*** とある者の慟哭
◇◆◇◆◇
男は暗闇のなかにいた。
黒、黒、黒───……。
右を見ても左を見ても、上も下も真っ暗闇。
その闇は、けっして夜のような温かみのあるものでなく。
その闇は、けっして目を閉じた時に訪れるような安堵もなく。
ただただ、ただただ、不安一色に染まった闇だった。
最初その暗闇は、遠くに見えていた。だが、いつのまにか足下に這い寄ってきていたのだ。
闇は次第に、足首からねっとりと身体にまとわりつき、身体を包んでいった。そして、じゅくじゅくと身体の内に染み込んでいったのだ。
──息苦しい。
──助けて。
──消さないで。
何度も何度も叫ぶが、声は誰にも届かない。ついには、暗闇は男自身すべてを飲み込んだ。
闇に飲み込まれた男に残ったのは、ある執着心だけ。
その歪な心が、暗闇を呼んだのに、男は気づかない。
むしろ悦んだ。狂乱と言っていい。
執着の裏にあった不安が消えたからだ。
だから男は、闇を歓迎した。
恐怖心が消えた男は、また欲望を消化したいと願った。
だが……。
男は誰かから聞いた。八丁堀の同心が人探しをしていると。それは、女の子だと。
男はおののいた。同心どもは、自分の身に迫っていると。
男は決めた。同心を殺してしまおうと。
男は笑った。
男は笑った。
男は嗤った。
壊れたように、ケラケラケラ。
──捕まるわけにはいかないもの。
だって、捕まってしまえば……。
この欲心が消えてしまう。
それが、一番怖い。
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