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ノルンの足枷  作者: Ainia
1/7

ACT.1 青天霹靂

初めましてアイニャです。

当作品が私の処女作となります。

基本的にはライトノベルの執筆に近い形式で文章を綴っていますので、縦読みで読んで頂いた方が雰囲気が出るかもしれません。

また、暖かい目で見守ってやって下さいというお願いと共に、今後の連載において出血などの表現が含まれる可能性がある旨をお伝えします。

それではお楽しみ下さい。


 千を守る為に一を殺す事が悪なのか?


 一を守る為に千を殺す事が悪なのか?


 世界はそれらを認めない。


 認められるのは私だけ。


    Milshelc Ainia



 始まりはいつもそうだった。

 茜色の空の向こうにありもしない理想郷を願った。その瞬間の一部始終をこの身に刻んでただひたすらにもがいてたんだ。

 丁度一年前。彼は、何の便りも寄こさないままこの町を去っていった。

 彼に積み重ねられた罪はどれほどに重いのか、その時初めて気付いたんだ。

 それ以来、私はこの御上市でどうにも詰まらないマンネリ化した日常を過ごしていたんだ。

 黎明も過ぎぬ間に広がる薄霧の中、町中を日の光が色取り取りに彩っていく。霧で出来た雲海は、微かに朝の予兆を匂わせる。

 道路、ビル、住宅街。その各々が朝を迎える度にそれぞれの色に染まり、それは夕暮れと共に常夜に沈む。

 それはごく当たり前でこの世の日常、どこにだってある景色だった。

 午前零時を境に一日という習慣単位が入れ替わり、また新しい一日に興奮する人間もいれば、勿論その繰り返しに疲れきった人間もいた。

 しかしその日常も、運命という容赦もない神の試練によって軽々と覆される。

 そう、始まりはいつもそうだった。

 茜色の空の向こうにありもしない理想郷を願った。その瞬間の一部始終をこの身に刻んでただひたすらにもがいてたんだ。



 列を連ねたカラスたちが我が家へと帰路を辿る。沈みかけた太陽は雲に隠れ、ぼやけた灯が隙間から射し光る。

「ねぇ凪ちゃん?」

 公園に植えられた木々の葉がそよ風にざわめく。

「藤崎くんの事なんだけどさ……」

 公園のブランコに二人の学生。ゆらゆら揺れて会話を交わす。

「私の事どう思ってるのかな?」

 一人の少女が一方的に言葉を並べ、もう一人の少女に尋ねる。

 ここ最近の口癖になっている事にも気付かない問い掛けた少女は、何気なく空を見上げる少女の返答を待つ。

「どうって……ね」

 髪を二つに束ねたツインテールの(まな)は、愛想の無い返事に頬を膨らませて隣に座った少女の顔を見つめる。

「何よ、その呆れたような顔は……」

 怒った風を装うが、隣の凪咲(なぎさ)はそのままの調子で言葉を返す。

「うん……そのね、今さっきまで誰とどうしてた?」

 他愛もない会話が二人の時間を刻んでいく。

「凪ちゃんと公園入って……」

「その前っ」

 声を荒げて愛の言葉を遮る。途端、強風が木々を吹きさらして過ぎ去った。

「えーっと」

 両の人差し指を頬に押し付けて、満面の笑みで続く言葉を紡ぐ。

「藤崎くんとイチャイチャ……ぐっ」

 愛の頭頂に凪咲の手刀が振り下ろされた。

「いったーいっ」

 ツインテールの少女は頬からズレた両手で頭を抑え、装いの涙目で目の前の少女を見つめる。

「どうして叩くのよ」

「もう一回叩かれたい?」

「遠慮します」

 愛の悪気満々な言葉に、何処か異様な雰囲気を醸し出す凪咲の満面の笑顔が応対する。率直に身の危険を察知した愛は、凪咲の行動制しに移った。

「ったくもう、愛と藤崎くんがくっついて歩いてる傍を歩く私の気持ちも考えてよね」

 そっぽを向いて、風に靡く髪を手櫛で解く。雲間から眩しいほどの橙色が射した。

「しょうがないじゃん、付き合ってぶっ」

 再び愛の頭に手刀が減り込んだ。

 性懲りもなく同意の言葉を繰り返す少女は、その結果が導き出す自らへの叱責を込めた手刀を敢えて受け、その上でもまだ男性との仲を知らしめたいのである。

「もう、痛いってば」

「はいはい」

 最低限の抵抗も軽く流され虚空に消える。

 白を基調としたブレザーに色取りどりのアクセントを添えた幾つもの装飾。

 二人の少女はそのブレザーに身を包んで揺られていた。

「私だってね、空さえいてくれれば……」

 凪咲の漏らした言葉を聞いた途端、愛の身体が硬直と微々たる震えに変わる。

「ま、まだ彼の事を……?」

「うん」

 即答。

 今まで以上に陽気な笑顔で雲間から射す光とその下に広がる街並みを見渡す。高地に設置された公園からは街が一望出来た。

「空は絶対あんな事しない……愛だって、多分……」

 不意に流れ込んだ一つの会話が、二人の間の空気を重くする。

 木々を揺らし、髪を靡かせていた風が嘘のように止み、代わりに沈黙を置いていった。

「ごめん……そろそろ帰ろっか? ホントごめん、気にしないで」

 俯き顔を上げようとしない少女に気をかけ、言葉を選定するが少女の反応は鈍い。

「風守くん……か」

 かすれるような小さな声は、確かな余韻を残しながら広がっていく。

「帰って来たら……いいのにね」

「えっ」

 予想だにしない言葉が紡がれ、動揺を露にする。

「うん……」

 ゆっくりと加減を弱くする動揺は相槌の意味を不覚した。

 それから二人は徐にブランコ台の上に立ち、大きく蹴って飛び立った。


 街の光にぼやけた夜空に微かな星々が煌めく。夕暮れに満ちた雲は流れていた。

 凪咲は家に着き「ただいま」の挨拶と共に「おかえり」の返事を受け取る。

 いつものように風呂場に向かってシャワーの蛇口をひねり、スタスタと制服を脱ぎ捨てた。

 長くしなやかな黒髪が艶やかな肌にかかる。出しっぱなしのシャワーから溢れる水は、緩やかに熱を帯びた温水に変わる。

(冷ったーい)

「気持ちいーい」

 掌にシャワーを浴びせ、副音声を胸に秘めて快感を言葉にした。

 熱を持ったとはいえ殆ど水に近いそれは、夏盛りの季節には心地良い刺激を与える。

 腕や足などの末端から胴体に向かって洗っていく。

 その後で体全面にシャワーから溢れる水を被り、髪の毛に潤いを齎した。

 スッと髪の毛が縦に落ち、髪に当たった水を吸い込むようにして滴り落としていく。

 瞼を閉じて顔面にシャワーを浴びる。弾いた滴が綺麗な孤を描いて床に落ちた。

 濡れた髪が纏まる。砂埃に吹き晒された髪は求めるようにして水分を奪った。

「空、今どこに……?」

 風呂窓の隙間から覗く星空は静か。サラッと揺れる木の葉。閉じ瞼のような太い三日月が御上市を照らしていた。


 汚れを洗い流した体。付着した滴を拭き取り、バスタオルを体に巻き、一回り小さなタオルを頭に被せて風呂場を出る。

 コツコツとまな板を叩く音が響き、ふんわりとスパイスの香りが漂った。

「ねぇお母さん?」

 階段を昇りながら声を高らかに上げる。床は木製の為か小さくキシキシと軋む。

「進路っていつ頃決めた?」

 私室に入り、箪笥から綺麗に整えられた服を取り出す。

 下着を着用し、薄手の白いシャツに黒みがかった赤いラフなズボンを合わせる。

 服の上からでも微かに見てとれる体のラインは標準女性の体型に重なり、胸の発育だけが気になっていた。

 しかし、俗にまな板と呼ばれる程ではなく、愛や周囲の女性陣と比べると、つい見劣りしてしまう程度である。

 それでも彼女は比較的人気があり、男女間の会話に分け隔てなく接する様は、雄弁な会話の架け橋として成っていた。

「どうしたのよ? 凪咲は華奈大学行くんでしょ?」

 腕を止めて応じる母親の声。父親は外交事業の仕事の為に幾つもの国を転々と回っていた。

 多忙なのか、家に戻るのは年に三回程度。妻子の誕生日と結婚記念日ぐらいである。

 その為、凪咲は人生の大半を母親である千代(ちよ)に女手一つで育てられた。

 幾つもの苦難もあったが、本人の凪咲は何不自由なく過ごしてきたと自負している。

「そうなんだけどさー、高校になって色々あるとね……」

 服を着る際に捨て置いたタオルを拾い、風呂場に投げ込みリビングに移動した。

 木製の床は暖かい質感を持ち、窓から吹き抜ける風が風呂上がりの凪咲の身体を冷やす。

「どこか、気になる進学先でもあるの?」

 母親は出来上がった夕食を食卓に運びながら、ソファに座り込んだ凪咲を食事へと催促する。

 箸とグラスを用意し、冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出した。

「うーん、ちょっと一年ほど前までは皆と一緒でいいかなとかも考えてたんだけど、将来のこととかも考えるとやっぱり真剣に考えるべきかなとか思ったりもするのよね」

 千代の作り上げた料理を一緒に運び、その香りに酔う。

 自慢にも凪咲の母親は料理が上手い。しかも、ただ上手いのではなくあらゆる国に精通する腕前を持っている。

 和食はもちろんのこと、欧米料理や中華料理など何をやらせてみても失敗はしない。

 兎の模様がプリントされた桃色の箸。涼しさを感じさせる風鈴が描かれた透明のグラス。いかにも清涼感を漂わせる。

「いただきます」

「はい、いただきましょう」

 母親はまだ若い。無邪気な笑顔は未だに周囲の男たちを惑わせる。

 その母親が微笑む様はまるで天使。過剰表現の賜ともとれるその表現は彼女の容姿を物語った。

 外から虫たちの騒ぎ声が微かに響き、食卓に音楽を奏でていく。

「いいんじゃないの?」

 口に崩したジャガイモを運びながら口を開く。

「凪咲が行きたい場所にいけばいいのよ。それが進学じゃなくってもね」

 ふっくらと炊きあがったご飯と一緒にアスパラガスを巻いた肉を口へと運んでいく。

 ほくほくと口を動かして、至福の時間を過ごしていく。

「始めから敷かれた道なんてないの」

 秋刀魚の味醂干しを箸で突く。

「道ってのはね、踏みしめて初めて形を成すのよ。だから、凪咲は自分だけの道を行きなさい」

 いつの間にか千代の視線は凪咲を見つめる。強い眼差しはいつのも穏やかさを感じさせない。かと思うと次の瞬間にはいつのも朗らかな様子に戻っていた。

「言ってみれば、(はじめ)さんの受け売りなんだけどね」

 天使が再び微笑んだ。

「お母さん……ありがと」

 千代は微笑みで凪咲に応じる。

 その後は終始無言で、食事を済ませた二人は各自の部屋に戻っていった。


 安閑の時が流れる……。

 特にすることもなく、ただぼんやりと星空を眺める。ぼうっとしているといつもあの景色がチラホラと映る。

 丁度一年前ぐらいの暑い夏の日。

 

 夕焼けを背にした少年が一人、並んだ死体を前に刃物を握る。

 一目で怖気が走る景色に意識が揺らぐ。

 空なのだろうか……。いつか祭りの日に見た服装が目の前の景色に映る。

「風守……くん?」

 薄れ行く意識の中に映る少年にそっと手を伸ばした。

 助けを求めたのだろうか……。今にしてみればあの時の私は何を考えていたのか分からない。

「そ……ら……」

 震える声を必死に紡ぎながら、ひたすら手を前に差した。

 そしてそのまま視界が闇に染まった。眼を覚ましたのは二日後の夕方。まだ日が沈みきらない頃の病院で親に伝えられた。

 窓から見える景色に少年を浮かべる。

「空……」

 それから一週間して空がこの街を去ったことを告げられる。

 突然の言葉に私はその場で気を失ったらしい……。

 私には暫くの記憶がない。


 思い描いた世界は脆く。たった一度の事象で崩れ去った。

 今も胸に抱く少年は同じこの星空の下に。ただそれだけは変わらないだろうと信じて、いつものようにこの空を見つめる。大きく広いこの空の名を冠した少年、風守かざもりそら

いつになっても忘れない。私から何もかもを奪って、どこかに去っていったあの少年を……。


 むせかえるような湿っぽい空気とジリジリと焼くように射す光が、刻一刻と時を刻む時計の目覚ましと共に凪咲を睡眠から引きずり出す。

「凪咲ー、休みだからっていつまでも寝てないで早くご飯食べてくれないと朝食片せないでしょ」

 母親の声がリビングから廊下を通して凪咲の部屋まで響き渡る。

「はーい」

 適当に応じてベッドから身を起こす。途端、目の前が真っ暗になりフラっと足が沈む。

「……」

 ノイズのような何かが頭に響き、すぐに視界が元に戻る。

「立ち……眩み?」

 起きたばかりの血圧が下がった状態で急に立ち上がった為に立ち眩む。

 ドアノブに手をかけ、頭を扉に持たれ掛ける。ゆっくりと、しかしはっきりとし始めた意識の中、ドアノブを回した。

すぐ目の前に階段。トントンと軽快に音を立てながらリビングに下りていった。

 早速、椅子に掛けて朝食を片し始める。芳醇な味噌の香りが食欲をそそる。

「前日8月20日午後6時20分頃、御上市新倉町新通り三丁目で柳幸太郎さんの遺体がゴミ箱の中から発見されました」

 テレビからアナウンサーの声が流れる。画面には広がった血液が染み込んだ地面とその周りの景色が映し出される。

「同日6時30分頃、御上市百合也町の蔵本さんのご自宅で蔵本雄三さんの遺体が発見されました」

 音声と共に流れるニュースは、平穏な常日頃起こることの中で唯一の汚点。

「どちらも身体を無残に刻まれ、肢体をバラバラにされ額には血で赤い模様が描かれています」

 モザイクの掛かった部屋が映る。正直、モザイクをかけるなら映さなければいいもののなどと考える凪咲をよそに、何かで聞き覚えのある音楽が流れる。

 ドラマだっただろうか、音楽番組だっただろうか、いつの間にか思考は音楽の方に向けられていた。

 そうしている間に食事を終え、徐に腰を上げて食器を流し台に運ぶ。食べかけの料理にはラップをかけ冷蔵庫に保管した。

 自分の部屋に戻り、ハンガーに掛けてあった制服を手に取る。その服をベッドに投げ出し、何かを思い出したかのように洗面所に向かった。

 鏡に映るのくしゃくしゃな髪の毛。スラッと長い髪が真っ直ぐ下に垂れてはいるが、ところどころその髪の毛が跳ねている。

「あーもうっ、何でお母さん一言も……」

 そう口にするより早く櫛で解く。本人が思うより簡単に跳ねは直り、ホッと溜め息を吐くとゆっくりとした調子で部屋へと戻り制服に着替えた。


「行ってきまーす」

 威勢のいい声と共にドアノブを回し押し開く。光が差し込み景色が様々な色に染まっていく。

 虫食いにあった木々の葉や、水やりを終えた花壇の花々。それぞれ個々の色彩が綺麗に彩られていった。

 目の前の通学路を自転車が幾台も通り過ぎていく。空には薄く雲が広がり、青空を水色に染める。

「おはよー」

 いつもの声が聞こえる。

 遠くから手を振りながら走ってくる女性は愛。

 常に元気であるかの様子を思わせる愛は、スカートをひらりと風に舞わせながら鞄を左手に提げている。女の子らしい小さなマスコットの人形を幾つか付けている点以外は特に装飾のない質素な革の鞄。

「おはよ」

 はにかんで微笑む。母に似た天使の笑顔。

「今日もご機嫌だね」

 えへへと笑う愛をよそに、凪咲はちゃくちゃくと歩を進めていく。

 ゆっくりとした調子で歩く凪咲に追い付いた愛は、お決まりの文句で挨拶を交わす。

「ちょっと待ってよー」

「どうしたの?」

 今更になって足を止め、きょとんとした顔で愛を見る。

「いや、ゴメン。もう待たなくていいや」

 目を棒にして凪咲の愛想もない意地悪を流した。

 フフッと柔らかに笑い、風が髪を緩やかに靡かせる。ふんわりと甘い香水の香りが漂い、空気の波がそれを運んでいく。

「ごめんごめん」

 依然笑った調子で足を並べる。

「いいよ。いつもの事だし」

 乱れた髪を直しつつ、凪咲の歩調に合わせて歩いた。

 凪咲より少し小柄な愛は、歩幅の違いから少し競歩気味になっている。

「もう慣れたよ、凪ちゃんの意地悪には」

 表情を少し歪めて呆れたように溜息を吐く。

「いつもの帰り道の仕返しだよ。これでもまだ足りないぐらいだけど」

 口元は悪魔のようにニヤリと微笑を浮かべ、細めた横目で愛を見つめた。

 右手に提げた鞄を左手に持ち替えて、同調で歩いていく。

 いつもの時間、いつもの平穏。ただ一つ違うのは、休日であるにも関わらず学校へ向かっているという事。

 三日後に迫った清淀祭(せいてんさい)。御上高校の生徒はそれに催し物を出す事を決められていた。

 クラス単位で出される催しは毎年好評で、その商業利益は学級費或いは部費、はたまた学校の運営費に貢献していた。

 その為、生徒たちの熱意は凄い。我こそが一番とあらゆる思考を展開し、そこに自分たちの頂点を見るのだった。


 御上高校の校門が見える頃には、道の中心を街路樹である染井吉野が立ち並ぶ。学生たちの通学路である大通りを半分に分ける。

 その木陰から漏れる木漏れ日と輝く緑葉が幻想的な景色を作りだし、凪咲の瞳を奪っていく。

「おっはよーっ」

 その声が大きく響くと同時に、後ろから凪咲の脇を二本の腕がかい潜り、双丘を握りしめた。

「ひゃわっ」

 驚きと恥ずかしさが声になって響き渡る。

 双丘は単に触れられるといった程度ではなく、パン生地を捏るようにグイグイと揉まれる。

「ちょっ、亜利栖(ありす)やめっ……あっ」

 腕は制服の中に侵入し、横腹の辺りでうごめいた。

「はーい、亜利栖そこでストップ。凪咲が皆の前で晒し物になっちゃってるから止めてあげないと凪ちゃん泣いちゃうよ?」

 二本の腕はピクリと動きを止め、当事者は紅潮し、瞼にうっすら帯びた滴が浮かぶ標的の顔を覗き込む。

 滲み出した涙が瞳に溜まりうるうると煌めいた。

「ごっ……めんなさいっ」

 向き直りつつ零れた涙を拭う凪咲に、亜利栖の腰が曲がる。

「亜利栖さー。そろそろその凪ちゃんを見つけると意識を飛ばして襲い掛かる癖治した方がいいよ?」

 あたふたとした少女は表情を激変させ、凪咲に襲い掛かった時とは別人のように幼い顔を愛に向けた。

 愛は呆れたように溜息を吐き、(なだ)めるように口を開いた。

「亜利栖はさ、凪ちゃんが好きなんだよね」

 少女は零れた涙をものともせず、コクリと首を縦に振る。

「でもさ、その変癖治さないとこう毎日胸を扱かれてる凪ちゃんは皆に醜態を晒しちゃうし、それが原因で亜利栖の事嫌いになっちゃうかもだよ」

 亜利栖は瞳に涙を溜めて今にも零れ落ちそうなほどに目元を潤わせる。

「でも、でも……」

 凪咲、愛、凪咲と何度も表情を伺うように反復する少女の顔。黒く真っ直ぐ伸びた髪は凪咲にそっくりで、外見だけは入学当初の凪咲そっくりだと周囲から(ほの)めかされている。それも、亜利栖が凪咲を好くあまりに真似てしまっているのが原因である。

 凪咲や愛たちより二つ下の亜利栖は一目で凪咲に惚れ、凪咲を真似る事を始め、当事の凪咲はそれを光栄に思い、また妹が出来たみたいだと喜んだのだが、亜利栖の好意は異常でその好意はエスカレートしていった。

 その結果が、凪咲を見つけると意識が飛び、凪咲に襲い掛かってしまうという変癖を生み出したのである。

 ツインテールの巻髪と幼過ぎる童顔が、まるで人形を思わせる亜利栖。表情を変えたり、涙を流したりさえしなければそれこそ高価な人形と間違われて持ち去られそうな程である。

「大丈夫、だよ亜利栖」

 微かに治まった紅潮に羞恥を感じながらも微笑んで話す凪咲。

 乱れた服を直しつつ、亜利栖を真正面に捉えて手を握る。

 俯いた少女はハッと顔を上げて、憧れの女性を見つめる。

「ご……めんなさい」

「ちょっとビックリしただけだから、もう大丈夫……あっそうだ」

 ギュッと握った手を開いて、掌に髪留めを乗せた。

「亜利栖、誕生日おめでと」

 満面の笑みで亜利栖に微笑みかけ、それを受けた亜利栖の涙顔は驚愕に変わり、驚愕は歓喜に変わった。

「えっ? えっ?」

 先程と同様に凪咲と愛の顔を何度も繰り返し往復する。

「あ……でも、えっ?」

 何が起こってるのか分からない風に相変わらずきょとんとした顔がクリクリと瞳を動かす。

「たんじょーび」

「誕生日」

 二人は大きく息を吸った。

「おめでとうっ」

 二人は大きく息を吐いた。

 溜まりに溜まった涙が、ダムによってせき止められていた貯水の放水のように急激に溢れ出す。

「凪、咲さまーっ」

 震えた声で大きく声を上げ、両の腕を広げて飛び付いた。

 凪咲はそれを大切な人形でも受けるように受け止める。

「これからも、これからもっ」

 抱きしめた腕を凪咲の肩に添えて、ピンと伸ばして距離をとる。

「凪咲様が大好きです」

 全く凪咲以外が見えていない亜利栖は、自分の想いを率直に叫んだ。

 凪咲は多少たじろいだが、治まりかけていた紅潮を再び露にして微笑んだ。

「ありがと。でもごめんね?」

「え?」

 何度目だろうか、きょとんとした顔が凪咲を見つめる。

「昨日、愛から聞いたばかりで誕生日にこんな物しかあげられなくて」

 首を思い切り横に振って凪咲の言葉を切り捨てる。

「凪咲様の物だから、だから嬉しいの」

 少女の瞳は真剣そのもの。先程までの幼い様子は何処へやら、今の亜利栖の眼は鋭く強い。

「憧れの凪咲様が使ってた物だから……」

 凪咲は亜利栖の握る髪留めを手に取り、目に掛かった髪を花の金具で装飾された髪留めで左掛けに留めた。

 「ワアッ」と周囲から歓声が上がり、腕を組んで愛は頷く。凪咲はニコッと笑って小さく「いつもありがと」と呟いた。

「似合ってるよ」

 凪咲の言葉を最後に亜利栖はその場で崩れ落ち、わんわんと泣き叫んだ。

 その場の朗らかな雰囲気に見取れ、喜劇にもらい泣きし、足を止めた生徒たちが予鈴のチャイムが鳴り終わった後だという事に気付くのはこの三分後の話。


 校門が閉まっていた。

 案の定遅刻した生徒たちは一人ひとり校門の横にある小門から校内に入る。

 見るからに体育会系を連想させる強靭な肢体の男性教師と相反する華奢な女性教師。

「はい次っ」

 一人ずつ学年と組、出席番号を述べて女性教師の手にしたカルテに記帳される。

「2年4組9番」

 このカルテは全生徒の出席を確認した後に御上校ホストコンピュータに入力され、出席状況を徹底管理される。

「諏訪くんね?」

「はい」

「最近遅刻気味だから気をつけなさいね。はい次っ」

 勿論そのカルテの中には"如月凪咲""笠音愛""絵沼亜利栖"の三人の名前もあった。

如月(きさらぎ)さんに笠音(かさね)さん、それに絵沼(えぬま)さん。貴方たちはまた揃いも揃って……」

 悪態を吐きながら、三人のクラスや出席番号を聞くまでもなくカルテにチェックを入れた。

「貴方たち成績は良いのだけど、こうも遅刻ばかりしてると校内選考から外されるわよ」

 呆れた風を装い、そのまま手でシッシッと払い次の生徒の情報をカルテに記入していく。

「気をつけまーす」

 愛が反省していないような態度で適当に言葉を吐き捨てると、そそくさと自分のクラスに向かって歩き出した。

 亜利栖と別れ、凪咲と愛は教室へと向かう。

「ったくあの眼鏡」

「眼鏡なんて言ったら細川先生が可哀相だよ」

 愛の言葉を受けた凪咲は微笑しながら言葉を返す。

 廊下には生徒は一人もいない代わりに、教師とは何度もすれ違う。

 その度に挨拶をしなければいけないのを愛は苦痛に感じていた。

「おはようございます」

「お早う」

 クールビズ。教師たちの着る服は薄手の生地になっており、至るところに風合いを良くする工夫が見られる。

 また一人、教師が胸を張って歩いて来た。

「おはようございます」

「おっ」

 手を上げて気付いたという事を合図し、そのまま通り過ぎた。

 まともな挨拶を返さない教師に苛立ちのようなうやむやを抱いたまま、二人は自らの教室をひっそりと覗き込み様子を窺った。

「如月、笠音」

 ポンと両生徒の右肩と左肩に手を置き、声をかける教師がいた。

「お前らはまた遅刻か? 最近多いぞ」

 男は乗せた手を退かせて廊下の端に視線を向け、真逆の方にも視線を変えた。

「例の如月に纏わり付く生徒が原因なら、その子の担任に言って聞かせるように伝えておくが……」

「結構です。彼女は関係ありませんから」

 胸の前で掌を前に向けた右手を小さく左右に揺らす。

 紛らわすように微笑んで、首を右に傾けた。

「そうか……しかし、気を付けろよ。笠音はともかく如月は当校始まって以来の」

「迷惑です」

 教師の言葉を制して大きく口にした。

 先程までの揚々とした調子を微塵も感じさせない鋭い瞳。

 教師という地位に立つ人間を完全に否定するような醜悪の塊。

「貴方たち教師は成績だけにしか関心を持てないのですか?」

 教師は動揺し、たじろぐ。

 コホンと咳ばらいをして体勢を立て直し、凪咲に眼を合わせないように視線をそらした。

「ま、まぁ、教師という立場上はだな……お前たち生徒を安全に、より優秀な進学或いは就職に……」

「では窺います」

 教師のおどおどとした言葉は簡単に遮られる。

「久保田先生一個人としては、私たち二人をどう思ってますか?」

 沈黙が流れる。

 異変に気付いた生徒は担任に気付かれないように窓からその顛末を見守り、友達へと情報を回していく。

「先生は……だな、お前たち二人にはより良い進学をと……」

「偽善ですね」

 思いもよらない言葉が紡がれる。

「それに答えがおかしい」

 徹底した重圧。

 凪咲は教師を見下した。

「私は進学するつもりですが愛は就職です。間違えないで下さい。それに……」

 教師の血の気がひく。

 怖気のような何かが教師を煽った。

「私は久保田先生のいう良い学校などに行くつもりは毛頭ありません」

 男性教師の株価が大暴落した。

「教師という立場に立つ事で自らに自惚れ、自分の力量をも(わきま)えず、成績の良い生徒のみを抜粋して成績の優秀な進学先へと送り出す」

 もはや教師に言葉はない。

 ただひたすらと一人の生徒の言葉に耳を傾けた。

「楽な道だけが選ばれて、それ以外は放棄。それのどこが、どの行動が教師たる行動かっ?」

 力を増した言葉は廊下中に響き渡る。

教室の至る窓から生徒が顔を出し、扉を開いて各々のクラスの担任が覗き込んだ。

「べ、別に放棄など……」

「ではどうして、空を助けなかったのですか?」

 重く低い声。

「あの時、救いの手を差し延べていたら空は疑われる事はなかったのかもしれない」

 ひょっこりと出ていた顔が俯く。

「罪だけを抱いていなくならなかったのかもしれない」

 空気は重く苦しく、悲哀の表情で蔓延する。

「あいつは、私の言葉に耳を傾けなかったではないか」

「それで諦めるのですか?」

 痛い耳を抑えるように生徒たちは窓をゆっくりと閉めた。

「たった一度聞き入れなかっただけで……」

 頬を滴が伝った。

「私は貴方たち大人を許しはしない」

「凪ちゃん……」

 涙が零れた。

 凪咲は体の向きを変えると、元来た道へと歩き始める。

「凪ちゃんっ」

 言葉は虚しく廊下に響いた。

 教師はホッと息を吐き、かと思うと悪態を吐く。

「あんな奴に引っ付いてるから毒牙に曝されるんだよ」

 愛の瞳が尖る。

「風守空か……フン、あれほど腐った人間がこの世に存在する事が信じら……」

 「パンッ」と空気を裂く音が大きく広がった。

 愛の右手は孤を描いて振り抜かれた。

「卑怯者っ」

 そう捨て置いて凪咲の後を追った。

 残ったのは堕ちた教師と心地の悪い空気だった。


 街は静かだった。

 車の通りは少なく、歩いている人もいない。

 延々と蝉が鳴き、暑苦しさだけが街を覆っていた。

(公園でも行くかな……)

 御上公園。昨日、愛が凪咲をからかった公園。ブランコを思いきり蹴って飛んだ。

 植樹された木々が悠然と立ち並び、向日葵が太陽に向かう。

「ようっ」

 男の声が飛ぶ。同時に漕いでいたブランコから飛び降り、綺麗に着地した。

「藤崎くん……?」

 凪咲は公園に入る一歩手前で足を止めた。

「どうしたの? 学校は?」

「それを言うなら凪咲もだろ?」

 不適に笑う男は凪咲と同じクラスの生徒。

 愛の彼氏であり、そのチャラチャラした装いはいつもの控え目な性格を感じさせない。

「私は……」

「久保田」

「えっ」

「シメといた」

 言葉を理解できず首を傾ける。

 藤崎悠志は青い老朽化したベンチに腰を掛けた。

「凪咲……俺と付き合え、悪いようにはしない」

 あまりに唐突で、紡がれる事自体有り得ない言葉。

 驚き、呆れ、男を見つめる。

「冗談よして」

「冗談なもんか……」

 凪咲は男の一言一言に憤りを感じ始める。

「愛は?」

「アイツは凪咲に近づく為の口実だ」

 考えるよりも早く言葉が飛び出る。

「ふざけないで」

「ふざけてなどいない」

 掛けていたベンチから徐に立ち上がった。

「……本気?」

「そう言っている」

 手を伸ばせば届く距離。二人はじっと互いを睨み合う。

「俺は昔から凪咲に目はつけていた」

 ポケットに突っ込んだ両手を抜いて、左手を腰に添える。

「だが、あの時の俺にはお前を守るだけの力はなかった」

「今はあるっていうの?」

「当然だ」

 体の向きを変えて左掌を空に向けて広げる。薄白い緑の靄がブワッと掌から漏れた。

 そのまま左腕を右から左へと薙ぎ払った。

 濃緑の炎が広がり、その先にあった向日葵を灰にする。

「これが"力"だ」

 悠志からの不意な告白とは違った、しかしそれよりも大きな衝動が凪咲の体を駆け巡った。

「俺と共に来い……こんな詰まらない世界とはおさらばさせてやる」

 目の前で起こった事象がトリックなのか本物の"力"なのか、そんな事はどうでも良かった。

 目前に求めていた世界がある。

「凪咲……」

 悠志の手が凪咲の顎を捉える。

 風が凪咲の髪を揺らし、木々を揺らし、緑炎を揺らした。

 顔に掛かった髪を分け、もう片方の手をそっと添え、勢いのままに唇を重ねた。

 凪咲の双掌が男を突き飛ばす。

 軽い身のこなしで崩れた体勢を整えた。

「っとと。意外に力強いね」

「それは……何?」

 依然、靄を帯びた掌が事の不気味さを伝える。

 握った花は燃え上がり、灰となって崩れ落ちる。

「コレか?」

 「ボッ」と音を立てて火柱が上がった。

「お前が着いてくると答えれば、教えてやらない事もない」

「これは取引じゃない」

 身を翻して公園をあとにする。

 燃える景色を背景に、ゆっくりと足を運ぶ。

「お前が断れば、お前じゃない誰かが不幸な目に遭う」

 ピタッと足が止まり、鋭い視線が悠志を刺す。

「そんな事したら許さない」

「なら、従えばいい」

 男は笑った。

 怒気のような異様な憤慨が凪咲を満たす。

「それに俺は許されなくてもお前を連れていく。あっちの世界を知れば、俺に感謝して従いたくもなるさ」

 ニヒルな笑顔が凪咲の視線をくぎづけにした。

 その視線は、怒りと羨ましさのような不穏を語る。

「私には空がいる」

 悠志の表情が曇った。

「風守空……悪魔の王か」

 凪咲の眉間に皺が寄り、潜めるように目を細くする。

「藤崎くんまでそんな事言うんだ」

「あいつの素性を知れば嫌でもそう思うさ」

 凪咲は悠志の言葉が指す意味を探るが疑問は更に深まり、更に知ろうとすればうやむやに掻き消された。

 今度は悠志が背を向けて右腕を適当に上げて後ろ手に手を振った。

「3日後の午後6時に此処でもう一度だけ聞く。それまでに心を決めておけ」

 横顔から覗く瞳は常に余裕が満ち溢れており、紡ぎ出す言葉は全てが上手くいくかのような不信感を抱かせる。

「理性のままに生きろ」

 そう言って男はいなくなった。

 揺らめく緑炎は鎮火し、変わりに黒炭が公園に広がっていた。

 蝉は依然と鳴き喚き、悲しみの予兆を匂わせていた。



ご愛読ありがとうございました。

今後の展開に少しでも興味を抱いて下さったのであれば、是非、次作もよろしくお願いします。

「ACT.2 諸行無常」でお会い出来ることを楽しみにしています。

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