8話 リンドウ-2
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「……嬢様。……お嬢様」
声に反応してツユが目を開くと、ぼんやりとメイド服を着た女の姿が見えた。
「お嬢様。リンドウ様がお見えです。お手伝いいたしますので、早く着替えましょう」
いつもツユの身の回りの世話をしてくれるメイドだった。名前は覚えていない。けれど、着替えも食事も手伝ってくれる魔法使いの彼女には感謝をしている。
ツユは、メイドに言われるまま手をあげて立ち上がり、来ていたシャツとズボンを脱ぎ捨て、紫色のワンピースに着替えた。髪もボサボサになっていたので結び直してもらい、綺麗なツインテールになった。
「お嬢様、本日も可愛らしいですよ。さあ、食堂でリンドウ様がお待ちです」
メイドがにこりと微笑んだ。紫色の優しい瞳がツユを見つめ、おかしなところがないか確認した。
「ありがと。悪いけど、荷物運んでくれる? 」
重いわけでも大きいわけでもない鞄をツユはメイドに持たせた。一人で食堂に行きたくないわけではない。断じてない。
「はい。お嬢様、よろしければ学校まで運びますよ」
「それは大丈夫。リンドウに運ばせるから」
そこまで高価でもなく、ツユ好みのデザインでもないケイジュがくれたその鞄を大事そうに持つメイドが、少し後ろからツユの後を追う。そして、もう眠気も完全に覚めてパッチリと目を開いたツユが不機嫌そうに少しダラダラと歩いていた。
「お嬢様おはようございます」
「お嬢様よい朝ですね」
「お嬢様本日もとてもお美しいですよ」
食堂までの廊下でツユとすれ違う使用人がみんなこんな感じに似たようなことを言う。作業している手を止め、ツユの顔を見て挨拶を一言しながら軽く会釈する。とても退屈だ。面白味が全くない家の中だ。
「あ、お嬢様、おはようございます。お食事の準備が出来ております」
食堂の前に着くとそわそわした一人の執事がツユを待っていた。まだ幼い新米の執事らしい。緑色の髪を揺らして大きく頭を下げた。
「……貴方はまだお嬢様の前に出るには未熟です。下がりなさい」
不完全ながらも必死に頭を下げ、ツユを食堂の中に案内しようとした執事にツユの後ろにいたメイドが厳しい目で言った。そうすると、何処かから年老いた執事が新米執事の前に現れ、腕を掴んで廊下の奥の方へ連れていった。連れていかれた執事は口には出さなかったが、少し落ち込んだ顔でオーバーサイズの上着の裾をぎゅっと握っていた。
「……私は気にしないのに」
「気にしなければならないのです。あの者は人前に出てはただの恥となります。もう少し教育するだけなので、そんな怖い顔なさらないでください。さあ、リンドウ様がお待ちですよ」
ツユが連れていかれた執事を見ていたら気づかないうちに目付きが悪くなっていたようだ。ハッとしてメイドの方を向き直した。メイドは笑顔で扉を開けた。
「ツユ様ァァァァァァァァァァ! ツユ様ツユ様ツユ様ツユ様ツユ様ツユ様! 本日もなんてお可愛らしい! お美しい! お可愛らしい! ハグして良いですか? 」
扉が開くと同時に赤い髪の少年がツユ目掛けて飛び出してきた。ツユにぶつかる目の前でメイドが手で止めてくれたからよかったものの、ぶつかっていればツユは後ろに倒れていただろう。
「良くない、下がって。あと可愛いって二回言ったしうるさいし」
「リンドウ様、私も手が痛いです。離れていただけると私も嬉しいです」
ツユの拒絶とメイドの愛想笑いが効いたのか赤髪の少年……リンドウはキョトンとした顔をして数歩下がった。
「すみません……。ここ数週間ツユ様と会えなかったので俺寂しくて……。気を付けますね! 」
リンドウは、水色の優しい瞳でツユのことをメイドの手を退けて見つめながら謝った。
リンドウは魔法使いの貴族クランリドル家の三男で純粋な魔法使いだ。ツユと同じ学校に通い、ツユに一目惚れし、ツユとケイジュのことを心の底から慕っている。頬を赤く染めていつも元気よくツユに挨拶していた。今日もだ。
「髪切ってないし、いつもと何も変わらないし、今日もいつもの方法で行くの? 」
リンドウは赤く長い髪を後ろで一つに束ね、まだ子供らしい顔付きでは男か女かもよくわからない。髪を切ってさっぱりすればいいのにとツユはいつも言っているのにリンドウはこだわりがあるのかそうはしない。リンドウらしいとツユもそれで良いと思ってはいるが。
「そう! ほらメイドさん、鞄ください。ツユ様、お手を失礼しますね! 」
メイドから奪うようにツユの鞄を取り、ツユの手を握った。そして、玄関まで走り、扉を勢いよく開けて外に飛び出した。勢いだけはいつも良い。
リンドウは地面を強く蹴り、空に飛び込んだ。飛ぶ感覚に何度連れていかれても慣れないツユは固く目を瞑っていた。
「ツユ様、大丈夫ですよ! ほら、あっちに先生がいます! 」