第7話
ネタが出ないのを寝不足のせいにしたくなる今日この頃です。
マスター・Mの姿が見えた瞬間のナナシはこれまで生きてきた中で心から安心した瞬間であった。道中は彼に対して不満を抱くことも少なからずあったが今視線の先にいる老人はとても頼もしかった。
魔女たちも驚いた表情でマスターを見ていた。特にスノッゴの方は目を見開いて露骨に驚愕の表情を見せていた。
「まさかここがバレるとは…」
「転移魔法を使うのに時間がかかる以上、召喚魔法の発動者は近くにいる筈だからな。そうなれば屋敷の地下もあり得たと思ったのさ。おそらくナナシを連れ去った別の通路もあるのだろう?この家に地下を造るのはずいぶん苦労しただろうに」
「あくまで保険用の隠れ部屋兼脱出路だったんだがねぇ。あんたたちが攻めてきたから利用しただけさ」
一方で姉のスローネルは冷静にマスターの問いに答える。わずかに汗をかいているのが見えたので本心は穏やかではないことがすぐにわかった。
「さて私の連れを返してもらおうか」
「それはできないさ。彼が異世界人なら命を懸ける価値はあるんだよ」
「そうよそうよ。こっちも遊びでやっているんじゃないの。おたくの名前さえ彼が言えば早々に終わっていたの」
「それでこんな拷問まがいのことをか。だとしたら魔女どもは無駄骨だったということかねぇ。私の名前はマスター・Mと呼ばれている」
あっさりカミングアウトしたことにナナシは驚いた。脅されて神経すり減らしついさっきまで死を覚悟するほど恐れていたのに、その原因となったことをあっさりと明かされると拍子抜けする気分なのだ。
だがそれ以上に魔女たちの反応の方が不自然であった。彼女たちはすっかり困惑した様子で二人して顔を見合わせて首をひねる。ナナシとしてはあそこまで自分を拷問していたのはマスター・Mに対して確信めいたことがあり、それが自分を異世界人と証明するようなことに繋がるはずだと思っていたので彼女たちの反応はナナシも予想外であった。
「マスター・M?なにそれなにそれ?」
「お前さんは…」
「混乱もするだろうな。まあスロッガルから聞くわけもないだろうしな」
「な、なぜお師匠の名前を!?」
「それもすぐにわかるさ。まずはナナシを返してもらおうか」
一歩ずつ近づいてくるマスター・Mに対してスノッゴは怯えと当惑が混じった表情をさらすだけだが、スローネルの動きは素早かった。手元から短剣を取り出すとナナシの首元に充てる。
「おっとそれ以上来るんじゃないよ!この少年をすぐに食うなんてはできないが喉元掻っ捌くのは簡単さ!」
「おいおい彼を食うのが目的だろう?殺してしまっては意味がないだろう」
「それはお互い様ってやつさ。あんただってこいつを殺されちゃ困るんじゃないのかい」
この応答はナナシにとって何とも言い難い気持ちにさせた。マスター・Mはたしかにここまで助けに来てくれたが、そもそも彼がナナシを見捨てる可能性もあるはずなのだ。この旅自体ナナシが頼んで了承したもの。それを考えれば見捨てられてもおかしくない。
「行きずりとはいえ旅仲間だ。私には彼をいるべき場所へと導く義務がある。ここで死なれたら困るな」
「だったらこれ以上近づくなよ。私たちが逃げるまでこいつは人質になってもらうさ」
「ご自由に。だがねキミらにはもう少し賢く立ち回ってもらいたいものだ」
あごのひげを撫でながらマスターは語る。その余裕の態度を見ればわかる。彼にはすでに考えがあるのだろう。
「はったり?それとも本当?お姉さま、私にはわからないわ!」
「落ち着きなスノッゴ。このガキを連れて逃げれば目的は果たされるんだ。あんたはさっさと転移魔法の準備をしな」
「さっきからやっているわ!でもでもでも時空間の通路がなぜか見つからないのよ!」
「そんな馬鹿な。あれは私たちだけの通路だよ。見失うなんてありゃしないだろう」
魔女たちが何を話しているのかナナシは理解できていなかった少なくとも彼女たちが逃げるのに手間取っているのは理解できた。実際彼女たちは困っていた。転移魔法はある地点とある地点を結ぶ通路が別次元にありそこを通る魔法なのだが、彼女たちはそれを見失っていた。その通路は昔から彼女たちが秘密の通路として使っており姉妹間だけが知るものなので誰かに邪魔されるということはありえないはずだった。
一方でマスターの表情はしてやったりと満足げな表情だ。慌てている魔女たちからすればこの表情は腹が立ってしょうがないものとなっているだろう。
「私がここに来るまでに何もしてこなかったと思うかね。貴様らが彼を人質にとることを考えないとでも?そして転移魔法を使う可能性を考えなかったとでも?」
「わかって対策できるようなものではないはずだ!」
「そもそもお前らに魔法を教えたのはスロッガルだろう。彼女がお前らの転移の通路を知らないと思うかね」
「っ!?まさかお師匠が!」
魔女たちが見透かすように天井を見たその瞬間であった。マスターの投げた槍がスローネルに向かっていく。驚いた彼女は思わず身を引くがすぐにマスターは彼女に体当たりして突き飛ばし手早くナイフでナナシを縛っていたロープを切る。スローネルはそのまま壁に頭を打ち付けて伸びてしまった。
突き飛ばされたスローネルを見てスノッゴは乱心したように片っ端から魔法を放った。鋭い光線のような魔法は部屋中に飛びそこにいた羽サル2匹を巻き込んだ。光線は解放されたナナシの頬をかすめる。紙で切ったような切り傷ができるが声を上げる前にマスターにグイっと引っ張られて彼の後ろに立たされた。マスターが何かブツブツ呟くと円形の模様が現れそれが彼女の光線を防いだ。さらに模様はそのままスノッゴ目掛けて飛んでいき彼女に激突した。まるで大きな壁に体当たりしたような衝撃を受けた彼女は姉同様に倒れこむ。
仕上げにマスターは指を3回ほど鳴らすと伸びている魔女と羽サルにするするとロープが巻き付いて動きを封じた。
「こんなものだな」
彼がこの場を制圧したのは本当にあっという間であった。
「まったく我が弟子ながら情けないったらありゃしないさ!」
すっかり伸びてしまった魔女の姉妹を見ながら背の高い中年女性が歯をむき出して言う。黒い帽子に同色のローブは弟子たちと同じだが肌が緑色で鼻は大きな鉤鼻であった。彼女らの師匠スロッガルの見た目はずばり魔女そのものだとナナシは思った。
マスターが彼女たちを無力化して間もなくアンニンがスロッガルを連れてこの地下室に入ってきた。マスター・Mと違う方向から入ってきたのは森の方にあったもう一つの通路から入ってきたからだ。
「地下通路を両方とも塞がれているのは考えなかったのは甘かったな」
「あたしはそれよりもよそ見したすきにあっという間に制圧されたのが残念なのさ。まったくすごい魔女になりたいならいかなる時も油断せずさ」
文句を言うスロッガルだが、弟子たちが転移魔法を使うのを妨げていたのも彼女であった。アンニンから連絡を受けた彼女は魔女だけが住む地ドロケットから飛んできてナナシの救助に力を貸してくれた。
「しかしマスターよくわかりましたな。彼女らがドロケットに住む彼女の関係者であることが」
「元よりスロッガルとは顔なじみで魔法の癖も知っていたんだ。それで彼女たちが使っていた魔法陣の模様がスロッガルと同じだったからな」
「まったく急にいなくなりながらあたしの魔法を使うなんて工夫がなさすぎるさ」
スロッガルの言動の乱暴さがナナシは気になってしょうがなかったが、マスターの話だとドロケットは世界から認められる魔女の国で他国とも交易しているような場所だ。スロッガルはそこでも有数の魔女のひとりで友好的な人柄なので、単にさばさばしているだけなのだろう。最も先ほど本気で死を覚悟する経験をしたナナシからすれば彼女に色眼鏡を使わない方が無理だろうが。
「今どき異世界人を狙うなんざ馬鹿さ。そんな迷信をどこで知ったんだかさ」
「あ、あのぉ魔女はどうして僕を狙ったんでしょうか?」
恐る恐る訊くナナシにスロッガルはちらりと目を向けてふんと鼻を鳴らした。
「昔は魔女は子供を食べると特別な魔法を使えるようになるなんて噂があったのさ。それが別世界の子供なら自身の知らない魔法を覚えると言われたさ。なんでも自分たちの知らない場所から来るんだから知らない力を持っているだとか言われのさ」
「じゃあ魔女が子供を食べることはないんですね?」
「そんなことやっていたら私ら魔女はとっくの昔に滅びているさ。しかしたまにいるのさ。こういう夢のようなおとぎ話を信じるような若者がさ」
魔女が向ける視線はいちいち恐怖を掻き立てられるも、ナナシは安心した。少なくとも魔女は自分が想像するほど恐ろしい存在ではないことを知れたからだ。
「今回は助かったよ。礼を言うスロッガル」
「元より弟子の行方はこっちも追っていたからむしろありがたいさ。それよりもこの異世界人さ。もしかして話してないのかさ?」
「…まあな」
「あんたがどうしようかは私が口出す事じゃないのはわかるが信用されなければそれこそ大変さ。あたしとこいつらのようにね」
スロッガルはあごで指しながら言う。それを聞いたマスターはどこか苦虫を嚙み潰したような表情をする。ナナシはそんなマスターの顔を見るが、彼がわざと自分に視線を向けようとしないのはわかりやすかった。同時に自分の不安が解消されるのも間もなくだろうと思った。
よろしければ感想や意見をお聞かせてもらえるとありがたいです。