2-3
雫の家を出ると、尚子はその足で如月を訪ねていた。
如月は相変わらずソファにごろりと横になってプロットを考えている最中だった。
パソコンに電源が入っているため、ついに書き始めたか、と覗き込んでみたが、そこには原稿ではなくわけのわからない言語で書かれたプログラムが表示されているだけだった。どうやらまた副業をしていたらしい。きっと先週からプロットがなかなか完成しないのは、この副業のせいなのだろう。
尚子がぼんやりとその画面を見つめていると、如月はそれがCという言語で書かれた顧客管理プログラムだと簡単に説明してくれた。だが、尚子にはチンプンカンプンで説明されたことのほとんどは記憶に残ることはなかった。おそらく今、頭のなかにわずかに残っている専門用語のいくつかもきっと明日になれば忘れてしまうことだろう。
如月は説明し終わると再びソファに横になった。プロットを書き込むノートにはまだほとんど書き込まれていない。そこで尚子はソファに横になっている如月に、雫が真由を養女にしたがっているという話を聞かせた。
「どうしたらいいと思いますか?」
如月はぼやく尚子を黙って見つめた。「ねえ、何か言ってくださいよ」
「そんなこと俺に言われてもな……」
と如月はぼそりと呟いた。
「だって他にこんなこと誰にも相談出来ないじゃないですか」
「俺には相談出来るの?」
「雫先生とは高校時代の同級生なんでしょ?」
尚子は言った。だが、実のところ如月と雫が知り合いでなかったとしても相談したかもしれない。
「もう10年以上前のことだぞ」
「でも、親しい間柄に違いないじゃないですか。少しは考えてくださいよ」
尚子はむっとしたように膨れてみせた。
「どう考えろって?」
「だって養女だなんて……私も先生が真由ちゃんのことを可愛がっているのは知ってましたけどそれほどとは」
「ナオはあまり快く思っていないの?」
「いえ……そんなことありませんけど……」
心のどこかで自分と真由を重ね合わせている。それを如月に見抜かれそうで怖かった。「でも、やっぱりそんな簡単に親子になんてなれないと思います」
「そんなに難しく考えるようなことかな? 結局は個人個人がどう生きるかの問題だろ。親子とか家族とか、そんなにこだわることじゃないだろ。雫と真由ちゃんが人間としてうまく付き合っていけるかのほうが大切じゃないかな」
「そうでしょうか……確かに先生と真由ちゃんとならうまくいくとは思います。けど、血のつながりって大きいんじゃないでしょうか? むしろ形にこだわっているのは雫先生ですよ」
「雫にとってそれが一番自分の気持ちを証明する方法なんだよ。家族の形なんていろいろさ。血のつながりがあるからって愛があるとは限らないし、血のつながりがないからっていって、愛がないとも限らない。それに家族に愛が必要なんて考え方だって人それぞれだろ」
「……そんなもんなんですか?」
「ナオは難しく考え過ぎじゃないか? ちなみに俺は養子だけどね」
如月は身体を起すと座りなおした。
「え?」
「俺は子供の頃に如月の家に養子に取られたんだ。もともとは如月の家は地方の郷士でね。それで家を護るために俺を養子にもらったらしいよ。ただ、その後、祖父が株で失敗して破産してね。結局、土地や家は借金の方に取られて、家族は散り散りになったんだけどね」
如月の突然の告白に尚子は面食らった。もちろんそんなことは如月にとっては大した意味などないのかもしれない。それでも尚子にとっては如月の新たな一面を見せられた気がした。
「そう……だったんですか」
「俺の場合、物心つく前に養子に出されたから、それを知ったのは中学に入ってからだったけどね」
「悩みませんでしたか?」
「そりゃ、少しはね。ただ、だからといって俺自身の存在が変わるわけじゃない」
自分に自信がなければ言えないセリフのような気がした。そこまで割り切って考えることの出来る如月が羨ましかった。
「先生は強いんですよ」
「なんでも気楽に考えるようにしているだけだよ」
「真由ちゃん、どうしたらいいんでしょう」
「それは彼女たちが決めることだ。そんなの他人がどうこう言える話じゃないだろ。俺なんかが口を挟むことじゃないよ」
「でも、他人から言われることで気持ちに整理がつくこともあるじゃないですか」
「それは自分の行動を他人のせいにするってことだろ?」
「違いますよ……いや……そういう人もいるかもしれないけど、雫先生や真由ちゃんはそんな人じゃありませんよ」
「だったらナオが口を出さないでも決めるよ」
「それじゃ、私がやってるのは余計なお世話ってことですか?」
「そんなことは言ってないよ。二人がナオに話をするのは、自分の気持ちを聞いて欲しいだけだろ。誰かに相談することで自分の気持ちが整理されるってことだってあるじゃないか。ナオに話をして、ナオが親身に聞いてあげる。それで彼女たちの気持ちは解決してるんだよ」
「なんか寂しいですね」
「どうして?」
「それじゃ、まるでペットに話するのと変わらないみたい」
くすりと如月は笑った。
「なるほど……ペットか」
「笑わなくってもいいじゃないですか」
「ごめんごめん、あまりにピッタリだったから」
「先生!」
「――でも、ナオには悩みってないの?」
「そりゃありますよ。ないように見えますか?」
「そういう意味じゃないよ。ナオだって誰かに相談したいと思うことはあるだろ。それなら彼女たちの気持ちだってわかるんじゃない? 信用出来ない相手に相談したいと思う? ナオはそれだけ彼女たちに信用されてるってことじゃないか」
如月の言葉に、ほんの少し心が楽になった。
「そっか、んじゃ悲観することないんですね」
「ただ……」
如月はマジマジと尚子の顔を見つめた。
「なんですか?」
「ナオの場合はやっぱペットなのかなぁ」
如月はそう言ってにやりと笑った。
(一言余計なんだから)
尚子は思わず如月を睨みつけた。
「ところで先生……今、どんな小説書こうとしてるんです?」
「『陰陽師』っぽい話」と如月は答えた。
「パクリ?」
「おい――」
如月は軽く尚子の頭を小突く。
「どうして先生はコンピュータ関係の小説を書かないんです? 詳しいんでしょ?」
「詳しいってわけじゃないよ」
「でも、そういう仕事してたんでしょ?」
「コンピュータ関係の技術者といってもいろいろあるんだよ。俺は3流のシステムエンジニアだからね。それに中途半端に知っているからこそ小説にはしづらいんだよ。むしろまるで知らない業界のほうが書きやすいかもしれないな」
「そんなもんですか……んじゃ今度、私がそういう話書いてみようかな」
如月の目が点になった。