ごせていれば、それで良かったのだろうか?
自らを守る殻に籠もったまま、過ごせていれば、それで良かったのだろうか?
私が、本当に欲しかったのは。。
サクサクと、雪を踏み鳴らす音が聞こえる。
「ずっと。渡そうと思ってたんです」
後ろから声がかかる。
振り向くと、私の背中を追いかけて、息を切らす後輩くんの姿があった。
後輩くんは、私に駆け寄って、作り終わった縫い物を渡す。
それは、彼がずっと、熱心に練習していたものだった。
ふわふわな感触の縫い物を受取り、私は、綺麗な縫い目に目を向ける。
嬉しかった。
ずっと、練習してたもんね。
私の隣の机で、いつも練習していた彼。
不器用ながら、必死に作業をしていた彼。
その姿を思い起こすと、私の冷え切った心が、暖まるのを感じた。
「じゃあ。」
彼は、私が縫い物を受け取ったことを確認すると、急いで、この場を立ち去ろうとする。
待って。
いつも言葉を出すのが遅い私の口が、ここぞとばかりに開く。
「待って。お礼を言わせて」
私は、距離を取った彼に近づき、頭を下げる。
彼の目を見ると、さっきは出たのに、言葉が詰まる。
え、えっと。。
寒いはずなのに、体が熱い。
顔が火照っているのを感じる。
どうすれば、いいんだろ。。
彼からもらった縫い物に目を向けても、
いつも反応する毛糸ちゃんが、ピクリともしない。
これから、どうすればよいのか分からない。
でも、彼の気持ちに答えたくて、下手なりに言葉をつなげる。
「ありがとう。嬉しかったの。」
私は、彼の目を見ながら、頂いた縫い物に視線を落とす。
「丁寧に縫ってある。上手になったね。すごく、ふわふわで暖かい。」
縫い物の感触を確かめながら、私は心を落ち着かせる。
「その場で、お礼を言えてなくてごめん。さっきはありがとう。」
私は彼の目に再び目を向けて、大事な言葉を伝える。
「すごく嬉しかった。このプレゼントも大切にするね」
感謝を伝えるように、私は彼に笑いかけると、彼の目は驚いたように大きくなって、口元が笑った。
自分の言葉が、はじめて素直に伝わったのを感じて、私は嬉しかった。
「せ、先輩のことが、好きです。マナ先輩のことが好きなんです」
彼は、勢いのまま、言葉を走らせる。
さっきも、同じ言葉をかけられたはずが、今回は、何故か脳内を反芻し始める。
嬉しかった。その言葉をかけられて、嬉しく感じた。
思わず、私の口角が緩むのを感じる。
彼の目が私のことを見つめていることを感じる。
なぜだろう。同じ言葉なのに。
こうも180度、捉え方が変わるのは、なぜだろう。
不思議だ。
でも、はじめから、彼からは似た雰囲気を感じていて、何故か、その言葉が、私の胸にすんなり、吸い寄せられてくる感覚があった。
日々を送っているうちに、彼の存在が、私の生活空間に馴染んでいて、不思議と彼がずっと、隣の席に居ても、嫌な感じをしなかった。
むしろ、時々、彼がめずらしく病欠すると、不安に思っている自分がいたことに、今更気づく。
ヒロキくんへの返事がすんなり出てこなかったのも、気づかなかっただけで、大切な気持ちが心の奥底に潜んでいることを暗示していたようだった。
もしかしたら、私は、ずっと気づかなかった振りをしていただけかもしれない。
彼の存在の重要性に。
一緒に作業をしながら時々会話をする。
その心地よさを、いつの間にか、私は楽しんでいた。
季節の移り変わりに左右されることなく、続く関係性に私は、満足感を覚えていた。
だから、私も答えないといけない。彼の想いに。
「私も好きだよ」
私はそう口にして、耳を赤くする。
彼の頭には、粉雪が降りかかり、それでも気にせず、彼は、喜んでいた。
私はそんな彼に、作ってくれたマフラーを手に取り、彼の首にマフラーをかける。
「大丈夫?寒くない?」
彼は、突然のことに驚きながら、頷く。
あの時みたいに、強がって。。
カッコいいんだから。
私はそう思って、笑う。
あの言葉も、あなたがくれたマフラーも全部好き。
私は自分にもマフラーをかけて、寒さを補うように、彼に抱きついた。
「ちょっ。ちょっと」
いつも静かな彼が、驚いた声を上げている。
ふふ。
思わず、声が漏れる。
「なに。驚いてるの」
彼の反応が面白くて、私が、こんなにも積極的になるなんて、私自身が驚いていた。
こんなにも、気持ちが動くなんて思わなかった。
彼のいろんな表情が見てみたいと思った。
「大好きだよ」
私は、彼の耳元でそうつぶやくと、彼は、恥ずかしげに、うん。と返事をした。
暖かいね。
うん。暖かい。
私達は、言葉を交わし合う。
そして、感じる。
この時間がずっと続けばいいのに。