9話 リンドウ-3
「あら、ツユさんとクランリドル様のところのリンドウ君じゃない。おはよう。リンドウ君今日もお迎え偉いわね」
リンドウが指をさした先にいた水色の長い三つ編みを揺らした魔法使いがツユたちに気づいて近づいてきた。そして、二人がよく聞きなれた落ち着いた声で眠そうな半開きの目のままいつものように必要以上にツユとリンドウを子供扱いするように言った。
「おはようございます! アンルノリク先生」
「あ、先生ってローメリックのことだったのね。おはよう」
宙に浮かんでから目を閉じていたツユはまだ目も開けずにローメリックの声とリンドウの言うことで判断して話した。ツユの家から学校まではかなり距離があるので相当スピードが出ている。自分の力で浮いていないツユにはいつ落ちるかわかったものではない。目を開けたときにしばらく目がしゃばしゃばするだろう。
「ツユさん、今はいいけど学校では先生と呼んでね」
ローメリックは風で大きく揺れる三つ編みに少し体を引っ張られながら笑顔でツユに言った。
「はーい。ローメリックせんせ」
「そういえば、アンルノリク先生いつものリボンは今日付けないんですか? 」
「えっ? ……忘れちゃった」
頭の上をポンポンと軽く叩いて手に髪以外何も触れなかったローメリックはにへっと口を歪ませて笑った。
「んー、取ってきたいからぁ、私少し遅くなっちゃうかも。ツユさんお願いね」
言いながら猛スピードで既に来た方向へ向かっていたローメリックの言葉はツユの耳に最後までは届かなかった。そのもどかしさもあり、リンドウに伝えるわけでもなくツユが呟いた。
「あんなの無くていいのに」
ローメリックのリボンは正面から見れば猫耳のように二つの白いリボンが見えるが、後ろから見れば貼り付いているか宙に浮いている様にしか見えない。以前どうやって付いているのか聞いたら「普通に付けてるだけよ」と返してきた。ツユにとっては不思議で何故か少し気味が悪いローメリック・アンルノリクのトレードマークだった。
「ちょっと遅れてますから急ぎますよ! ツユ様! 」
「え、ちょ、待っ……」
ようやく移動している風の流れに慣れてうっすらと目を開こうとツユがしていると、リンドウが言った。ツユを見る目が日の光のせいか鬱陶しいくらいキラキラ輝いている。リンドウの目は色の通り水のように澄んだ瞳が入り込んだ光の粒を反射させる。
「話を聞いてぇぇぇ! ! 」
一度開いた目を閉じられずにツユはリンドウに手を引かれてさらに強い風で首を後ろに向けて学校まで連れていかれた。風のせいで涙が出る。白目が充血し、白い瞳がより際立つ。
「着きましたよ」
しばらくして少しずつ高度を下げながら学校の敷地内にリンドウが優しく声をかけながらツユをそっと降ろす。両手を握り、片足ずつ着いた振動がリンドウの腕に伝わると、少し乱暴に靴でばたっと地面を叩いて降りた。
「本当にリンドウ信じられない」
不機嫌そうに口を歪めてツユは言った。
「す、すみません。ツユ様が遅刻したらまずいと思ってつい……」
「担任が遅れるのに遅刻も何もないよ! 」
飛んでいたのが怖かったのか、かなり不機嫌になったツユが両手で思い切りリンドウの肩を押した。力が弱すぎるのかリンドウが鍛えているのか身構えていたのか全くよろけそうにもならずにリンドウはその手を受けた。
「えっと……教室までお送りしますよ」
頬を指で掻きながらリンドウは右の口角を上げて提案した。
「ふんっ! いいよ、リンドウとは階も違うしそっちが遅れたらなんか嫌な気分になるし! 」
半分意地でツユは断った。通う人も通える人も少ない学校は学年ごとに少し広めの一教室のみが与えられており、人数が多くてもそこに入っている。通う生徒の多くは名字を持つ貴族や教師の子供で学年は十まである。ツユやケイジュは五年でローメリックが教えているが、リンドウは七年で全く違う人が教えていた。
「どうせまだ三十にもなってないんでしょ。人のことも考えられない子供なんだから」
「言いにくいのですが……、俺今年で三十六です」
「私から見れば子供! 」
来なくて良いと言ったのに背中を少し丸めて高い背をツユに顔を近づけるようにしてリンドウがツユの後ろをチョコチョコと追っていた。
「ここまで来ればもう心配ないでしょ! 早く下に行ってよ! 」
「……はい。ではツユ様、お昼にまた来るので一緒に何か食べましょうね! 」
『5』と大きく書いてあるプレートが下がっている部屋の前に着いたツユがリンドウを振り返り、追い払うように言った。リンドウは何も気にしないように左手を高く上げて登ってきた階段の方まで走っていった。元気が良すぎて周りが自然に遠ざけるほどに。
「あら、ゆっくりだったのね。ツユさん」
「……何でローメリックせんせの方が先に着くのよ」
リンドウを見送るツユが教室の方を見ると、さっき家まで帰っていたローメリックが既に教卓に肘を付いてツユを待っていた。五年は全部で四十八人いて今小の学校では一番多い。問題も多いそんな学年を担当して三年目になるローメリックはかなりの腕の魔法使いのはずだが、ツユはここまで早いとは思っていなかったのだ。
「ほら、先生は大人だから。早く入って席についてください」
優しい半開きの目でローメリックは言った。