其ノ弐
「神田川のどこだ? 案内しろ」
片岡はもう自身番から出ている。鋼之助も慌てて片岡についていく。初めての事件だが、まだ実感が湧かない。それよりも、置いていかれないようにという思いが強かった。
「へい」
入ってきたときと同様に、船頭は忙しなく自身番を飛び出した。そのあとを片岡が、そのまたあとを鋼之助と太助が追う。
その道すがら、若い船頭が成り行きを語った。
この若い船頭の親方が猪牙舟を操っていると、櫂に不自然な塊が当たったそうだ。
長年船頭をしている老練の親方は、それが石などのものとは思えず、他の手下の船頭に潜らせてみた。すると、
「土左衛門だった、か」
片岡が引き継いだ。土左衛門とは、水死体のことだ。
ちらりと、片岡が振り向いた。
「大丈夫か?」
息を乱さずに鋼之助に問いかける。今日の朝、鋼之助は倒れたばかりだ。気にしてくれているのだろう。
「は、はいっ」
片岡とは正反対に、鋼之助は息も切れ切れに返答した。
本当は、声を出すのも辛い。でも、そうは言ってられない。鋼之助は懸命に走った。不幸中の幸いは、神田川は紺屋町からすぐのとこにあることだった。
若い船頭に続いて、紺屋町から路地を曲がり、神田川沿いにある柳原土手を左手に走る。新シ橋くの土手下に人だかりができていた。どうやらここが現場のようだ。
近くの小さな河岸に、猪牙舟が何隻か着いている。ここの舟が、土左衛門を引き上げたのだろう。
「あ……」
鋼之助は思わず息を飲んだ。
人垣の間から、真っ白いものが見えたのだ。
「片岡の旦那」
土左衛門に近づかないように、人だかりの整理をしていた背の高い男が呼んだ。
銀鼠色の着流しを尻端折りにしている男の姿は、遠目からでも鯔背だった。それは岡っ引きの、
「辰次じゃねえか」
巣っ頓狂な声を上げた片岡が続ける。
「なんでえ、今朝は俺に顔を見せねえって思っていたら、土左衛門と逢い引きか?」
皮肉る片岡に、辰次は苦笑う。
「旦那、止めてくださいよ」
「おい、佐倉。こいつは暇があったら女のとこにしけこんでやがるんだ」
「はあ」
片岡の拗ねたような物言いに、鋼之助はつい含み笑う。辰次を相当に信頼しているのだろう。だから今朝顔を見せなかったのが気に食わないのだ。
「まあいい。それで、死体は?」
「へい、こっちです」
表情を引き締めた片岡は、辰次に案内されて、ずぶ濡れの死体に寄っていった。鋼之助も続く。
(やっぱり……)
先ほど見た、あの白いものの正体は、やはり水死体の足だった。まだ筵をはかけられてなく、痛々しい。
血の気がない真っ白な死体が、裸で草はらに寝かせられている。
「……酷いな」
死体を見て、片岡が悲痛な声を上げた。手を合わせ祈る。
「はい」
鋼之助も同意し、手を合わせた。
死体は、あまりにも幼い女の子のものだった。
「身丈からみるに、年の頃は五、六歳ぐらいか。首に絞められたような痕があるな。それと、この左足は」
死体を改めていた片岡に、辰次が呼んだ。
「旦那。引き上げた船頭によると、死体の左足首に縄が巻かれ、重石が付けてあったそうで。あれが、そうです」
死体から少し離れたとこに、縄が付いたままの袋があった。その中から石が覗いてる。
「じゃあ、この足首の痣はそれか」
「へい」
「ふむ。他には傷は無いようだが」
顎に手を当てた片岡の後ろで鋼之助は、
(ん?)
ふと、強い視線を感じた気がした。鋼之助はあたりを見回してみる。すると人だかりの奥から、若い男が熱心に幼い死体を見つめていた。
(えっ?)
するとその目が一瞬、異様な光を放った気がした。なんだろう? そんなことをぼんやり思っているうちに、黙考していた片岡が鋼之助を呼んだ。
「佐倉、これまでで、わかったことを言ってみろ」
ちゃんと、死体と現場の状況をわかっているか、みならいである鋼之助を試してみるようだ。
「は、はい」
落ち着け。自分に言い聞かせる。
「あの、この子供は、首を絞められたあとに、左足首に重石を付けられて、川に捨てられた、と……?」
「うん、そうだ」
良くやったとばかりに、片岡が笑った。が、そのあとに「簡単すぎたな」と、付け加えた。
そうして、もう一度じっくり死体を見直した。鋼之助もならう。
真っ白な肌は、人形のようだった。白くて、白くて……。
この身体が、かつて町を歩き、喋っていたとは思えない。むしろ、これは本当に死体なのだろうか? 見世物小屋なんかで使う悪趣味な人形なんかではないのだろうか?
初めて死体を目の当たりにした鋼之助は、そんな気さえしていた。
だが、これは本当の死体なのだ。
(まだ、こんなに幼いのに……)
なぜ殺されなきゃならなかったのか。
この名前の知れない死体は、おそらく姪と同じくらいだろう。
「……っ!」
すると突然、胸から押し上げてくるものがあった。