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優しき殺人者  作者: けせらせら
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1-6

 一人暮らしをはじめてすでに8年が過ぎる。学生の頃は吉祥寺の小さなアパートに住んでいたが、3年前に北千住のマンションに引っ越してきた。2DKの部屋はちょっと家賃は高いものの、広さは十分で一部屋を寝室に使い、もう一部屋にはチェストや洋服ダンスを置いてある。一人暮らしをはじめた頃はバイト生活であまり贅沢も出来ず、出来る限り自分で料理を作っていたが、今の仕事を始めてからは帰りが遅い事もあり、ほとんど外食やコンビニなどで済ますことが多くなっている。今日も夕食として駅前のファーストフード店で、ハンバーガーをテイクアウトして持ち帰った。

 2本の原稿を渡されたものの、結局、その日のうちに全てに目を通すことは出来ず、尚子は北千住にある自宅に原稿を持ち帰ることになった。一日で読み終わらなかったペナルティとしてさらにもう1本追加されてしまったが、土日を利用すれば2本くらいは読み終えることは出来るだろう。

 帰ってすぐにシャワーを浴びると、買ってきたハンバーガーを食べ、尚子はベッドの上に寝そべって原稿を読み始めた。

 会社で読んだ一本は主人公がだんだん狂気に駆られて殺人鬼となり犯罪を繰り返していくというもので、筆力はあったがあまり後味の良いものではなかった。今、読んでいるものは密室トリックものだが、あまりに殺人犯の行動が単純なことと、トリックそのものを使う理由がまったくないことから、あまりに嘘っぽく迫力に欠けている。

(これはきついなぁ)

 これまでも時々手伝うことはあったが、その都度、この仕事がいかにキツイかを感じてしまう。

 きっと自分の小説も房子たちには、同じように感じられたのかもしれない、と原稿を読みながら尚子は思った。

 尚子自身、まだ作家になることは諦めてはいない。今でも時間を見つけてはパソコンに向かい、原稿を書きつづけている。だが、編集者としてプロの作家の作品を読めば読むほど自分の才能に限界を感じてしまうのも事実だ。

――才能があるかどうかなんて二の次。とにかく書きたいものを書くようにすればいい。そうすれば自然と力はつくものだよ。

 尚子が作家になりたかったことを知っている如月にはそう言われたことがある。尚子自身もそう信じて出来る限り書き続ける事を心掛けている。それでも最近では才能という壁に突き当たり、思い悩むことが多い。

 杜野雫には天才的な閃きがあるし、如月凛音にはリアルな描写力がある。

(私には何があるんだろう)

 編集者としての能力?

 だが、それにしても房子のような原稿を見極めることの出来る能力があるという自信はない。今、編集者をやっているのも財部に言われるままにやっているだけで、ひどく中途半端な仕事の仕方をしているように思う。正社員として扱ってもらってはいるが、実際にはバイトのような仕事内容であることは自覚している。編集者として問題なくやっていられるのは担当している作家が皆、編集者の力など借りる必要のない優秀な人たちばかりだからだ。財部の言うようにこれでは本当の編集者としての仕事をしているとは言えないだろう。

 作家の夢を諦めずに追いつづけるか、それとも夢を捨ててプロの編集者として生きるか。すべてにおいて転機を迎えているような気がしていた。

 尚子はふと自分自身のこれからを思いながら原稿に目を通していた。

 その時、携帯電話の着メロが鳴り出した。

 一瞬、ベッド脇の目覚し時計に目を向ける。

 午後11時を回ったばかりだ。

 手を伸ばしてテーブルの上に置かれたバッグのなかから携帯電話を取り出す。いつもバッグの中に乱雑にいれてあるため、携帯電話の表面にはいくつも小さな傷がついている。

 ディスプレイに『まゆ』の文字が表示されている。本条真由からの電話だった。

「はい」

 会社からの呼び出しでないことにほっとしながら尚子は電話に出た。ごく稀にだが、印刷所に原稿を回した直後に不備が見つかる時などは、深夜だろうと構わずに呼び出されることもある。

――あの……本条です。尚子さん?

「どうしたの?」

――夜遅くにごめんなさい。今日のことなんですけど……

「うん」

 尚子は真由の言葉を待った。

――明日……会ってもらえませんか? やっぱり会って話したいんです。

「明日? いいわよ」

 時々は土日も仕事にかりだされることも多かったが、今週は珍しく何も予定はなかった。「それじゃ、銀座で会おうか」

――はい

「時間は?」

――尚子さんに合わせます。私も明日はお休みもらっているので、一日空いていますから。

「それじゃ、11時半にマリオンの前で会いましょ」

 それならばゆっくり昼食でも取りながら話を聞くことが出来る。尚子にとっても真由は大切な妹のような存在だ。

――すいません。

「いいのよ。それじゃ、明日ね」

 そう言って尚子は電話を切った。

 ぼんやりと真由のことを想った。

 16歳という若さで両親を亡くし、他人の家で暮らすというのはどんな気持ちなのだろう。雫が我が子のように可愛がっているとはいっても、やはり他人であることに変わりはない。

 真由の顔を見るたびに真由よりも一つ年上の妹のことを思い出す。

 尚子の母親は、尚子が6歳の時に父と離婚し、そして、その翌年になってすぐに今の父と再婚した。もともと離婚したのも母の不倫が原因だったらしい。結婚してすぐに妹の恭子が生まれた。恭子のことを可愛いとは思ったが、それでも母の浮気のことを知っていただけに、尚子はあまり父に馴染むことが出来なかった。

 それは父や妹の存在よりも、自分と母の関係が原因にあったのかもしれない。

 自分が別れた父が愛人に生ませた子であることを、尚子は10歳の時に学校帰りに偶然出会った父方の祖母から聞かされた。両親の離婚の直接的な原因は母の不倫であったが、それ以前に父の浮気がもとで夫婦関係はそのずっと前から壊れていたらしい。

 一家のなかで自分だけがまったく血の繋がりがないということに尚子は愕然とした。

 それ以来、いつも自分と家族との間に見えない境界線を張り、決して心から打ち解けようとはしなかった。高校を卒業してすぐに家を離れ、東京の大学に通う事にしたのもそういう事情からだった。

 離婚後、尚子が中学2年の夏、実父が事故で死んだと聞いた時にも母は葬儀にも出席しなかった。尚子が葬儀に出席することも許してくれなかった。そんな母を尚子は憎んでいた。

 今にして思えば大人気なかったかもしれないと思う。ただ、恭子だけはそんな尚子の気持ちに気づかなかったのか、いつも『お姉ちゃん』と呼んで尚子に懐いてくれた。恭子に優しくしてあげられなかったぶん、余計に真由には優しく接してあげたいという気持ちになる。

(その前に……)

 明日、ゆっくり真由と会うためにも目の前の原稿に少しでも目を通しておかなければならない。

 尚子は大きく背伸びをしてから再び原稿に向かいはじめた。


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