19話 医者-1
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「ケイジュそんなに急いでも寝る時間なんて変わんないよ」
ツカツカとやけに急いで足を進めるケイジュにツユが聞く。ケイジュはポケットに手を突っ込んで不機嫌そうに顔を前に向けたままツユの言葉に返した。
「いや、ただ僕はあのピンク髪の子が苦手だしあの子に嫌われてるからね。付いて来ない方が彼女のためだよ」
「そうかな? サクラとケイジュって仲良くなれそうな気がするんだけどな……。ま、いいか」
珍しく冷たく言うケイジュの顔が少し怖いのかツユはそれ以上言うのをやめた。知らない方がいいことなのだろう。ケイジュはまだしもサクラはただの同級生に過ぎない。知らない面の方が多くて当然でそれをツユは知らない。それでいいということにした。
「それはそうと、ツユちゃん医者の名前覚えてる? 前間違えてたけど」
いつもの明るい笑顔をツユに向けてケイジュが訪ねた。
「当然。テンマでしょ? テンマ・ムイフランジェル」
バカにしないで欲しいと言うように胸を張ってツユが言う。
「……まあ、それで呼んで上げれば」
笑顔を固めて少し間を開けてからケイジュが納得したように言った。ツユはその笑顔を信じて今度こそは大丈夫だと確信をする。
「いつ見てもただの家」
「だってあの人の家だもん。さ、入ろっか」
病院とは言ったが医者の家というだけでその家に遊びに来るようなものだ。ツユやケイジュの家と比べればおもちゃのような家の古い木の扉をケイジュが壊さないようにゆっくり開ける。ツユが以前勢いよう開けて蝶番が壊れたのは二人にとって嫌ぁな思い出だ。
「どちらさん? ……ってあんたらか、入れ」
灰色のボサボサの髪を紐で一つに束ねている白衣を着た男が椅子に座って本を読んでいた。ずれた黒い眼鏡のピントを合わせて男は睨むようにツユとケイジュを見て言った。
「ツユの目でいいか? 他にあっても構わんが」
本を閉じ、男は奥の部屋に二人を案内する。一応診察室になっているので薬もそこに詰め込んでいるのだ。
「あ、それがね、テンマ羽が生えそうだから薬ちょうだい」
「……あのなあ、ツユ。俺はテンマじゃなくてアテンマだ。いつも言ってるだろ」
名前を呼ばれた男が耳をピクリと動かしてツユを振り返り、少し屈んで機嫌悪く言う。
「え、でもケイジュが合ってるって……」
「言ってないよ」
「言った」
「言ってない」
「言った」
「言ってない」
「お前らいい加減にしろ! ツユが覚えれば問題ねえから、早く入れ」
部屋の入り口でずっとツユとケイジュが続けそうだったので男……アテンマは止めた。部屋に入ってもらわなくては隙間風では済まないほどの風が入ってきて肌寒いでも済まない。
「はぁい」
二人は大人しく部屋に入り、元から用意されていた二つの黒い丸椅子に一人ずつ座る。それを確認するとアテンマは二人が座っている椅子に比べれば背凭れが付いている分豪華だが、質素な黒い椅子に座って話した。
「ツユは目と羽だろ、ケイジュは」
「アリスに噛まれただけだから何もない」
ケイジュはおててオバケに噛まれて一応で巻いてある包帯を袖を捲ってアテンマに見せた。幸い甘噛みだったようで血はあまり滲んでいない。が、傷を見せるために包帯を外すと、隠れていた場所だけ青白く、牙が刺さったのであろう丸い傷からはつうっと一筋血が伝う。
「なァにが何もないだ。後で治療するから少し残れ」
「ちぇっ」
嫌そうにケイジュは下を向いた。それを見てアテンマは手元にあったペンを持ち、コツコツと机を叩いて脅すように黒い目を歪ませて言った。
「嫌ならあれは俺が殺して保存食にして配ってやるよ」
「そんなことしたらこの家に先生がいるときに僕が焼く」
「そんな喧嘩するんだったら私はここもケイジュの家も壊すよ。早く私を診てよ」
喧嘩するのが好きなのかケイジュはすぐに反論する。喧嘩をすぐ売る周りも悪いのだが、時間が無駄になるケイジュの悪い癖だ。ツユはアテンマの膝に手を置いて体重を乗っけて顔のすぐ近くで目を細めて言う。
「おうよ。で、視力が悪くなった様子はあるか?
文字が見辛いとか」
「無い。逆に良くなってるんじゃないかって思うくらいだよ」
アテンマの質問に姿勢を戻したツユが偉そうに言う。自慢をするように左手を自分の頬に当てて目をぱっちりと開いたツユの顔を見てアテンマは顎に手を当ててギリッと睨み、溜め息を付いた。
「それはないな、視力検査だ。これを付けろ」
そう言ってアテンマは机の引き出しを開け、中から出した眼鏡をツユに渡した。




