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無能同心  作者: 葉弦
第三章 拠り所と見えぬ解決
22/51

其ノ伍

 時には、やはり自分が足手まといになっているのではと、落ち込みそうになる。だが辰次や新八郎が何かと励ましてくれるので、まだ頑張っていられる。

 それにもしかしたら今日の聞き込みで、新たな証言を得られるかもしれない。

 そう思うことで、鋼之助は自分自身を奮い起たせていた。

 ふと詰所の出入り口に人影が差した。見ると片岡だった。


 「おはようございます」

 「ああ」


 ぶっきらぼうにそう返すと、片岡は大きな欠伸あくびをした。目の下がうっすらと黒い。隈が出来ている。過去の記録の調べが難航しているのだろうか。

 すると片岡がにやりと笑いをこぼした。


 「片岡さん?」

 「わかったぞ」

 「え?」


 そこでまた一つ。片岡は欠伸をした。鋭い目なのに、顔全体は眠たいと訴えている。


 「茶だ、茶をくれ」


 眠気覚ましにするのだろう。熱いお茶が欲しいと訴える。


 「は、はい」


 鋼之助は急いで茶をいれた。片岡はひと口茶を飲むと切り出した。


 「過去の事件記録を調べたが、似た手口の事件は無かった。だが」


 勿体ぶるように、いったん言葉を区切った。


 「だが?」


 鋼之助が釣られて膝を前に出す。片岡は話し上手だ。


 「行方不明の子供がいる。それも二人。半年前のことだ」

 「半年前に……」

 「二人は両国の米沢町に住んでいた。一人は小間物屋の娘の、おゆい。もう一人は、その裏長屋に住む、おはる。当時おゆいは五つで、おはるは三つだ」


 事件記録を調べた片岡は、おちなとおみさの事件と類似する事件が見つからず肩を落としていた。これで探索はふりだしに戻ったと。

 だがもしかしたら見落としがあるかもしれない。そう思い、もう一度過去の事件記録をじっくりと見直した。

 すると、幼女が行方不明になっている事件が目に入ったのだ。

 そしてそれは未解決のまま。

 江戸は百万人もが住む大都市だ。おかげで迷子が多く、一度でも親元と離れると、二度と戻れないと言われるほど。だからこの件も、迷子になったのだろうと深い探索はされなかったそうだ。


 「この件を担当したのが、臨時廻りの方でな。昨夜詳しく話しを聞いたのだが……」


 そうして片岡はまた欠伸を洩らした。立て続けに二回も。顔が疲れきっている。


 「その臨時廻りは、傲ま……いや、権高い方でな、俺の探索に不備があるのかと、ねちねちねちねち……」


 片岡が遠い目をした。


 「…………」


 どうやら片岡は、昨夜大変な目にあったらしい。そのせいで寝不足なのだ。

 上司との関係は大変なのだと、鋼之助は目の前の見本の有り様に、背筋が冷えた。


 「まあ、それはいい。だから今日は、両国に行ってみよう」

 「はい」


 顔に張りついた眠気とは裏腹に、片岡は勢いよく立ち上がった。続いて鋼之助も立ち上がる。

 ようやく事件が進展するかもしれない。そうなればいい。二人の背中が、表門に消えていった。




 ◇◇◇




 小者の太助と岡っ引きの辰次と落ち合い、片岡達一行は両国広小路にやってきた。

 米沢町はここからすぐ横にある。

 おゆいの父親が営む小間物屋こまものやの『千草屋ちぐさや』は二丁目にある。一行は店に向かった。

 千草屋は、間口が二間ほどの中規模の店だ。太助と辰次は店の外で待つことになった。売り物は土間にも置かれている。男が四人も店先に立つとたいそう窮屈であった。

 片岡と鋼之助が土間に踏み入ると、奉公人が客の対応をしているとこだった。

 帳場にいた主人らしき男が、片岡達の姿を見ると、慌てて対応に出てきた。


 「これは、片岡さま」

 「おまえさんが主人かい?」

 「はい。主の与兵衛よへえでございます。ここではなんですから」


 与兵衛が店の奥に目を向けた。奥で話したいとのことだ。片岡と鋼之助は上がり口に上がり、与兵衛の案内で奥に向かった。四畳ぐらいの小さな部屋だ。

 刀を手に取って腰を下ろした片岡達に、与兵衛は出し抜けに訊いた。


 「おゆいが見つかったのでしょうか」


 その声は上擦っている。それだけで与兵衛が、娘をどれだけ大切にしているのかが分かった。


 「いや」


 気の毒そうに片岡が首を横に振るう。とたんに与兵衛の肩が落ちた。


 「そう、ですか……」


 声に力が無い。


 「すまぬ」


 片岡が悲痛な声で謝った。

 片岡からしてみれば、事件の担当ではなくても、普段縄張りにしている地域で起こった事件だ。なのに今まで知らず、歯痒くて堪らないのだ。


 「ところで、そのことで訊きたいことがあるのだが」

 「は、はい」

 「おゆいは裏長屋のおはると共にいなくなったのか?」

 「はい」


 与兵衛の目が懐かしげに細められた。半年前だが、すでに遠いことになった過去を思い返しているのだろう。


 「おゆいとおはるは、年が近いこともあって、とても仲が良かったのです。毎日のように一緒にいて、まるで本当の姉妹のようでした」


 与兵衛は涙を堪えるように、くしゃりと笑ってみせた。


 「血が繋がっていないのに二人はとても顔立ちが似ていましてね。おゆいの母親、私の女房ですが、女房はおゆいを産んですぐに亡くなりました」


 娘は男親に似ると言われるが、おゆいは成長するにつれ女房に似ていったと、与兵衛は言う。


 「もしかしたら、おゆいはおはるに母親の影を見ていたのかもしれません」


 おゆいからすればおはるは年下だ。だが、母親に似ていると言われたおゆい。そのおゆいに似た顔立ちだと言われたおはる。親近感が湧くのは当然の流れかもしれない。


 「おゆい達が行方不明になった数日前から、見知らぬ男を見なかったか?」


 片岡が問うが、なんせ半年も前のことだ。与兵衛が気まずそうに首を横に振った。もっとも、絵に描いたような不審な男を見ていれば、半年前に訴え出ているだろう。

 おちなとおみさ殺しの事件と同じ下手人であれば、中肉中背で特徴の無い顔の男だ。印象も薄いだろう。

 考えるように、片岡が顎をさすった。考え込むときの癖なのだろう。

 しばらくして顔を上げた。与兵衛に問う。


 「では、平永町の田次郎長屋のおちなを知っているか?」

 「いえ」

 「富沢町の柳長屋のおみさは?」

 「いえ、存じません」


 与兵衛は不思議そうに答えた。嘘を言っているようには、鋼之助には見えない。


 「あの、片岡さま」


 すると、みるみる内に与兵衛の顔色が変わった。


 「なんだ?」

 「その娘達とおゆいが、何か関わりがあるのでしょうか?」

 「…………」


 言うべきか。一瞬だが、片岡の顔に迷いが浮かんだ。黙っていても仕方がない、そう思ったのかもしれない。


 (……っ)


 鋼之助の腹に、ちくりとした痛みが走る。心痛を感じると、腹が痛くなってしまうのだ。


 (落ち着け)


 痛みを遠退かせるように、ゆっくりと息をはく。実の親のほうが心にかかる負担は大きいのだ。他人である自分が狼狽えてどうする。

 鋼之助はもう一度、深く呼吸をした。

 そんな鋼之助の心境を針の先ほども知らない片岡は、居ずまいを正して、与兵衛に向かって口を開いた。


 「おちなは一月前に、おみさは六日前に殺された」

 「……っ殺されっ!」


 前のめりになって聞いていた与兵衛が息を飲んだ。


 「もしかして……、片岡さまは、うちのおゆいもと?」


 仰け反り、息づかいが荒い。


 「落ち着け。まだそうだとは決まってはいない」


 片岡の言うとおり、殺されたおちな達と行方不明のおゆい達の共通点は、年齢が近いと言うことぐらい。

 悔しいが、手がかりはそれだけなのだ。


 「気をしっかり持て」


 気力づけるように片岡が言う。

 そうだ。まだ殺されたと決まってはいない。決まっては、いないのだ。






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