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2話

「伝説の勇者様、ね」


 セイルーク王国国王陛下エリュシオン・セイルークは、リリアーナの言葉を拾うと、独り言のように小さく繰り返した。

 セリエの隣まで歩いて来て、エリュシオンは足を止める。


 エリュシオンの外見は、二十代後半か、多めに見積もっても三十代前半にしか見えない。

 寝癖なのか、そういう髪型なのか分からない、あちこちに跳ねた茶色い髪。

 ありふれた緑色の瞳。

 顔は普通。


 だが、乙女ゲームでエリュシオンを攻略した者と、エリュシオンを敵にまわした者なら、普通の顔がエリュシオンの一部でしかないと知っている。


 エリュシオンは顔の筋肉をゆるめて、リリアーナに笑いかけた。

 目だけは笑っていなかったけれど。


「俺を伝説の勇者様と呼ぶ人間は、全員、片付けたと思っていたが?」


 エリュシオンの反応に、リリアーナは慌てて、両手で口を押さえた。

 しかし、失言が戻ることはない。


 リリアーナの隣で、アルベルトは困惑の色を濃くした。戸惑いの視線で、エリュシオンとリリアーナを交互に見ている。


 視線を少し横にずらし、エリュシオンはアルベルトを見た。

 エリュシオンは王立学園を卒業する息子がいるような年齢には見えないし、実際、実の親子ではない。

 遠い親戚くらいの血縁はあるのだと、セリエはエリュシオンから聞いたことがあるが、エリュシオンとアルベルトの外見は全く似ていなかった。


「アルベルト、セリエとの婚約を破棄したいと言ったな」


 エリュシオンに名を呼ばれ、アルベルトは背筋を伸ばす。王子らしい、自信に満ちた表情を浮かべる。


「そうなのです。セリエは愚かにも、俺とリリアーナの仲の良さに嫉妬して、公爵令嬢とは名ばかりの卑劣な行いを致しました。俺の伴侶、()いては、未来の国母にふさわしくありません」


 エリュシオンは沈黙した。

 しばらくして、エリュシオンは軽く目を閉じる。


「セリエ、確認をする必要を感じないが、アルベルトの言葉に心当たりはあるか?」

「ありませんわ」

 わずかな間も置かずに、セリエは答えた。

「そうか」

 感情を含まない一言。

 エリュシオンが告げたのは、それだけだった。


「国王陛下?」


 反応に悩んだアルベルトが話しかけると、エリュシオンは目を開ける。エリュシオンの瞳には、どこか冷ややかな色があった。

 エリュシオンは唇を横に引き、形だけの笑みを浮かべる。


「おまえも、セリエを傷つけようとするのだな」


 アルベルトは瞳を見開いた。反射的に口調を強める。

「なにを言われますか!傷ついたのはリリアーナの方です。リリアーナはセリエの影に怯え、ずっと耐えておりました!」

「まだ、幼い子供だからと、おまえの母親は言ったが。実の父親との血の繋がりは切れなかったようだ。おまえはあの男の息子だと、改めて思い知ったよ」


 アルベルトが顔色を変える。

 エリュシオンが言っているのは、アルベルトが幼い頃に事故死したはずの先代国王陛下、アルベルトの実の父親のことだと理解したからだ。


 先代国王陛下と王妃殿下を乗せた馬車が、雷に驚いた馬の暴走の(すえ)に深い谷底に落ちるという、とても不幸な事故。

 谷底から引き上げられた馬車と共に、先代国王陛下と王妃殿下の死亡が確認された。


 当然、セイルーク王国の上層部は、この事故に混乱する。

 王族の血統に連なる者で、直系のみに限定するならば、王位継承権を持つ者は幼い第一王子アルベルトしかいなかったのだ。


 応急措置とでもいうのか。

 アルベルトが成人するまでは、武人として高く名を知られ、遠い親戚でもあるエリュシオンが国王陛下として即位すると決定した。

 上層部の決定は、隣国にも伝わり、アルベルトは今まで疑問を持たなかった。


 どういうことだ?


 エリュシオンの、虫を見るような視線に耐えながら、アルベルトは必死で考えた。


 先代国王陛下の時代。

 王城の中庭で、セリエと仲良く遊んでいた幼い頃。

 エリュシオンは王城にふらりと訪れては、年の離れた兄のように、アルベルトとセリエに優しくしてくれていた。

  

 変わったのは、エリュシオンが国王陛下として即位してからだ。

 エリュシオンの、アルベルトに対する態度がどこか他人行儀なものとなり、見えない壁を感じさせることがあった。

 アルベルトはエリュシオンの態度の変化をとても気にして、悩んだ時期もある。


 誰にも分かって貰えないと思っていた。

 孤独だと思っていた。

 だが、それは。

 立派な王位継承者になるように、素晴らしい国王陛下になるようにという、エリュシオンの期待なのだと、いつしか思うようになっていた。


 国王陛下が厳しいのは、あなたに期待しているからなのよ。

 と、リリアーナが俺の手にそっとふれ、優しく微笑んでくれたから。

 あなたは愛されているの。

 と、リリアーナが言う度に、救われたと思っていた。

 リリアーナだけが、本当の俺を理解してくれるのだと。


 信じていたものが。

 なにかが、どこかで、ボタンをかけ違えたかのように、少しずつずれ始めている。


「人払いを」


 エリュシオンは短く告げて、右手を投げやりに横に払った。

 大広間の壁際に、静かに控えていた十数人のメイドたちが一斉に動き出し、丁寧だが有無を言わさない態度で、学友たちを扉へと案内して行く。

 学友たちと一緒に、メイドたちの姿も大広間から見えなくなった。


「おまえたちもだ」

 エリュシオンの視線の先にいた、護衛の騎士たちが(ひる)む。

「そういう訳には…」

「消えろ」


 護衛の騎士たちの移動は早かった。

 あれほど大勢の人々であふれ、にぎやかだった大広間は、今はわずかな人数が残っているだけだ。

 落差が激しすぎて、なんとなく、セリエは少し寒さを感じた気がした。


「面倒だが、伝説の勇者について少し語ろうか。アルベルト以外は知っている様子だがな」


 口を開いたのはエリュシオン。

 隣にはセリエが立ち、シグルドを斜め後ろに控えさせている。

 エリュシオンの正面には、ちょうど向かい合うように、アルベルトとリリアーナが並んで寄り添っていた。


「数十年、もしかしたら、百年以上前の話だ。北の果ての地に、(いにしえ)の竜という、強大な力を持つ幻の竜がいた」

 エリュシオンは、隣のセリエに一瞬だけ目線を向けて、すぐに反らす。

 どこか居心地が悪そうだ。

「古の竜の力は暴走を始めていて、そのままにしておけば、世界の全ては凍りつき、終わらない冬に閉ざされるしかなかった。だから、勇者なんて呼ばれていた俺が倒した」


 感情を抑えて話すエリュシオンに、アルベルトは当惑した。落ち着かない態度でエリュシオンを見る。

 エリュシオンの話は、明らかにおかしかったからだ。


「え、でも、それは百年以上前の話だと…」

 先に動いたのはセリエだった。体の向きを変えて、エリュシオンに頭を下げる。

 臣下の礼をとる。


「国王陛下、発言の許可を頂けますか?」


 エリュシオンはセリエに苦い顔を見せてから、少しふてくされたように言い放った。

「………好きに話せ」

「ありがとうございます」


 セリエは公爵令嬢らしく優雅に体の向きを直し、アルベルトを見る。アルベルトも、セリエを見ていた。

 互いの視線が合って、セリエはどうしてか笑いそうになった。こうして、視線を合わせて会話をするのは、随分と久しぶりな気がする。


「アルベルト、覚えているかしら。私たちが幼い頃は、王城の中庭で、仲良く一緒に遊んだわよね」

 セリエの話し方は穏やかだ。

 アルベルトが頷く。

「ああ、覚えている。懐かしい話だな」

「そうね、懐かしいわ。幼い頃、王城に呼ばれると、あなたが待っていて、中庭でかくれんぼをしたりして。たまに、エリュシオン様も来てくださって、変わった花や珍しいお菓子を頂いたりしましたもの」


 ちょっと不思議な優しいお兄さん。

 セリエにとって、エリュシオンはそんな感覚だった。


「セリエ、思い出話をしたいだけなら、今ではなく別の機会にしてくれないか」

「幼かったあの頃から、十年近い時間がすぎて、私たちの体はこんなに成長したわ。身長だって高くなったけれど。あの頃と今。アルベルトには、国王陛下のお姿に変わりがあるように見えて?」

 セリエの言葉に、アルベルトは呆れた様子だ。

「なにを馬鹿なことを。国王陛下は壮健で、そのお姿は変わらず………」

 笑い捨てようとしたアルベルトの声が途中で止まる。アルベルトの脳裏を奇妙な疑問がかすめた。


「変わらなさすぎる?」


 アルベルトの疑問に、セリエは頷いて見せる。

「全く変わらないの。古の竜を倒した時に、エリュシオン様は古の竜の血を全身に浴びてしまったそうよ。古の竜の命を奪う者には呪いがかかる。そう伝えられているわ」


「老いない体と死ねない呪い」

 エリュシオンが口を開き、セリエの言葉を引き継いだ。

「古の竜を倒してから、俺の体は年を取らず、死ぬことができなくなった。人ではなくなったのだよ」 

 苦笑とも、嘲笑とも、判断しにくい笑いが、エリュシオンの口元にある。

「こういう呪いは厄介なものだ。古の竜を倒してからは、(わずら)わしい好奇心を避けるため、時に名を変え、住む場所を定めなかった」


 大広間に、静寂があった。

 予想していなかったエリュシオンの打ち明け話に、言葉を失い、黙り込んだアルベルトを、エリュシオンが更に追い討ちをかける。

 エリュシオンの声が、一層、冷たいものへと変わる。


「まあ、俺が住む場所を定めなかったのは、十年近く前までの話だ。アルベルト、おまえの父親が、馬鹿な考えを持つまでのな」


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