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事件から四日が過ぎた。
尚子は毎日、尚子が泊まるホテルへ通った。あくまでも雫の体調を気遣ってのつもりで仕事の話をするつもりはなかったが、雫はあえて自分から仕事のことを口にした。そして、家から持ち出してきたノートパソコンに向かい、ずっと原稿のチェックを続けていた。
この日も昼前に尚子が訪ねると、雫はパソコンに向って原稿の手直しを行っていた。
「いつも使っているものと違うからなかなか使いにくいわ」
そう言って雫は小さく微笑んでみせた。普段、書斎で使っているものはディスクトップパソコンなので、やはり小型のノートパソコンとは勝手が違うのだろう。
「先生、無理しないでください」
「ありがとう。でも、このほうが落ち着くのよ。あとちょっとで手直しも終わるしね」
そう言った雫の頬が少し痩せたように見える。無理をしないでほしいとも思うが、仕事に向き合うことで事件のことを忘れていられるのかもしれない。
「ちゃんと食べられてるんですか?」
「ええ、大丈夫よ。ずっと真由ちゃんが見張ってるから」
雫は小さく微笑んでみせた。そして――「ねえ、尚子さんに一つお願いがあるの」
「何ですか? 私に出来ることなら何でも言ってください」
「そんな大げさなものじゃないわ。この本、如月先生に渡してくれない?」
そう言って雫はバッグのなかから一冊の本を取り出して尚子に差し出した。
「本?」
尚子は受け取ったその本に視線を向けた。『盲目のアマディウス』というその本は2年前に出版されたミステリーで、尚子も読んだことがあった。
パラパラと本を捲りながら、尚子はその小説の中身を思い出していた。盲目のピアニストが主人公で、その点字で書かれた楽譜から殺人事件を解き明かすというものだったが、少しトリックの要素が甘かったため、ベストセラーとはならなかったものだ。
「一ヶ月くらい前に借りていた本なんだけど、ずっと返してなくて」
「今日はこれから編集部に戻るので、明日にも――」
「ううん、これからすぐに返してもらえないかしら?」
そう言って雫は懇願するように尚子を見つめた。
「これから……ですか?」
少し尚子は驚いて聞き返した。何か急ぐ必要があるのだろうか。
「無理かしら?」
「いえ、わかりました。大丈夫です」
他でもない雫の頼みだ。出来る限りのことをしてあげたかった。「そういえば特権って何なんですか?」
「特権?」
「先日、如月先生が雫先生の言うことなら何でも聞く理由があるって言ってましたよね。あれってどういうことなんですか?」
「ああ、あれね。たいしたことじゃないのよ。ちっちゃなこと。でも、彼、律儀な人だからすごく気にしてるのよ。それに私も甘えちゃって。そろそろ自由にしてあげないといけないわね」
どこかしらしんみりとした表情で雫は呟いた。その表情に、尚子はそれ以上聞くことが出来なくなった。