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無能同心  作者: 葉弦
第三章 拠り所と見えぬ解決
20/51

其ノ参

 「ほ、ほんとに違いますから」

 「ははは」


 片岡はまったく請け合わない。鋼之助は言い合いできるほど、まだ口達者ではない。

 せめて昨夜描いた絵を持っていればよかったと思いながら、鋼之助は下を向いた。


 (そうだ。あの男の絵を片岡さんに見てもらえばよかった)


 絵を描けた喜びが強く、そこまで気が回らなかった。

 昨夜現場で見た金目の男は、一月前に神田川に捨てられていたおちなの現場にもいた。何らかの関わりがあるのかもしれない。

 鋼之助が後悔しかけたとき、辰次が戻ってきた。

 やはりいい男だ。通り過ぎた若い娘の目が釘付けになっている。

 辰次はそんな娘に興味もしめさず、自身番まできた。


 「片岡の旦那、長吉夫婦の住む柳長屋を見てきました。ついでに長屋の連中と大家に話を訊いてきやした」

 「うむ。それで」

 「へい。どうやら二十二、三の若い男が一人、何度か木戸から長屋を覗いていたようです」

 「特徴は?」


 片岡が問うと、辰次の顔が渋いものになった。


 「それが、これといった特徴のある顔では無かったらしく、体つきも普通だそうで」

 「おちな殺しと同じか」


 これといった特徴も無い、中肉中背の若い男。

 ふと鋼之助の頭に、金色の目の男が思い出された。

 だがあんな特徴的な目だ。そんな特徴を持つ男が長屋の周りでうろちょろしていれば、誰もが覚えているはず。それに顔にも、印象は薄いが特徴がある。


 「よし。過去の事件記録を調べてみるか」


 気合いを入れるように両膝を叩き、片岡が立ち上がった。


 「おちなとおみさの遺体の捨て方の違いには疑問が残るが、下手人が同じ人間の可能性が高い。となれば常習犯であろう。そうなると、他にも似た事件があるかもしれん」


 なんせ今のままでは手がかりが少なすぎると、片岡が言う。

 おみさが犠牲になったのは残念だが、常習犯の可能性があるとわかっただけでも救いだ。


 「はい」


 無意識に鋼之助は、頭の隅に金色の目の男を追いやっていた。


 「佐倉は辰次と柳長屋周辺の探索だ」

 「はい」


 鋼之助は素直に頷く。みならいができることは少ないのだ。

 片岡が鋼之助を見た。


 「おまえは素直だな」

 「……は?」

 「いや、何でもない」


 そうして自身番から出ていった。片岡の言うことは、時々謎かけのように難しい。






◇◇◇◇◇







 「鋼之助っ!」


 次の日の朝。

 七つ半(午前五時)を少し過ぎた頃、鋼之助は義父である新八郎にたたき起こされた。こんなことは初めてである。

 寝惚けまなこに写る新八郎の両手には、木刀。一気に目が覚めた。


 「ち、義父上っ、いかがなさいましたっ?」


 賊でも襲ってきたのかと飛び起きると、


 「鋼之助、庭に出よ」

 「へ?」


 ぱちくりと目を瞬かせる鋼之助に、新八郎が木刀を差し出してきた。思わず受け取った鋼之助。


 「うむ。やる気満々だな」


 と、鼻息荒い新八郎。

 いえ、咄嗟に掴んだだけですと、言う前に庭に連れていかれた。


 「ひっ」


 ぴうっと、冷たい風が肌を撫でる。春と言えど、朝はまだまだ肌寒い。鋼之助は寝間着のままで新八郎と対峙した。

 濡縁の端では、中間の弥彦が二人を見ている。


 「同心のお役目についたのだから、自分の身くらい自分で守られるようにならねばならん」

 「はあ」


 新八郎の言うことはもっともだ。つまりこれから新八郎は、鋼之助に剣術の稽古をつけてくれるということなのだろう。

 しかし、なにもこんな朝早くでなくてもと、鋼之助はあくびを噛み殺す。


 「ではまず正眼の構えをせよ」


 新八郎が木刀を構えた。気迫に押され、鋼之助ももたもたと木刀を構えようとする。

 だが、そのときになって気づいた。


 「あの、正眼の構えとは、どういうものですか?」


 絵筆は毎日のように握っていたが、木刀はまったくといっていいほど触ったことが無い。


 「………」


 言葉が詰まる新八郎、項垂れる弥彦。どうやら先は長いらしい。

 庭に冷たい風が吹いた。






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