小早川秀秋は自分を裏切らない!
「ふふ、ふはは、はははは」
麓を見下ろせば、大谷刑部の軍勢が崩れていた。
全く手こずらせてくれたものだ。
これで宇喜多の野郎に横槍が出来る。
あの出来すぎの慌てふためく姿が目に浮かぶ。
散々、己を馬鹿にしおって!!
己が奴よりも優れている事をこれで証明出来ると言う物よ!
それに己をアホウ呼ばわりした、あの治部もこれで終わりよ。
毛利のアホウに担がされよってからに、豊臣の今後を考えれば内府に頼る他有るまいが!
何故、そんな事も分からんのか!
「殿、これより大谷隊を追撃なさいますか?」
「はぁ?」
何を言ってるんだこのマヌケめ!
己に問いかけきた稲葉のアホウを睨む。
「ですから」
「馬鹿か貴様は!!」
「ば、馬鹿?」
なんてマヌケ面だ。
「刑部など放っておけ。それよりも宇喜多に横槍を入れろ!遅れてやって来て、美味しいところを持って行こうとしておる奴らに手柄を渡してなるものか!」
「は、はは」
はぁ、使えるのか、使えんのかよく分からん奴だ。
戦には弱いが、政は出来る奴ではあるがな。
それに比べて松野は律儀に過ぎる。
馬鹿正直に『約定通りに動くべし』とか周りの状況が分からんのか?
己が何で安芸のアホウに治部の言う事を聞かねばならん!
奴らは、特に安芸のアホウは豊家を乗っ取るつもりでおるではないか。
そんな奴ばらの片棒を担ぐなど有り得んわ!
己は豊家の、お拾いの後見ぞ!(勝手な思い込み)
毛利よりは内府がまだマシよ!
それにこの戦で己の存在を皆が認めようぞ。
そうなれば内府に勝手な真似はさせんわ!
豊家は己が守って見せようぞ。
「はははは」
慶長五年、関ヶ原の戦いが勃発。
松尾山に布陣していた小早川秀秋は徳川の先鋒に横槍、もしくは囮になろうとしていた大谷刑部の軍勢に襲い掛かった。
早朝よりの激しい戦いが小早川、大谷勢の間で繰り広げられたが、小早川勢の数の暴力と脇坂らの裏切りにより、大谷勢は敗走する。
そして、遅れてやって来た徳川方の先鋒、福島、細川、黒田勢に加え井伊勢が、小早川勢の裏切りにより浮き足だつ宇喜多、石田勢に向かっていく。
大谷勢を敗走させた小早川勢は勢いそのままに宇喜多勢に向かって軍を進め、これを撃滅。
天下分け目の決戦は、正午を迎える頃にはほぼ終わりを迎えた。
この時、徳川本隊はまともに戦をする事もなく、徳川小飼いの将たちが手柄を立てる機会は無かった。
関ヶ原の戦いは、家康の思惑通りの展開であったのかはこの時は分からない。
分からないが、この関ヶ原の戦いにおいて最も多くの戦功を上げ、最も多くの領地を賜った者が居た。
それが、後に裏切り者の代名詞と呼ばれる『小早川秀秋』であった。
関ヶ原の戦いの後、小早川秀秋は備前、美作、備中、播磨国を与えられた。
秀秋は備中岡山に移り、名を秀詮と改める。
「さぁ皆の者、存分に飲むが良いぞ」
「「はは」」
岡山城の城内にて開かれた宴の席にて、秀詮は至極ご機嫌であった。
世間は秀詮を『裏切り者よ』と罵っていたが、当の本人はそんな事を気にしなかった。
秀詮が裏切り者と呼ばれても豊臣家は無事であり、お拾い事『秀頼』は健在である。
そして小早川家は徳川家、前田家に次ぐ大大名。
小早川秀詮の権力、影響力は、この当時、徳川家康に次いで大きかったのである。
それに戦国の世が終わりを迎えてまだ日が浅く、むしろ裏切り者と呼ばれる事はそれほど不名誉とは言えなかった。
小早川秀秋が後の世に悪し様に呼ばれるのは、徳川による太平の世が続き、卑怯者、不忠者を悪として広められた後の事である。
小早川秀秋の不幸は、彼が短命であった事であろう。
秀詮は幼少より人一倍酒を飲む機会が多く、また酔う為に大量の酒を飲む為にアルコール中毒、または依存性に掛かっていたと思われる。
小早川秀秋こと秀詮の死因はアルコール疾患と呼ばれているが本当にそうであろうか?
秀詮はいつものように酒を飲み、いつもように床に着こうと廊下を歩いていた。
その足取りは確りとしていて、酒に溺れている者の足取りでは無かった。
当時の酒のアルコール度数は低く、酔う為には大量の酒を飲まなくてはならない。
小早川秀秋は幼少より酒を嗜んでいたが、酒に溺れるほど酷くは無かった。
「ふぅ、ちと飲み過ぎたか。また高台院様にどやされるかもしれんなぁ~ ふふ」
秀詮はこの頃、精力的に政を行っている。
備前、美作、備中は旧宇喜多領であり、この頃の宇喜多領は酷く混乱していた。
その荒れた領地を秀詮は無難に治め、更に自分に不都合な者達を放逐(解雇)し、自ら取り立てた側近連中に領地を宛がった。
秀詮の前途は揚々であった。
その筈が……
「うん、灯りが消えておるな? 誰かある!灯りを持て!」
秀詮は周囲の灯りが消えている事に気付き、灯りを持ってくるように大きな声を出した。
「どうした?灯りを持てと言うに!何故灯りを点けん!誰ぞ在るか。誰ぞ居らぬのか!」
秀詮が声を上げても誰も返事をする事もなく、周りは静かなままであった。
「どうした事ぞ?」
秀詮は不安に思い、ふと太刀に手を置く。
すると……
「うん?」
薄暗い闇から月明かりが溢れると、その明かりが何か反射したのを秀詮は見た。
「ぐ、ううぅ」
その反射した明かりは秀詮の左肩に当たり、秀詮は痛みを感じて、その場から少しだけ後ろによろけた。
その為に更なる追撃を交わす事が出来た。
「な、何奴!」
秀詮が声を掛けるも、闇夜に隠れた者は返事をする事はなく、無言で手に持つ太刀を振り下ろす。
「はぁ、はぁ、刺客か。毛利か!大谷か!何処の手の者や!」
刺客の凶刃を避けて秀詮は問うが、それに答える者はいない。
見れば秀詮の周りには黒装束を身に纏いし者達が居た。
その手には月夜の明かりを受けて光る太刀が見える。
「刺客に殺られるは恥辱なり!この金吾を討ち取れる者は無し!」
そう言うと秀詮は刺客に向かって走りだし太刀を抜く。
意外な反撃に不意を突かれた刺客は反応が遅れる。
秀詮が太刀を抜いて構えると一人の刺客が倒れた。
それを見た刺客達は秀詮に一斉に襲い掛かった。
しばらくするとその場には一人だけ立つ者が居た。
満身創痍の秀詮がそこに立っていた。
「まさか…… この太刀筋は、柳生か!? 柳生は徳川の…… おのれ徳川め!」
激昂した秀詮であったがそれがいけなかったのか、それとも血を流し過ぎたのか。
太刀を地面に突き刺し、それを支えに立つのがやっとであった。
『まだ、まだだ!まだ死ねん!己はまだやり遂げておらん!こんなところで死んでたまるか!』
しかし秀詮の咆哮は声に成ることはなかった。
ヒュー、ヒューと秀詮の喉から息が漏れる。
秀詮の命は尽きようとしていた。
『おのれ徳川!おのれ内府!この金吾、絶対に死なんぞ!』
そして、最後の言葉を発する事なく秀詮は地に倒れた。
小早川秀詮 享年二十一歳であった。
小早川秀詮の死は鷹狩りの帰りにて落馬、その傷が酷く、癒える事なくこの世を去ったと言う事になった。
小早川秀詮の死後、その領地は徳川が召し上げた。
そして、秀詮が落馬したその日に実兄の木下俊定が亡くなっている。
死因は病死とされているが真相は不明である。
こうして小早川家は断絶、小早川秀秋の名は不名誉な裏切り者として歴史に残るのであった。
そして…… 時は遡る。
「おのれー!徳川め!内府め!」
う、うん? ここは何処だ?
秀秋は身を起こし起き上がると周りを見渡す。
太刀は何処ぞ!
太刀を探すが見当たらず、秀秋は改めて周りを見ると己が床に着いていた事に気付く。
そして、手元にはいつも身に付けていた馴染みの太刀が無く、更に斬られた筈の傷も無い事にも気付く。
そんな筈は…… 確かに己は斬られた筈、なのに傷が無いとは?
訝しく思うが、身を守る為の太刀が無くては話にならん!
「誰ぞ在る!太刀を持て!己の太刀を持って参れ!」
秀秋が声を上げるとドカドカと音を立てて複数の者達がやって来る。
「殿、お呼びでございますか?」
戸越しに声を掛けて来た者だが、側近の者達ではないな?
しばらくして、戸を開ける事もなく声を掛けて来た者が誰であるか気付いた。
「その声は…… 稲葉か? 何故貴様がここに居る?」
「は? 失礼致しまする」
おかしい、稲葉は己を見限り逐電した筈、何故奴がこの城に居るのだ?
戸を開けて入ってきたのは、間違いなく己を放り出して去った稲葉政成の姿で在った。
それに関ヶ原以来、己を罵って去った松野重元も居た。
他にも見知った顔が居たが、そのほとんどは己の下を去った者達で在った筈だ。
これはどういう事だ?
何が起きて居るのだ?
「稲葉よ。ここは岡山で在るな?」
意を決して稲葉に問いかける。
まさか、そんな筈は有るまい。
「は? いえ、ここは越前、北之庄に御座りますれば……」
「な!? 何だと?」
馬鹿な? ここは越前で北之庄だと!?
ど、どういう事だ?
ここは備中岡山ではないのか?
己は、己のこの身に何が起きたと言うのだ!
こうして小早川秀秋の第二の人生が始まる。
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