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殺神都市 ―A fatal error―  作者: 彼岸堂
阿形暁彦
3/11

1



 阿形暁彦(あがたあきひこ)はその日、妙な――聞き慣れない男の――声を耳にしたような気がして、眠りから目を覚ました。

 季節は冬、時刻は朝7時、場所は彼の自宅。

 よくある賃貸アパートの、ありふれたワンルーム。

 薄暗さと比例するかのように、部屋はやや肌寒い。

 マイペースで遅刻上等、必須単位ギリギリを生きる大学生の暁彦にとって、講義もバイトもなく寒いだけの朝7時に起きることは、異常事態の一つであった。

 ……宅配便でも来たのか? 

 その割にはやたら鮮明な声だったような、と思いつつ暁彦はベッドから身体を起こす。

 部屋には、昨夜遅くまで映画のDVDを見ながら一人酒をしていた名残がある。

 それは、暁彦にとっては日常の光景だった。

 窓の外はまだ薄暗く、重苦しい灰色の空が広がっている。

 布団を剥がした上体が、肌寒さを改めて認識する。

 それと同時に、暁彦の内に湧き出たのは、圧倒的な眠気であった。

 壁にかけられたカレンダーを見て、今日は講義が午後にしかない曜日であることを確認し、暁彦は二度寝に洒落込もうとし――



「いや、寝るなって」



 暁彦の眠気は、完璧に吹き飛んだ。

 今し方響いた男の声が、同じ部屋から発せられていることを確信したからだ。

 慌てて彼は声のした方――暁彦の娯楽のほぼ全てを支えている45インチ薄型テレビ――に振り向く。

 そして。



「――うわぁっ!?」



 暁彦の叫びが室内に響く。

 彼は、テレビの上に鎮座する()()を直視してしまったのだ。


「良いリアクションだな」


 それが、暁彦に向けて音を発する。

 それは――暁彦には最初、漆黒の……(ドラゴン)のように、何故か見えた。

 だが、竜ではないとすぐにわかった。

 そこにあるのかないのか、闇と溶け合っているかのような、不自然なコラージュのように見えてしまう、圧倒的な黒。

 その闇がぼんやりと描くシルエットは、四つ足で、長い尾のある姿。

 だが。

 翼はない。

 角もない。

 何なら、目鼻口すらない。

 凡そ世にある『(ドラゴン)』から特徴的なパーツを、尻尾以外全て引っぺがして真っ黒にすればこうなるかもしれない。


 ――いや、要は真っ黒で顔の無い蜥蜴(とかげ)では?

 

 そう直感的に思考した暁彦。

 直後――


「お、まえ何?」


 やや上ずった声で、ほぼ無意識に、暁彦の口から問いが出ていた。

 思考だけが早回りして、体が置いていかれたかのような反応だった。 



()()()()()()。暁彦」


 それは、落ち着いた声で、暁彦にそう返してきた。

 それの尻尾が、中空に円を描くかのようにぐるりと動く。


「俺はお前で、()()()()()()()()()()()、お前から生まれた」

「お前のことをよく知る、お前の(ゆがみ)であり、お前そのものだ」


 暁彦は、問うておいてから自分の正気を確かめるのように頬をつねった。

 何度も瞬きをして、深呼吸をして、自分が正常かどうかを念入りに確かめた。

 それで本当に確かめられるかなんてわからないが――やりたくなった。

 だが、何も変わらなかった。

 それは、暁彦の前に存り続けた。

 それは、暁彦が事実をもう一度認識するのを待つかのように、沈黙している。

 暁彦は、頭が回っているようで回っていなかった。

 訳がわからず、ただそれを見つめていた。

 やがて、暁彦は、じょじょに気づくことがあった。

 最初こそ目の前のそれにひどく驚きはしたが――いつの間にか、既にそれに対しての恐怖がなくなっているということを。

 いや、もしかしたら――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 いきなり声をかけられたから、いきなりいたから、驚いた。

 そこに在ったから、驚いた。

 ただそれだけ。


 暁彦の内に走るものは、不思議な感覚だった。

 それはまるで、欠けていたものがわかったかのような、探していたものが見つかったかのような――

 「こんなところにあったのか」という驚きに近かった。

 ただし、何故それに対しそのような感情を抱くかだけは、全くわからなかった。

 強いて言うならば――自身のその意味不明な感情の動きに対しては、恐怖していたかもしれない。

 暁彦がそれと遭遇してからのここまでは、実際の時間で3分にも満たない。

 だが暁彦は、凄まじく長い時間、混乱する感情に振り回されていたかのような気分だった。



「――安心しろよ、暁彦」



 見つめ続けていたそれが、言葉を発する。

 その言葉は音ではなく、暁彦の頭に直接響いているものであることを、暁彦はまだこの時点では認識できていない。


「俺はお前の味方だよ。この世界の誰よりもな」


 暁彦には、それが『笑った』ような気がした。

 表情なんてものが無い存在だが、その言葉にはそう感じさせるものがあった。

 それで暁彦は吹っ切れた。


「――――わけわかんねぇ」


 おびえるでもなく、発狂するでもなく、逃げるでもなく。

 とにかく、自分は異常事態に陥ったということを、暁彦は素直に認めた。

 暁彦は、自分が頭が良い人間だとは思っていない。

 だから諦めた。

 考えて答えが見つからないという結論に至ったのだ。

 冬の朝が見せる幻覚かもしれないが、もうそれに乗っかることにした。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



「俺、頭おかしくなった? お前もしかして、幻覚みたいなもん?」



 幻覚かもしれないものに尋ねるのもどうかしていると思いつつ、暁彦は問う。


「いいや、お前は正常だ。頭はな。そんでもって、俺という存在は現実だ。虚構ではない。大抵の人間には見えないと思うがね」


 暁彦は、それが律儀に回答してきたことに少し驚き、同時に、意思疎通がはかれることに安心もしてしまった。

 だからこそ暁彦は、思ったことを続けて口にすることにした。


「世間ではそれ、幻覚って言うんじゃね?」

「幻覚はものに触れると思うか?」

「いや、疑問に疑問で返されても」

「まぁいいじゃないか。とにかく、俺はお前に害を為すつもりは無いぜ。それでとりあえずいいだろう?」

「いや、よくなくないか?」

「やれやれ、ダメか。ま、お前が混乱しているのも、一方で思考放棄して楽になろうとしてるのも、手に取るようにわかるからな。仕方ない。だからどうだろう。俺をもっと理解してみるっていうのは。わからないは混乱の素だ。だからまずはわかってみる……理解するのが良い」


 そうすればもっと安心できるかもな。

 と、それは言う。


「理解って言われても……」

「よし。ならまずは、冷蔵庫にあるウーロン茶を持ってきてやるよ」

「は?」

 

 流れがわからず、暁彦が呆けた声をあげる。


「起き抜けの水分は大事だぜ。頭が少しは回るようになるし、落ち着くだろ。どうだ、いるか?」

「あ、うん」

「望みは得た」


 それが、テレビからふわりと飛び降りる。

 蜥蜴や竜を思わせる体躯であるのに、その動きはやたらと柔らかく、まるで猫のようだった。

 音も無く着地するそれが、ふっと消えたかと思うと――

 次の瞬間、暁彦の家の冷蔵庫が、ぱたりと開かれた。

 庫内灯が、暁彦の部屋にわずかに明るみをもたらす。

 

 ――――暁彦はそこで、鳥肌がたった。

 

 彼は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そしてそれが意味することも何か、理解してしまった。


 それが、小さな頭に1リットル分のウーロン茶が入るペットボトルを乗せて、冷蔵庫から姿を現す。

 そして、頭を一切動かすことなく――よく見たら全身も全く動かず――すーっと音も無く滑るように暁彦の元に接近する。

 次に、頭に乗せていたウーロン茶のペットボトルを、ベッドの近くの丸いローテーブルの上に置く。

 若干の間。

 暁彦がペットボトルを掴む。

 ペットボトルに6割ほど入っているウーロン茶の冷たさと、ペットボトルそのものの感触が伝ってくる。

 蓋を開け、直接口を付けて、飲む。

 液体が流れる音、ペットボトルがややへこむ音。

 自分がウーロン茶を飲む音。喉を潤す、心地よい水気。

 ウーロン茶の味。

 暁彦が蓋を閉めてペットボトルをテーブルに戻す頃には、それは再びテレビの上に鎮座していた。


「――――お前、俺のスタンド能力かなんかなの?」


 暁彦の口から出たのは、精一杯のたとえだった。


「フィクションで例えるのは良い線だな。理解の取っ掛かりにちょうどいい。しかし、残念ながら俺は時は止められないぜ」

「誰もそこまで言ってねぇよ。とりあえず、お前マジで物触れるのな……」


 今し方、暁彦が直接感じた全てのものが、彼に『現実』を突きつけてくる。

 彼の受容は、その時点でまた深まった。


「ああそうさ。お前が望むのなら、もっと色々できる。望まなければできない。()()()()だからそうなっている」

「……でも時は?」

「止められない。できることにも限度はある」

「そっか」


 それは少し残念だと思ってしまう暁彦。

 直後、彼は天井を見上げる。

 そして、もう一度それへと視線を戻す。

 それは変わらずそこに在る。


「……色々、聞きたいことがありすぎて」

「だろうな」

「聞いたら、答えてくれるのか?」

「知っていることは答えるぜ」

「取って食ったりは、しないんだよな?」

「むしろ、唯一無二の味方だと思ってほしいね。仲良くしようぜ、兄弟」

「え、お前俺の兄弟なの?!」

「物のたとえだよ、相棒」

「あ、そう……」

「ともかくだ、暁彦。物事はシンプルにしていこうぜ」

「シンプル?」

「ああそうさ。頭がぐっちゃぐちゃな時は、一つ一つ、単純にするのが良い」


 それの尻尾が、再び円を描く。


「お前さんが理解しておけばいいのは、唯一つ」

「それは?」


「俺が、()()()()()()ってことだ」



 だから安心しろよ、と。

 それは、暁彦に告げた。

 暁彦は、しばらくそれを見つめてから俯く。

 そして、またしばらくしてから、顔を上げて、それを見つめなおす。

 それは、変わらずそこに在った。


「――お前、名前はあるの?」


 暁彦が問う。


「無い」


 それが、端的に答える。


「話すとき面倒だから、つけていい?」


 それの尻尾が、円を描く。


「願っても無い申し出だ」


 だったら――

 と、暁彦はしばらく思案する。

 そして――



「――()()()()、はどうだ?」



 黒い蜥蜴っぽいもの、略して『クロカゲ』。

 沈黙。

 もしかして気に入らなかったか、と暁彦がやや不安に思った瞬間――



「気に入った」



 悪くないネーミングだ、と、クロカゲが返す。

 暁彦は、どういうわけかその瞬間、この不思議な黒い存在と何か繋がるような感覚を得た。


 そして――――

 ここからまた、話が長くなりそうだとも予感した。



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