其ノ弐
しかし鋼之助は自分の考えを聞いてもらいたかった。母を殺したのが新八郎だということには、複雑な思いはあるが、怒りや憎しみは不思議なくらいに湧いてこなかったのだ。というよりも、唐突な話に現実味が無い、と言ったほうが正しい。
もっとも新八郎の奥方を殺したのは母だ。一方的に憎しみを向けるのは筋違いである。
それよりも鋼之助は、変にさっぱりした気持ちだったのだ。
「義父上。少しよろしいですか」
新八郎の部屋の前で声をかける。妙な沈黙の後、
「入れ」
と返ってきた。
鋼之助は部屋のなかに入ると、新八郎の向かいに座った。気まずそうな顔をしている。
「あの、聞いてもらいたいことがあります」
「うむ」
ごくりと、新八郎が唾を飲んだのがわかった。鋼之助は先ほど自室で推理した、事件の顛末を語った。頭の中がごちゃごちゃしていて、うまく伝えられたかはわからないが。
「──……というわけで、あの、私は、昨夜襲ってきた男が、一連の事件の下手人だと……あの、義父上?」
すると新八郎は、ぽかんとしていた。
(私の推理は間違いなのかな?)
急に鋼之助の胸に弱気の虫が現れた。胸の中で太鼓を鳴らして騒いでいる。
上目使いで新八郎の顔を見る。しばらくして、その口が開いた。
「……鋼之助、そなた」
「はい」
「わしを、憎く思っておらぬのか?」
「え?」
二人は互いに、ぽかんとした顔で見つめ合った。
「わしは、そなたの母を……」
それきり新八郎の口が閉ざされた。
(あっ)
鋼之はようやく、新八郎の胸中がわかった
新八郎は気にしているのだ。鋼之助の母を奪ったことを。新八郎も大切な人を、鋼之助の母に奪われたというのに……。
鋼之助は一人で終わったことにしていた。それに昨夜は、逃げるようにして自室に戻ったのだ。
(ちゃんと、お互いの踏ん切りをつけないといけない……)
何を言えばいいのだろう。鋼之助は考えた。考えて考えて。
「……昔のことなので」
口下手な鋼之助には、それだけを言うのが精一杯だった。もっと付け足したほうがいいのだろうが、何を言うべきか、適切な言葉が見当たらない。
「義父上。私は、あなたを憎むことはありません」
口下手だからこその、直進的な言い方だった。呆れたのだろう、新八郎は目を見開いている。
鋼之助は続けた。
「義父上は、私を、憎みますか?」
最愛の妻を奪った女の息子だ。
「いやっ。それは無い。……そなたを憎く思うことなど無い」
そう言うと新八郎は顔を背けた。背ける間際に見えた瞳が、涙ぐんでいるようだった。思わず鋼之助も眦が熱くなる。
「そ、そなたの最前の推理だが」
急に新八郎が話題を変えた。この空気に堪えれなかったのだ。
「そなたの推理は合っていると思う。だが、まだ証拠が無かったな」
「はい」
「妄鬼が憑いていることは、証拠にはならぬからな」
新八郎は腕を組んだ。
いくらこのお江戸で、妖怪の類いが絵巻や何やらでもてはやされていても、実際にいるかとなると別問題だ。真面目な顔で奉行所にそんな話をすれば、暇を取らされるだろう。
「とにかく、この男を探すことだな」
そうして家探しでもすれば、証拠は出てくるだろうと結んだ。
部屋から鋼之助が辞去すると、新八郎は目許を片手で覆った。
「ふ、ふふふ……」