エンジュの提案
「はぁー……っとにもう最悪よ!」
ナナシは不平を漏らしながら、机を叩く。彼女の頭にはぽっこりとコブができていた。
あの後、結局村長に捕まって、ルーフ、エンジュ、ナナシの三人はキツイお叱りを受けた。ナナシはエンジュが強引に連れ出したせいだと抗議したが、連帯責任ということで、三人平等に脳天に村長の熱い鉄拳をくらった。
ナナシ同様に頭にコブを作ったルーフがやって来て、ナナシの向かいに座る。
「ナナシ、そんなに怒ったって仕方ないよ。おばあちゃんも言ってた。短気は損気って。だからいい加減機嫌直しなよ」
「ルーフ、あなたは腹が立たないの? あのバカのせいで村長に拳骨されるの何度目だと思う?」
「い、いや……そりゃ数えきれないけれども……」
「でしょ? 私はエンジュの考えなしに付きあうのはもーこりごりだから!」
エンジュに言えばいいのに……とルーフは思ったが、まるで火に油を注ぐようなので、そっとしておくことにした。触らぬナナシに祟り無しである。
ルーフは窓の側まで歩いて行って、夜空を見上げつぶやいた。
「今日は星が綺麗だね」
「そうね」
ルーフが窓を開ける。すると、一筋の風が流れ込み、ナナシの髪をさわさわと揺らす。
ナナシは垂れた前髪をさらりと描き上げると、テーブルの上に置かれた本を手にとった。栞が挟んであるページを開き、活字の世界に没入していく。
ナナシは今、『灰色の橋』というタイトルの本を読みふけっていた。
本の内容はこんな感じだ。
――今より100年程前。世界は戦火に包まれていた。
各国が覇権を争い、日夜戦争を繰り広げていたのである。数ある国の中でも特に力の強い国が3つあった。
草原の国エルデ。猛火の国フレイリィ。そして、海鳴の国マリンピアである。
この三大国が中心となって、広がり続ける戦火は世界中を巻き込んでいく。かつて大陸全土で繰り広げられていたこの戦争を、統一戦争と呼ぶ。
しかし、そんな大きな戦争が一時、休戦状態になったことがあった。とても戦争をしている場合ではない事態が起こったのである。
あるときマリンピアが最新兵器による火力作戦を実行した。
それは人類に扱える力ではなかったのかもしれない。
結果、兵器は暴走してしまい、紅蓮の炎が全てを焼きつくした。炎弾は途方も無い数の犠牲者を生んだ。そしてそれと同時に、大地に大きな穴を開けた。
この時、大地にぽっかりと空いた風穴が、俗にいう常闇の大穴グレイブホールである。
穴はエルデとフレイリィの国境をまるごと飲みこんでしまうほどの大きさで、両国の国交は断絶されてしまった。底が見えない程深く、光が届かないことから、常闇の大穴と呼ばれるようになったのだ。
大穴を開けた兵器はマリンピア政府によって海の底に沈められ、人が到達できないような深海に幽閉されたと伝えられている。兵器はそれほどまでに強力で、二度と人が手にしてはならぬ代物なのである。
穴の底がどうなっているのか、未だ研究はほとんど進んでいないが、長い年月をかけ、ようやくエルデとフレイリィを結ぶ大きな橋が完成した。石造りの灰色の橋はグレイブリッジと呼ばれ、両国の国交の回復を図るとともに、平和のシンボルとされた。
橋の建設によって戦争は真の終わりを告げ、三大国は合併し帝国エルデンテと名乗るようになったのである。
灰色の橋グレイブリッジは、平和の象徴であると同時に、紛れも無い戦争の爪痕なのだ。
だが、忘れてはならない。地面に風穴を開けた兵器は今もこの海のどこかに眠っているのだ――
ナナシが次のページを捲ろうとした時、騒々しいノック音が家の中に響き渡る。
「あ、エンジュだ」
窓から顔を出したルーフがつぶやく。
ナナシは静かに本を円卓の上に置くと、ゆったりとした足取りで扉に向かう。そして静かに扉を開けた。
扉の前にいたのは、頭にこぶができているエンジュだった。
彼は挨拶がてら手を振りながら、にこやかに言う。
「どっか遊び行こうぜ!」
その瞬間、ナナシの渾身の飛び蹴りが炸裂する。とっさの飛び蹴りに反応できずに、エンジュはもんどりうって地面に倒れた。
「ぐ、ぐふっ……」
「エ、エンジュー!」
心配するルーフが窓から飛び出し、倒れたエンジュのもとに駆け寄る。
「エンジュ、大丈夫?」
ルーフに助け起こされながら、エンジュは苦しげにつぶやく。
「ル、ルーフか……俺はもう、ダメだ……。冒険の隊長はお前に任せる。後のことはよろしく頼んだ……ぜ……」
その言葉を最後に、エンジュはルーフの腕の中で力なく目を閉じた。
「エンジュー!!」
夜のチコリ村にルーフの叫びがこだまする。
窓の近くで見ていたナナシは、二人を指さし言った。
「ふんだ! ずっとそこで茶番してればいいのよっ!」
ピシャリと言って、むくれた顔でさっさとテーブルに戻り、再び本を開く。
エンジュはむくりと起き上がり、ルーフと顔を見合わせ苦笑する。
やがて、二人は窓脇に立ちナナシに呼びかけた。
「おうい、ナナシ~。いつまでもむくれてないで、さっさと行こうぜ!」
「イヤ」
「なんでだよ? こんなに星が見える日は滅多に無いぜ?」
「イヤよ。行きたいなら一人で勝手に行けばいいでしょ」
エンジュは横にいたルーフを見てからつぶやく。
「……でも、ルーフも行く気満々みたいだぜ」
「な、ルーフ! 馬鹿な真似はよしてよね! 今、何時だと思ってるの?」
「夜の七時くらい?」
「夜遊びは悪い子のすることよ。わかったら早く家に入りなさい。寒いから風邪引くわよ」
「いいよ、ぼく。今日の星空は一際綺麗だから、もっといい場所で見てみたいんだ。風なんかひかないからへっちゃらさ」
「もう、バカなこと言わないの!」
窓から首を出して言ったナナシに対し、エンジュが顰め面で言った。
「ナナシよお……お前、心配し過ぎなんだよルーフのこと。こいつだってもう十歳だ。お前に心配される年じゃねぇんだよ」
エンジュの言葉に首肯するルーフを見て、ナナシは一瞬返答に困ったが、すぐに口を開いて小言をつぶやいた。
「む……でも、だからって夜遊びは良くないわ! だいたいこんな時間にアンタ達、どこに行くつもりなのよ?」
ルーフとエンジュは顔を見合わせると、口を揃えて言った。
「「シルベ山!」」
シルベ山とはチコリ村からほど近いところにある小さな山のこと。付近にはシルベの森呼ばれる森林が広がっていて、森を抜けた先には広大な草原、アルヴ草原が広がっている。そして、草原の彼方には、王都エルデンテが存在するのだ。
村の付近を流れるリロイル川に沿って歩けば、すぐにシルベ山の麓にたどり着く。野生動物も多く生息しており自然が豊富なので、村人もよく狩りへ行ったりする。いわば里山のような山である。
嬉しそうな顔をしている二人を見てナナシは深い溜息をついた。
「はぁ……あのね、いくらシルベ山って言っても夜は危険なのよ? 暗い夜道を歩いて、崖から落っこちないとも限らないじゃない」
すると、エンジュが何やら得意げな顔でポケットを探りだす。
「ふふん。その点なら抜かりはない。ちょっと良いものを見つけたんだ」
エンジュがズボンのポケットから取り出したのは、菱型の小さい石。
「しっしし。見てろよ、これをこうやって月の光にかざすと……」
エンジュは持っていた石を空に浮かぶ月にかざす。すると驚くことに、それまではただの石ころだったものが、突然淡い光を帯びて発光し始めたのだ。
「す、すごいよエンジュ! ぼく、こんなの初めて見た!」
「な? すごいだろ? この石があれば夜道だってへっちゃらだぜ!」
ナナシは光を帯びた石を見つめてつぶやく。
「ムーン……ストーン……。エンジュ、その石どこで拾ったのよ?」
「お? ナナシ、お前この石知ってたのか?」
「いいから、どこで拾ったの?」
「そう、がっつくなって。拾ったっていうか、置いてあったんだ」
「置いてあった?」
「ああ。親父の鉄拳制裁を受けた後、部屋に戻ったら机の上に小さな包み紙が置いてあってさ。――勇敢な君への贈り物だ。きっと君の冒険に役立つことであろう――ていう手紙と一緒にこの石が入ってた。誰が置いていったのか知らないけど、ラッキーだよな」
浮かれているエンジュとは対照的に、ナナシは眉根を寄せ、石を見ながら考えこむ。
おかしい……。ムーンストーンと言えば、幻の金属オリハルコンに次ぐレアメタル。原理は不明だが、月光を当てると、淡い青白い光を帯びることからムーンストーンと名付けられた。市場でも驚くほど高値で取引されており、滅多なことではお目にかかれない石である。なんでそんな貴重な石がエンジュのもとに……。送り主は一体何を考えて、石を置いていったのだろう……。
「――シ! ナナシってば! どうしたのさ急に黙りこんで?」
「いや……だっておかしいと思わない? なんでそんな貴重な石が、こんなアホのもとに贈られるわけ? どう考えても納得出来ないわ」
「あ、アホってお前なぁ……」
すると、ルーフはのほほんとした口調でつぶやいた。
「ぼくはおかしいとは思わない。むやみに人を疑うは良くないもん。きっと、良い人がたまたま通りがかったんだよ」
「そうそ。ルーフの言う通り」
「アンタ達は考えが甘すぎるのよ」
「あっそ。ナナシは行きたくないんだとよ。もう俺らで行こうぜルーフ」
「そっか、ナナシが来ないのは残念だけど仕方ないね」
そう言って、二人はとぼとぼと歩き出す。
ナナシは二人の背中に向かって言った。
「ち、ちょっと待ちなさい! 私も行く!」
「お、どういう風の吹き回し?」
「〝お目付け役〟としてあなた達を放っておく訳にはいかないの!」
「けっ! 行こうぜルーフ」
そうつぶやくエンジュの顔は笑っていた。口には出さないけれど、ナナシがついてきてくれてエンジュも嬉しいのだ。それを察してルーフは小さく微笑んだ。
◆
村を出発したルーフ達はシルベ山へ星見に行くため、リロイル川に沿って歩いていた。月光を受けたムーンストーンが足元を照らす。
夜という時間帯も手伝って、気温は低く肌寒い。ルーフとエンジュは首に暖かそうなマフラーを巻いている。ナナシは愛用のロングコートを羽織っており、首にもマフラーを巻いていて、完全防寒である。
川の水面には美しい月が映しだされている。森は静かで、どこかから梟の鳴き声が聞こえてくる。
川沿いの並木道を歩きながら、ルーフはふと空を見上げた。黄金色に輝く月の姿は、木々のざわめきと相まって、絵画のように現実離れした情景を醸し出している。
あの日もこんな月夜だったっけ……。
夜空に浮かぶ月を見ながら、ルーフはナナシと初めて出会った時のことを思い出していた。あれはそう……エンジュと一緒に、珍しく街へ出掛けた時のことだった――
次回からちょっとした過去のエピソードに入ります。




