4話
アルベルトの隣で怯えていたリリアーナは、後ろへと下がりかけた。
伝説の勇者様。
乙女ゲームの中のエリュシオンは、剣術チートキャラだった。体力、攻撃力、技術力が飛び抜けて優れている上に、死なない。
そんな相手に剣を向けられたら、どうしたら良いというのだろうか。
「もし、セリエに目障りな者がいたとしても、セリエが自ら陰湿な嫌がらせなどをする必要などはない。目障りな者の名前を、俺に告げれば良いだけだ」
エリュシオンは視線をリリアーナに向けたまま、剣の柄を握りしめた。握る手に力がこもる。
「それがセリエの願いなら、目障りな者は俺が消す。理由などは必要ない」
リリアーナは助かる方法を求めて、何度も何度も何度も、乙女ゲームのエリュシオンルートを脳内で再生した。
全ルートをクリアして、プレイ回数には自信がある。
バッドエンドをハッピーエンドに変える、ルート分岐の条件が。
絶対に、どこかにあるはずだ。
リリアーナが幸せになるための答えは、いつだって、乙女ゲームの中にあったから。
そして、気づく。
リリアーナの口元に小さな笑みが戻る。
両手の指を胸の前で組み合わせ、リリアーナはエリュシオンの顔を優しく見つめた。
ピンクブロンドの柔らかな髪をふわふわとゆらし、春の日差しを受けて懸命に咲く、可憐な花のような微笑みを浮かべる。
「お願い、私の話を聞いて?」
アルベルトの好感度を上げまくった、ヒロインの微笑み。
「私は聖なる乙女なの。ずっと孤独に耐えて、呪いに苦しんでいたエリュシオン様を、私は救ってあげられる。私の愛が、エリュシオン様を人に戻してあげられるのよ」
リリアーナはハッピーエンドを確信した。
私に感謝して、私を愛しなさい。
悪役令嬢が古の竜の末裔だとか、訳の分からない設定変更があったけれど。古の竜の呪いから解放してあげれば、エリュシオンルートのフラグが立つ。
シグルドルートじゃないのが残念だけど、エリュシオンルートもそれなりに楽しめた。
かわいそうな伝説の勇者様を、私が癒してあげる。
私は幸せになる。
だって、この世界は、私のためにあるの。
「そうなの?」
驚いたのはセリエだった。
長い睫毛が音を立てそうな、大きなまばたきをして、セリエはリリアーナに視線を向ける。
聖なる乙女であるヒロインが、愛の力で攻略対象を呪いから救う。
乙女ゲームにありそうな話だ。
流れ的には、呪いから解放された攻略対象の正体が、どこかの国の王子様だったりするのだが。
「それがどうかしたか?」
呪われている当事者、エリュシオンの反応は薄かった。
剣から手を離すこともなく、リリアーナを見る視線にも温かみはない。
リリアーナは愕然とした表情で固まった。
「言いたいことはそれだけか?」
エリュシオンが、更に一歩、リリアーナに近づいた。
乙女ゲームと違うエリュシオンの反応に、リリアーナの顔色が変わる。焦りの色がにじみ始める。
「聖なる乙女である私が、あなたを呪いから解放してあげるのよ。私があなたを選んであげるの。感謝して、好感度を上げて、私を愛しなさいよ!」
リリアーナが口を開けば口を開くほど、エリュシオンのやる気が減っていく。
「意味が分からない」
吐き捨てるようにつぶやくと、エリュシオンは手にしていた剣の刀身を、鞘から無造作に引き抜いた。
空気が変わる。
ひやりとした緊張感がエリュシオンを包む。
エリュシオンの緑の瞳が、研ぎ澄まされた鋭さを宿した。まるで、瞳そのものが、淡く発光しているかのように。
「俺は人に戻りたいとなどと、言った覚えはない。死に憧れたのはセリエに出会うまでだ」
エリュシオンは自分の顔の前に、剣の刀身をかざす。
華美な装飾はないものの、エリュシオンが持つ剣の刀身には、失われた古代文明の文字が刻まれていた。
分かる者は、名のある剣だと気がつくだろう。
国から国へと楽器を手に巡り歩く吟遊詩人たちが、聖剣と語り継ぐ剣である。
「古の竜の寿命は永遠に近い。セリエと生きるためには、この呪いはとても都合が良いからな。古の竜の呪いは、俺に取って祝福だ」
「愛されるのは、この私なのッ!」
リリアーナが叫び終わるより早く、エリュシオンが手にしている剣が動いた。
刀身が光を反射して、瞬間的に煌めく。
直線を描いて、リリアーナの体に吸い込まれるはずだったエリュシオンの剣の軌道が、空中で想定外の衝撃を受けて左へとずらされる。
剣はリリアーナの体から外れ、空を切った。
「邪魔をするな、シグルド」
不愉快を隠さないエリュシオンの声。
エリュシオンの前に、シグルドが立ちふさがる。シグルドの動作には音も気配もない。
シグルドは髪すら乱すことなく、普段通りの立ち振る舞いで、呆れたと言わんばかりにため息をついた。
「そういう訳にはいかない。リリアーナ嬢の命など惜しくもなんともないが、ここではやめろ。セリエお嬢様の視界を汚すな」
エリュシオンの額に青筋が立つ。怒りが浮かび上がる。
「はああ?俺に殺された魔王のくせに、セリエの前だからと格好つけるな!大体、なんで、執事なんかやってんだよっ!」
「うるさい。黙れ。おまえのせいで、こっちは幼体からやり直すことになったんだ!少しは反省しろッ!」
赤黒い輝きを放つ小さな炎が、シグルドを中心にいくつも現れ、点滅するようにひるがえってゆれる。
シグルドの豊富な魔力があふれ出し、魔法となる。
足元に渦巻く、紅蓮の炎。
「上等だ。何度でも殺してやる」
カチャリと小さな音がして、エリュシオンが剣を構え直す。
「死ぬまで殺してやろう」
シグルドが軽く左手を上げると、空中に炎の球体が浮かび上がる。
恐怖で動けないリリアーナを放置して。
死なない勇者と死んでも生き返る魔王が、本気なのか遊びなのか分からない戦いを始めるのを、セリエは慣れた様子で眺めていた。
セリエが気がかりなのは。
大広間が広いとはいえ、王立学園卒業を祝う式典のために用意された家具や食器に、高級品を越えて、プライスレスな国宝級もあるということだ。
不安になる考えが、セリエの心に浮かぶ。
勢い余って、貴重な品を壊しでもしたら、誰が弁償するのだろうかと。
見た目が良く、物腰の上品なシグルドは、王城でも人気があり、イグニース公爵家の優秀な執事として広く知られている。
シグルドが関わっているとばれたら、イグニース公爵家も知らない顔はできないと思う。
共同責任で、被害額の負担を王家とイグニース公爵家で半分ずつにしても、壊れたものは元に戻らない。
文明の破壊者として、イグニース公爵家の名を後世に残したくはなかった。
セリエは仕方ないと心を決めた。わざとらしく声を放つ。
「喉が乾きました」
エリュシオンとシグルドの視線が、同時にセリエに向けられる。
剣が鞘にしまわれ、炎が消える。エリュシオンがマントをひるがえし、シグルドは体を少し屈めてしなやかに。
まっすぐ。
セリエに向かって急いで駆け寄ってくる、エリュシオンとシグルドの姿は、大きな犬と気まぐれな猫のようだ。
「とりあえず、座れ」
エリュシオンに椅子を引かれて、セリエは席に着く。
シグルドが当然のように茶葉の用意を始めていて、ポットと同じ柄の薄いカップを温めていた。
直前まで、エリュシオンと戦っていたはずのシグルドの服は、下ろしたてと間違えそうなほどに綺麗である。
セリエの隣に座ったエリュシオンが、飾りとしてテーブルに置かれていた花と果物の中から、真っ赤なリンゴを手に取って、聖剣で皮をむき始めた。
器用なのか、慣れなのか。
エリュシオンはリンゴをくし形に切り分けて、取り皿に載せ、セリエの前に置いてくれる。
聖剣は使い手を選ぶ。
そんな話を、セリエは聞いたことがあったけれど。エリュシオンを見ていると、セリエにはとても信じられなかった。
うっかり油断してたら、抜かれちゃった感じなのかしら?
セリエが聖剣に同情していると、リンゴの乗った皿がセリエから遠ざけられた。空いた場所に、淹れたての紅茶が注がれたカップを置かれる。
視線をテーブルから上に移動させると、渋い顔をしたシグルドが隣に立っていた。
「なにを切ったか分からないような、得体の知れない剣で調理した物を、セリエお嬢様に出さないで頂きたい」
シグルドがエリュシオンを睨む。
エリュシオンは、からかいめいた笑みをシグルドに向けた。
「ああ、そうか。言われてみれば、魔王を切ったこともあったなあ」
セリエは頭を抱えたかった。公爵令嬢としては褒められない仕草なので、人前ではしないけれど。
無理矢理に、セリエが話題を変える。
「エリュシオン様、本当に良かったのですか」
「どうした、急に」
「私は古の竜の末裔ですが、呪いから解放することはできません。エリュシオン様を救ったりはできませんよ?」
エリュシオンは口を開けたままで、呆然とセリエを見た。
珍しい顔だ。
「そんなことは、考えたこともない。解かれても困るしな」
セリエは視線をテーブルに落とし、紅茶が入ったカップを両手でつかむ。
「エリュシオン様やシグルドに、大事にして貰えるのは嬉しいですが、大事にして貰える理由が分からないのです」
「理由と言われても」
エリュシオンは眉を寄せ、困惑した顔を見せる。
「好きになるのに、理由なんているのか?」
セリエが顔を上げると、シグルドの声が横から降ってきた。
「セリエお嬢様、勇者なんて生き物は、倒される前に相手を倒せば良いくらいの知性しかありません。セリエのお嬢様の素晴らしさを知りたいのでしたら、私が何時間でも語って差し上げますよ?」
冷めかけた紅茶を、セリエは口に運んだ。紅茶特有の微かな渋みと芳醇な香りが喉を通りすぎる。
カップを静かにテーブルに置いて。
セリエは、自然と微笑んだ。
「運命なんて言葉を、私は簡単に使いたくないの。でもね。エリュシオン様とシグルドに出会えたことに、私はいくらでも感謝するわ」
言葉は劇的で。
エリュシオンの目元が赤く染まり、シグルドがセリエに背中を向ける。
「………そういうことなのね」
忘れられかけていたリリアーナの声が、セリエの耳に届いた。
「おかしいと思ったのよ。攻略対象が私を愛さないはずがないじゃない」
大きな瞳を、更に大きく見開いて、リリアーナはセリエを凝視している。
「リリアーナさん?」
「あなたがフラグを折ったのね。この世界は、私の世界なのに!」