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無能同心  作者: 葉弦
第六章 真相
39/51

其ノ壱

 

 ◇◇◇◇◇






 障子から柔らかな光が差し込んでいる。庭から雀の囀りが聞こえてきた。いつの間にか朝になっていたらしい。

 鋼之助は身体を起こした。頭が重い。身体も痛い。鋼之助は布団の上で目を覚ました。昨夜はあのまま、子供のように泣きながら寝てしまったようだ。


(懐かしい夢だ……)


 昨夜の己に苦笑を溢した鋼之助は、昨夜見た夢を思い返していた。

 それは過去に、鋼之助が幼名の次郎丸と名乗っていた頃に実際に起きたことだ。

 怖くて怖くて、ずうっと無かったことにして、心の奥のそのまた奥にしまい込んでいた過去の出来事。

 断片的にしか覚えていなかったそれを、今になって思い出したのは、昨夜遅くに聞いた新八郎の打ち明け話のせいだろう。


「あれは、本当にあったことなんだね……」


 当時の鋼之助は、母が鬼に隠されてしまったと思い込んだ。その代わりに鬼が母に化けたから、母はあのように豹変してしまったのだと。

 伯父である篤之助に相談したくても、伯父はしばらく寝ついてしまっていた。父もめったに奥に顔を見せない。だから兄の文之助に訴えた。しかし兄は冷たく笑い、


「鬼なんぞいるわけがない。嘘つきめ」


 そう言い放ったのだ。

 それからしばらくして、母は死んだと聞かされた。鋼之助は、母になり変わった鬼が退治されたのだと思った。だから本物の母が帰ってくる、母は死んでなんかいない。まわりの大人達に懸命に訴えた。

 だが、


「そのようなことを言ってはなりませぬ」


 用人である爺や女中達が、酷く怖い顔でたしなめたのだ。そして、「奥方様は病気で死んだのです」と冷たく言った。

 母になり代わった鬼をともに見た女中でさえ、


「いつまでも亡くなった方の話をしていては、奥方様が御成仏できません」


 と、鋼之助に言い含めたのだ。

 幼かった鋼之助でさえ、当時の瀧澤家の家中がおかしいと思った。だがそれがなんなのかはわからなかった。

 それからすぐに伯父の篤之助が亡くなり、父の亮之助が瀧澤家の家督を継いだ。久し振りに父に会うことのできた鋼之助は、必死になって訴えたのだ。


「父上、母上は鬼に連れていかれたのです。母に化けた鬼はいなくなったのに、母上は帰ってきてくれ……」

「二度と母のことは口にするなっ!」


 すると父は激しく怒った。顔を真っ赤にして、ぶるぶると震えていた。あまり感情を面に出さない父が、ここまで怒りをあらわにしたのは初めて見た。

 父も兄も他の者も、皆が母の存在自体が無かったかのように口を閉ざす。

 新八郎からすべてを知らされた今となっては、皆が母の死に口を閉ざしたのが、ようやく理解できる。

 お家のために、母の死を御公儀に知られるわけにはいかなかったのだ。萩乃は妄鬼が憑いていたとはいえ、新八郎の妻のお衣智を殺してしまい、また、殺された。御公儀が知ることになれば、お家断絶に処されたかもしれない。

 だから何も無かったかのように振るまったのだ。三歳と幼い鋼之助以外は。


「旦那さま、朝でございます」


 障子越しから、中間の弥彦が声をかけた。


「あ、はい」


 弥彦が声をかけたということは、出仕時刻が迫っているのだ。鋼之助は慌てて出仕支度を始めた。

 寝間着を脱ぎつつ、ふと思う。


「……あやかしって、本当にいるんだね」


 たくさんの真実を突きつけられて、驚くのを忘れていた。ある意味、一番驚くことなのかもしれないが、妙に冷静な自分がいる。不思議であった。


(私は、目に見えないもの……あやかしを恐がっていたのではなかったのかな)


 私は何を怖がっているのだろうと、鋼之助は頭を捻った。幼かったあのとき、庭の木の根本で見た黒いものは妄鬼だったのだろう。

 それを恐がっていたのではないのか?

 それが怖いから、部屋に閉じ籠もったのではなかったのか?


(でも、妄鬼というあやかしをこの目で見ても、部屋に篭るほどの恐怖では……)


 大人になったから、そう思うのだろうか。子供の頃に感じた怖さは無くなるのかもしれない。


「そういえば」


 なぜ、父が妄鬼などというあやかしを知っていたのだろう。人の歪な欲望に憑くという妄鬼……。


「あっ!」


 思わず鋼之助は声を上げていた。部屋の隅に置いてある文机に近寄り、文鎮で押さえてる紙の束を掴んだ。

 それは数日前に夜通し描いた金目の男の似顔絵。昨日の夕方に襲ってきた男でもある。

 この男に妄鬼が憑いているのだ。


「人の歪な欲に憑くというのなら、もしかして、この男が……っ」


 一月前に殺された少女のおちな、数日前に殺されたおみさ。そして行方不明になっている、おゆいとおはる。

 行方不明のおゆいとおはるは置くとして、おちなとおみさには身体を弄ばれた形跡があったのだ。

 これを歪な欲望と言わず何を言うか。


「この男は、おちなとおみさの死体を見ていた……」


 鋼之助は紙を手に、部屋の中をぐるぐると歩き回っていた。こうしていると、思考がまとまっていく気がする。


「あっ、妄鬼が憑いたから、おみさの遺体の捨て方が変わったのか……?」


 間違ってはいない気がする。しかし堂々と自信を持って主張できるか、と聞かれれば躊躇する。みならいである鋼之助は、まだ自分の推理力に自信が無いのだ。

 だがこの男が下手人であるには間違いない。そう鋼之助は確信した。

 出仕の準備をすませると、居間に向かった。

 珍しく新八郎がいない。そういえば今日は朝稽古ををしなかった。鋼之助が寝坊したせいもあるが、きっと顔を合わせづらいのかもしれない。






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