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ノルンの足枷  作者: Ainia
3/7

ACT.3 四苦八苦

第3章:四苦八苦へようこそ♪


今章のサブタイトルとなっている四苦八苦ですが、やっぱり人間というのは思い悩んで生きていくものなんだなーと今更に実感しました(汗


悩みという要素は、キャラクターを作り上げる上で重要な点の一つだと思ってます。


しかし、作り込んだキャラは愛着をもってしまって中々に手放せないという……(笑


そして、作者として愛着を捨て、一人の人として扱う技能が、作品をよりよいものにしていくのだと……難しいものです。


さて、遅くなりましたが「ACT.3 四苦八苦」をお楽しみ下さい☆

 貴方の成績を皆が羨ましがった。

 すると貴方は次のテストで0点を取った。


 貴方の絵画を皆が見つめた。

 すると貴方は絵画にペンキをぶちまけた。


 貴方の歌声を皆が慕った。

 すると貴方は歌うのを止めてしまった。


    Milshelc Ainia



(振り切れた……?)

 凪咲は藤崎の腕の中、索囲(シート)と呼ばれる宝礼(ジニア)特有のセンサーには特定の波長は感じない。

(諦めた? いや、まさか……)

 鼻を鳴らして凪咲を地面に降ろす。少女は砂埃のついたスカートを叩き、乱れた髪をかき揚げた。

「説明してよね」

「ああ」

 簡単に返事をして、周りの気配を探る。藤崎も索囲を展開して相手を探した。

「どうやら巻けたようだ」

 首を少し横に傾けて、心配そうな顔を向ける凪咲。

「こんな所で話すのも何だ、教室に行こう」

 不穏さを残した表情は、黙って首を縦に振った。これほど朝早くに登校している生徒もいないだろうと踏んで同意した。

 案の定教室は鍵がかかったままで生徒どころか教職員の姿さえも疎ら。職員室で教室の鍵を借り、教室の扉を開いた。篭った空気がもわっと押し出される。

 窓を扉を全開にして、熱気を帯びた空気を逃がした。

 藤崎は適当な席に鞄を放り、机に座る。凪咲は自分の席の椅子に座った。

「そんなに気になるのか?」

 正面に座る凪咲は真剣な面持ちで藤崎を見つめている。

 こちらばかりへらへらとふざけてもいられないと態度を改め、藤崎は相対して話を始めた。

「お前は聖界にも魔界にも所属する気はないのか?」

 鋭い眼差しで藤崎を見つめ、言葉の代わりに首肯で応える。それを見て残念そうにため息混じりで「そうか」と呟くと、凪咲は付け足すように言葉を繕う。

「でも、それは今だから。何も知らないもの、そう簡単に決めるなんて出来ないよ」

 もう一度「そうか」と紡いだ言葉は弱く、瞼を閉じながら吐き出す吐息は微かながらも悲しみの余韻を残していた。

 頷いて見上げる凪咲。吹き抜ける風が風合いの良い夏服の制服を通り、緊張と歓喜でかいた汗を冷やして心地よい感覚が凪咲の五感を刺激する。

「なら、庭園(エデン)か」

 更に重苦しいため息が藤崎の口から吐き出され、まるで悪態を吐いているかのような装いが凪咲の不安を生む。

「庭園は大きな商業都市だ」

「何?」

「情報が行き交い、商品と金が行き交い、様々な宝礼が行き交う世界」

 情報を欲する凪咲には丁度いい世界だと早合点し、それの意味する所を汲まない。

「分かるか? そこに生きる術が商工業に通じるものであるならば、それらに関する知識と技術が入り用な上、それはこの地球(せかい)とは理が違う」

 風が吹き抜ける。凪咲の髪を揺らして去った風はそのまま窓の外へと飛び出した。

「俺も初めは選びたかったさ……」

 藤崎のため息の意味を知り、同情のような感覚が流れ込む。

「庭園で生きる術を持ってさえいれば、導いてくれる奴さえいれば、自分が選んだ道に自分を投じられたのに……」

  無知の藤崎もまた未知の世界へと放り出され、無防備なまま庭園を放浪し、その果てに餓死寸前の所を聖界の住人によって救われた。

 苦しみから解放された瞬間、藤崎は自分を助けた聖界に加わる事を選んだ。

「って事はさ、藤崎くんも最初は中立を選んだの? それとどうやって鏡界に?」

 藤崎は天井を仰いでから首を左右に振った。遠くを呆けるように眺めて口を開く。

「俺は放り出されたんだ」

 身震いするような悪夢を浮かべて、今更にその景色に耽る。夕闇に浮かんだ黒い手が藤崎の胸倉を掴んで引きずり込んだ。そのまま空間の歪みへと連れ込み、気付いた頃には世界は藤崎を否定した。

 暗がりに現れた一つの人影。暗さのあまりに表情や容姿を確認出来ず、咄嗟の事象に混乱が生じた。

「何者なのか分からない。腕に刻まれた文字以外は何も……」

 俺の視界は奪われていた。それが意図的なものかどうかも分からないまま気絶させられた。

「気がつけば見知らぬ世界。分かるか? アニマの事も何もかもを知らない俺が、いきなり馬鹿げたような世界に連れ出されたんだ」

 真剣に藤崎を射していた視線は机に落ち、考え込むように俯いている。

「着いて来い凪咲。お前の不自由にはさせない。お前を殺したくないんだ」

 ハッと顔を上げる。その仕草も鏡界の話が訪れてからは見慣れていた。

「着いて来ないなら殺せって? 脅迫なんて結構温厚じゃないのね」

 一瞬ビクっと身体を震わせたが、直ぐに表情を変えて的確な応えが返した。

「でも、それじゃ魔界と何ら変わりないじゃない」

 もっともな返事を返して、後に紡がれる藤崎の言葉を待ち受ける。

「そうでもないさ。奴ら魔界の住人は無闇やたらと刈り取るだけだが、聖界は違う」

 当人を見た藤崎が誇らしげに言う様は、自分がそこに所属している事に満足しているように感じさせる。

「彼らは利益にならない事はしない」

 一拍程の感覚を踏んで凪咲が言葉を返す。

「報酬思考なのね」

 常の凪咲に戻った瞬間だった。滑舌が良くなり、はきはきと言葉を並べていく。

「私は私のやりたい事をやる。天使様だろうが神様だろうが、そんなのは関係ない」

 正面から見下ろすようにして座る藤崎と視線を合わし、急に立ち上がった。

「それでもいいなら着いて行くわ」

「それはあの方々が決める事」

 ふんと鼻を鳴らしてため息を返し、自分の上に立つ者に対して忠誠を誓う藤崎の瞳を覗く。

「話を通してはくれないの?」

「こんな下っ端が神様方に意を述べるなんて無理な話だ」

 自らの立場を(わきま)えて、一言一言に敬語を添える藤崎の姿は、まさに聖界に所属した人物像を描いていた。


 風がバッと一斉に吹き込む。凪咲の長い髪をこれでもかというほど暴れさせ、乱しに乱して吹き抜ける。

「風が変わった」

 凪咲が窓越しに外を見て言った。

 索囲(シート)を閉じた魔界の使者が、開いた窓から二人を眺めている。

「な……に」

 凪咲の目が大きく見開いた。窓には蜥蜴(とかげ)のような緑色体の生物が黒い軽装に身を包んで屈んでいる。

「如月凪咲という娘はお前か?」

 蜥蜴と凪咲の間に立って、浅葱炎(プラム)を掌に集中させる藤崎。

「構えるな、兵号Z303E藤崎悠志」

 顔をしかめて蜥蜴を睨み付ける藤崎。その形相は鈍く、焦りと恐れが絡み合う。

「何故、ディストピアの者が俺の名を?」

 燈したプラムを掻き消して、凪咲を後ろに下がらせた。手を横に差し出して、凪咲を守るように添える。

「兵号F216C暮羽(くれは)熾天使(セラフィム)様の命を受け、如月凪咲を我が主らの物とする」

(熾……天使だと?)

 驚いていた。ただの人間が天使に誘いを受けるなどと言う話は聞いたことがなかった。藤崎自体が宝礼となって長くはないが、それでも天使に誘われた人間を見た事がなかった。

 更には目の前にいる暮羽という蜥蜴が立ち塞がっている事が何より藤崎の立場をまずくした。

「しかし、暮羽様。彼女は私の……」

 つぶらな瞳の奥に眠る殺気が藤崎の身体を貫く。

「貴様ごとき弱兵に、この者を扱える訳もあるまい。身の程を知れ」

 スッと暮羽の腕が伸び、バチッという音と共に一瞬にして空気が変化した。

「これほどの逸材の所在を知っておりながら、上への通達をせず我が物としようと目論んだ罪、ユートピアの騎士として身をもって受けよ」

 視界を紫電が走った。刹那の迅雷。避ける余裕などなく一瞬の出来事が過ぎていた。藤崎が気がついた時には保健室のベッドで横になっており、泣きそうな顔の愛が横から見つめ、仕舞いには泣いていた。

(愛、お前はどうしてそんな顔で俺を見つめる?)

「藤崎くん……」

 藤崎がその表情(かお)を望むのは凪咲。その想いが喉をついて出る。

「……凪、咲」

 無意識に瞼を閉じた藤崎は、気を失うようにして再び寝床に沈んだ。


 御上市を一望する。

 街を縦に割る御上川を御上大橋が渡る。

 橋を一直線に伸ばした東側に住宅街が広がり、西には商店街が広がっていた。

 茶、灰、赤褐色などのタイルが道を作り、真っ直ぐに住宅街を突き抜ける。

「二日後、熾天使様のもとへお前を連れていく」

 泣きじゃくる凪咲。藤崎の時と同様に背中と膝裏に腕を通し、空を駆る蜥蜴の暮羽。

「小娘風情が色号など信じられんが、これは我らが真神の決定」

 覆る事のない主の言葉に、溜め息を吐いて腕の中の少女を見つめた。

「小娘よ、何故に泣く。二日後には人のみならず、我らが天兵を凌駕する地位と力を手にするのだぞ?」

 目の前の現実を受け入れようとせず、こんな事になるのならと今更に後悔する少女。

「我らからすれば羨ましい限りなのだがな……」

 暮羽は黙って凪咲を抱き、遥かな空を駆った。

 目の前で連れ去られる凪咲を前に何も出来なかった事を悔やむ。

「くそっ」

 少年は思いきり壁を叩いた。

「どうすればいい」

 猶予は二日を切る。目を閉じて眠りに落ちていた間にも刻一刻と時間は過ぎていた。

 何をしてでもパートナーとして凪咲を迎えるつもりだった少年は、既に手の届かない所にいる凪咲と自分の失態を嘆く。

 それらは全て、計画(プラン)が水泡に帰した事を言わずもがなに伝える。

「凪咲、お前は俺を求めてはくれないのか」

 万に一つでも可能性があるのならと、結果の見えた勝負に希望を抱く。

F級(クラス)、暮羽」

 油断していたとはいえ、ただの一撃で撃沈した自分を不甲斐なく感じ、それでいて捨て切れない凪咲への執着心。

 どんな手を使ってでも、勝たなければならない。取り戻す。それだけを胸に己の主君を脳裏に浮かべた。

「差し違えても奪い返す」

 理性のままに。幾度と聞かされた鏡界が鏡界であるために必要な個々の心構え。

 その想いを胸に刻み直して、何処にいるとも知らない標的へと矛先を向けた。

「浅葱なる火焔(プラム)。俺の欲望で燃えてくれ」

 主君の意を信念に壁に叩きつけた拳の隙間から、深い緑が立ち上がった。


 学校を飛び出した。特にあてもなく街中を走り回る藤崎悠志。

 空の雲が何気なく浮かんで流されるように、藤崎の足も自然と体を運んでいた。

(凪咲、凪咲っ)

 心の底で誰かが叫んでいるような気さえしていた。

「どこにいる?」

 凪咲がいなければ始まらない、始まれない世界が藤崎を駆り立てる。

(全てはお前で始まるんだ)

 かつて孤独(ひとり)だった少年を浮かべ、そこに灯る光が神々しく輝く。

(あの時のように……)

 水平線に沈む太陽を見下げるように、天高くから満ち月が浮かんでいた。そこにぼんやりと射す光はいつでも少年の傍にいた。

(お前が俺らの光なんだ)

 目の前の景色が開ける。その先に一点、笠音愛の姿を認めた。

「どうして?」

 愛の怒気を帯びた声に足を止める藤崎。

「凪ちゃんには風守くんがいるんでしょ?」

 愛が罵声を浴びせる対象に目を凝らす。愛の言葉からそこにいる人物を特定する。当然のようにそこにいる凪咲は、俯いて愛の言葉に怯えていた。

「私の藤崎くん返してよ」

 沈黙と叫び声を取り巻くように、商店街を歩く人々が並ぶ。

 ひそひそとした声で口々に言葉をばらまく人々は、蔑むように二人を見つめ、根も葉も無い言葉が飛び出る口を隠す。

「愛っ」

 取り巻きをくぐり抜けて、自分を見つめる二人の間に入ると、愛と向き合って両の腕を掴んだ。

「藤崎くん」

 淋しそうな愛の声。

「愛、俺は……」

 言葉に戸惑う藤崎の言葉。

「藤崎くん」

 その二人を割るように後ろから声が飛び、俯いた凪咲の声がか弱く響く。

「凪咲、大丈夫なのか?」

 目の前にいる愛より凪咲を心配する。愛はそれを黙って睨みつけていた。

「大丈夫って、何がかな?」

「あの暮羽とかいう奴に捕まってそれから……」

 話の内容を掴めない愛は顔をしかめて二人の会話に耳を傾けた。

「まさか、解放されたのか?」

「藤崎くんはさっきから、何を言ってるのかな?」

 凪咲は顔を上げて首を傾げる。

「私はお別れを伝えに来たんだよ?」

「なっ……」

 いきなり過ぎる凪咲の言葉に、言葉を失う。

「やっぱり、私も藤崎くんみたいな弱兵じゃなくて、暮羽さんに命令したセラフィムさんの方がいいかなって思うの」

 表情は柔らかく、笑みを浮かべて口を動かす。

 周りを取り巻く通行人は騒然とし始めた。

「だから愛を大切にしてあげて、ねっ」

 翻して背を向けた。右腕をあげる。風が凪咲の髪を揺らした。

「バイバイ」

 寂しそうな背中が、右手を左右に振りながらゆっくりと視界から消えていった。

「凪……咲?」

 愛が藤崎の制服をグイっと掴んだ。

「藤崎くん、私を見て」

 愛の声が響き渡る。聞こえる音の全てが雑音にしか聞こえない藤崎は、凪咲の去った商店街の向こうを見つめていた。

「二股かしら?」

「最近の若い子はやるわねー」

「さっきの子泣いてたわよ」

 たまたま通り掛かっただけの主婦たちが、何も知らないで三人の関係を根拠もなく茶化す。

 欝陶しい。藤崎の心情はそれだけだった。

「黙れ……」

 依然、主婦たちの愚弄は続いている。誰もそれを止めようとはせず、耳に留まった言葉だけで次々と話の輪を広げていった。

「黙れよっ」

 我慢の限界だった。自分が話の中心に立っている事すら忘れて、気付いた時には叫んでいた。後には引けないという想いが、藤崎に声を上げさせた。

「お前らただの凡人が、凪咲の事をとやかく言う筋合いはねえんだよ」

 制服を掴んだ手を振りほどく。愛は驚きと哀しみの表情を混沌とさせ、どうすればいいのか分からずに立ち尽くす。

「人の気持ちも知らないで、蔑む事しか出来ない」

 周りの人間を、目前で目を見開いた愛さえを見下して、何の迷いもなく言い放った。

「凪咲は俺の全てなんだっ」

 途端に愛の膝は折れ、カクンと沈んで地面に手を着いた。

 雨が降る。見るからに重苦しい暗雲が空を埋めていた。

 大きな告白を後に、愛を置いて御上公園の入口に立つ。凪咲の世界が変わった場所。

 降りしきる雨のせいか、人影一つない。

 びしょ濡れになった服を気にする事なく、二席あるブランコの内の一つに座った。

 雨霧が視界を遮り、沈んだ街の風貌さえ見せようとしない。

 ずぶ濡れの頭を抱えて眼を瞑り、俯いて自らの弱さを恨んだ。

(凪咲が俺を必要としない)

 それならば俺は何をすればいい。頭の中で木霊する想い。求めてくれるのならば全てを賭けてそれに応えると胸に決めていた。

 それでも凪咲は藤崎を求めず、その存在理由をなくしてしまった。

(どうすればいい……?)

 藤崎は暫くそのままで雨に打たれ、気付いた時には完全に日が沈んでいた。

 雨は止み、シンと耳鳴りするような静けさが広がっている。

 折角手に入れた異能な力は想いを前には役に立たず、そこで何もできない自らの無力さを嘆いた。


 覚束ない足どりで家に帰り、濡れた服のまま真っ直ぐにベッドに向かう。倒れるように横になった。

「どうすればいいんだよ……」

 天井に己が主を浮かべると、目眩のような急な眠気が全身の自由を奪い、知らぬ間に瞼が落ちていた。

 

 全てを照らし出すかのような眩しい光が、一面の景色に宿る。

 ぼんやりとぼやけ、はっきりと分からない周景が、じんわりと溶けるように色彩が混ざり合う。

 次第に鮮やかだった色調が質素なモノクロへと姿を変え、やがて光を失って闇に呑まれた。

 ポツンと一点。宙に浮いているのか、平面に描かれているのかさえ分からない一つの小さな点を、何故か無性に手にしたいという気持ちが、藤崎の腕を思い切り伸ばした。

 

 サッと光が窓から差し込み、起床を促してくる。

「凪咲っ」

 悪い夢でも見ていた人が、急に目を覚ますような勢いで起き上がり、途端にとてつもない脱力感が身体を襲う。

 びしょびしょに濡れていた服は幾分か湿気を失っており、代わりに服と密着していたベッドのシーツが人型に湿っていた。

 代わりの制服を手に取って洗面所に向かい、濡れた制服を剥ぎ取ってタオルで全身を拭き、先程手にした代えの制服に着替えて鏡を見た。

 目を細くした力ない姿が映し出されている。

 髪がべったりと引っ付いていたり、所々で跳ねている。

 うなだれるような様子で鏡越しにこちらを睨み付ける虚像。

「クソッ」

 思い切り拳を鏡に叩きつけた。考えなしに叩いた鏡には亀裂が入り、破片が飛び散っては細かい欠片が拳を傷付ける。

 漏れだした浅葱炎(プラム)が拳を覆い、刺さった破片を溶かした。

 息苦しさ、むせ返るような空気が肺を圧迫する。台所のソファーに寝転び安静にしていると、次第に呼吸も安定した。


 「ピンポーン」と軽快な音程でベーシックな呼び鈴が鳴り響く。

 ゆっくりと身体を起こして扉の覗き窓から相手を確認して扉を開いた。

「何だ?」

 怒気の篭った声で相手を見る。一瞬たじろいだ愛が、上目使いで恐る恐る藤崎の表情を窺っていた。

「学校……行かないの?」

「何の為にっ?」

 何を暢気にと思った藤崎の口からは自然と荒げた声が出ていた。

 愛を周りを飛び交う蝿のような欝陶しい何かに感じて、全く関係のないにも関わらずに罵声を上げる。

 分かっていた。自分の無力が導いた運命なのだと。

「……すまない、一人にしてくれ」

 それでもやる瀬ない気持ちが、藤崎の顔を愛の視線から背けさせる。

「私は藤崎くんと一緒にいたいの」

 扉を閉めようとノブに手をかけた所で、愛の張った声が響き渡る。背の低い小柄な愛が、はっきりとした目つきで藤崎を見つめていた。

「藤崎くんが何処かに行くっていうんなら、私も絶対に着いてく」

 欝陶しい。そうとしか考えていなかった自分を見返り、途端にフッという溜め息混じりの呆れのような安堵が藤崎を包んだ。

「ちょっと待ってろ」

 扉を開けっ放しにして部屋に戻る。

(愛も同じなんだ……)

 自分となんら変わらない、藤崎自身が凪咲に抱いている"一緒にいたい"という気持ちが、愛の中にもある事を嬉しく思った。

祝炎(プラム)

 机に置いた指輪を手に取り、左の中指に嵌めた。

「行かれるのですか我が主よ」

「ああ、蜥蜴狩りの始まりだな」

 おしとやかな調子を思わせるゆったりとした声の相棒と一言だけ言葉を交わして、家を飛び出した。

「待たせたな」

 目一杯首を振る愛。ペットのような(あい)らしさが伝わってくる。

(俺が凪咲を必要とするように、愛も俺を必要としている)

 ゆっくりと愛の歩調を気にしながら、鞄も持たずに通学路を歩き始めた。

 さんさんと降り注ぐ太陽の日差し。昨日の暗雲はどこに消えたのかと思うほど満天の青空が広がり、空には雲一つなく街中が照らし出されていた。

「愛……」

 目を合わせないように真っ直ぐ前に視線を送る藤崎。

 ちらりと横目に覗くと、案の定、愛は藤崎の横顔を窺って不思議そうな顔をしていた。

「お前は俺についてくると言った」

 うんうんと頷いて必死な視線が藤崎を見つめる。

「だが、俺は凪咲を追う」

 愛はびくっと体を小さく揺らして視線を落とした。叱られた子どものようにしょんぼりとした装い。

「それでもお前も来るのか?」

 落とした視線が返り、何かを訴えようと愛の瞳が藤崎の目を捕らえる。

「俺が凪咲を追ったとしても、お前は俺を求めるのか?」

「私は……」

 忙しく表情を変え、視線をうろうろさせて戸惑いを感じさせる。自らを求めない人に着いていく事がどれだけ無意味で無様な事か、考えただけでも手を引くべきだという答えが浮かび上がる。

「お前が求めるのなら」

 落とした視線をもう一度藤崎に向けた。

「俺もそれに応えよう」

 表情が変わる。喜びといった簡単なものではなく、戸惑いのような感情が見え隠れてしていた。

 刹那の時を長く長く感じさせる。愛は胸に込み上げてくる想いに押し流されんと必死に堪え、鳴り響く心臓の鼓動を落ち着けるように言葉を紡ぐ。

「着いて行きます、どこまでも」

 立ち止まって腰の前で両手で鞄を持つ。ピンと綺麗な姿勢で貫くような真剣な眼差しを送る愛。

「藤崎くんが凪咲を追うように、私も藤崎くんを……」

「ありがとう」

 愛の言葉を遮って、素直に礼を告げた。嬉しい気持ちが喉をついて出た。藤崎は前を向いて一歩を踏み出す。それに連れて愛も一歩踏み出した。

 ゆっくりと並行して歩いていく。互いに嬉しさや有り難さから来る気持ちを十分に胸で噛み締めて、ゆっくりとゆっくりと歩いて行く。

 暫く歩くと突然に横道から凪咲が飛び出してきた。凪咲の通学路とは掛け離れた道順。それに気付いても敢えて口にせず、事の成り行きを見守る藤崎。

「あ、おはよ。ごめん用事あるから先行くね」

 そう言って直ぐさま走り去った。

 昨日の事など何でもなかったかの様子で意気揚々とした姿が、藤崎が目論んでいる事を拒んでくる。

「凪咲、怒ってるのかな?」

 愛は眉をへの字に曲げた心配そうな面持ちで、凪咲の走り去った跡を見つめていた。

「凪咲はそんな小さな人間じゃない。心配するな、俺が保証する」

 苦笑いのような微笑みが、チラッと藤崎を覗いた。

「私の好敵手(ライバル)的な位置にいる凪咲の良い所を保証されてもね」

 溜め息を吐いて鞄を持ち替えた。久しくさえ感じる藤崎との日常的な会話を心底から楽しむ。

「藤崎くんは凪咲のどういう所が好きなの?」

 全く考える間もなく何かを思い出しているかのように答える。

「強さ……だな」

 それから二人はゆっくりと歩きながら、学校に着くまで会話を楽しんだ。


 道程の途中で亜利栖と合流し、愛と二人で凪咲の話をしていた。

 亜利栖は本当に人形じゃないのかと疑うほどに顔立ちが整っており、見る度に初めて顔を会わした時の事を思い出す藤崎。

 両者ただ呆然と棒立ち状態のまま睨めっこ。終いには亜利栖がニコッと笑い、それに釣られて藤崎も笑顔を浮かべていた。

 人形のような愛らしい見た目とは裏腹に、芯の強い亜利栖は藤崎と同様に凪咲を慕った。

 愛が藤崎に投げた"凪咲の何処が好きか"といった問いにも、同じ様に強さと答えていた。

 学校に着いて亜利栖と別れ、愛と藤崎は教室に向かう。

 教室に人影は少なく、清淀祭に出す催し物の準備を任された各委員の一部と、体育倶楽部の若干名が朝早くから登校していた。

「よっ、今日は早いな。手伝いに来てくれたのか?」

「まさか、そんな訳ないだろ」

「だろうな」

 いつものように悪意混じりの挨拶を交わす。

「如月来てないか?」

「いや、まだ見てないな」

 辺りを見渡し、それを確認する。

 登校している生徒の殆どは男子で、数えるほどしかいない女子は看板の飾り付けや色付けなどの細かい作業にあたっていた。

「おかしいな、先に来てた筈なのに」

「如月が?」

 そう言ったかと思うと応えた生徒が周りの生徒に聞き取りを始める。

 如月凪咲は御上高校に於いて六割以上の生徒が知るという有名人。あっという間にその所在が掴めた。

「如月さんなら職員室で久保田先生と話してたよ」

 藤崎たちとは面識もない別のクラスの生徒が窓越しに言った。

「何か用なのか?」

 教室内で藤崎と初めに言葉を交わした雅人が疑問を込めて聞く。黙々と作業をしていた生徒たちも腕を止めて藤崎を見つめた。

「用という程のもんじゃないさ。ちょっと凪咲の様子がいつもと違ったから……」

 一昨日の事、昨日の事。考えれば分からなくもないが、わざわざ不安がらせることもないと踏んで言葉を曖昧にする。

 鏡界(アニマ=アニムス)の話をしたところで、祝炎(プラム)の見えない人間(ヒト)に信じられるわけがなかったからである。

「気にするな、たぶん俺の勘違いだ」

 ハハッと笑ってみせる藤崎の制服の裾を愛が引っ張った。

 視線は藤崎を見つめて無言で外を指差す。窓から外を覗き見ると、そこには凪咲の姿があった。

「何してんだ?」

 同じ様に覗き込んだ雅人が作業片手に言った。

「走ってる……のか?」

 グランドを颯爽と駆け回る姿が凜と映えていた。長い髪を長い鉢巻きで纏めてポニーテールにしている。

「あいつ陸上部だったか?」

 馬鹿な男子たちが見たままの景色に口を揃える。呆れた女子が男子たちの間違いを訂正した。

「如月さんは踊り部でしょ」

 御上高校の部活は幅広い。その中でも踊り部はこの一年で大きく形を変えた。

 正式にはダンス部と呼ばれ、ストリートやブレイクダンスを始め、ジャズやヒップホップ、果ては舞踊などで構成されている。

 凪咲が一年の時の踊り部による舞台演技はまさに圧巻で、従来の文化祭を大きく上回る盛り上がりを見せた。

 凪咲はそれが理由で有名人となり得、それ以来様々な面で教職員からも一目置かれている。

「凪咲、どうかしたのかな?」

 凪咲を見つめたままの藤崎に、同じ様に凪咲を見つめたままの愛が言う。

 二人はただ呆然と凪咲を見つめ、軽快に走り回る様子と今朝の言葉との差異を感じていた。

 広がる眺望を呆けて眺め、いつの間にか鳴り終わったチャイムに気付いた時には凪咲の姿はグランドにはなかった。

「席に着けー。出席を取るぞ」

 藤崎たちの担任である久保田誠一がネクタイをきちっと絞めて確認しながら入って来る。

 出席簿を広げて辺りを見渡し、席に着いた生徒を数えていく。いつもと変わらない平穏な時間。

 あの日、あの時、あの手に誘われた時からずっとずれていた藤崎の時間。ゆったりとして、それでいて肩にのしかかるものもない平穏な世界。

 藤崎が今をそう思うのも緊張に縛られた身体が解放されたがっていたからだった。

「えー、皆に誠に残念な報せがある」

 凪咲のいない教室に久保田の重苦しい声が不穏な予兆を響かせると、日常的な会話で盛り上がるはずのクラスの興奮はサッと鎮まった。

 扉を開いて凪咲が体操着のまま息を荒くして入って来た。頭には鉢巻きを巻いたままで汗に塗れた体操服が肌に引っ付いて艶かしい身体のラインを際立たせた。

 汗だくの表情に涼しい顔を浮かべる。

「本日をもって」

 出来過ぎたシチュエーションが藤崎の想いを掻き立てる。久保田の口を塞ぎたかった藤崎は、金縛りの恐れに身体を縛り付けられて動けなかった。

 立つ事も出来ず、口を開く事も出来ず、ただ呆然と眺められるだけの景色を怨んだ。

「如月は御上高校を退学します」

 藤崎は何も出来ずにガタンと椅子を引く音を聞いた。





第三章完読ありがとうございました。


此処で一つお詫び申し上げます(汗

先日、二章における一部のページが重複し、皆様にはご迷惑をおかけしました。


そこでですが、この場を借りてお願いしたいことがあります。


作品を読んでいる時に、「これは間違いでは?」と思う部分を見つけましたら、メッセージや評価機能を利用して、ご通達願えないでしょうか?


お手数をおかけすることは重々承知していますし、そのような事にならないようにも気をつけます。


もし、「これは?」と思う部分がありましたら連絡お願いします。(普通の感想も大歓迎。作者の更新意欲が湧きますw)


それでは

「ACT.4 明鏡止水」

でお会いしましょう♪

Good bye(*^▽^*)/

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