其ノ壱
自室に戻った鋼之助は寝間着に着替えた。先ほどは急いでいたので、寝間着を脱ぎっぱなしにしていたが、戻ってくると綺麗にたたみ直されていた。弥彦が直してくれたのだろう。
布団に潜り込み、瞼を閉じる。だが最前にあった殺しのせいか、なかなか寝つけない。鋼之助は横向きになって、ぼんやりとした。
今日はいろいろあった。片岡の足を引っ張ってるかもしれないと考え込み、就寝前に飛び込んできた殺しの一報。
そして、新八郎の本当の性格を垣間見た。
こうやって眠りに入る前になると、一日の出来事がさまざまと蘇ってくる。
これは自分だけなのだろうかと、鋼之助は常々気になっている。
(あ、そうだ)
鋼之助の頭に、金色の目が浮かび上がった。
神田川と今宵あった橘町の殺しの現場の両方にいた男。
その男の目は金色に光っていた。あの不思議な輝きは何なのだろう。
遠い国の人間は、瞳の色が青や金色だという。
(ならば、あの男は異人か?)
いや、そんなふうには見えなかった。見たことはないが、異人は天狗のような顔つきらしい。
そもそも江戸で異人がうろうろはできないし、していたら噂好きの江戸っ子が放ってはおかないだろう。いたら必ず、瓦版が面白おかしく書き立てて、浮世絵にも描かれている。
「………」
ふいに鋼之助の右手が疼いた。
──描きたい。
あの、不思議な金色の目を持つ男を。
そう思い立ったら、鋼之助は布団から飛び出ていた。
描きたい描きたい描きたい。
頭のなかは、それでいっぱいだ。
部屋の隅に置いてある、実家の瀧澤の家から持ってきた柳行李から、馴染みの硯箱を取り出した。
このなかには絵を描く道具一式をしまっている。
養子になることが決まってからというもの、しばらく絵を描く気にもなれず、ずうっと放置したままだったのだ。
鋼之助は墨を擦った。
(ああ、この匂いだ)
久しぶりに、馴染んだ墨の匂いを嗅いだ。それだけで胸がどきどきする。どんなに美しい女の人を前にしても、こんなに胸がときめくことはないだろう。
墨を擦り終わり、紙を文机に広げた。絵筆にたっぷりと墨を吸い込ませ、余分な墨を切る。
そして、真っ白な紙に絵筆をのせた。すいすいと、思いのままに筆が走る。
「はあ………っ」
鋼之助はあの金目の男の姿を思い出しながら、どんどんと紙に描きなぐっていく。そしてついに、
「できた……」
描き上げた絵を見つめ、蕩けたような顔で呟いた。
真っ白だった紙には、あの金色の目の男の似顔絵が出来上がっている。
その目の色にばかり気をとられていたから、ちゃんと思い出せるか心配だったが、こうやって見ると特徴をよく掴んでいた。
くちびるが薄く、少しだけ垂れた目。
「もう、一枚……」
それでも、次に描くほうが、もっと似ているかもしれない。自分自身にそんな言い訳をする。その手には、新しい紙。
鋼之助はふたたび絵筆を握った。
(わたしは、本当に絵を描くのが好きなのだ)
なぜか、涙が零れてくる。
鋼之助は泣きながら筆を動かし続けた。
夜が明けるまで……。
◇◇◇
翌日。
朝方まで絵を描いていた鋼之助は、ほとんど寝ていない。それでも、久しぶりに好きな絵を描けて、目元はしょぼつくが妙に気分は晴れていた。
そんな気分で南町奉行所に出仕すると、すでに片岡真太郎が出仕していた。綱之助は慌ててお茶を入れる。月に兎が片岡の湯飲み。鋼之助は無地の湯飲みだ。
片岡の前に置いた。




