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無能同心  作者: 葉弦
第二章 初めての事件
16/51

其ノ陸

 その日の夜。

 新しい殺しが起きたと、片岡から岡っ引きの手札を貰っている辰次が、佐倉家に飛び込んできた。

 時刻は五つ半(午後九時)を越えている。

 鋼之助は急いで寝間着から着流しに紋付きの黒羽織に着替えて、辰次が先導する夜道を走った。

 途中で大小を差していないことに気づいたが、すでに遅い。鋼之助はそのまま走った。

 やはり刀が無いと楽だった。

 八丁堀から楓川を海賊橋を渡って越え、そこから江戸橋を渡って東に進んで、橘町に来た。

 町外れの古びた仕舞家しもたやに着くと、近所の町人や奉行所の小者達が、すでに家の周りにいた。

 いくつもの提灯ちょうちんの明かりが、ゆらゆらと揺れている。


 「ちょいとすまねえ。佐倉の旦那のお出ましだ。通してくれ」

 「た、辰次……っ」


 妙に仰々しく言うものだから、皆が鋼之助に注目した。上がり症で人見知りの鋼之助はいたたまれない。

 足早に家のなかに入っていく。家のなかは、やはり外から見たのと同じで、傷みかかっていた。障子や襖が黄ばんでいる。雨漏りでもあるのか、畳はぼこぼこして、所々が、ささくれ立っていた。掃除もされてなく、お世辞でも綺麗とは言えない。

 土間から上がり口に上がるため、雪駄せったを脱ごうとすると、辰次が止めた。なるほど。一足も履き物が無い。皆は土足で上がっているらしい。鋼之助もそのまま上がった。


 「ん、佐倉。来たか」

 「片岡さん」


 奥の部屋に行くと、小者の太助がかざす提灯の明かりで、片岡真太郎が死体の改めをしているところだった。

 鋼之助は奉行所でのことを思い出し、少しだけ胸に苦いものが広がった。

 だがそれも、すぐに消し飛んだ。


 「あ……」


 またである。


 「ああ」


 鋼之助の言いたいことがわかっている片岡は重々しく頷いた。その顔は、厳しい怒りに染まっている。

 死体は、女の子のものだった。

 一月前に神田川で見つかった、おちなより、一つ二つ年が上に見える。

 裸のままで、首周りには捻られたさらしが巻き付いていた。


 「そこの二人が見つけたんだ」


 手を合わせていた鋼之助は、片岡が指差した先を見た。壁際で居心地が悪そうに身を寄せあっている男女がいる。十代後半くらいだろうか。名前は、男が一太。この近くの小店の跡取りで、女はお育、同じく近くの小店のひとり娘だそうだ。


 「ここで逢い引きをする予定だったらしい」


 ちくりと片岡が言えば、男女はばつが悪そうな顔をして、下に向いた。

 先に話を聞いていた片岡が、詳しく教えてくれた。

 この仕舞家は、見ての通り人は住んでない。建て直す予定らしいが、なかなか普請が決まらず、延び延びになっていたそうだ。だから、かっこうの逢い引きの場だったらしい。

 今夜も二人は楽しむために忍び込んだ。

 もつれ合うように、この部屋になだれ込み……。そこで違和感に気づいたらしい。

 男の手が妙な手触りのものに触れた。相手の女の柔肌とは違う。何かがいる。まさか、先客か? そう思って声をかけた。

 だが返事はない。男は持っていた提灯に火をつけた。すると。


 「先客は死体だった、というわけだ」


 片岡が話を締め括った。死体の傍らに膝をつき、


 「見てみろ」


 と、鋼之助を呼んだ。

 言われた通りに、鋼之助は片岡の隣に座った。間近に見えた死体は、少し色黒の肌だ。きっと生前は、元気に外で遊んでいたのだろう。


 「死因は絞殺だろう。……犯されたような痕もあった」


 痛々しげに片岡の顔が歪む。鋼之助も胸が重くなった。それを振り払うように片岡が声を上げる。


 「この死体も裸だ。おちなは川に捨てられていたから、水流で着物が剥ぎ取られたと思っていたが、違うようだ」

 「はい」


 片岡の言うことを一文字も聞き洩らすまいと、鋼之助は頭のなかに書き込んでいく。

 犠牲になったのは、小さな女の子。

 犯され、裸で捨てられていた。

 死因は首絞め。


 「おちなとの共通点が多い」

 「はい」


 犯人は同一人物なのだろう。


 「ただ」


 片岡は、そう言ってしばらく黙り込んだ。何を考え込んでいるのだろうか。経験の浅い鋼之助には、わからない。片岡は、じぃっと、死体を見つめている。それから天井を見上げた。そして、ぽつりと。


 「雑すぎる」


 と、言うと、戻した頭を小さく振った。


 「雑、ですか?」


 片岡の意図することがわからず、鋼之助は首を傾げた。


 「ああ。死体の捨て方が雑なんだ。おちなは片足に縄をくくりつけられて沈まされていた。なのに、この死体は、乱暴を働いたあとのままだ」


 この違いは何だ。考え込む片岡が、顎をさすった。


 (すごいなあ)


 胸のなかで、鋼之助は驚嘆していた。事件を解決するには、見たままのことを並べるだけでは駄目なのだ。事実と事実を比べ、そして違いを知る。事実の、そのまた奥にあることを見なければならない。難しいことだ。自分にちゃんとできるのかと、鋼之助は腰が引けそうになった。


 「死体を動かすまえに、あの二人が来たのでは?」


 今まで黙っていた辰次が口を挟んだ。


 「それも考えられるが……。死体の具合がな、こいつは殺されたばかりじゃねえ。少なくとも一日は経っている」


 辰次は納得したようで、素直に引き下がった。


 「まあ、今、調べられるのはこのくらいだろう。太助、外の奴らを呼んでくれ。死体を番屋に運ぶ」


 自身番のことを番屋とも言う。


 「へい」


 辰次に提灯を渡して、太助は出ていった。片岡は死体の発見者である男女に、帰っていいと伝えた。二人はあからさまに、ほっとしていた。殺しの疑いをかけられなくて、安心したのだろう。

 せっかくの密会であったのに、不運なことである。

 男女に続いて、鋼之助達も家から出た。


 「もう、町木戸も閉まる。まっすぐ帰れよ」


 からかう片岡に、男女は苦笑いを向けて帰っていった。もしかしたら、このあと違う場所でしけ込むのかもしれない。


 「あいつら、場所を代えてやるな」


 同じことを考えたらしく、片岡かがにやりと、笑った。鋼之助も苦笑いを返した。よく死体を見たあとで、そんな気になれるものだ。

 それも、あんな酷いことをされた死体をまえに……。

 死体を前にしても、しょせんは他人事なのかもしれない。他人の悲しみは、他人のものなのだ。

 戸板に乗せられて、死体が運び出された。かけられた筵の膨らみの小ささに、周りからどよめきが起きる。

 野次馬達は、こんなに小さな子が殺されていたとは知らなかったのだろう。誰からともなく、手を合わせる。

 なぜ、こんな小さな子供が、そんな対象になるのか。

 下手人の心が、何ひとつわからない。

 提灯を持った小者が先立ち、そのうしろを、戸板を持った四人の男が続いた。

 暗い夜道でのその姿は、不思議な光景だった。


 「佐倉、今夜はもう帰っていいぞ」

 「はい、わかりました」


 片岡と辰次は番屋まで付いて行くようだ。鋼之助は片岡にお辞儀をし、来た道を戻ろうとした。

 路地を曲がろうとした、そのとき。

 強い光を目の端に感じた。


 (なんだ?)


 曲がり角の町家の軒下に身を隠し、死体が捨てられていた仕舞家周辺に目をくれた。野次馬がぞろぞろと引き上げようとしているとこだった。

 しかしそのなかに一人だけ、直立不動のまま、死体を運ぶ一行を強い目で見つめている男がいた。






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