第4話 異世界人と馬車の旅路(2)
馬車の旅はおおむね順調と言えるものであった。
昼間は商人がずっと御者をやり、悠真たちは幌の掛かった荷台の中で過ごす。
夜になれば商人が荷台を一人で占領して眠り、悠真たちは馬車の外でたき火を焚きながら不寝番をした。
リコットは不寝番をする必要は無かったのだが、夜荷台から追い出される事を考えると不寝番に付き合った方がまだマシ、との事だ。
事が起こったのは、三日目の夜であった。悠真はいつもの様にエドガーにしこたま剣で殴られながら、鍛錬して過ごしていた。
エドガーが突然剣を振る手を止め、呟くように言った。
「なんかいやがるな……唸り声からすると、アッシュウルフ辺りか。数はそれほどでも無いみてぇだが……。ユーマ、とりあえずポーション飲んどけ。リコットは馬を頼む」
「分かったニャぁ」
耳を澄ませば、虫の音に混じって獣の唸り声が聞こえる。
初めての、敵、なのだろうか。
低く太いその声にシルバーウルフの苛烈な攻撃を思い出したのか、悠真は身がすくむ想いである。一方エドガーは落ち着いたもので、腰の剣を抜いて油断なげに辺りを警戒している。と、おもむろに悠真に近付いてきて、剣を手渡した。
「お前はこれ持ってリコットと馬を守ってろ」
その重さ、金属の冷たさ。秘められた殺傷力に、ドキリとさせられる。
「え、これ……エドガーさんの武器は?」
「俺は木剣で十分だ。このくらいの相手ならな」
そして戦いが始まった。
戦いは、一方的なものであった。
灰毛の狼たちは数を頼りに、この場での最大の脅威であろうエドガーに飛びかかる。数匹がかりで間断なく行われる攻撃だったが、エドガーには一分の隙も無い様であった。
叩き伏せ、身を翻して喉を突き、時には拳や蹴りで立ち回る。
もし剣を使っていたなら、すでに勝敗は決していただろう。その上更に手加減しているのか、エドガーは木剣ですら致命傷を与えようとはしていないようである。
悠真がその事に違和感を感じるのと、エドガーが目配せをし、彼への攻撃を諦めた一頭を素通りさせるのとは同時であった。
「やれっ! 悠真っ!」
手を出さなければ、攻撃の意志を持った相手に言い様にされるだけ。その事を、エドガーとの剣の鍛錬でも、この短い間で嫌というほど教え込まれてきたのだ。
エドガーの視線の意味を理解し、敵と認識した瞬間に悠真は覚悟を決めていた。
もちろん悠真に生き物を殺す覚悟があるのかと言えば、そんな事は無い。虫を殺すのとはわけが違うのだ。もしかすると、感触や血を見て後悔するかもしれない。
だが自分のこれからや後ろにいるリコットを守る為に後悔する覚悟をするくらいならば、悠真にも簡単な事であった。
「ぜあっ!」
気合い一閃。飛び込んでくる狼に対して剣は下段の構えから振り抜かれる。握りの甘さから多少刃筋をぶれさせながらも、剣はアッシュウルフの胸から肩口にかけてを切り裂いた。
それはフェイントを掛けられていれば危険なほどの大振りの一撃ではあった。しかしながら、素人ゆえの迷いの無さ、たき火の光から剣を隠すという悠真らしい小細工が、功を奏したようである。
「ギャウン、ギャゥゥン!」
肩口を大きく切り裂かれたアッシュウルフが血を撒き散らしてのたうち回る。
「……初めてにしちゃ、まあまあの一撃だったな」
いつのまにか他のウルフを全て殴り殺したエドガーが、悠真から見てウルフを挟んで向かい側に立っていた。そして痛みにもがく獣の延髄に、無造作に一撃を見舞う。
ゴキッと重い音がして、いとも簡単に動かなくなった。
「だが、切ったのがあの場所じゃ、殺し切るのは難しいな。お前に痛みを継続させていたぶる趣味があるんなら別だが、急所を狙わねぇと。それか追撃で息の根を止めるか、だな」
「はぁっ、はぁっ……っはい……」
「ユーマ、息が荒いけどどうしたニャ?」
「緊張が解けて……急に心臓が……」
大きく溜息をついて、地面に座り込む悠真。
リコットが駆け寄って、心配そうに覗き込む。悠真が自分を背後に背負って戦った事を知っているだけに、彼女も本心から悠真を心配していた。
「はははは、緊張を押し込めてあの一撃が打てるんなら、初歩的な冒険者としては合格範囲内だな。あくまで動きだけの話だが。一対一でアッシュウルフが狩れるんなら小型のボアくらいまでの獣は問題ない訳だしな」
「まぁ、ウルフの問題は数ニャんだけどニャー」
悠真が立ち上がるのに手を貸しながらリコットがそう言うと、エドガーは違いねぇと大きく笑った。
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翌日の昼、悠真たちは次の村に辿り着いた。
「この村の名前は何です?」
「トレンチ村だ」
気になった事をとにかく質問するこのやり取りにも、お互いもう慣れたものである。
「二人とも元気だニャあ」
対するリコットはウニャウニャと眠そうに目をこすっている。
不寝番と言えば徹夜であり、商人が馬車を動かし始める時間(だいたい八~九時くらい)から数えて、今日はいつもの半分しか寝ていない計算だ。眠いのも仕方なかろう。
「喜べ、今度の村は宿があるぞ」
村の中を歩きながら、出し抜けにエドガーが言った。
「お金はどうするんですか」
「そりゃ勿論アッシュウルフの爪と牙と毛皮を金に代えるんだよ」
戦いの後、エドガーはちゃっかり剥ぎ取りをしていた。(ちなみに悠真も手伝わされた)
彼によれば、これらの素材は防具等々の材料になるらしい。皮なんかはそのまま皮鎧に。爪や牙は鎧の外装や、軽いため加工してインナーに付けたりするらしい。イメージ的には魚鱗甲のウロコ部分、鎖帷子の鎖部分の代用、と言ったところか。
「殺したのは俺が五匹、お前が一匹だから、分け前は五対一だ」
「え、いいんですか?」
意外な申し出に、少しびっくりする。
悠真としては弱った獲物を譲ってもらった形だったので、考えもしていなかった。
「じゃ、じゃあ早く換金に行きましょう!」
「おう、そうだな。リコットはどうする?」
「ワタシ? ワタシはこの村で何か雑用の請負仕事が無いか聞いてくるニャ。もし仕事があったら、この村でお別れニャよ」
これも唐突な話であった。村に入って、いけすかない商人と分かれてからも当然のように悠真たちにくっついて来ていたので、もしかしたら町まで一緒なのかと考えていた。
「そうなんですか……そうですよね……」
「ユーマ、寂しいかニャ?」
ズバリそう言われて、気恥かしさで一杯になる。だが、それも事実だった。
「まぁ……そうです。なんだかんだで仲良くさせてもらいましたし」
悠真が頬をかきながらボソボソとそう言うと、リコットはニッコリとほほ笑む。
「ユーマは素直だニャ。素直さはユーマのいい所ニャ」
「ま、そこは否定せんな。こいつが素直でなきゃ俺の教えも理解できてないだろうし、そうなりゃ今頃狼に食い殺されているだろうさ」
エドガーから憎まれ口以外が出るとは。普段言わない人から褒められると、嬉しい半面、やたら恥ずかしく感じてくるから不思議なものだ。
「いやぁ、あははは……」
「まぁこの世界じゃ、苦労するだろうけどニャ」
「うむ。詐欺師にひっかかるタイプだ」
「って、誉めてたんじゃないんですか!」
現実はそんなものである。
閑話休題。
「で、この村で仕事が無かったらどうするんです?」
「そりゃ旦那がたにくっついて町まで行きたいにゃ。仲良くなったよしみでタダで護衛してもらえるニャ」
「まあそれは構わんが。俺たちは明日の朝にはここを出るからな」
仕事を探し終えるまでどれだけ時間が掛かるのかは分からないが、それまでに伝えに来いと言う事である。
「わかったニャ。宿の場所は聞けば分かるし、居なくてもどうせ旦那らはどっか近所で剣の修行だニャ。探すニャ」
「ああ、そうしてくれ。じゃ、また後でな」
「また後で」
そんな感じで、リコットと分かれ、二人は素材を売りに向かった。
ちなみに冒険者ギルドも防具屋も無いので、雑貨屋が素材の取引を一括で扱っているらしい(場所は商人の男に聞いた)。
で、悠真の手に今あるのがこの世界のお金である。
「おおおお、これがお金!」
「異世界人って知らなきゃバカに見える発言はよせ。俺までバカに見られるじゃねぇか」
悠真は初めてこの世界のお金に触れて感動しきりである。対するエドガーはアホっぽいリアクションに呆れ顔だ。人間本当に感動すると、声が出ないか間抜けなリアクションになってしまうのは何故なのか。
「まぁ宿代を引いて残った金が本当の取り分だがな」
「あっ、やっぱりそうなんですね」
「当たりめぇだろ。てか最初に宿代に素材売った金をあてるって言ったろうが」
しかし、悠真は知っている。雑貨屋でエドガーがこの村の宿と宿代についての話をしていた事を。そして宿代を払ってもかなり手元に残ると言う事を。
「ニヤニヤしやがって全く」
「うひひひ、手先が器用で嬉しいと思ったのは初めてですよ」
素材の剥ぎ取りをエドガーに教えられるままに行った悠真であるが、教えたエドガー自身も驚くほどの器用さを見せたのである。
しかも最も大きな犬歯をほぼ傷つけずに切り出すという難度の高い事もやってのけている(エドガーは全部失敗していた)。アッシュウルフは討伐難易度的に言ってそこまで素材が貴重だと言う事も無い。ただ、無傷の犬歯と言えば本職の狩人クラスの仕事らしい。
「ま、アトムの申し子として登録するんなら資産は没収だがな」
「えっ!?」
「心配しなくても服は取られねぇし、物品はほぼ無料で質に入れるようなもんだ。しかも質に入れた本人しか買い戻せない様になってる。ようは少額で預ける様なもんだな。普通に稼ぎが得られるようになれば簡単に買い戻せるってわけだ」
つまり、ギルドでアトムの申し子として登録する前にモノに代えておけ、と言う事だろう。それならむしろ任せろと言わんばかりの悠真であった。
「そ、それなら早く宿に行って、そして宿代を払って、雑貨屋に戻りましょう!」
「言っとくが剣の修業はいつも通りやるからな?」
「いいですよもちろん。ええ、構いませんとも!」
テンションが上がってきて変な感じになっている。
この物欲をさっさと解消させた方が良いと思ったのか、それ以上特に何も言わず、エドガーは歩き出す。その後を、半ばスキップ状態の悠真が着いて行った。