其ノ肆
「どういうことだ?」
意味がわからず、片岡が詳細を訊ねるが、どうにも山村は歯切れが悪い。
ううん、ううん……と唸っている。
「もしかしたら、おいらはタヌキに化かされたのかもしれねぇ」
「おいおい」
片岡は片眉をぴくりと上げた。
一体全体、山村は何を見たのやら。
二人にとって敬愛してやまない佐倉新八郎の養子だ。そんな新八郎が選んだのだから、将来が有望な子だろう。なのに山村は何が気に入らないのか。
「だってよ」
「おお、片岡。そこにいたか」
口を尖らした山村が続きを口にする前に、佐倉新八郎より幾分か年上の年番方同心の芝山多門がやって来た。
その芝山の後ろには、男が一人付いている。
見知らぬ顔だ。おそらくこの男こそが、佐倉新八郎の養子だろう。
俯いていて判別しずらいが、元服は済ましているぐらいの年のようだ。
みならいはだいたい十四、五歳、遅くても十七歳ぐらいがなるのが通例だが、養子であれば通例通りにはいかないだろう。
(さてさて。佐倉さんは、どんな奴を跡取りにしたんだろうな)
片岡は沸き立つ心を抑えつつ、芝山に促されて前に出てきた男の動向を見つめた。
「はっ! ……は、はじ、っめ、まっして……っ。たきっ……あ、……さ、佐倉、綱之助と、申します…………」
一文字目からどもった男の自己紹介は、最後のほうは空気になって消えていた。
(おいおいおいおい)
片岡は顔がひきつりそうになった。
山村が言い淀んだのもよくわかる。確かにこれは、聞くより見たほうが早い。
佐倉鋼之助と名乗った男は、身丈は片岡の頭一つ半低い。片岡は江戸の男の平均より高く、六尺(百八十センチ)近くある。細身に見えるが、しっかりと筋肉は付いていた。
山村も片岡と大体同じくらいだが、僅かに背が低い。だが体格はしっかりとしている。
どちらも寒暑かまわず、毎日のように町中を闊歩しているので、程よく日焼けしている。
対して鋼之助は、ひょろりとしていた。
片岡より頭一つ半低いのだから、大体五尺四寸(百六十五センチ)ぐらいだろう。平均的な男よりは高いほうである。
しかし、まったくといっていいほど筋肉が無い。着痩せする人間もいる。片岡がそれだ。
だが鋼之助はそれ以前の問題である。とにかく薄っぺらかった。
これで実は、脱いだらムキムキに筋肉が張っていたら、その着物を仕立てた針子を詐欺罪で引っ立てたって非難されるものかという具合だ。
それでいて、かなりの猫背で、これで頭に白いものが混じっていたら、絶対に年寄りに見られるだろう。
肌は青白く、よく言えば陶器のよう。これが女なら自慢できそうなものだが、男である。体格も相成って、病弱にしか見えない。顔は伏せ気味のせいで暗い印象。
なんだか色々とおかしな雰囲気で、年齢がよくわからない。ただみならいになるには、薹が立ちすぎに思える。
(柳だ……)
ただただ風に吹かれて揺れる柳の木。
片岡は一目見て、そう思った。横腹を山村が突っついた。
「柳の下のお化けみたいだろ」
片岡にしか聞こえない小さな声で言った。なるほど。柳より、よっぽど似合っている。
死人だと言われても納得する。だがそんなことよりも。
とにかくこの男、妙におどおどとしているのだ。
びくびくと身体を震わせ、誰とも目を合わせようとしない。それでも、どうにかこちらを見ようとしているようだが、ちらりと見るだけで、すぐに視線を逸らすのだ。胡散臭ささが半端じゃない。
(なんだ、こいつ)
敬愛する佐倉には申し訳ないが、罪人みたいだと、片岡は思った。
長い同心勤めでわかったことがある。犯罪に手を染めた罪人は、どんなにふてぶてしい人間でも、どこかしらで怯えている部分があるのだ。鋼之助はその雰囲気に似ているものを持っている。
何かに怯えているのだ。 片岡が鋼之助の真意を見極めようとしていると、芝山が、
「この、でかくて舞台役者みたいな色男が片岡真太郎。若いが筆頭同心だ。こっちの、ごつくて愛嬌のあるほうは山村三次郎だ」
と、紹介を始めた。
二人は鋼之助の姿に呆気にとられて名乗っていなかった。二人は慌てて名乗った。
「お、おいらは山村だ。『早耳』の三次郎って聞いたことあるだろ? それ、おいらだよ」
得意気に言う。
実際、『早耳』の三次郎の名は、山村の担当の本郷を中心に、江戸中に広がっている。
その耳の良さ、瓦版売りでさえ足下に及ばない、らしい。
だが鋼之助は首を横に振った。
「えっ、知らねえか?」
「す、すみません……」
蚊の鳴くような声で謝った。
山村は見るからに肩を落とした。自信を持っていただけに、ずいぶん衝撃的だったのだろう。確実に、これから更に耳に磨きをかけるはずだ。
「俺は片岡だ。おまえの指導役を任された」
本当は、任されたというより、名乗り出た、が正しい。
佐倉が引退する前、上役達と佐倉が鋼之助の所属を決めていたときに、自分を捩じ込んだのだ。
──佐倉さんの息子は、俺が一人前にしますよ!
と、大見得を切ったのである。
だが今、ちょっと後悔している。
(いや、そんな弱気でどうする!)
恩人に報いるのだ。
あのとき命を助けてもらえなかったら、片岡も山村も、今ここにいないのだ。
それに、こんなにひょろひょろとしているが、実は剣の達人だとか、頭が大変にきれるとか、そうに決まっている。でなければ、今まで頑なに養子をとろうとしなかった佐倉が、こんな男を養子に迎えるわけがない。
(ああ、そうだ)
片岡は、そう思い込むことにした。
「しばらくは、俺に付いてな」
「はい」
鋼之助は気弱に返事をした。覇気の欠片が見当たらない。
「それじゃあ、見廻りに行くぜ」
心中に不安を抱えつつ、片岡は刀掛けから己の刀を取り、二本差しにした。すると鋼之助が、
「え?」
と、素っ頓狂な声を上げた。
「ん、どうした?」
「い、いえ……」
なんでも無いと言い、首を振るう。そうは言うが、挙動がおかしい。
足下はもじもじとさせ、落ち着かない。
「なんだ厠か? さっさと行ってこい」
「い、いえ、そうじゃ……」
そう言いつつも、鋼之助は厠に向かった。やはり、もよおしたらしい。
鋼之助がいなくるとすぐ、芝山が苦笑しながら口を開いた。
「見ての通り、ちょいと変な奴だが」
「ちょいと?」
山村がちゃちゃを入れた。
「いやまあ、だいぶ変わった奴だな」
片岡と山村が同時に深く頷いた。誰が見ても、鋼之助は変わり者に見える。
「だが、お奉行が気にかけてるみたいだ」
「お奉行が?」
「ああ、どうもあやつの実家は、ずいぶんと大身の家らしい」
「大身? 何でそんなとこの子息が、同心の養子になるんです?」
不思議そうに山村が訊ねた。同心は町人達には尊敬されているが、武士には不浄役人とも揶揄されることが多い。武士から見れば同心は武士などではなく、罪人を取り締まる汚れた存在でしかないのだ。
佐倉への養子の申し出は数多くあったが、ほとんどが同じ同心や与力。もしくは大店からであった。 そんな同心の家に、養子を出す奇特な武家なんて、聞いたことがない。
芝山は、「早耳の三次郎が、わしに聞くなよ」と、去っていったのだった。




