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優しき殺人者  作者: けせらせら
27/41

4-9

 夕方になり、尚子は泊まりの仕度をして雫の家を訪れていた。

 雫のことが心配だったが、行ってみると雫は思いのほか明るく見えた。尚子が訪ねて行くと雫は玄関まで自ら出迎え、新しくプリントアウトされた原稿を差し出して、尚子にチェックするように求めた。

 雫はキッチンを動き回り、真由と一緒に夕食の準備をしている。その姿は尚子や真由に気を使って元気に見せかけているようにも見える。

 それを見ていて胸がつらくなった。

 きっと雫は真由のことを心から大切に思っている。それは血の絆など越えた愛情に思えた。

 血の繋がりなど、本当の親子にとっては些細なことに過ぎないのかもしれない。

 自分が愛人の子であると知った時から、尚子はずっと母に憎まれているような気がして堪らなかった。だが、それは全て自分の心のなかに抱いた幻想だったのだろうか。

「尚子さん、今回の原稿なんだけど、それでオッケーってことでいいかしら?」

 雫に声をかけられ、はっと我に返る。

「もちろです。あの……原稿のファイルいただけますか?」

 財部に原稿のことを言われていた事を思い出した。

「いいわよ。それじゃ2階の書斎に行ってパソコンからファイルにコピーしてって」

「わかりました」

 これまでにも何度か同じように原稿のファイルをコピーしていくこともあった。こういうことも考えてバッグのなかにはいつもUSBメモリが入っている。

 尚子は2階の雫の書斎に入り、パソコンの電源をいれた。

 隣の喫茶室は今も警察から立入を禁止されている。すぐ隣の部屋で雄一郎が殺害されたと考えると、少し怖いような気がした。

 カリカリというハードディスクを読む音が小さく聞こえ、やがて見慣れた画面が立ち上がった。犬好きの雫らしく、ヨークシャーテリアの写真がパソコンの壁紙になっている。

 尚子は雫にいわれたフォルダを開いた。

 いくつかのファイルが表示される。おそらくリライトしたものが含まれているのだろう。

(どれかな……)

 だが、雫がオッケー出したものでないと、コピーしていっても意味はない。

(しょうがないな)

 とりあえず尚子はその十個近いファイルを全てコピーしていくことにした。USBをドライブにさしこむと、ファイルをコピーする。ほんの数秒でコピーは終わった。

 1階に降りて行くと、すでに茹で上がったパスタにクリームソースがかけられ、綺麗に皿に盛られている。

「尚子さん、赤と白どっちがいい? 一応、両方冷やしておいたんだけど」

 雫が冷蔵庫を開けながらワインを選んでいる。「尚子さんはビールのほうがいいかな?」

「いえ、ワインでいいですよ」

 ビールでもワインでもほとんど飲めないことに変わりはない。それでも今夜は雫のためにも少しは付き合うのも良いだろう。

「じゃ、今夜は赤にしましょうか」

 雫は赤ワインを取り出した。雫はワインを飲むのは好きでよく酒屋で買ってくるらしい。ただ、雫もまたそれほど酒が強いというわけではない。

「先生、原稿なんですけどいくつかファイルありましたけど……」

「それじゃ食事が済んだらどれが最終版か教えるわ」

 雫はそう言ってワインを真由に手渡した。真由が慣れた手つきでワインの栓を開け、グラスに注いでいく。

「それじゃ、食べましょう」

 その言葉で尚子も席についた。

 食事の最中、雫は絶えず明るく振舞い、とりとめのないことをいつものように明るく喋った。尚子も久々に飲んだワインでほんの少し酔っ払っている。

「ねえ、今夜は尚子さんも真由ちゃんも、私の部屋で一緒に眠りましょうよ」

 食事の席で雫はワインを飲みながら言った。ほとんど目の前の料理には手をつけてはいない。ずっとグラスを握りつづけている。それほど飲んではいないものの頬がほんのり赤く染まっている。

「ええ、いいですよ」

 尚子は笑顔を返した。真由は黙って雫の様子をうかがっている。

「女3人同士。ホントは入江さんも来てくれればよかったのにね」

「病院はどうするんですか?」

 思わず聞いてしまってから、『しまった』と思った。だが、雫はそれほどその言葉に強く反応することはなかった。

「もう閉めるしかないわね。雄一郎さんがいないのだからとても続けることなんて出来ないわ。もちろん代わりの先生を雇うことも出来るけど……そんなことをしても何の意味もないもの。入江さんには悪いけど辞めてもらわないと」

 雫は一瞬寂しそうな顔をした。そして、ぐいとワインを煽る。

「先生……飲みすぎですよ」

 真由が心配して声をかけた。

「大丈夫よ。そんな簡単に酔っ払ったりはしないわ……そうだ、尚子さん」

 雫はトロンとした目で尚子を見つめた。

「なんです?」

「尚子さんのところにも警察の人行ったの?」

「私のところというよりも、先日、如月先生のところに行っているときに桜木さんという刑事さんが来ましたよ」

「如月君のところ?」

 一瞬、雫の顔が強張った。

「どうしたんです?」

「なんでもない……どんな話をしたの?」

「あの日のことについてです……先生、この話は止めましょう」

「どうして? 私のことを心配してくれてるの? いいのよ。私は教えて欲しいの。警察は兄の居場所を突き止めたのかしら?」

「さあ……まだ見つけてはいないようでした」

「そう」

 そう言うと雫は黙って顔を俯かせた。

「先生、大丈夫ですか?」

 さすがに尚子も心配になった。

「何が?」

 ふわりと顔をあげる。その顔には笑みが浮かんでいるように見える。「私は大丈夫よ」

 雫はおもむろに立ち上がった。その左手にはしっかりとワイングラスが握られ、決して放そうとしない。

「先生」

 よろよろと歩き出そうとする雫を真由が慌ててその身体を支える。これほどまでに酔った雫を見るのは初めてだった。

「ありがとね、真由ちゃん」

「先生、飲みすぎです。もう上に行って休みましょう」

 真由は雫の手からワイングラスを奪い取るとテーブルに置いた。

「はぁい」

 雫はおどけるように真由にもたれかかる。「真由ちゃんの言うとおりにしまーす」

「先生、ちゃんとしてください」

「はいはい」

 まるで真由に甘えているようだ。その姿はまるで本当の親子のようにも見える。

「それじゃ、尚子さん、私は先生を寝室にお連れしますので」

「じゃ、またあとでねー」

 雫が尚子に手を振り、真由に支えながらゆっくりとキッチンを出て行った。

 二人がいなくなると、急に家のなかが静かになったような気がしてくる。きっと雫も雄一郎がいなくなって寂しいに違いない。どれほど雫が雄一郎のことを慕い、愛していたかは尚子も知っている。二人の間に子供がいないのが不思議なほどだ。

 ふいに恭子のことを思った。

 恭子にとって自分はどんな存在だったのだろう。

 尚子は複雑な思いで、その静かな家のなかを見回した。


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