1-7
「アヴァ、起きろ」
「……お兄様?」
「ああ、そうだ。早く行くぞ。母さんも助けに行こう」
いつの間にか飲み込まれていた眠りから、覚醒仕切っていない脳だったが、アヴァは手を引かれて立ち上がった。途端に不安を覚える。
「フィン?」
「フィンってなんだ?」
アヴァの呟きにブラムは訝しげな顔をしたが、アヴァの肩にネズミが登るのを見て、納得したようだった。アヴァもまた、か弱き友人の姿を見て胸を撫で下ろす。
「ネズミのことか。元気になったんだな」
「ええ。この子も、一緒に連れていくね」
「好きにしたらいい。走るから、キツイかもしれないけど我慢してくれよ」
ブラムは、一息つくと走り出した。アヴァもその後を、遅れながらもついていく。アヴァにとっては走るというのが久々のことで、靴がボロボロなのも相まり何度か転びかけたが、なんとか体勢を持ち直し走り切った。
洞窟の外へ出る。見上げると日光がとても眩しく、体がチクチクした。目もすぐには開くことができなかった。
光に慣れて開いた、アヴァの目が次に捉えたのは、心配そうに顔を覗き込んでくる友人の顔だった。あなた、そんな色をしていたのね。喋るのが辛かったため、そんな意も含めて微笑み返す。彼女はその目に、友達の姿を初めて鮮明に映した。
「やっぱり、体力がキツそうだな。話でもしながら歩いていくか。時間はまだある」
アヴァが膝に手をついて息をしていると、ブラムはポケットから果物を取り出し、アヴァに渡した。アヴァは受け取ると、いつも通り一部を噛み取ってファンにやった。
「アヴァも、すっかり変わったな。辛い生活だったんだろう。でも、今日でおしまいだ」
「なにが起きるの?」
「反乱だよ。最近、あのリーダーが外へ出ず、部屋にこもり始めた。すると、俺みたいに後から仲間にさせられたやつらが、チャンスだと思って反撃する予定を立てた。それが今日だ」
先導があいつだっていうのは、気に食わないけどな。ブラムは毒でも吐き出すかのように、しかし、アヴァには聞こえないくらいの声でそう続けた。
二人が洞窟を出て歩く道は、前にクレシダが連れていかれた方向だった。人の叫びが風に乗って聞こえるが、その姿は見当たらなかった。
「きっと、リーダーは見つかればすぐに」
「すぐに?」
「すぐにーー話せない状況になるだろう。だから、その前に母さんの居場所を聞く」
どうしてすぐに話せなくなるのか、アヴァには予想できなかった。正確には、考えたくなかったと言うべきか。今は少ない体力を温存しようと考えて、訊かなかっただけだ。
そして、ようやく今までと異なる場所を見つけた。見張りの男と、洞穴があった。
「あそこにやつはいる。今頃、どこかで反乱が起きているから、制圧するために取り巻きも少ないだろう」
アヴァは、エフィーを連れて行った男を思い出す。エフィーも助けることができるだろうか。フィンを取り戻したことで、ここでの最初の友達も取り戻せるのではないかと、その手段さえ違うというのに、彼女の期待は強まっていた。
道中いた男をブラムは切り捨てていく。動物のものではない、飛び掛かる人の血や腕に、耐性はできていたものの、アヴァは小さな悲鳴を上げる。しかし、ブラムは一切の反応を示すことがなく、アヴァはその背中に恐怖を覚えた。
道中にいる男たちの悉くから士気と力を奪い、二人はひたすらに進む。リーダーがいるという部屋の扉を開けると、大きな椅子に頭を抱えて座っている男がいた。
「おい、母さんはどこだ」
「母さん?」
「名前はクレシダだ」
「クレシダ? ああ、そうか。……あいつは死んだ。墓が裏にある。目印でわかるだろう」
「殺したのか!?」
「疫病だ」
男の口調には覇気がなく、ブラムは苛立つようにして血塗れの剣をかざした。血溜まりに映ったブラムの表情に、アヴァは僅かに怯えた。
「本当だろうな」
「嘘じゃない。俺は、それどころじゃないんだ。行くならさっさと行け」
「コイツ!」
ブラムが男を断ち切ろうとしたところで、アヴァがその背中に抱きついた。彼女は、体重を思い切り後ろにかける。しかし、身体は徐々にずれていく。
「やめて、お兄様!」
「止めるな! 全部、コイツのせいで!」
「駄目よ! 早くお母様のところへ行きましょう? お兄様のそんな姿、わたし見たくない」
ブラムは立ち止まり、その場で体を慄かせていたが、諦めたようにダラリと腕を落とす。気持ちを整理するように一呼吸してから、アヴァと共に歩き始めた。
「アヴァ。後悔はしないんだな。あとから仕返しをしようとしても、もう遅いんだぞ」
「わかってる。大丈夫よ。わたしは、そんなことしない、思わないから」
最後にアヴァが振り返ると、リーダーの男は顔を伏せたまま、泣いているように見えた。
男の示す方にあった扉を抜けると、その先には暗澹とした雰囲気の原っぱが広がっていた。地面は荒れ果て、誰の手入れも届いていないようだった。ただ、大きな石がたくさん並んでおり、その下に服が置いてあるのは確認できた。
「あいつ、墓を作っていたのか」
ブラムは呟いて、母の服を探す。破れ、ほつれ、布切れ一枚しか残っていないような墓もあった。風で飛ばされていないのが不思議なくらいだ。
何人もの墓を過ぎ去り、やがて、クレシダの墓に辿り着くと、ブラムはすぐさま土を掘り始めた。
この墓に限った話ではないが、腐臭がひどく、周囲には動物に漁られたような跡もある。
手で丁寧に掘り返すと、固いものに触れる。出てきたのは、骨だった。それが、元はどこのものだったのかもわからない。大きさや形から、おおよその判断はできても、正確にわかるはずなく、わかりたくもなかった。
ブラムは骨が想像よりも綺麗な状態であったことに、僅かに感謝した。アヴァには見せたくなかったからだ。
しかし、一方で、肉片が地中の生物に食われてしまったと考えると、それもまた良い心地はしなかった。
「お母様には、もう会えないの?」
真っ直ぐな質問に、ブラムは言い澱みかけたが、誤魔化せるものではないと、はっきり言葉にした。
「……会えない。……けど、どうやら、俺たちに手紙を残していたみたいだ」
なおも掘りすすめると、骨と共に状態が割と良い紙が見つかったのだ。丸められており、破れは見られなかった。ブラムが、丸められた羊皮紙を広げ、噛みしめるように読み上げる。
「アヴァとブラムへ。これを読んでいるとき、それはつまり私の口からはなにも話せなかったということです。
驚くかもしれないけど、ここからの話は全て真実。疑わずに、理解してください。
実は、私には人を蘇らせる力があります。幸か不幸か、この力はアヴァにも受け継がれていることでしょう。でも、受け継がれた力は、私のそれよりは弱くなっていることでしょう。だけど、それでいい。これは、使うべきではない不幸の力です。村が襲われたのも私の力を狙った輩の仕業なのでしょう。
あなた達がこの手紙を読んでくれていたら、ブラム、どうかアヴァを守って。そして、穏やかに、健やかに、幸せに暮らして欲しいと、それが母の願いです。二人とも、愛しています」
クレシダより。ブラムが、最後に最愛の母の名を読み上げる。そのまま彼は、羊皮紙を丸めなおしてポケットに入れ、アヴァを優しく抱き寄せて呟いた。
「アヴァ……幸せを、探しに行こう。幸せに暮らせる場所を作ろう。家族四人でいたときみたいな、平和な場所を」
「うん……」
視界がぼやけた。兄の肩越しに見る世界は、ユラユラと、まるで覚めかけの夢のようだった。
しかし、頬を伝う熱、兄の体温、風の冷たさ、虚しさと悲しみの同居する心、全ての感覚が、嫌でもこれが事実なのだと突き付けていた。