1話
王城の大広間を満たしていた華やかな音楽が、強引に途切れた。
人々の視線が集中する。
大広間の中央に立つ、公爵令嬢セリエ・イグニースに。
公爵という、王族に次ぐ家名に恥じることなく、セリエは美しい。
仕立ての良い、シンプルでありながらも上質なドレスを着た姿に品格があるのはもちろんのこと、長い睫毛に縁取られたアーモンド型の瞳は紫色で、不純物を含まない希少な宝石のよう。
唇は薄く、少しきつい印象を与えているが、しっとりと艶やかだった。
腰まで伸ばされた銀糸の髪が、セリエのわずかな顔の動きに合わせ、さらりと滑らかにゆれる。
セリエは姿勢を正した。
ゆっくりと、アルベルトに見せつけるように微笑む。
「もう一度、言って頂けませんか?」
言葉は確認ではあったが。
アルベルトは不快な響きを感じたらしく、軽く奥歯を噛んでセリエを睨みつける。
セリエの幼馴染みであり、婚約者であるはずの、セイルーク王国第一王子アルベルト・セイルーク。
礼服姿のアルベルトは、太陽の陽射しを溶かし込んだような、金色の髪の持ち主であった。
透き通った水色の瞳。
繊細でありながら、弱々しく見えない整った顔立ち。
学園に通う、夢多き乙女たちに、理想の王子様像を描かせたら。たぶん、こんな姿になるのではないか。
そんなことまで考えてしまうほどの、まさに、絵に描いたような王子様である。
アルベルトの後ろには、すがるように寄り添う、儚げな乙女の姿があった。
柔らかに波打つピンクブロンドの髪、不安そうにゆれる大きな瞳。
女性らしい曲線を描く頬は柔らかそうで、普段は微笑みを絶やさない小さな唇が、今は恐怖に耐えるように固く結ばれていた。
アルベルトが用意したであろう、並みの貴族では手に入らないような、細やかなレースを贅沢に使用した、パステルカラーの甘いドレスを着ている。
王族と貴族、そして、特別な才能を持つ者だけが通うことを許される王立学園に、途中から転入してきた男爵家の養女。
聖なる力を持つという、リリアーナ・ローランベリーである。
アルベルトは右手を大きく振りかざし、セリエに突きつける。
礼服の上のマントがゆれて、波のように広がった。
「セリエ・イグニース、君との婚約は破棄させて貰う。君が公爵令嬢という身分を利用して、か弱いリリアーナに陰湿な嫌がらせをしたことは分かっている」
アルベルトは左腕で、リリアーナの肩を優しく抱き寄せた。
「俺は、リリアーナという運命の伴侶に出会えたのだ。俺の隣に並ぶ女性は、リリアーナしかいない」
アルベルトは視線を傾ける。
甘く見つめ合うアルベルトとリリアーナ。
「アルベルト様、私のために、このような……」
「リリアーナ、どうか、君の優しすぎる心を痛めないでくれ。君は今まで充分すぎるほどに我慢をした。これからは俺が護る」
セリエは冷ややかに、アルベルトとリリアーナの愛のミュージカルを眺めていた。
これは、あれかな?
とか思いながら。
「一応、言っておきますが、私は陰湿な嫌がらせなどはしておりません」
セリエの言葉に、アルベルトは薄く笑って返した。
「リリアーナは嘘をつくような女性ではない」
予想通り!
セリエは傷つくよりも先に驚いた。
王子と公爵令嬢と聖なる乙女。
どこかで見たような。まるで、テンプレの組み合わせ。
王城の大広間においては、第一王子アルベルトの王立学園卒業を祝う式典が、盛大に行われている最中であった。
大広間にはたくさんの花が飾られ、学友たちが礼服とドレスで着飾り、祝いの言葉を贈り合う。
一生の、大切な記念日となるはずの式典を、アルベルトの言葉がぶち壊した。
惚れた相手と結ばれたいという、一方的な婚約破棄によって。
学友たちの間から、小さなざわめきが上がり始め、波紋のように広がる。ざわめきの中には、セリエを心配する声もいくつかあった。
年頃の公爵令嬢が、大勢の学友たちの視線に晒されながら、第一王子に婚約破棄を突きつけられたのだ。
セリエに、乙女ゲームやライトノベルの記憶がなければ、取り乱して怒ったり、混乱して泣き崩れていたかも知れない。
前世の記憶なのだろう。
いつだか分からないような、遥か遠い昔の記憶を、セリエは前触れもなく思い出すことがあった。
乙女ゲームやライトノベルなど、前世の記憶にある物語は、セリエの心を楽しませ、時には支えてくれたりもする。
前世の記憶とセリエの心はいつの間にか溶け合い、抵抗することなく、ひとつになっていた。
不意に、セリエは、月を見上げる男性の後ろ姿が見えた気がした。
違う。
これはスチル。
セリエは見たことのない乙女ゲームのスチルを思い出した。おそらくは前世の記憶だ。スチルは次々と、違うものに変わっていく。
スチルには、リリアーナが描かれているものが多かった。
リリアーナを相手に、見た目の良い男性が入れ代わりながら現れて、笑ったり、抱きしめたりしている。
男性の一人はアルベルトであった。
パズルの最後のピースが、はまったような感覚が起こる。
セリエは気がついてしまった。
そういえば、この世界って、前世の記憶の中にある、乙女ゲームに似ているわよね、と。
前世の記憶に集中すると、なんとなく思い出してきた。
乙女ゲームのタイトルは、英語だかフランス語だかの横文字だったことくらいしか覚えていない。
キャラクター名もうろ覚えだ。
攻略対象は王子、騎士、魔法使い、勇者、魔王……だったかな。
ヒロインの名前は変更して遊ぶ派だったから、公式ヒロイン名も忘れていたわ。
そっかー、リリアーナだったのね。
乙女ゲームには、王子とヒロインの恋を燃え上がらせる燃料というか、恋の踏み台にされる婚約者、悪役令嬢がいた。
たぶん、私。
悪役令嬢転生なら、いろいろと納得できる。
私が無駄にハイスペックな理由とか。
頑張っちゃう系の悪役令嬢セリエは、乙女ゲームの中で、婚約者であるアルベルトと急速に仲良くなるリリアーナに嫉妬して、安定の嫌がらせをする。
嫌みを言ったり、間違った情報を教えたり。金で雇った者を使って、リリアーナを襲わせたりもする。
乙女ゲームの中で、悪役令嬢セリエは最後にどうなったのだろう?
あまり関心がなかったのか、前世の記憶に残っていない。本当に全く分からない。
それはそれで、ちょっと怖い。
転生者である私は、陰湿な嫌がらせなどしていないと断言できる。
アルベルトがリリアーナと仲良くなっても、嫉妬なんて感じなかったから。
そもそも、アルベルトと私の婚約自体が、今は御隠れになられた国母、アルベルトの御生母様たってのお願いだったからこそ実現したものである。
王立学園でも、アルベルトとリリアーナの仲の良さは有名だったし、隠す気すらなさそうだった。
幼馴染みが幸せになるのなら、お祝いするくらいの心の広さはあるつもりなのに、アルベルトは私が陰湿な嫌がらせをしたと信じ込んでいる様子だ。
婚約破棄か。
嫌じゃないけれど、婚約破棄をすれば、確実に面倒なことになるのは間違いない。
「今になって、自分の罪深さをようやく理解したのか?」
いろいろと考え込んでいたセリエに、悪意を含んだアルベルトの声が向けられる。
セリエは片手を頬に当て、もの憂い表情を見せた。視線を少し下に落とし、気だるげに軽いため息をつく。
「聞いても良いかしら?」
「内容によるな」
「国王陛下は、私たちの婚約が破棄されることを御存知なの?」
アルベルトは驚いた顔をした。
「なにを言い出すかと思えば。リリアーナに会ってくだされば、国王陛下も彼女の素晴しさをお分かりになられるはずだ」
「そうだと良いわね」
セリエから転がり出た言葉に、アルベルトは怪訝そうに眉を寄せる。
「セリエお嬢様」
音も立てずに。
セリエの背後にすらりとした長身の、黒服の男性が立つ。
艶のある黒髪と珍しい黒目。
高級感のある三つ揃いの正装を着こなしている、隙のない雰囲気の若い執事だ。
名を、シグルド。
セリエが幼かった頃に、気まぐれと成り行きで拾ってきた少年が、やたらと有能な美形に育つと思っていたら、攻略対象だったのね。
「シグルド、今は…」
「会いに来てくれたのねっ!シグルド様ぁ!」
セリエがシグルドに話しかけた言葉を、リリアーナの歓喜に満ちた甘い声が遮った。
リリアーナの予想外の言動に戸惑っているアルベルトとは対称的に、リリアーナの顔は幸せそうに溶けている。
「アルベルト様を攻略してからでないと、シグルド様にお会いできないと思って、リリアーナはあきらめていたのですよ?」
小動物のように可愛らしく小首を傾げて、リリアーナはシグルドを上目遣いで見つめる。
シグルドは、道に汚物を見つけてしまった時の顔で、リリアーナを見た。
「リリアーナ嬢、私とあなたは初対面です。はっきりと言わせて頂けるなら、私はあなたに興味ありません」
「大丈夫ですよ。私がシグルド様を解放してあげますからね」
シグルドとリリアーナの会話は噛み合わない。
ベクトルが違いすぎる。
セリエは遠い目になった。
予想はしていたけれど、ヒロインも転生者のパターンか。
あるある。
「騒がしいな」
重厚な響きを持つ男性の声が大広間に割り込んだ。大きな声ではないのに、人々が動きを止める。
王城に出入りできる高位の身分を持つ者で、この声を知らない者はいない。
メイドが一礼をして両開きの扉を開けると、飾りの少ないかっちりとした軍服に、マントを重ねた男性が、中央に向かってゆっくりと歩いてくる。
その腰には、大振りの長剣が装備されていた。
社交の場であり、友好を深めるための場でもある王城の大広間で、帯刀を許される者。
護衛の騎士を除けば、王だけに限られる。
「国王陛下!」
アルベルトが真っ先に声を出した。
「セリエとの婚約を破棄したいのです。そして、愛しのリリアーナとの婚約を、正式に認めて頂きたい!」
リリアーナの押しはシグルドみたいよ。
と、うっかり口にしかけた言葉を、セリエは空気を読んで飲み込んだ。
「そんな!」
許可も得ず。
国王陛下と第一王子の前に、リリアーナの声が飛び出した。
リリアーナの体が、小刻みに、ぷるぷると震えている。国王陛下の顔を見てから、リリアーナの様子がおかしい。
「シグルド様を攻略した後でないと現れない、伝説の勇者様が、どうして国王陛下なのよ!乙女ゲームと違うじゃないっ!」