第2話 異世界人と鍛錬の始まり
「それで、どうするんだ?」
朝もやの残る早朝。
悠真はエドガーに叩き起こされて、村近くの平原へと来ていた。
「えっと、はい……」
対する悠真は寝ぼけ眼である。昨日の晩急に突きつけられた選択肢について、一晩寝ずに考え抜いたのだから無理もない。
「何故戦う術を学ぶ必要があるのか」という問いから始まり、「この世界で何をしたいのか、したくないのか」について考え、最後には「元の世界にすぐにでも帰りたいのか、そうでないのか」といった根本的な事まで考え抜いた。そしてその結果、
「なんだ、しゃっきりしねぇな。ちゃんと考えたのかよ?」
「い、いやその、考えはしたんですけど……」
結局、悠真は答えを出せなかった。
元の世界に帰る方法を探すなら、多少辛くても剣の道を選ぶべきだろう。エドガーの話からこの世界の冒険者が悠真がラノベ等で知る冒険者と大差ない事は分かっている。旅暮らしをしやすい冒険者なら情報収集も楽だし、何よりこの世界の文化に深く関わらず生活できるだろう。
だが、そうでないなら?
元の世界に帰れないかもしれない。
帰る気を無くすかもしれない。
だとすれば、どうだろうか。
剣を習わず、血なまぐさい生活には触れずに、土地に根付くようにして生活した方が良いのではないだろうか。
あるいはまた、例えば情報収集のために冒険者となり、帰る方法が無ければ落ち着いた暮らしに切り替える、と言う方法は?
未熟な知性をフル活用して、悠真は想像する。
そして自分がその様な器用な生き方ができるのか。帰る方法が無いと知った時、絶望せずに新しい暮らしに踏み出すだけの気力を保っていられるのか。全く自信が湧かなかったのだ。
「どうすればいいのか、さっぱりで……あはは」
頼りなげに笑う悠真。高校、大学の進路くらいしか自分の未来を見つめた事の無かった悠真は、自分の未来の広がりと不安定さ、そして決めきれない自分自身に少々打ちのめされた様子であった。
「……もういい、分かった」
「え?」
分かったとは、どういう事だろうか。痺れを切らした風のエドガーを見て、まさか見限られるんじゃ、と不安が募る。
しかしエドガーが発したのは、悠真の予想とは異なる言葉であった。
「お前の世界じゃどうだったかは知らないが、生きるってことは不安の中に自分を投げ込んで行く事の連続だ。己に賭ける事のできねぇやつには、望んだ未来なんてやってこねぇんだよ。今のお前みたいにな」
自分に賭ける事、
自分の配当を増やす努力をする事、
自分の勝つ確率を増やす努力をする事、
そして小さな運こそが人を望む未来へと導くのである。
淡々と平易な調子で話すエドガーのその言葉に、悠真は再度自問する。
そして思い至った。
不安を塗りつぶそうと努力した事はあっても、不安を抱きながらもその渦中に身を投じた経験など、自分には無い事に。
「だから、お前は剣を取れ」
考えに沈み、落ち込む悠真の肩にエドガーは手を置き、言った。
「決断して、己を世界に投げ込め。そうすりゃあ今よりはマシな気分でいられるだろうさ」
そう言ったエドガーの表情は確信に満ちている。
まるで、自身の経験談を語るかのようであった。
もしかすると彼自身もまた、否応なしに剣の道を歩み、そして未来を掴み取ってきたのかもしれない。
「それに剣なら、お前に掛けてやれる短い時間でも実のある事を教えられるだろうしな」
ふと頬を緩め、ニッと笑いながらエドガーは言った。
異世界に流れ着き、行く先も寄る辺も無い自身の境遇。
偶然得られた庇護はもう間もなく自分から離れる。
そんな自分の運命の舵を、自分は誰かに委ねてしまおうとしていなかったか。
悠真は唇を引き結び、自分の未来一つ決められない自分と決別する覚悟を決める。
エドガーも後を押してくれている。
そして小さな決断を、小さく口にした。
「分かりました……剣を、教えてください……」
こうして、悠真は剣の道へと足を踏み入れる事になった。
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「そうと決まればさっそく鍛錬の開始だな」
エドガーはラノベなどでお決まりの木でできた剣、つまり木剣をポイと投げ渡す。
「とは言っても、やっぱり教えれる期間の短さは問題だな……さてどうすっか」
「確か、最寄りの冒険者ギルドまででしたっけ。どれくらい掛かるんです?」
「馬車で次の村まで四日。そこから更に徒歩で三日、ってとこだな」
エドガーの付き添いが最寄りの冒険者ギルドまでと言うのは、これまでの旅路で話し合った事である。
彼には彼なりの事情があるらしい。まあ、放り出されないだけましだろう。
「知識面はギルドにアトムの申し子として登録すりゃ、色々情報が得られるからとりあえず置いとくとして、問題は剣の扱いだな。そういやユーマ、お前剣は扱ったことあんのか?」
剣道の事を言うか迷ったが、言わないよりはいいだろう。
エドガーに分かるように、言葉を選びながら説明する。
「えっとまぁ、部活というかスポーツというか……。なんて言ったら伝わるか分からないんですけど、お互い怪我をしないような装備で、技術を競い合った事はあります」
「ふぅん……。じゃあとりあえず思うように剣を振ってみろ」
言われ、多少緊張しつつ剣道の素振りを披露する。
与えられた木剣は、扱ったことのある木刀や竹刀に比べて刀身も柄も短く、なおかつ重い。多少扱い辛さは感じるが、悠真とて三年近く竹刀を振った経験がある人間である。何度か振る内に、剣の重心を掴み、振りが鋭くなってくる。
「なるほど……まあまあ悪かねえ振りだな。だが、その剣術は捨てた方がいいかもな」
「そ、そうですか……」
「得物の扱いはそこそこ慣れてるみたいだが、どうにもその構えはいけねぇ。そんなにせせこましい構えじゃ攻撃も受けも幅がでないだろ。それに振り下ろす時に手元を絞ってちゃあ、打撃には良いだろうが、斬撃としては目的を半分も達成できねえぞ?」
そう言って、自身も剣を抜き、片手での前斬りを放つ。
抜刀からの斬撃。
悠真の知っているもので言えば、居合道における抜刀からの袈裟切りに似ていた。
剣道のように両膝が前を向いているのではなく、やや開いた構えから技が繰り出される。そして深く踏み込み、対象を断ち切るために剣を振りぬく動作だ。
「とにかく、下手な経験は邪魔にしかなんねぇ。体捌きや間合い、剣自体の取り回しも違ってくるだろうしな」
エドガーは剣を左右に一度ずつ払ってから、先ほどと同じ様に前斬りを放つ。
「確かに、ちょっと違いますね」
剣道では一足一刀と言う、一歩踏み込んで面を打てる間合いが基本だ。しかし実際の斬り合いともなれば得物の長さから片手両手の違いに至るまで、多様な間合いを相手にしなければならないだろう。実際エドガーの様に片手で剣を振るだけでも、悠真の知る間合いとはずいぶん違って見えた。
ちなみにエドガーの剣は、柄の長さは片手剣にしてはやや長いが、刃渡りは竹刀よりも短いものだ。だいたい柄が二十センチ強、刃渡りが八十センチらいだろうか。刃の太さや厚みで悠真の目算が狂っている可能性もあるが、少なくとも、身長百九十センチ近いエドガーが持つには小さく見える長さである。
「ま、とりあえずは今から教える型をやってもらうか」
そう言って彼が見せてくれたのは、三つの連続技である。
一つは、袈裟斬りから始まる攻めの型。
一つは、受けを中心とした返し技の型。
一つは、片手で剣を持ち、速度重視の突きや払いで相手を崩す型。
そのどれもが、単なる攻め単なる守りにとどまらない。
時に剣の持ち方、持つ手を変え、時に体を入れ替えて、有利な位置や態勢を維持する複雑な型であった。
「はぁっ!」
しかして彼の剣に淀みはない。
攻めるにあっては、空気を断つ音が聞こえてくるほどの迫力と鋭さを。
受けにあっては、想定する相手の影すら見えるかという繊細さを。
いつしか悠真は、その異国の剣技に見とれていた。
と同時に、シルディアの信頼の理由が理解できる気がした。もちろん信頼と剣技の間に直接関係など無いだろう。だが、そう思わせるだけの説得力が彼の剣技にはあった。
「じゃあ次は説明しながらやるから、お前も同じようにやってみろ」
言われるまま、同じように体を動かす。
エドガーの説明は丁寧で、動作そのものだけでなく、どうしてこの動きが必要なのか、何を狙っての動きなのかまで論理立てられていた。
相変わらずの理屈っぽさであったが、いつの間にか悠真は、この理屈っぽさに安心感を持つようになっていた。
「んっ、はぁっ!」
細かい指導を受けつつ、剣を振る。
最初はたどたどしい剣も、振るごとに少しずつ鋭さが宿ってくる。
「中々慣れるのが早いじゃねーか。教えるのが楽で助かるぜ」
「人のっ、真似をっ、するのだけはっ、昔から上手かったんです!」
剣を振りながら、そう答える。
部活でも先輩の真似をして、正しい素振りを初心者の中で一番早く会得した悠真である。
また加えて言えば、優等生タイプの悠真と理屈っぽい指導の親和性が高かった事も理由の一つだろう。
「まぁ体重が乗せ切れてなかったり技の流れが寸断してたりするが……何千何万と剣を振ってりゃ自然と身につくさ」
そう言われ、悠真はニヤリと笑みを浮かべる。
既に異国の剣技に魅せられつつあるのか、許されるならいつまでも振っていられるほどのやる気である。
「……よし、取りあえずストップだ!」
およそ十回ほど型を終えたあたりで、エドガーが声を上げた。
「型は覚えたみたいだし、朝飯に戻るぞ」
「はぁっ、はぁっ……はい……わかり、ました……」
意気込んでいた割に、悠真の息は上がっている。
続けろと言われれば続けられるだろうが、慣れない剣に慣れない剣技と言うのはかなり疲れるようであった。
「じゃあ行くぞ。……それにしてもお前、体力ねぇなぁ」
エドガーの馬鹿にした様子に、多少カチンとくる。
悠真としては不慣れの中、真剣に素振りをした結果だと主張したい。受験の運動不足、慣れない旅による疲労も追い打ちをかけているはずである。
「が、頑張ります……」
とはいえここで言い返せるような性格でも無いため、がっくりと肩を落としながら頷くしかなかった。
「まったく情けねぇ」
それは体力の無さに向けたものか、反論しない心根に向けたものか。
それともあるいはその両方だろうか。
ひとつ溜息をついてエドガーはさっさと歩き始め、息の整い始めた悠真は慌ててその後を追いかけた。
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それから村を出るまでの三日間は早いものであった。
初日はエドガーがジャイアントボア狩りに出かけたため一日中素振りをして過ごした。
その夕方、日暮れ前には戻ってきたが、三つの台車に肉が満載されて戻ってきたのには驚いた。エドガーに何頭狩ったのか聞くと一頭だと言うので、正直引いた。
台車一台で牛一頭分くらいは悠々あるだろうくらいの肉が載っていたのだ。余すところなく持って帰ってきたとしても、恐ろしい大きさの猪なのだろう。
モン○ンかよ! と突っ込みたくなるところである。
二日目は午前中エドガーがどこかへ出かけていて、一日目と同じくずっと素振りをしていた。
そして午後はお互い木剣を持っての稽古である。
悠真が「木剣でも怪我するかもしれない。危ない」と言う感じの事を言うと、「俺は一撃もくらわないから怪我しない。危なくない」と言われた。
ここまでエドガーの理屈っぽいところばかり見てきたため、
強面の荒くれモンじゃねーか!
↓
なんだ理論派の常識人か……
↓
やっぱり見た目通りの荒くれモンじゃねーか!
と裏切られた気持ちである。
ちなみに、木剣で打たれたところは謎の液体(ポーション的な?)を飲み謎の軟膏を塗る事で、ものの十分くらいで治った。そして悠真は、日が暮れるまで延々と打たれ続ける羽目になった。
そして三日目。
馬車は昼過ぎに出発し、一泊して次の村に向かうらしい。
朝錬は素振りをせよとの事だったので木剣で殴られずに済むとホッとしつつ、悠真は鍛錬に励んだ。
朝錬から戻りモート村で最後の食事を食べ終えると、今度は馬車の荷の積み込みを手伝うと言う。
「乗り合い馬車なんぞねーからな。こうして商人の馬車に乗せてもらうのさ。代わりに俺は護衛をする事になってる。んで、お前さんは荷の積み下ろしと、俺の護衛の手伝いが仕事だ」
積み下ろしと言う事は、到着した先でも作業が待っているのか。
「しかも護衛の手伝いまで……」
「護衛っつっても不寝番程度だろうけどな。まぁつまり、夜の間はエンドレスで鍛錬できるって事だ。嬉しいだろ?」
もの凄い無茶を言われている気がするが、ここまで行くともうヤケクソである。
「う、嬉しゅうございます……」
悠真は嘆息と共に吐き出すようにそう言った。
とはいえ、この馬車の旅。悪い事ばかりでもない。
その唯一にして最大の理由が、彼女の存在である。
「よろしくお願いするのニャ」
リコットと名乗った女性は、なんと猫の獣人だと言う。
灰毛のつややかな毛並み。感情に合わせて動く猫耳としっぽ。まさに異世界、と言った風情である。
【大森林】でシルバーウルフとシルディアの魔法を見て以来の異世界っぽい存在。つい驚きの声を上げてしまい、やたらビビられたのはご愛嬌だろう。
彼女もまた荷の積み下ろしが馬車に乗る対価らしく、悠真と一緒に作業を行っていた。
「アトムの申し子か~……アンタも大変な境遇なんだねぇ。っていうか異世界人なんて初めて見たニャ」
「やっぱりあんまり居ないもんですか、異世界人とかって」
「そうだニャア。10年前に現れた人間族の勇者も異世界人ってウワサだけど、ワタシはあんまり知らないニャ」
「ふーん……」
などと雑談しつつ、一緒に作業する。
こんな程度の事だが、村の人とあまり接触しない様エドガーに言い付けられていたので(境遇を説明するとややこしくなるかららしい)、シルディア・エドガーと出会って以来の異世界交流である。リコットが常にニコニコ笑顔の人当たりの良い人柄であった事も相まって、ここ数日思い悩んでばかりだった悠真の心を大いに癒してくれた。
一方、馬車の主である商人の男は嫌な奴だった。
どうも獣人に対して差別意識を持っているらしく、事あるごとにリコットを罵倒する。非常に横柄な態度の男であった。
「そろそろ出発するが……おい獣人女! 俺の荷物に手を出したらただじゃおかないからな! 獣臭いのを荷台に載せるのも嫌だってのに……」
出発する際にも、吐き捨てるようにそう言っていた。
「商人殿、俺が見張っておくから大丈夫だ。獣人ごときに手は出させねぇ」
「はぁ、旦那がそう言って下さるんなら、構いませんがね……」
そうやってエドガーが横槍を入れなければ、しばらくネチネチと言われ続けていたに違いない。
ちなみにエドガーのごとき発言については、リコットは特に気にしていないようであった。
むしろ、
「あそこで旦那が商人殿に迎合してくれなきゃ、日暮れまで文句言われてたかもしれないニャ。馬車に乗り合わせるのも口利きしてくれたし、旦那にはすっごく感謝してるニャあ」
としきりに感謝していた。
というか乗り合いの口利きまでしていたのか。お人よしである。
悠真を木剣でボコボコにしていた(しかもほぼ無表情で)人物とは思えない。
ところで、商人の男は獣人にはえらく横柄だったが、ただ差別的な人格というだけでさほど凄い商人という訳でもないようだ。村人にはおおむね丁寧に接しているし、従者(?)も居らず、馬車も一頭立てだ。
そんな人物ですら獣人に対してあれほどの態度で接し、なおかつ咎められる事が無いと言うのはどういう事なのだろうか。
(旅の最中にリコットさんに聞いてみるか)
そう考えながら馬車に乗り込む。
そして馬のいななきと共に、馬車は走り出した。