表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無能同心  作者: 葉弦
第四章 糸口
26/51

其ノ弐

 片岡が鋼之助のほうを見た。続きを話せと目が促す。


「名前も、年齢も、親の職業も。四人全員に共通するものはありません。あるとすれば、幼い女の子ということだけです」


 なぜ、この娘達が犠牲にならなければならなかったのか。


「ただの突発的な犯行で、相手は小さな女の子であれば、誰でもよかったのでしょうか?」

「いや、それは無い」


 くわえたままだった竹串を皿に置いた片岡が言う。遺体の捨て方を見れば、突発的なものか、そうではないかはわかると。


「おみさは置いておくとして、おちなの遺体の捨て方は念入りだった。突発的に犯行した者は、ああはしない」

「そうですか」


 そうなると、やはり四人に共通するものがあるのではないかと、鋼之助は思う。


「もし共通点があれば、次の犠牲者がわかって、事前に守ることができるのに……」


 ぽつりと出た言葉に、片岡の目が強く光った気がした。


「共通点か」


 そう言うと、片岡は顎をさすった。これは片岡が考えるときの癖。今、片岡の頭のなかではたんさんの考えが、目まぐるしく動いているのだろう。

 鋼之助はじっと、片岡の考えがまとまるのを待った。

 それからしばらくして。片岡が突然、はっと頭を上げた。


「顔だ」

「顔?」

「そうだ、顔」


 鈍い光が、片岡の目に宿っている。力強い言葉が続いた。


「行方不明になっている、おゆいとおはるは似た顔立ちだと両方の親が言っていた」

「はい」


 鋼之助は妙に胸がどきどきしてきた。


「おちなとおみさの顔立ちはわからねえが、調べてみる価値はあるだろう。もし四人の顔立ちが似ていたら、この事件の探索が、一気に進むかもしれない」


 片岡が勢いよく立ち上がった。


「はいっ」


 珍しく鋼之助も、勢いよく立ち上がる。なんだが、核心に迫りつつある。そんな気がしてならなかった。

 茶汲娘に勘定を支払った片岡が、葦簾張りの水茶屋から出る。鋼之助も急いであとを追う。足早に歩く片岡に追いつくと、片岡が口を開いた。


「まずは絵師だ。絵師に頼んで、おゆいとおはるの似顔絵を描かせよう」

「絵師っ」


 その瞬間。ひゅっと、鋼之助は息を飲んだ。指先が熱くなった気がする。胸が痛いほどに高鳴った。


 ──描きたい。

 ──自分が描きたい。


 だが、それ以上に……。

 右手が、激しく昂る胸を着物の上から握り締めた。その手はぶるぶると震えている。


(この事件は……)


 鋼之助は、ごくりと唾を飲み込んだ。


(この事件は、同心となったわたしの、初めての事件なのだ)


 鋼之助の胸のなかにあるのは、純粋に絵を描きたい、それだけではなかった。

 自分を変えたい。そう思うが、踏み出すことのできなかった自分。結局は実父の差配で、佐倉家へ養子に出ることになり、流されるようにして町方の同心となった。

 だから当初は、どこか他人事だった。

 だが、おちなの事件に関わり、一連の悪事を目の前にした。

 自分を慕ってくれる姪の七瀬と同じくらいの女の子達の惨いありさまは許せなかったのだ。


(自分にできることをしたい)


 まだみならい同心だ。だが自分が出来うる限りの力を尽くしたい。

 鋼之助は立ち止まった。そして先を進む片岡の背に向かってがむしゃらに叫んだ。


「片岡さんっ!」

「うわっ!」


 驚愕に目を見開いた片岡が振り向く。

 すれ違う町人も、何ごとかと振り向くが、相手が同心だとわかると先を急いだ。だが物見高いのが江戸っ子だ。ちらちらと目をやるのも多い。


「何だよ、急に大声だすなっ。驚いたじゃねえか!」


 少し涙目になっている片岡が、文句を言いながら鋼之助に詰め寄った。普段、老猫のように大人しい鋼之助が大声を上げたのが、よっぽどびっくりしたようだ。


「私が描きます」


 片岡の口から溢れる文句を遮り、鋼之助は宣言した。


「へ?」


 すると片岡は、ぽかんと口を開いた。鋼之助はなおも言い募る。


「私が、おゆいとおはるの似顔絵を描きます」

「え、あ、え?」


 事態が飲み込めない片岡が口を喘がす。それもそうだ。片岡は鋼之助が絵の心得があることを知らないのだから。

 しかし、そんなことは露ほども気づかない鋼之助は、


「私が、描きます!」


 と言って、譲らない。ついには足を米沢町に向けた。米沢町は、おゆいとおはるが住んでいた町だ。


「あ。おい、ちょっ、ちょっと待て」


 早足になる鋼之助の背中を片岡が追う。初めてのことである。

 鋼之助は胸がどきどきしっぱなしだった。

 だが、いったん行動を起こすと、あとは淡々と動いている。己にこんなに行動力があったのかと、自分でもびっくりだ。

 一度でも動いてしまえば、あとは簡単なのかもしれない。




◇◇◇ 




 鋼之助と片岡は米沢町に着くと、おゆいの実家の千草屋に向かった。店はまえに来たときよりも、何だか暗く沈んでいるようだった。

 娘のおゆいが、もうこの世にいないかもしれない。そんな主人の思いが反映してるのだろう。

 主人の与兵衛に詳しく話し、おゆいの似顔絵を描くことに決まった。

 先日通された四畳間に通され、与兵衛が紙と墨を用意してくれる間。鋼之助は袂が汚れないように、たすき掛けををした。

 そんな鋼之助のうしろでは、


「本当に、おまえ、絵を描けるのか?」


 と、片岡が胡散臭いものを見るような目で鋼之助を見ていた。このやり取りは、さっきから何度も繰り返している。


「はい、絵だけは得意です」


 そのたびそう答えるが、片岡は、


「ほんとかあ〜」


 と、またもや訝しむのだ。


(そんなに私が絵を描けるように見えないのかな)


 鋼之助は自分の見た目を、嫌というほどわかっている。

 養子になるまえ、部屋にこもりきって絵を描き続けていた頃よりも、若干だが筋肉がついた。だが、それでも片岡に比べたら、小枝のようなものだ。こんなやせっぽっちの身体で、剣術や武道が得意と言うよりは、絵が得意と言うほうが、まだ真実味がたると思うのだが、片岡はなかなか信じてくれない。

 絵のことに関しては誇りを持っているので、ほんの少しだけ、鋼之助は憮然とした。


「これでよろしいですか?」


 与兵衛が似顔絵を描くための道具一式を、鋼之助の前に並べてくれた。


「はい」


 背筋を伸ばした鋼之助は、正座をし直すと、深く呼吸をした。引き締まった空気が流れる。


「………」


 これ以上声をかけるのはまずいと思ったのだろう、片岡が口を閉ざした。


「では与兵衛どの。まずは、おゆいの輪郭を教えてもらいたい」

「はい」


 与兵衛の目が、遠くのものを見るように細められた。


「……おゆいの顔の形は、たまごに似ています」

「たまご?」


 思わずといったふうに片岡が声を上げた。咎めるように鋼之助が横目で見ると、片岡は手で口をおおった。


「では、眉は?」

「はい──……」


 輪郭、眉、目、鼻、口……。鋼之助は次々におゆいの顔の特徴を聞き、絵にしていった。一枚二枚三枚……どんどん紙に描いては、似ているか与兵衛に判断してもらう。

 そうして十数枚描いた頃、与兵衛が肩を震わした。


「与兵衛?」


 片岡が呼んだ。


「……っ、うぅ」


 与兵衛の手には一枚の紙。鋼之助か最後に描いたおゆいの似顔絵だ。片岡が絵を覗き込んだ。


「おわっ」


 その絵を目にした途端、片岡が目を見開いた。


「こいつは……」

「はいっ、はい……っ」


 嗚咽を洩らしつつ、与兵衛がこくこくと頷く。その反応で決まったものだが、鋼之助は聞いてみた。


「似ている、かな……?」

「はいっ」


 与兵衛が持つ紙には、与兵衛が言った通りの特徴を、そのまま生き写したような幼い女の子の顔が描かれていた。


「おゆいでございますっ」


 与兵衛が(むせ)び泣いた。

 そのあと。片岡がおはるの両親を呼び、鋼之助に似顔絵を描かせることになった。

 もう片岡は、鋼之助の絵の腕前に疑いを持っていないようだ。それどころか、おはるの両親が来るまでのあいだ、「凄い凄い」と、絵を見て驚嘆していたのである。

 片岡は素直な男であった。

 おはるの両親からも、おはるの容姿を聴取すると、鋼之助はまた十枚近くの絵を描いた。

 おはるの両親は驚いていた。まるで見て描いたと疑いたくなるほど、鋼之助が描いたおはるは似ていたのだ。

 おはるの両親を帰し、与兵衛も部屋から出てもらった。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ