4-2
雫が泊まるホテルまでやっては来たが、尚子は部屋の前で躊躇していた。
雫のことは心配だったが、それでも心は重かった。
どう慰めればいいのだろう。雫がいかに雄一郎を愛していたか、それは尚子にもわかっている。
尚子はドアの前で大きく深呼吸してから部屋をノックした。
すぐに真由が顔を出した。
「尚子さん……」
真由は尚子の顔を見てほっとしたような顔をした。その目はほんの少し赤くはれているように見える。
「昨夜は大変だったわね。先生はいる?」
「ええ……でも……」
「どうしたの?」
「ずっと沈み込んでしまってるんです」
「そう……」
想像はしていたが、雫にとって雄一郎の死はかなりショックだったようだ。「先生、大丈夫なのかしら? 食事は?」
「さっき食事を持っていったら、それはちゃんと食べてくれました」
「そう……ちょっと話、出来るかしら?」
「さあ……聞いてみないと……待っててもらえますか?」
そう言って真由は奥へと入って行った。
しばらくすると早足で真由が戻ってきた。
「大丈夫だそうです。どうぞ入ってください」
部屋に入ると、薄いグリーンの水玉模様のワンピースを着た雫が窓際のソファに座っているのが見えた。目が赤く晴れている。だが、その眼差しは意外にも強い光をはなっているように見えた。
部屋の中央に並んだ二つのベッドはどちらもほとんど使った様子が見えない。きっと二人とも眠れないままに一晩を過ごしたのだろう。
「おはようございます」
「おはよう。昨日はごめんなさいね……あんなことになってしまって。財部さんにも謝っておいてくださいね」
「そんな……とんでもない」
「真由ちゃん、ちょっと飲み物を買ってきてくれない?」
「わかりました。何を?」
「紅茶がいいわ」
「わかりました」
真由は尚子に一礼してから部屋を出て行った。その後ろ姿を見送ってから、雫は尚子のほうに顔を向けた。
「尚子さん、昨日、原稿持っていくの忘れたでしょ」
そう言って雫はバッグのなかから茶色の封筒を取り出して尚子に差し出した。昨夜、あの事件のせいで雫の書斎に原稿を置きっぱなしにしていたことを尚子は思い出した。
「あ……すいません。でも、今はそんなこと気になさらないでください」
「そういうわけにいかないわ。ちゃんと仕事は終わらせないと。だから尚子さんも早めにチェックしてくださいね。問題があればすぐに直しますから」
これほどまでに雫が強い精神力を持っているとは尚子も意外だった。
「……はい、わかりました」
尚子は素直に雫の意思に従うことにした。渡された封筒をバッグのなかに入れると改めて雫の様子を観察した。昨夜は眠れなかったのだろう。雫はソファに身を任せ、項垂れたまま軽く目を閉じ右手で目頭を押さえている。
尚子は何を話せばいいのか迷った。
「先生、大丈夫ですか?」
「ええ……ありがとう。私は大丈夫よ」
「お疲れになってるんじゃありませんか?」
「そうね……さすがに昨夜は眠れなかったから……まさかあんなことになるなんて……やっぱり昨夜、兄を呼ぶべきじゃなかったわ」
やはり雫も川村誠司が雄一郎を殺したと思っているようだ。
「先生……」
「兄はね……私とは血の繋がりがないの」
ぽつりと雫は喋りだした。「両親は私が三歳の時に離婚して、私は母親に引き取られたの。そして、その後バツイチで子持ちの父と再婚したの」
その話に尚子はドキリとした。雫が昔の話をするのも初めてだったが、その話があまりに自分と似通っていることに驚いた。
尚子は黙って雫の言葉に耳を傾けた。
「兄は優しい人だった。年が離れていたせいもあったけど、いつも私を大切にしてくれた。そんな兄を私も好きだった……けど、兄は次第に私を管理するようになっていった。友達と遊びに行くのも兄の許可がないと遊びに行くことも出来なかった。それでもまだ母がいた時はまだ良かった。義父と母が交通事故で死んで私たちの生活は変わった。兄はそれまで以上に私を管理するようになって……そして、兄妹から男と女の生活に……」
雫はぐっと拳を膝の上で握り締めた。その握り締めた手に涙が零れ落ちる。
「先生……」
突然聞かされる雫の過去の話に尚子は戸惑った。
「ごめんね……急にこんな話して」
雫は唇を噛んで、涙を振り切るように顔を上げた。




