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無能同心  作者: 葉弦
第六章 真相
43/51

其ノ伍

 乱暴を受けたあとの首に帯が巻かれていたのだと、泣きながらお多岐が語り終えた。


(酷い……)


 鋼之助は、己が描いた似顔絵を破り捨ててやりたくなった。自分のなかに、こんな激しい感情があったのだ。

 怒りに震える片岡が呟く。


「始まりは、ここからだったか……」


 悲痛な声で、そう言った。

 やりきれなくて、鋼之助は深く息をはいた。この事件は、とんでもなく根深かった。


「一人の女を手に入れられなかった憤りが歪に変化し、よく似た娘に向かった。犯して、殺す。そして一度満たしてしまった黒い欲望が忘れられず、顔のよく似た女児を襲い始めた。ってとこか」


 片岡が事件の顛末をまとめた。


「えっ、殺された?」


 お多岐が驚いた顔を見せた。


「おしなのあとに、殺された子供がいるのですか?」

「うむ」


 片岡はおちな達に関わる一連の事件のあらましを語ったあと、硬い声で訊いた。


「なぜ、おしなが殺されたとき、奉行所に訴えでなかったのだ?」


 そうすれば、この一連の悲劇はくい止められたのだ。


「平太郎の父親がでしゃばりやがったのか?」


 興奮したせいか伝法な口調で片岡が問いただせば、お多岐は必死に首を横に振った。


「違いますっ」

「ならば」


 お多岐は片岡の言葉を遮って叫んだ。


「おしなは生きております!」

「なっ?」

「えっ」

「っ!」


 さすがにお多岐の発言に驚いたのか、ずうっと黙って聞いていた辰次も色めき立った。


「おしなは首を絞められていましたが、絞める力が弱かったのか、気絶していただけでした。そして目を覚ましたおしなは、平太郎がやったと言って泣いたんです」

「あ、そうか」


 顎を触りながら片岡が言う。考えるときの片岡の癖だ。


「違和感を感じていたのだ。どうやって、おしなに乱暴したのが平太郎だとわかったのかと」


 おしな本人が証言したのだ。

 お多岐は続ける。奉行所に訴えでれば、おしなが受けた辱しめが世間に明るみになってしまう。まだ嫁入りもなにも、おしなは当時六っつだったのだ。おしなの将来を考えれば、訴え出ることはできなかった。


「言えるわけが、ありません……っ」


 唇を強く噛むお多岐の言い分はもっともだ。片岡も、これ以上強くは言えなかった。


「……おしなに会わせてもらえるか。この男の似顔絵を見てもらいたい」


 そうすれば、この平太郎が一連の下手人だという確固たる証となると、片岡が言うが、お多岐は首を振った。


「ご勘弁くださいませ。ようやく、おしなは明るい子に戻ってきたのです。ここに越してきたのも、旦那様がおしなの心を思って、この家に引っ越させてくれたのです。なのに、またあの男のことを思い出させるなんて……」


 下駄問屋の主人が、こんなにも遠い地にお多岐を囲っていたのは、お多岐とおしな母娘を守るためだったのだ。


「そうか」


 片岡は素直に下がった。おしなの胸中を考えると、無理強いできることではない。

 片岡達はお多岐の家を出た。お多岐に聞いた話を、辰次が太助に教えているその横で、片岡が痛ましい目付きで、お多岐の家に一瞥をくれた。


「やりきれねぇな。この一連の事件のきっかけとなった母娘は生きて、まったく関係がない子供達は殺された」

「………」


 決して、お多岐やおしなが悪いわけではない。片岡だってそれはわかっている。ただ、簡単には割り切れなかった。


「このまま田鶴屋に行って、平太郎を問い詰めよう」


 おしな本人の証言を得られなかったのはしかたない。どうにかして口を割らすと、片岡が続けた。


「行くぞ」

「はい」


 片岡の号令に、皆が頷いた。

 するとそのとき──!


「同心さまっ!」


 お多岐の家のほうから声がかかった。振り向けば、小さな女の子がこちらに駆け寄ってきているところだった。

 庭に面した縁側では、お多岐が複雑な顔で少女を見つめている。


「おしなか?」


 片岡の問いかけに、少女は頷いた。その顔は、母のお多岐に瓜二つだ。


「絵を……、あいつの絵を見せてくださいっ」


 泣くまいと懸命に堪えている顔で、おしなが訴えた。決断するのに、どれほどの勇気がいったのだろう。強い娘だと、鋼之助の胸が熱くなった。


「いいのかえ?」

「はい」


 片岡が念を押すと、おしなは力強く答えた。片岡が鋼之助に目を配る。鋼之助は似顔絵を広げて、おしなに見せた。おしなは大きく目を開くと、ぎゅっと目を閉じた。そして、か細い声で、


「……この人ですっ」


 と、証言した。

 片岡と鋼之助は顔を見合わせて、頷いた。これであとは平太郎を捕まえるだけだ。


「おしな、ありがとよ」


 勇気をだして証言してくれたおしなに、片岡は優しい声で礼を言った。この証言が、この一連の事件に終止符を打つのだ。

 事件の解決は、すぐそこまで迫っている。

 片岡一行は帰路につこうとした。その背中に向かって、


「同心さま、あの男を捕まえて!」


 おしなが涙ながらに叫んだ。

 それは、この一連の事件で犠牲になった、すべての少女達の叫びのように聞こえた。




 向島から戻り、その足で大伝馬町にある平太郎の実家、木綿問屋田鶴屋に向かった。間口十間近くある大店だ。

 辰次と太助を店の裏手に潜ませた。逃亡を防止するためだ。

 片岡と鋼之助が店の土間に立つと、すぐに番頭らしき男が近寄った。平太郎に用があると言うと、番頭は奥に二人を案内する。通された座敷で待っていると、五十前後の大柄な男がやってきた。雰囲気から察するに、田鶴屋の主人だろうか。男は座ると、片岡達に頭を下げた。


「田鶴屋平右衛門でございます。息子の平太郎にご用だと伺いましたが……」

「うむ。して、平太郎はどこだ?」


 片岡が泰然と振る舞う。こういう場合、堂々としてなければ相手に飲まれるのだ。


「そのまえに、どのようなご用か、お聞かせください」


 毅然と言う田鶴屋。息子の不始末を金で揉み消した男である。一筋縄ではいかない。


「ふん、深川にいたお多岐を知っているな?」

「………」


 一瞬だが、田鶴屋の目が揺れた。片岡は、おしなから始まった一連の事件の顛末を聞かせた。その下手人が平太郎であることも。


「………っ」


 鷹揚に構えていた田鶴屋の顔がみるみるまに悪くなる。ついには、茫然と口を開いていた。






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