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無能同心  作者: 葉弦
第六章 真相
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其ノ玖

「この野郎っ」


 辰次は平太郎の腹に一発、拳を打ち込み、平太郎から距離をとった。


「くっ……」

「辰次っ!」


 崩れ落ちる辰次に、鋼之助が駆け寄ろうとすると、


「あっしは、大丈夫です。旦那、平太郎から目を離さないでください」


 そうは言うが、辰次の腹は赤く染まっていた。相当の出血だ。早く血止めをしないと、死に繋がってしまう。だが近寄ろうにも、平太郎が鋼之助に包丁を向けてきた。


「ひっ!」


 慌てて殺生丸を掴む。かたかたと震える手で鯉口を切り、鞘から刃を抜いた。


「……っ」


 鞘から抜いた瞬間。眩いばかりの白光が、部屋いっぱいに溢れた。それはまるで、すべての穢れを祓うような神聖な輝きだった。


「あっ、うぅ……っ!」


 光を浴びた平太郎が苦しそうな声を上げた。


「くっ……っ」


 辰次も小さく呻いた。腹に傷を負っているのだ。早く手当てをしなければと、殺生丸に見とれていた鋼之助は我に返った。

 鋼之助は平太郎に向けて太刀を構えた。殺生丸が放つ光が安心をもたらしたのか、心はやけに静かだった。


「ぐううぅぅ……っ!」


 平太郎は殺生丸の光に当てられて逃げることもできず、蹲って苦しんでいる。昨夜襲ってきたとき、異常な体力を目の当たりにしたが、これなら鋼之助でも難なく仕止められる。


「ぐうぅぅっ!」


 平太郎が、ふとこちらを見た。両目は血のように真っ赤だった。


(母上……)


 母もこの目になっていた。人の黒い欲望に憑く妄鬼が憑いている証拠。平太郎に憑いている妄鬼は、母に憑いていた妄鬼と同じものかもしれない。そう思うと、柄を握る手に力がこもった。


「はあっ!」


 殺生丸に導かれるように、鋼之助は太刀を振るった。平太郎の頭上から、一直線に振り下ろす。

 すると白刃は、あっさりと平太郎をすり抜けた。だが、


「うああああっ!」


 平太郎が断末魔を上げた。その身に巣くう、どす黒い欲望を糧にする鬼だけを斬ったのだ。斬られた痕から、黒い靄が噴き出す。だが部屋中に溢れる白光が、黒い靄を飲み込むが如く、かき消していったのだった。

 殺生丸はすべてが終わったのを悟ったのか、自身の輝きを収めていく。光を消した刃は、鞘と柄の黒さに反比例したような、見たこともない真っ白な刃だった。


「終わった……」


 これで、すべてが終わった。鋼之助は腰が抜けたように、その場に尻をつけた。


「旦那、やりましたね」


 辰次が立ち上がり、にやりと笑った。


「あっ、傷は?」


 辰次は腹を刺されたのだ。だが当の本人は平気そうな顔をしている。


「へえ。血のわりには、どうも薄皮一枚切られただけのようでした」


 そう言うと、胸元を広げて見せた。なるほど。小さな傷があるだけだ。安心して、鋼之助は深く息をはいた。


(終わったんだ)


 あんなに凶悪で難解な事件であったのに、終わりはやけに淡々としている。


「ほら、立て」


 ぼんやりとしている鋼之助をよそに、辰次は平太郎に縄を打っていた。平太郎もどこか、心ここにあらずといった感じで、されるがままだ。

 この男は、これから奉行所で裁かれることになる。五人の少女を犯し、四人の少女を殺したのだ。きっと死罪は免れない。

 あやかしは斬れても、平太郎が犯した罪が切れることはないのだ。その身できっちりと、罪を償わないといけない。


(疲れたな……)


 鋼之助は、酷く疲れを感じた。今日は本当に怒濤な一日だった。何だか、頭がふわふわしている。


「佐倉の旦那、帰りましょう」


 平太郎を縛る縄の端を持った辰次が言った。そのまま、揉み合ったときに落としてしまった提灯の火による延焼はないか確かめている。


「うん」


 鋼之助はよろよろと腰を上げた。あっと、出しっぱなしだった殺生丸を鞘に戻す。

 痛ましい事件に終止符が打たれた。きっと、奪われた幼い命達も喜んでいることだろう。

 でも今は、とにかく帰って、早く寝たかった。




 ◇◇◇




 翌日。大番屋にて平太郎は、洗いざらい自白した。やはり推測どおり、おちな達の一連の事件の下手人は平太郎であった。類をみない凶悪な犯罪だ。死罪は免れないと、片岡が言った。


 おちな達の一連の事件の下手人である平太郎を捕まえて五日後。

 鋼之助は奉行所近くにあるこ洒落た飲み屋に、他の同心達もと集まっていた。

 今日はおちな達の事件の解決と、ついでに鋼之助の歓迎をかねての飲み会だと、片岡真太郎が声をかけたのだ。

 しかし鋼之助をそっちのけで、皆が思い思いに過ごしている。だがそれが鋼之助には心地が良い。上がり症で口下手の鋼之助は、あまりかまわれるのが得意ではない。

 同心御一行は、奥の座敷で呑んでいる。店の土間にある小上がりで大勢の黒紋付きが呑んでいたのでは、やましいことがなくても他の客が入ってこれないのだ。

 鋼之助は座敷のはしっこで、ちびちびと盃を舐めている。


(あまり、美味くないな)


 そう思いながら盃を空けた。

 瀧澤家ではほとんど酒を口にしなかった。呑めないわけではない。呑みたいという気持ちにならなかったのだ。

 正月や、折りの行事になると、女中が膳に銚子を付けて部屋に持ってきていた。そのときに呑んだ酒は、もっと美味しかった。


(酒の種類が違うのかな?)


 そうして首を傾げた。

 簡単なことだ。鋼之助が以前呑んだ酒は、八千石の旗本の家が買う上酒である。いくら洒落た店とはいえ、こんな店で呑める酒ではない。

 なんだかんだで、やはり高禄旗本の息子だった。


「呑んでいるか?」


 するとそこへ。片岡が片手に銚子、もう一方に盃を持ってやってきた。顔がうっすらと赤い。


「はい」


 対面に座った片岡に酌をする。にんまりと笑い、片岡は一気に呷った。すがすがしい呑みっぷりである。


「佐倉よ、もう何度も言ったが、次はちゃんと、俺に一声かけろよ」

「はい」


 ばつが悪く、鋼之助は下を向いた。

 じつは平太郎を捕縛したことで片岡から叱られてしまったのだ。


「馬鹿野郎! 無謀なことをするんじゃねぇっ!」


 そう、こっぴどく怒鳴られた。

 どうやら捕物というものは、決して二人でやるようなものではないらしい。たとえ相手が一人でも、万が一のことがある。とくに鋼之助は腕がからっきしだ。無謀にも程がある。他の同心も呆気に取られていた。

 ただ新八郎は、話を聞くと大笑いしていた。剛毅な人である。

 二人で捕物をすることになった張本人の辰次は、


「片岡の旦那が捕まらなかったんですから、仕方がありません。みすみす逃がしちまうより、ようござんしたでしょう?」


 と、けろりとしていた。こんな性格なら気苦労は無いだろう。辰次に手札を与えてえいる片岡は、あわあわと口を喘がせていた。おかしな関係である。






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