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優しき殺人者  作者: けせらせら
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1-2

 尚子が訪ねていくと、如月はいつものようにリビングのソファに寝転びながら新作のプロットを考えつづけている最中だった。青いジーンズに、青いデニムのシャツ。いつもこんな格好で部屋のなかでゴロゴロしている。

 まだ原稿を書くような状況にないのだろう。机の上に置かれたパソコンには電源すら入っていない。元システムエンジニアということで、如月のパソコンにはワープロ以外にも尚子の知らないようなソフト開発用のソフトがインストールされている。如月はシステムエンジニアとしても優秀だったようだ。未だに以前勤めていた会社の後輩から仕事のことで相談する電話がかかってくるようで、時々、メールでプログラム開発の依頼を受けて手伝っている時があるらしい。コンピュータ関係の仕事というと理系のイメージが強いが、如月に言わせるとプログラムというのはむしろ文系のセンスがある人間のほうが良いものを作れるのだそうだ。だが、何度聞かされてもこの辺の理屈が尚子にはわからない。

 ただ、不思議な事に如月はコンピュータ関係の仕事をしていたにも関わらず、小説には一切その手の設定を用いる事をせず、コンピュータ系の用語もほとんど使おうとはしなかった。

 リビングには大き目のガラステーブルとグレーの布張りのソファが二つ向かい合わせて置かれ、窓際には近所のホームセンターで買ってきた黒いシステムディスクが置かれている。男の一人暮らしにしては部屋は小奇麗に片付けられている。如月の担当をはじめて1年が経つが、未だに彼女の存在を聞いたことがない。意外にも自分で掃除をしているのかもしれない。

 そして、部屋の隅にある奇妙な道具。

 一台のタブレット型パソコンの脇に釣竿のリールがつながれている。

「何ですか? これ」

「自動巻取り装置。入力された時間に指定された時間をかけて釣り糸を巻き取るようになってる」

 如月は当たり前のように答えた。

「何のために、こんなものを?」

「ちょっと頼まれものだ。きっと……あ、いや、止めとこう」

 何を思ったか、如月はそう言って肩をすくめた。尚子にとっても、それはさほど興味のわくものではなかった。

「物好きですね」

 尚子はそう言ってソファに腰をおろした。

「何赤い顔してるの?」

 如月はちらりとぐったりとしてソファにもたれかかる尚子の顔を見て言った。今日はやけに如月の瞳が青っぽく見える。不思議なことにその日の天気などによっていつも如月の瞳の色はほんのりと青みがかって見えることがあった。子供の頃はもっと青さが強く、よく同級生にからかわれることもあったそうだ。顔立ちは純粋な日本人っぽかったが、身体が小柄でその線が細く見える。子供の頃にクラスに一人くらいはいた『身体の弱い男の子』というイメージが強い。だが、そのわりに喋りは辛口で言いづらいことも遠慮なく言うのも如月の特徴だった。

「ちょっと駅から歩いてきたもので」

 そう言って尚子はバッグのなかから手鏡を取り出すと自分の顔を映した。ほんの20分歩いただけだが、やはり頬の辺りが赤くなっている。シミにならなければいいな、と思いながら手鏡をバッグに戻す。

「この炎天下を? 物好きだね。今日は9月上旬の気温だってさっきニュースで言ってたよ」

 意地悪な視線を投げながら如月は言った。その口元には笑みが浮かんでいる。

「たまに歩くのも運動不足解消になっていいかなぁ……って思ったんです」

 秋の風に誘われた、などといったら笑われるに決まっている。如月にバカにされるのが嫌で、尚子は強がって見せた。そう言って尚子はキッチンに行くと冷蔵庫を開けて、いつものようにバニラのカップ入りのアイスクリームを取り出してきた。再びソファに座り、如月のことなどまったく気にすることなく足を投げ出す。他の作家の前では到底出来ないことだが、如月の前では尚子はほとんど気を使うことはない。

「運動不足ねえ……」

 ジロジロと尚子の身体を眺めて如月はからかうように言った。もちろんそれはただの冗談でしかない。普段から作家の家を訪問してまわっているせいか、どんなに食べても太るようなことはなかった。ちょっと油断をすると急激に痩せることのほうが多く、むしろ尚子は今の体重よりも痩せないよう気をつけていた。

「やめてください。セクハラですよ」

 そう言いながら尚子はひんやりと冷たいアイスクリームで身体を冷やした。部屋にはエアコンが設置されているものの、如月はエアコン嫌いのためほとんど使用しているのを見たことがない。そのため、部屋はまったく冷房など効いていない。窓から開かれ、そよ風が小さく吹き込んでくる程度だ。

「よくそういうこと言えるね。ひとんちの冷蔵庫開けて勝手にアイス食べてる人が」

「だって暑いんですもん。それに冷蔵庫のなかのものはたいてい私が買ってきてるんですよ」

「金出してるのは俺じゃないか」

「そういうのはお金ある人が出すのが基本ですよ。先生の本、最近けっこう売れてるんだし……そうだ、いっそのこと引っ越しませんか? そうすると私も楽なんだけどなあ」

「どうして俺がナオのために引っ越さなきゃいけないんだよ。俺はここが好きなんだからここでいいの」

 如月は尚子のことを『ナオ』と呼んでいる。

「確かにここは住むには良い場所だと思いますよ。静かだし、すぐ近くには図書館もあるし……でも、もう少し広いほうがいいでしょ」

 そう言って尚子は部屋を見回した。綺麗に片付けられてはいるものの、1LDKの部屋は本棚やチェストでほんの少し狭く感じられる。「もう一部屋くらいあれば、私も泊まりやすいし。いっそのこと私の部屋作っちゃいましょ。そういえばうちの近くに新しくマンションが建設中なんですよ。あそこにも図書館があるし……もうすぐ完成するみたいですよ。どうですか?」

 時々、原稿が遅れるような時にはこの部屋に泊まりこんで、原稿待ちをするようなこともある。尚子が担当している作家のなかでも如月は割合原稿が遅れる確率が高い。

「だから、どうして俺がナオの部屋のことまで考えなきゃいけないんだよ」

「じゃあ、締め切りまでにちゃんと原稿あげてくださいね。それなら私も何の苦労もないんですから」

「わかってるよ」

 尚子の言葉に如月はむっとした表情をした。こういう表情を見ていると自分より年上とは思えなくなることがある。

 如月のことは嫌いではない。如月とは作家と担当編集者という関係だが、如月と話をしていると、そういう堅苦しい関係を忘れて自由にものを言うことが出来る。だが、こういうところを礼儀にうるさい編集長の財部に見られたら怒鳴られるかもしれない。

「プロット出来上がりました?」

 尚子が尋ねると如月は露骨に嫌な顔をした。

「今、考え中」ぶっきらぼうに如月は言った。

「スランプですか?」

「別に」

「ついこの前も同じような事言ってましたよね。いつになったら出来るんですかぁ?」

「……そう簡単には出来るわけないだろ」

 如月はまだ何も書かれていないノートを睨みながら言った。

「でも、先生って書きながらプロット考えるタイプでしょ?」

 作家によってその書き方はさまざまで、プロットの段階で詳細に構成やストーリーを練ってから書き始めるタイプの人もいれば、大まかなプロットだけを作っておいて自然に任せてストーリーを進めるタイプもいる。如月は典型的な後者で、書き終わってみると当初設定していたのとはまるでストーリーが違っているということもざらにあるようだった。

「それでもある程度のプロットは必要なんだよ。そうしないと後でバグだらけになっちゃうじゃないか」

 もともとシステムエンジニアの如月らしい言い方だ。

「そもそもホラーにそんな詳しいプロットって必要あるんですか?」

 如月の担当にはなっているものの、実は尚子はほとんど如月の書く小説をじっくりと読んだことはなかった。いつも原稿のチェックのためだけに大まかに読んで終わらせてしまっている。基本的に映画でも小説でもホラーと名のつく分野は苦手なのだ。

「おいおい。ナオって本当に編集者なの? B級ホラー映画じゃあるまいし、ただ人が死ねばいいってもんじゃないんだよ。そこに人がいる限りドラマがある。そんなにホラーを毛嫌いしないで読んでみれば?」

「いやぁ……根本的に人が殺される話って苦手なんですよ」

「……それで俺の担当になってるっていうのが不思議だよな」

 つぶやくように如月は言った。

「私だって不思議ですよ」

 如月には内緒だが、これまでも担当を替えてもらおうとしたことがあった。だが、いつも編集長の財部はそれを受け付けてくれなかった。

「ナオはホラーが残酷だって言うけど、ミステリーのほうがよほど残酷じゃないか。ものによってはホラーよりもよほど人が死ぬだろ?」

「そんなことありませんよ。そもそもミステリーは人が死ぬのを楽しむわけじゃなくて、謎解きが面白いんですから。ミステリーによってはまったく人が死なないものだってあります。密室トリックやアリバイ崩し。ストーリーが進むにつれて謎が解けていくところなんて面白いと思いませんか?」

 尚子は食べ終わったアイスのカップをゴミ箱に投げ入れると、買い込んできたビニール袋のなかから烏龍茶のペットボトルの小瓶を取り出して蓋を開けた。

「最近じゃどんなものでもミステリーの分野に入るみたいだからな。だったら俺の書くものだって見方によってはミステリーになるんじゃないか」

「違いますよ。先生のはやっぱホラーですよ。先生のは人が死ぬ描写があまりにもリアルで……」

 尚子はペットボトルに口をつけアイスで甘くなった喉を潤した。一応、尚子も如月のことを『先生』と呼んでいる。

「リアルに書かなきゃ小説にならないだろ」

「リアル過ぎるんですよ。しかも人が殺されるようなところばっかり」

 尚子は顔をしかめてみせた。

「仕方ないだろ。ホラーなんだから」

「そもそもいくらミステリーでもあんまり人が殺されるようなものは私、嫌いですよ。最近のミステリーのほうがそういうドロドロしたところがないでしょ。私は綺麗な『謎』が好きなんです」

「綺麗な『謎』ねえ……さてはホームズやルパンに一喜一憂したタイプだな」

「そうですよ。いけませんか?」

「いけなくはないさ。俺だって小学校の頃は好きだったよ。でも、ああいうミステリーって結局、現実的じゃないだろ。たとえば密室殺人やアリバイトリック。そんな手間隙かかるような犯罪、世の中にどれほどあるっていうんだ? 現実の犯罪なんてもっと単純なものさ。そして単純だからこそ難しいだ」

「そういう問題じゃありませんよ。だいたい現実の話をするならホラーこそ非現実的な話でしょ。読者が求めてるのは現実っぽいフィクションなんですよ。ノンフィクションじゃありません。それに面白いと言われるミステリーはちゃんとトリックも必然的なものなんですよ」

「そして、名探偵登場か?」

 皮肉るように言って如月は笑った。

「そうですよ。読者は名探偵が好きなんです」

「名探偵ねえ……殺人事件を止めること出来ないのも名探偵の特徴だけどね。全ての殺人事件が終わった後に『さて、みなさん』と口を開く。結局は探偵の自己満足で終わるケースも多いんじゃないか。全ての事件がハッピーエンドで終わるわけじゃない」

「いじわるですね」

「そもそもミステリーはどちらかというと読者騙しの世界だ。叙述トリックをはじめとして、犯人が警察や探偵を騙すんじゃなくて、作家が読者を騙してるんだろ。もちろん小説全て『騙し』の要素が強いことは事実だけどね」

「でも、読者だってうまく騙されるのは気持ち良いですよ」

「確かに読者は騙されることを望んでいるんだろうね。恋愛にも同じことがいえるかな……?」

「恋愛ですか?」

「恋愛も相手を騙し、自分を騙すところから始まるじゃないか」

「先生が恋愛のこと話すのってなんか不思議ですね。それに、そういう言い方されると夢がなくなっちゃいますよ」

「ナオは恋愛に夢なんて持ってるの?」

 如月はそう言って尚子の顔をマジマジと見た。

「そりゃ、私だって一応、女の子ですから夢くらい持ってますよ」

「へえ、意外だね」

 まるでからかうようにクスリと小さく笑う。

「そこまでミステリーのことわかると思うんでしたら、如月先生もミステリー書いてみたらいいじゃないですか。如月先生がミステリーを書くなんて言ったら編集長、きっと泣いて喜びますよ。編集長はそういう一風変わったものに飢えてますから」

「一風変わったってなんだよ」

「ホラー作家の書くミステリー。十分、異質じゃないですか。どうですか?」

「いや、俺はやめとくよ。そういうのは苦手だし。ミステリーの上手な作家は山ほどいるだろ」

「山ほどってことはないですよ。やっぱミステリーといえば杜野先生ですよね」

 尚子はしみじみと言った。杜野雫は尚子が担当しているもう一人の作家で、女流ミステリー作家として名高い。

「へぇ、あいつの小説が好きなの?」

「『あいつ』? いいんですか、そんな言い方して。確かに雫先生は如月先生よりも年下ですけど、デビューしたのはもう5年も前ですよ。いわば先輩じゃないですか」

 尚子は咎めるような言い方をした。

「年下じゃないよ。同い年。しかも俺は早生まれだから厳密にいえばあいつのほうが年上だよ」

「あら、そうでした? よくご存知ですね。あ、ひょっとして先日の雑誌見たんですか?」

 先月末、杜野雫原作の小説が有名監督の手で映画化がされることに決まり、今、雫はメディアの注目を集める存在になっている。なかでも今月初めに発売された雑誌では雫の写真やインタビュー記事までが掲載されている。

「違うよ」如月はあっさりと否定した。

「じゃあ、どうして?」

「もともと知り合いなんだ」

「そうなんですか?」

 尚子は目を丸くした。

 如月は作家のなかでも人嫌いで有名だ。年に数回行っている出版社主催のパーティーにもほとんど出席したことはない。そして、一方の杜野雫もあまり人前に顔を出すことは少なく、尚子はそんな二人が知り合いだとは思っていなかった。

「何? そんな驚くようなことか?」

「ああ……そうですよね。確かに同じ作家なんですから知り合いだったとしてもちっとも変じゃないですよね」

 自分自身を納得させるように尚子は言った。

「別に作家だから知り合いってわけじゃないよ。実際、他の作家なんてほとんど顔合わせたことないもんな」

「じゃあ、どうして知ってるんです?」

「もともと高校の同級生なんだ」

「えー? そうだったんですか?」

 ますます尚子は目を丸くさせた。確か如月の出身は横浜だったはずだ、と尚子は会社に保管されている作家の履歴書の内容を思い出した。もともとは京都の生まれだったが、その後、横浜に引っ越してきたのだと以前聞いたことがある。「どうして今まで黙ってたんです? 杜野先生も何も教えてくれなかった」

「別におまえに報告する必要もないだろ」

「そりゃ……そうですけど」

 尚子は口を尖らせた。「そういえば雫先生もあんまり昔のことを喋らない人ですよね」

「過去はただの過ぎ去りしもの。いつまでも憶えていたって良い事なんてないだろ。忘れてしまったほうがいいんだ」

 どこかその如月の口ぶりが気になった。

「どういう意味ですか?」

「意味なんてないよ。誰にでも忘れてしまいたい過去はあるだろ」

 その言葉に尚子はドキリとした。


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