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無能同心  作者: 葉弦
第六章 真相
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其ノ漆

 瀧澤家の屋敷に着いた鋼之助は、表門の横にある門番所に声をかけ、兄の文之助への取り次ぎを頼んだ。

 最初、門番は鋼之助を訝しんでいた。当然だろう。鋼之助は同心姿で来てしまっていたのだから。同心がなんの用だとばかりに鋼之助を睨んできたが、古株の門番が鋼之助の顔を知っていたらしく、取り次いでくれたのだ。


(会ってくれるだろうか)


 胸に不安が募る。急な訪問だ。兄といっても文之助は、瀧澤家の現当主であるし、鋼之助はすでに養子となって瀧澤家を出ている。事前の約束も取り付けてないので、会ってれるか心配だったが、なんと兄は会ってくれるという。

 鋼之助は書院に通され、文之助を待つ。

 それから程なくして、文之助はやってきた。


「久しいな」


 上座に座るとすぐに兄は声をかけた。普通なら鋼之助から挨拶を述べるべきだが、鋼之助が口下手で上がり症であることを知っているのだ。鋼之助が口を開くのを待っていたら、夜が明けてしまう。


「は、お、お久し振りでございます」


 鋼之助は両手をついて頭を下げた。胸がどきどきする。実兄だが、あまり会話という会話をしたことがないのだ。


「かまわぬ。楽にしなさい」

「は、はい」


 頭を上げた鋼之助は文之助を見た。年を取るにつれ、兄は父に似ていってる気がする。

 兄は今年で三十九歳だ。

 文之助という名とは正反対に、背は高く、逞しい身体つきをしている。


「それで、用向きは何だ?」

「あ、はい。あの、瀧澤の家に伝わるという、……その、あやかしを斬る刀を拝借したく参上致しました」


 そう言いながらも、何を言っているのだろうと、鋼之助は思っていた。本当に瀧澤家にそんな刀があるのだろうか。にわかに信じられない。


「『殺生丸』のことか」


 すると文之助は当然のように口にした。唖然とする鋼之助に、「どうした?」と文之助が問いかける。


「……本当に、あるのですか?」

「借りたいから来たのではないのか?」


 もっともな返しをされた。呆然とする弟をよそに、文之助は座敷の外にいる小姓を呼ぶと、何やら言いつけた。

 小姓をが退出してしばらく。兄弟は無言でいた。だがそのうち文之助が、ぽつりと言った。


「やはり、そなたも、あやかしが見えるのだな」

「……も?」


 悠然としていた兄の顔に、少し寂しげな色が浮かんだ。


「我が瀧澤の血筋には、あやかしが見える者が多いそうだ」


 あやかしには、普通の人間にも見えるモノもいるが、大体においては、見えないモノばかりだと、文之助は続けると一呼吸ついた。


「……伯父上も父上も、あやかしを見れていた。……私だけが、見ることがてきない」


 文之助は、鋼之助から顔を逸らす。


「そなたが子供の頃、あやかしを見ることができると知ったときは……」


 自嘲するような笑みを文之助は浮かべた。


「………」


 ──だから兄上は、あのとき……。


 鋼之助は二十五年目にして、ようやく合点がいった。鋼之助が、母が鬼になり代わっていると言ったときの、あの冷たい目。あれは、妬みだったのだ。


(兄上が、わたしなんかにそんな思いを抱いていたなんて……)


 まったくもって思いもよらなかった。鋼之助にとって兄の文之助は、すべてにおいて完璧な人であるのだ。賢くて強い。そんな人が他者を羨むことがあるとは、とても信じられなかった。


「失礼します」


 用人が入ってきた。その手には恭しく掲げられた古ぼけた細長い箱。朱色の房が付いた紐で閉じられている。それを文之助の前に静かに置いた。


「うむ。御苦労であった」


 用人が下がると、文之助は細長い箱の封をほどいた。


「瀧澤家は、その特殊な力を生かし、古の頃に朝廷よりあやかしの退治を任じられていたという。しかし時が経つにつれ、権力が移り変わるにつれ、その力は忘れ去られていったのだ」


 文之助は暖かな笑みを鋼之助に向けた。兄から、こんな顔を向けられるのは初めてかもしれない。妙に胸が弾んだ。


「そなたが何のために、この太刀を必要とするのかはわからぬが、蔵で埃をかぶせておくよりはいい」


 蓋を開けた細長い箱から、一振りの太刀を掴み上げた。その太刀は、鞘も柄も鍔も、すべてが真っ黒だ。少しの細工も施されていない質素な黒刀。だが、何ともいえない侵しがたい気品がある太刀だった。


「『殺生丸』だ。持っていくがよい」


 文之助は鋼之助の前に、殺生丸を差し出した。


「はい」


 微弱に震える両手で、殺生丸を譲り受けた。ずしりと、重い。この太刀が、今までどれだけのあやかしを斬ったのか、鋼之助には想像できない。


「では息災でな」

「あ、兄上っ」


 立ち上がった文之助を、思わずひき止めていた。その胸中には、もっと兄と打ち解けたい。そんな思いが沸き上がってきたのだ。一方は大身旗本、一方は養子とはいえ三十俵二人扶持の同心。これから頻繁に会うことは厳しいだろう。今を逃したら、もう兄弟仲を取り結ぶことはできないかもしれない。


「兄上っ、私はいつも、兄上を羨んでおりました。兄上のようになりたいと……っ」


 咄嗟に鋼之助は、今まで胸に秘めていたことを口にしていた。羨んだところで、兄にはなれない。それでも羨望してやまなかったのだ。そしてそれは、引け目となっていった。

 鋼之助の告白に、文之助は一瞬だけ驚いた顔を見せた。そして、優しく笑った。


「そなた、少し変わったな」

「え?」


 そういえば片岡も同じようなことを言っていた。しかし鋼之助には、何が変わったのか、よくわからない。

 首を傾げる鋼之助に、


「今度は昼間に来るがよい。七瀬達も、そなたを恋しがっておるぞ」


 そう言って、兄は座敷から出ていった。


(また来ても、いいのだ……)


 退出した文之助に頭を下げた鋼之助の胸に、暖かなものが広がる。

 些細なことだと人は言うだろうが、鋼之にとっては泣き出したくなるような幸福感だった。


 殺生丸を借り受け、瀧澤家をあとにした鋼之助は、八丁堀に帰ろうと千鳥ヶ淵ののお堀端を南のほうに下っていた。すでに日は暮れている。五つ半(午後九時)は過ぎてるだろうか。瀧澤家で借りた提灯が頼りだ。


「今日は、たくさん歩いたなあ」


 向島から番町まで。向島に行くには、途中舟も使ったが、こんなに遠くまで歩き回ったのは初めてだ。

 身体はくたくたに疲れているが、足取りは軽かった。






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