黄昏のセレナーデ
終章 黄昏のセレナーデ
帝国暦 508年 アルネルの月 15日
ここはチコリ村。シルベ山の麓にある小さな田舎の農村である。周りは山林に囲まれており、朝の空気は格別素晴らしい。比較的高地なので、村から見える景色も絶景である。
だが、そんな美しい景観に不似合いな音が村はずれの家に響き渡っていた。
――ドンドンドン! ドンドンドン!
けたたましいノック音に、枕に顔を埋めている不機嫌な少年の名はエンジュ・ダグ。
うるさいなぁ、もう! 今、何時だと思ってるんだよ!
と、がちゃりと戸が開いた。
「こら、エンジュ! いつまで寝てんの、今日は仕事でしょ! 早く起きてよ!」
「な、ナナシ!? お前、何勝手に人の家に入って来てんだよ!」
「るさいわねっ! 早く起きなさい! くぬくぬっ!」
ナナシに肘ぐりぐり攻撃を喰らって、エンジュはのっそりとベッドから起き上がる。
窓から差し込む心地よい日差しが彼の顔を照らしだす。
「…………」
「ぼーっとした顔して……どうしたの?」
「いや……なんかずっと、長い夢を見ていたような気がしてさ。なんか俺、帝国騎士になってた。かっこいいよなぁ~」
「寝ぼけたこと言ってないで、さっさと支度してよね!」
ナナシはそう言うと、エンジュの箪笥を勝手に開けて、勝手に服を取り出し始めた。
「わ、わ~っ! バカ、勝手に箪笥開けんなよ!」
「別にいいじゃない。何を隠してるわけでもなし」
「そう言う問題じゃないの! 言いから出てけ、このお節介女!」
エンジュはナナシを強引につまみだし、戸を閉め、しっかり鍵をかける。昨日、鍵をかけ忘れたのは失敗だった。
身支度をさっと整えて、待っていたナナシと一緒に村長の家へ向かう。
エンジュとナナシの仕事は運び屋。村で取れた作物を荷車で近くの港町まで運ぶのだ。
今日も村長の家に集められた村の作物を荷台に乗せ、村を出発する。これでも大事な仕事で、村人からも感謝されているのだ。
その帰り道。太陽が沈みかけてきた頃、二人はリロイル川のそばで休憩を取ることにした。シルベ山を源流としているリロイル川の水はとっても澄んでいて美味しい。
川の水を手ですくって飲みながら、エンジュがつぶやいた。
「なぁ、ナナシ」
「なに、エンジュ?」
「なんつうかさ……俺たち、何か大切なものを忘れてるような気がしないか?」
「大切なものって?」
「う~ん……それがよく分からねえんだよなぁ。……あー、モヤモヤするっ!」
水面を見つめながら、ナナシがつぶやいた。
「でも……私も分かる気がする。なんていうか、心にぽっかり穴が開いたって感じ」
すると、エンジュが立ち上がり勇み足でつぶやく。
「よおし! こういう時はあの場所へ行くっきゃねえ!」
「あの場所、ってどこ行くつもり?」
そこはエンジュのお気に入りの場所。何か嫌なことがあった時はいつもそこへ出向いて、心をすっきりさせるのだ。
「決まってんだろ! シルベ山だ!」
二人がシルベ山の頂上にやって来る頃には、空はすでに茜色。
頂上から見える景色は絶景だった。
傍に生えていた一際大きな樹の根本に二人は腰を下ろした。
ナナシが雲の向こうを指さし言った。
「ねえ、エンジュ。〝世界樹〟って知ってる?」
「知ってるさ。はじまりの大樹だろ?」
「うん。でもさ、誰も世界樹を見たこと無いんだって」
「当たり前だろ。伝説の樹なんだから。本当にあるわけないじゃん」
「……いつか、世界樹を――」
ナナシの話が途中で止まる。エンジュは不思議そうにナナシを見つめた。
「どうしたナナシ?」
「今、一瞬、男の子が頭に浮かんだの。アッシュブロンドの髪で、綺麗な新緑色の瞳をした男の子」
「誰だよ、そいつ」
「う~ん……思い出せない……。けど、大切な友達、だった気がする」
「大切な……友達……」
突然、エンジュの脳裏に見たことのないはずの情景がよぎる。エンジュはナナシと、もう一人……男の子と一緒にここで木に自分の名前を刻んだ。
「妙だな……でも、確かにそんなことがあった気がする」
「何が?」
「いや、俺とナナシと、あと……何故か思い出せないがもう一人。三人でシルベ山の頂上で、樹に名前を刻んだんだよ。ナナシ、覚えてないか?」
「言われてみると……そんなことあった気がする」
「どうして、身に覚えのない記憶があるんだ? しかも俺もナナシも。あ~……なんか気持ち悪いぞ~!」
エンジュが頭を掻きむしる。ナナシは顎に指を当ててて考え込んでいる。
やがて、ナナシがつぶやいた。
「そうだ! 気のせいかどうか試してみましょうよ」
「へ?」
「だって、シルベ山の頂上の樹って、今、私たちが腰かけてるこの樹しかないでしょ」
「お前、冴えてるな!」
早速二人は樹を調べ始めた。しかし、どこを探しても、名前を刻んだ跡などどこにも見つからなかった。
「やっぱり気のせいか」
「そうね。でも……いいわ。もう考えるのはよしましょう。帰ろっか、エンジュ」
「ああ。村長にどやされる前にな」
二人は立ち上がり、急ぎ足で山を下りていく。
黄昏の空に一陣の突風が吹いた。風が小夜曲(セレナーデ)を奏でるようにシルベ山の樹を揺らす。
揺れた拍子に、もろくなった樹皮が崩れ落ちる。
そこにはしっかりと文字が刻んであった。
エンジュ・ダグ。
ナナシ。
そして、ルーフ・ノート、と――。
END
「True-end」完結!
いやー長かった! ここまでお付き合いいいただいた方々、本当にありがとうございます!
「True-end」は僕が初めてシリアスものに挑戦したお話です(全然シリアスになってなかったらごめんなさい)。それまでは笑って明るくハッピーエンドな物語ばかり書いていたので、シリアスで重い展開には筆が止まることもしばしば。特に、ナナシが死んでしまうシーンは書いてて辛かったです。ヒロインを殺す、というのは僕の中では一種のタブー、禁じ手みたいに思っていたところがあって、このまま進んでいいのか? という思いが常に頭につきまとってました。しかし、終わってみれば。ナナシは最後までこの作品のヒロインでいてくれたと思う。彼女がいたから物語は無事完結できた、とそう思います。
結構長めのお話になってしまい、読者の皆様にとっては読むのに苦労されたかもしれません。重ね重ねになりますが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
それでは、またどこかで。




