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True-end  作者: 秀田ごんぞう
第三章   ―― 崩壊の先陣者 ――
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再会


 砦は塔のような構造になっており、エンジュは螺旋状の階段を上へ上へと登っていく。砦内には魔物はいなかった。ただ、おびただしい数の、神官達の遺体がそこかしこに転がっている。

 ただの遺体ではない。ある者は胴体が真っ二つに千切れており、抉り取られた目玉がその横に粗雑に捨ててあった。またある者は顔以外の体のありとあらゆるパーツがねじ切られていた。恐怖に怯え、絶望の表情のまま死んでいた。

 遺体という遺体が皆全て、形容し難いほどの無残で残酷極まりない殺し方をされており、吐き気を催すような光景だった。


 最上階が近づいてくる。向こうの方から差し込んでくる眩しい光に目がくらむ。

 エンジュは砦の頂上に足を踏み入れた。そこここで熾火がぱちぱちと燃えあがっている。

 その渦中で一人の少年が立っていた。肩にかかった見目麗しいアッシュブロンドの長髪をさらりと掻き上げると、その白皙な顔が露わになる。彼は新緑の瞳でエンジュを一目見て目を丸くする。

「エンジュ……?」

 声には聞き覚えがあった。いや、聞き覚えなんてものじゃない。何年も一緒に居たから耳に染みついた……そんな感じだ。

「その声……お前、まさか……」

 エンジュの心臓の鼓動が速くなる。エンジュの推測が正しければ、眼前に立っている少年は八年前に行方不明となった――


「ルーフ!?」


 ルーフの方も心底驚いているようで、エンジュに駆け寄った。

「どうしてエンジュがこんな所にいるの?」

「それはこっちのセリフだ! お前今までどこで何してたんだよ!? すっ……げえ心配したんだからな!!」

「ご、ごめん。あの時は、エンジュに挨拶する時間が無かったんだ」

「はぁ? どういう意味だよ? ……と、こんな事してる場合じゃねぇ。ルーフ、早くここから逃げるんだ! 魔物の大軍が攻めてきて、この砦を襲ってる!」

 エンジュの言う通り、再会の感動に浸っている場合ではない。王都に魔物の軍団が攻め寄せており、この砦もいつ陥落するか分かったものじゃない。一刻も早くここから離れなければ。

 しかし、エンジュの心配と裏腹に、ルーフは全く慌てた素振りを見せず、むしろ落ち着いた顔で言う。

「ああ……そんなことか。それなら大丈夫だよ」

「何言ってんだ、バカ! 早くしないと、この砦もいつ崩落するかわからない。俺が先頭。しっかりついてこいよ!」

 ルーフは穏やかな口調でつぶやく。どうしてだろう……エンジュにはルーフの顔が笑っているように見えた。

 ルーフは窓の向こうに視線を移してつぶやいた。

「大丈夫だよ。彼――オーディーンはもうここには来ない。お城に向かったからね」

「おいルーフ。お前それ、どういう……」

「この砦に侵入するのに手伝ってもらったんだ」

「何言ってんだよ、ルーフ……?」

 その時、ある男の遺体がエンジュの目に写った。その男こそ、エンジュがこの八年ずっと憎んできた、帝国教会大神官、フォズ・レイルザードだった。フォズは五体をずたずたに引き裂かれ、あらゆる内臓が飛び出し、皮膚という皮膚が焼けただれており、かろうじてフォズだとわかるような状態だった。

「大神官フォズ……」

 ルーフは地面に転がっていたフォズの腕を、道端に落ちている小石のように蹴飛ばした。

「こいつが悪いんだ。こいつのせいでナナシは……。だから、僕が殺した。笑っちゃうくらい弱かったよ。大神官、だっけ? 拍子抜けだよね、アッハハ……!」

 エンジュは語気を荒げた。

「……ルーフ、お前……自分が何言ってるかわかってんのか……?」

 すると、ルーフは目を細め、エンジュを憐れむような目で見つめる。

「エンジュ……君がどう思おうと勝手だけど、僕は僕自身の意志で行動した。僕の心が決めた正義に従って行動したんだ」

エンジュはフォズの遺体を見下ろし、ほくそ笑む。長い間心の奥に押し込めていた憎しみが零れ出した……そんな笑みだった。

「ははっ……ざまあねえ……こいつの末路がこれか……」

 だがすぐに、エンジュの笑みは憤りに満ちた顔に一転する。エンジュは鋭くなった双眸でルーフを睨むと、いきなり彼を押し倒した。

「このバカ野郎! なんで……なんで殺したんだよォ!」

「…………」

 ルーフは能面のような顔で、エンジュをじっと見つめたまま沈黙していた。エンジュの瞳からぽたぽたと涙の雫が溢れはじめていた。

「なんで……。殺しちまったら、こいつと同じじゃねぇかよ! どうしてお前が手を汚さなきゃならねえんだよ……!」

「それは違う」

 ルーフはきっぱりと言った。

「エンジュが気に病むこと無いよ。僕はあいつを憎んでいた。それこそ……憎しみで全身が沸騰するほどにね。それに……僕が直接手を下さずとも、遅かれ早かれ、奴は死ぬ運命だった」

「……どういうことだ?」

「だってそうでしょ? 帝国教会の大神官ともなれば絶大な権力の保持者。ともなれば当然、奴の存在を疎んでいる者も大勢いるということさ。例えば……エンジュ、君のようにね。君もフォズを殺そうと思っていたんだろう?」

「…………」

 エンジュはルーフの言葉を否定することが出来なかった。自分がフォズを憎んでいたのは紛れもない事実だったから。それでも、ルーフの言葉には納得できなかった。彼の考えを受け入れてはいけない気がした。

 沈黙を続けるエンジュを余所に、ルーフは話を続ける。

「……だから彼の死は仕方が無いこと。自分自身で招いた死だったんだ。奴にはふさわしい末路だと思うね。ねぇ、エンジュ、君もそう思わない?」

 エンジュはルーフをじっと見てから、つぶやいた。

「ナナシが……こんなことして喜ぶとでも思ってんのか……?」

「……喜ぶに決まってるよ」

 ルーフの言葉を聞いた途端、エンジュは彼を殴りつけた。ルーフの口元がわずかに血で滲む。

「お前、どうかしてるよ! あいつがそんなことを望むわけない! ルーフ! お前はナナシがどんな奴だったのかも忘れちまったのかよ!」

 激昂するエンジュと対照的に、ルーフは落ち着いた口調で穏やかにつぶやいた。

「……エンジュ、どうかしているのは君の方だろ」

「んだと!」

 ルーフは胸倉を掴むエンジュの手を押しのけて言う。

「エンジュは何とも思わないの? ナナシはこいつらに殺された。ナナシは何も悪いことなんてしてないのに……。理由なんて……それだけで充分だよ」

 ルーフの声がどんどん大きくなっていく。それと同時に口角がじわじわと上がり始めた。

笑っている。ルーフは笑っているのだ。

 エンジュを見るルーフの目つきが鋭くなる。

「こんな奴ら生きていても何の価値も無い。僕はこの八年間、調べたんだ。教会の事や、エルデンテ帝国建国の歴史について。調べれば調べるほど、教会が腐った組織だっていうことが分かっただけだったけどね。本当にく下らない奴らだよ。エンジュ、聞いてくれよ。こいつ、大神官さ……僕になんて言ったと思う? 『金でも名誉でもなんでも好きなものをあげるから助けてくれ』だってさ。本当笑っちゃうくらいの屑野郎だよね」

 どうしてだろう……エンジュには目の前のルーフが、以前とは全くの別人に思えてならなかった。以前のルーフはこんなことを平然と言ってのけるような人間ではなかった。

 あの頃の、自分の知っているルーフは、虫を殺すことにさえためらいを覚えるような優しい性格だった。この八年で、ルーフに何があったのだろうか――

「なあ、ルーフ……お前どうしちまったんだ……?」

「何が?」

 ふと、ルーフの顔から笑いが消えた。きょとんとした顔でエンジュを見つめている。

「お前、随分雰囲気変わった。八年前はそんなこと絶対言わなかった。教えてくれよ、ルーフ。お前、この八年間どこにいたんだ?」

 ルーフはエンジュに背を向け、砦に開いた風穴の向こうを見つめながらつぶやいた。

「僕はザダークにいたんだ」

「ザダーク? そんな街の名聞いたことねえぞ」

「……当然さ。ザダークは闇に隠された街だから」

「闇に隠された……?」

「こちら側では、確か……ニヴルヘイムって言われてる」

「ニヴルヘイムだと!? 何だって、んなとこにいたんだよ!?」

 ルーフは虚空を見上げてつぶやく。

「……八年前のあの日。霧の洞窟で、僕は妖精に導かれたんだ。出てきてよ、シルフィー」

 すると、小さな妖精がルーフのマントの影からひょっこり顔を出す。そのままルーフの顔前に飛んでいって彼の肩に腰を下ろす。

「ザダークでは妖精王が僕を待っていた。僕には不思議な力が宿っているらしい。妖精王はそれを見抜いて、僕をザダークに呼び寄せたんだ」

「不思議な……力……?」

「僕にもまだよく分からない。それで僕は妖精王の下で八年の間、修行を積んだんだ。でも……そんなの僕には関係ない。強くさえなれれば……それでよかった。力が……ナナシの無念を晴らすための力が欲しかった。そして……僕は力を手に入れた」

 その時派手な音と共に、エンジュの背後からルーフに矢が飛んできた。

 ルーフはそれを予期していたかのように、慌てることなく矢をかわす。

 炎の向こうに現れたのは帝国騎士団の団長、ユカ・ロートルだ。彼女はつい先程まで大勢の魔物を相手取っていたはずである。この短時間で片づけてきたというのであれば……恐ろしい強さだ。ユカは弓の弦を引き絞りルーフに狙いを絞る。

「答えなさい! あなた……何者ですか……?」

「団長……あの魔物達は?」

「片づけた。他愛もない奴らだったよ」

 ユカの鎧には傷らしい傷が見当たらない。一撃も食らわずにあの大軍を退けたのか……。エンジュはユカの底知れぬ強さを改めて実感する。

 ルーフはユカを睨み付ける。その瞳は先程までエンジュを見ていたのとは違う、氷のように冷たい怜悧な瞳だった。

「もう一度言う。私の質問に答えろ。さもなくば、その首、一撃のもとに刎ね飛ばしてくれる!」

 すると、突然ルーフが口に手を当てて高笑いを始めた。あまりの変容にエンジュはその場で唖然としていた。

「あはは……。お姉さん、勘違いしてない?」

「戯言を!」

「あなたに僕は倒せない」

 ルーフの声に合わせて、彼の手が不思議な淡い光を帯び始める。

「滅せよ。《artelmica-retemosty-velze》!」

 ルーフの発した言葉の意味は分からない。だが文言を唱えた直後、ルーフの手が煌めき、彼の手から数多の閃光が撃ち出された。閃光は雷鳴のごとき速さでユカの体を貫通する。

「くガああああッ!」

 閃光の威力は常軌を逸しており、一撃受けただけでユカはその場にがくりと崩れ落ちてしまった。

「団長……!」

 エンジュが駆け寄ると、ユカは息も絶え絶えにつぶやく。

「……それは……魔術……。バカな……。魔術はとうの昔に無くなったはず……」

「ジジイに教えてもらったのさ」

 魔術――人知を超えた力。自然界には人間には見えない、あらゆる物質が生み出している光、マナが存在する。魔術とはマナを行使し、様々な超自然的な具象を引き起こす力。悠久の昔、人々は魔術を利用し、生活を豊かにしていたという。

 しかし、それも長くは続かなかった。魔術を手にした人間達は、自分達が神にでもなったかのようにふるまい始めた。そして、愚かな人間たちに自然は牙をむいた。魔術に頼りすぎたせいで、土地のマナが次第に枯渇し始め、あらゆる生命が死に絶えていったのである。

 そうした状況を鑑みて人々は考えを改め、魔術に頼る生活から脱却した。それ以来、魔術はマナを枯渇させる術法として禁忌とされ、時の経過とともに自然と風化していったのである。

「まさか……あなた……魔界に……?」

 魔界というのはニヴルヘイムの通称である。人々は実態のつかめない闇の世界を恐れ、いつしか魔界と呼ぶようになったのだ。

「魔界……嫌な呼び方だ。……そうだよ。僕は魔界の王の下で魔術を使いこなすための修業したんだ」

「魔界の王、すなわち、妖精王……。なるほど合点がいきました」

 そうつぶやくと、ユカは剣を杖代わりにしてよろよろと立ち上がった。

「それを聞いたら、なおさら私はここで負けるわけにはいきません。あなたはここで殺しておく必要がある」

「……殺せるものならね」

 ユカは銀色に輝く刀身をルーフに向けてつぶやく。

「私は帝国騎士団、団長のユカ・ロートル。帝国騎士の名に懸けて、あなたを倒します!」

 ユカとルーフが同時に地面を蹴った。ユカが振り下ろした刀身を、ルーフはぎりぎりのところでかわす。そして後転しながら、ユカに向かって小さな火球を放つ。ユカはそれを剣で弾き、ルーフに追撃をかけようとした。しかし、その寸前。

「ちょっと待てよ!」

 エンジュが大剣を振るい、二人を弾き飛ばすように強引に割って入った。

「ハァハァ……ちょっと待てよ。なんで俺達が戦う必要があるんだよ!」

 ルーフは鋭い目つきでエンジュを睨み付けて言った。

「……どいてよ、エンジュ」

「どかねえ」

「邪魔をしないでください、エンジュ。彼は禁忌の呪法を継ぐ者です。放っておけばこの世界に崩壊を起こしかねない」

「そんなこと知ったこっちゃねえんだよ!」

 エンジュの鬼気迫る気迫に気圧されて、ユカは思わずたじろいでしまう。

 エンジュはルーフの方に向き直り、彼と目を合わせてつぶやいた。

「ナナシはもう……いないんだよ……」

「…………」

「だからもう……こういうの止めようぜ。また二人で馬鹿やって……」

「……僕には使命がある」

 唐突に、ユカがつぶやく。

「……星の脱皮」

「そう。僕は星の脱皮を起こす使命がある。先陣者(ヴァンガード)として」

 星の脱皮とは聖典に記載されている、世界全体を巻き込んだ、大いなる破滅のこと。エンジュもそれくらいの事は知っていた。

「おかしいよ、そんなの……。どうして何の関係も無い人が死ななきゃならないんだよッ!」

 ルーフはエンジュをじっと見てから、そっとつぶやいた。

「おかしくない。人間は誰でも世界を掌握する邪王になりかねない。妖精王は僕にそう言った。きっと……また、ナナシみたいな人が現れる。言われも無い罪で殺される人が。それを放っておくなんて僕にはできない。……だったらいっそ壊したほうがいい。それが、僕の正義だ」

 ルーフはエンジュをじっと見てから、そっとつぶやいた。


「壊すんだ。こんな腐った世界は誰かが壊さなきゃいけない。……創造は破壊からしか生まれない。この世界は一度リセットされる必要がある」


 ふと、ルーフとエンジュの視線が交錯する。不思議と、お互いに相手の考えが手に取るように分かった。それはルーフがエンジュを、エンジュがルーフを、心の底から友達だと思っていることの証拠でもあった。

 やがて、ルーフはぽっかり空いた天井から、空を見上げてつぶやいた。

「……僕はレジェンディアへ行く。僕は先陣者になるんだ。星の脱皮を導く先陣者に」

 それだけ言うと、ルーフはエンジュの方を振り返る。天井から夕日が差し込んで、ルーフの横顔を照らしだす。愁いを帯びた物寂しげな表情をして、哀しい目でエンジュを見つめていた。

「ルーフ……」

 ルーフが火球を放ち壁面に風穴を開けると、そのまま穴から飛び降りた。

 直後、耳を劈くような竜の雄叫びが聞こえ、ルーフは竜の背に乗って飛び去っていく。竜とともに天空に飛び立とうとする親友の姿を見つめ、エンジュは呆然と立ち尽くす。

 エンジュは大空に向かっておもむろに手を伸ばした。天空を駆けるルーフに、伸ばしたエンジュの手は届かなかった。いつも寝坊助で呑気なルーフが、エンジュの知らない、ずっと遠くに行ってしまうような気がした。

 エンジュは伸ばした手をぐっと握りしめた。


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