56色 鏡の中ではキミひとり
…ピッ…ピッ…ピッ…
室内に高い電子音が響き渡る。一滴、また一滴、透明な液体が静かに水音を鳴らして波紋をつくる。その透明な液体の行く先は細い真っ白で傷だらけの腕の中に入っていく。果たしてその行為に意味があるのかすらわからないほど彼の腕は弱々しかった。呼吸器をつけられ耳を澄ませても聞こえるか聞こえないかの弱い弱い呼吸音をさせている。
「………」
わたしは彼の近くの椅子に座りチカラなくうなだれる。
一体どうしてこんなことになった?
わたしは思考するチカラもないほどに疲弊していた。すると、スライド式のドアが開く音がした。
「…容態はどうだ?」
マコトが病室に入ってきて聞いてくる。わたしは彼の顔をみなかったけど、他に人がいることが気配で感じ取れた。
「………」
なにもいわないわたしにマコトは話を続ける。
「緑風が寝床にしていた小屋を調べてきたが、食料と呼べるものは一切なく強いていうなら雑草が綺麗に洗って保管されていた。恐らくそれを食料代わりにしていたんだろうな…」
「そんなものを食っていたら病気になるのも納得だし、むしろなんで今まで生きていたのかが不思議なくらいだ」
『生きているのが不思議』、彼はそう診断された。
医師いわく、クウタくんのカラダはもうボロボロで息をするだけで激痛が走るほど肺が傷ついているらしい、他にも足は感覚がほぼないに等しく筋肉の機能は低下していて、
目は『ほぼ視えていない』とのことだった。視えていないからこその深く暗い瞳をしていて、視えていないから気配でわたしたちのことがわかっていたのだ。
「…ねえ」
「!?」
久々に出すわたしの声は自分でもわかるくらい『掠れて』いた。
「なんでクウタくんはこんなことになっちゃったのかな?」
あまりにも掠れていて声が出せているのかすら疑問になるほどの小さな声で聞く。
「………」
誰もわたしの疑問に答えてくれなかった………なぜなら、そんなの『わかりたくもない事実』だからだ。
「少年、孤独という名の蟲毒に飲まれてしまった。哀しき運命…」
「!?」
誰もいわなかったことをピンコはいう。
わたしは静かに彼女の言葉に耳を傾ける。
「人は皆、孤独には勝てない、そして、少年は『刻を待っていた』」
今だからわかる、クウタくんが空を眺めてなにを『待っていた』のか、彼は自分が『長くない』とわかっていたんだ。だから、孤独の中で自分の命が『終わる』のを待っていたのだ。
「わたしはどうしたらいい?どうすればクウタくんは助かる?どうしたらクウタくんを救えるのかな?」
わたしはジーニをみつめる。
「『天才』のキミなら『できる』でしょ?」
わたしは縋るようにジーニに聞く。
しかし、彼女はなにもいわなかった。
「ねえ、なんとかいいなよ………さんざん、自分は天才だと自慢してたじゃないか」
わたしは憎まれ口を叩く。
「それは、『自分』に対していっているのか?」
「!?」
ジーニは続ける。そして、聞きたくない言葉を口にする。
「キサマも、もうわかっているんだろう?『もう助からない』って、それがわからないほどバカじゃないだろう?」
残酷な真実を聞いたわたしは左手で強く髪を握り唇を噛みしめる。歯が深く下唇に食い込み血が滴り落ちる。唇の痛みよりも胸の苦しさが勝り、心の奥をぐちゃぐちゃに黒い『憎悪』が支配していく。
…ピピピピピピ
すると、追い打ちをかけるかのように心電図の機械から大きくて激しい高音が鳴り出した。
「!?」
わたしたちは反射的に画面をみると、心拍数、脈拍数、呼吸数の数字がみるみる下がっていた。
「…!?まって!!!」
飛ぶように立ち上がり椅子は後ろに倒れ、バタンッ!と大きな音が地面を鳴らしたけれど、そんなものは耳に入らなかった。
「まって!まって!!まってえぇぇぇぇぇ!!!」
わたしは彼の冷たくなっていく手を握り必死に叫ぶ。しかし、そんな行為に意味はなく無慈悲にも心電図は高い音を激しくさせていく。
「だめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめえぇぇぇぇぇ!!!!!」
--------ピィ----------------------------------------
「………………………え?」
………………いったいどうなった?………………いったいなにがおこった?………………いったいなにがしたかった?
室内に頭が割れそうなほど不愉快な高音が響き渡る。
わたしは静かにその耳障りな音を鳴らしている鉄くずをみる。
『心拍数【0】 脈拍数【0】 呼吸数【0】』
これはなんだ?これはなんて意味だ?これは現実か?
「………………あ………………はは………………なんだろうね?………………これ」
わたしは笑いながらいうけれど、自分でも目は笑っていないことがわかる。そして、笑いながらみんなをみる。
ミズキは静かに泣いている。
マコトは顔を下にむけカラダを震わせている。
ピンコは片手で顔を隠している。
ジーニはなにもいわず後ろを向いている。
わたしはどんな顔をしている?
カラダから全てのチカラが抜ける感覚がしてわたしは膝から崩れ落ちる。地面に手をつき。冷たい地面を抑え、その冷たさがクウタくんの体温と同じだということに気づいた瞬間…
「…こんなことって…」
「?」
「こんなことがあっていいのかよ!!」
わたしは我慢ができなくなり怒りと悲しみでぐちゃぐちゃな気持ちを溢れさせる。
「なんで!?クウタくんがなにをしたってゆんだよ!?こんな結末があっていいのかよ!?これがあんな純粋に優しい子に対する仕打ちかよ!!!」
わたしは溢れる憎悪を抑えることができずにただひたすら憎しみの言葉を叫ぶ。
「それは『誰に対していっている』んだ?」
「え?」
そんなわたしにジーニは怪訝な顔でいってくる。
「誰って…クウタくんに決まってるだろ」
ジーニの言葉が理解できなくてわたしはジーニを睨みつけながらいう。しかし、そんなわたしを気にせずにジーニはいう。
「まさかとは思うが、『こっちの緑風空太』と『そっちの緑風空太』が『同一人物』とでも思っているのか?」
「は?」
ジーニのまさかの発言にわたしの頭が一瞬ショートしてしまう。
「は?それってどういうことだよ?」
「頭がお堅いね~天才とバカは紙一重ってか?」
「!?」
わたしはジーニの胸ぐらを掴む。ジーニのわかりやすい煽りにも乗ってしまうくらい今のわたしには余裕がなかった。
「シーニ!落ち着け!」
「シーニねえ!」
二人はわたしを落ち着かせようとかけよるがジーニは手を前に出し静止させる。
「これは、わたしの『天海葵の問題』だ」
二人を静止させたジーニはわたしに向き直り不敵に笑うと言葉を続ける。
「さあ、キサマはこれからどうする気だ?」
「今度は本気で殴るよ?」
「そうか、それで満足するなら好きにすればいいさ。だが、ひとつだけいえることがあるな」
「なに?」
わたしはもうなにをいわれても駄目なことはわかっていた。なにをいわれてもこの心のドロドロとした感覚を抑えられる気がしなかった。
「『こっちのクウタの物語はここまでだった』、それだけの話だよ」
ジーニのその言葉に現実を突きつけられるように胸に刺さりカラダが震え、さらにぐちゃぐちゃに我慢していた涙が止めどなく溢れてくる。
「くそっ!!」
ジーニの胸ぐらを放してわたしは地面に崩れ落ちる。
わたしは、自分は天才だと心のそこで思っていたのかもしれない。それが、顕著に表れたのがこの世界のわたし、ジーニだったのだ。そして、自分はなんでもできると思い込んでいたのかもしれない。そして思い知らされた。自分の無力さを。
「なにが天才だよ!なにがみんなを幸せにする発明だよ!!守りたいものが守れなきゃそんなの意味がないんだよ!!!」
ただ、ひたすら、いつ止まるかもわからない涙を流し続け、いつ止まるかもわからない悲痛の叫びを上げながら感情が溢れるままに永遠にも感じる時が過ぎていった。
その後のことは全く覚えていない。いつ泣き終わったのか、いつ寝たのか、どうやって帰ってきたのかすら、なにも覚えていなかった。
わたしが自分の意識を取り戻したのは、それから3日後の朝のことだった。いつの間にか時間が過ぎていて。一体あの後なにがあったのかすら認識できていない。
布団からカラダを起こして時計を確認すると、朝の4時過ぎを指している。布団から離れ部屋を出ると脱衣所に向かい軽くシャワーを浴び、お湯の入った浴槽にカラダを沈める。
ブクブク…ブク…
温かいお湯に気泡を作っていると冷めていたカラダが温まっていく。
あの彼の手の冷たさを右手に感じながら。
バシャーン!!
勢いよくお湯の中から顔をだすと水面が激しく揺れて浴槽からお湯がこぼれる。
お風呂からあがり、髪を乾かし、身嗜みを整えると自分の、(正しくはジーニの)研究室に行き紅茶を淹れて一息つく。
「………………」
紅茶に映る自分の顔をみつめながら、ただただ時間が過ぎていく。
「飲まないのか?冷めるぞ」
「!?」
わたしが顔をむけるとジーニが立っていた。
「一杯もらうぞ」
わたしの返事を待たずにジーニはマグカップに紅茶を注ぐ。
「早いじゃないか、眠れなかったのか」
椅子に座り一口飲むとジーニは聞いてくる。
「いや、ただ単に目が覚めただけさ、おかげさまで快眠だよ」
「そうか、なら、よかった」
「キミこそ早いじゃないか」
「わたしも目が覚めただけさ」
「そう」
数回会話を交わした後、わたしたちは無言で紅茶を飲む。
「…ひとつ、おねがいしてもいいか?」
「?」
突然、ジーニが話をふってくる。わたしはなにもいわずにジーニの次の言葉を待つ。
「そっちのクウタはお前が見守ってやってくれ」
ジーニはそう一言だけいうと、また、無言になる。
「いわれなくても」
わたしも一言だけ返すとジーニは口元を少しだけ上げて笑い。マグカップを机におく。
「前にもいったよな、オカルト染みた話になるがやり直したい過去があって強く願うと『過去に戻れた』っていう話があるって」
「?」
ジーニが話をはじめわたしは静かに耳をかす。
「そんな上手い話があれば、今回も過去に戻ってクウタを救えたかもしれないな」
ジーニは悔しさと哀しさが混ざったような言い方で話を続ける。
「一体、どこで『分岐』してしまったんだろうな」
ジーニは席から立ちあがり、研究台の上に置いてあった写真立てを手に取り、中の写真をみつめる。
その写真の中身は少しだけ違ったけど、わたしの持っている写真と酷似したものだった。ミズキ、クウタくん、そして、はーちゃんの映った写真。
この世界では、この三人が再開することは叶わなかった…。
「『『最後』にそれが聞けてよかった』」
「え?」
「クウタくんの最後の言葉だよ」
驚く顔をするジーニにわたしは続ける。
「多分だけど、わたしがこの世界にきたのはそれを『伝える為』だったのかもしれないね」
「………」
「過去に戻るなんていう都合のいいことは起こらなかった。けど、わたしが…あったかもしれない、いや、存在している『世界線の話』をしてクウタくんは最後にちょっとだけ救われたのかもしれない」
「…そんなこと言い切れるのか」
「わたしのただの願望かもしれない…だけど、これだけはいえる、あの『笑顔』は『本物』だった」
わたしは淹れた紅茶を飲み干すと静かにマグカップを置き、立ち上がる。
「さて、そろそろ『戻ろう』かな」
わたしは『笑顔』でいう。無理やりだしたものではなく『心からの笑顔』。彼の思いを乗せて。その瞬間、研究台に置いてあった魔石の埋め込まれた手鏡が光りだす。
「フッ…そうか、世話になったな」
ジーニは笑顔を返してくれる。
「だが、挨拶もなしとは少し失礼じゃないか?」
「?」
ジーニの言葉に続くように研究所のドアから三人が姿をみせる。
「マコト、ピンコ、ミズキ!」
わたしは少し驚いて三人を呼ぶ。
「否、我が名は『ピーチマウンテン・サクラガール』、又の名を『桜子』、コードネーム『ピンコ』」
ピンコは名乗りの口上を云い終えるけど、驚いた顔をする。なぜなら久しぶりに全部いわせてもらえたからだ。
「わたしの世界のキミとは全然喋り方は違うけど、この世界でもキミはわたしの『親友』でいてくれてありがとう」
「愚問、貴殿と我は異世界でも心から繋がる『魂の親友』決して切れることのない絆の手綱」
次にわたしはマコトをみる。
「いろいろ世話になったな、それと迷惑をかけた」
「まあね、だけど、わたしはキミに出会えてよかったって思ってるよ」
「!?」
「まあ、わたしの世界のキミにはなかなかいえないけど、なぜかキミにならいえるね」
「そうか、なら、そっちの俺にもいつかいえるようになれよ」
「あはは…そこは、がんばるよ」
苦笑いして返し、ミズキの方をみる。
「ミズキ、ごめんね」
わたしはクウタくんに会わせてあげられなかったことを謝る。
「ううん、いいよ」
「え?」
ミズキは哀しい顔をしていたけど、笑顔を向けてくれる。
「正直、人生の中で一番『絶望』したかもしれない、だけど、このままじゃダメなんだ…クウタの分まで、がんばって生きて、クウタの分まで笑って、クウタの分まで歩いて行くよ!」
ミズキは意志の籠った強い眼でいう。
「うん、きっとミズキならできるよ。だって、キミはわたしの自慢の『弟』だからね」
わたしが笑顔でいうと、ミズキも笑顔で返してくれる。
そして、最後にジーニに向き直る。わたしたちは静かに互いの前に立つと握手を交わす。
「もう泣くんじゃないぞ」
「キミこそね」
最後に互いに強く握ると手を放す。
「じゃあね」
「ああ、達者でな」
「有意義な刻であった」
「元気でね」
「じゃあな」
わたしは鏡に触れる。すると、鏡は眩い光を放ち、わたしを包んでいく。最後にみんなの笑顔を眼に焼き付けながら、わたしの意識は遠くなっていった。