第1話 異世界人と初めての村
歩き始めたのが夕方付近であった事もあり、二人は野宿で夜を明かし、次の日最寄りの村を目指した。
歩きながら、男(エドガーと言うらしい)は色々な事を教え、また質問に答えてくれた。
例えば悠真のような異世界人の呼び名について。
シルディアが「アトムの申し子」、あるいは「精霊の誘い人」と言っていた事に関連する話である。
エドガーによれば、この世界には二柱の神とそれに仕える数多くの精霊たちがいるらしい。
神のうち一柱が、物質の神アトム。いわゆる創造神であり、世界の全てを作った神である。
もう一柱は精神の神エーテル。全ての意志・自我はこの神から生まれたとされる。魔法を司る神であり、文化を人族に与えたのもこの神であると言われている。
精霊はこの世界全てを司り、それは生命以外のすべてに及ぶ。それは物質だけに留まらず、現象も含まれる。例えば火や風などがそうである。
「アトムの申し子ってなぁ、元々は肉体それのみで完結している存在を意味する言葉なんだよ。要はケモノだな。生命それ自身と言ってもいいかもしねぇが。で、そこから転じて、財産とか立場とかのしがらみを持たない存在、つまり異世界人を指す言葉として使われてたわけだ」
「へぇ、面白いですね……言葉の由来かあ」
「まぁこじつけみてぇなもんだな」
悠真の感心したような言葉に、肩を竦めるようにして返す。
ちなみに現在では、人間社会における「アトムの申し子」と言う言葉は、失業者や落伍者を指す事が多いようだ。これには国の政策が関係しているのだと言う。
商売で失敗したもの、クエスト失敗で武器を含めた財産を全て失った冒険者、犯罪を犯して投獄され出所直後のもの、返済を終えた借金奴隷などが「アトムの申し子」と呼ばれ、この制度によって冒険者ギルドを通じて補助を受ける事ができるらしい。補助の内容は職業訓練みたいなもので、武器の扱いや読み書き、算数を教えてもらえる。スラムの形成抑止に効果を発揮している有名な政策だそうだ。
「ま、最初はクソみてぇな失業者どもと同列に扱われるだろうが、下手に目立って奇異な目で見られるよりゃあマシだろ?」
失業者と同じ呼び方と言われて微妙な顔をする悠真に、エドガーはそんな事を言った。
「ちなみに精霊の誘い人ってのはエルフたちの使う古い言葉だ。普通は使わねぇ。町で使っても通じねぇから、注意するこったな」
「そうなんですか。……でも何でそんな言葉をシルディアさんやあなたが知ってるんです?」
「そりゃあ彼女がエルフ族だからだよ。俺はシルディアから教えてもらった」
寝耳に水である。
悠真の記憶では、シルディアの耳はとがってなかったはずだが。
「まぁ彼女の場合、人間の血が薄くだが混じってて、その先祖返りでエルフっぽい特徴がところどころ現れてないんだがな」
「なるほど……」
また例えば、魔法についても話を聞いた。
「魔法があるんですね」
「ああ、お前の世界にはないのか」
「はい。なのでかなり興味があります」
そう言った彼の表情から読み取れるのは、稚気であり知的好奇心である。エドガーは道中の暇もあってか、そうした話にも嫌がらずに付き合ってくれた。
この世界において、魔法は魔力の精神的な発露だと言う。
世界には魔力によって力を貸してくれる四つの精霊がおり、それぞれの司る物質(あるいは現象)を、魔力をもって自在に操れるようになるらしい。
「四大精霊、すなわち火の精霊、風の精霊、水の精霊、土の精霊の事だな」
エドガーが言うには、このうち水と土の魔法はそれぞれ名前の通り、水と土(石や岩も含む)を作り出すことができる。物質を作り出すという行為は物質の神アトムの領分に踏み込んでおり、それゆえこの二つの魔法は他の二つより格の高い魔法とされているらしい。
「実際、水と土の魔法を使える術者の数が少ないってのも、そういう認識を強めてる一因ではあるな」
まるで識者かのごとく話すエドガー。
実際、彼の知識や物事の捉え方、考察はただの冒険者(あくまで悠真の中の冒険者像ではあるが)とは思えないほどで、それは他の話題の時も顕著に表れていた。
あるいは彼は、いかつい風貌に似合わず勤勉な男なのかもしれないと、悠真は思った。
ちなみに、その識者エドガーによれば、回復魔法は水あるいは土魔法が使える術者だけが発動でき、土魔法よりも水魔法の方が回復に適しているらしい。またそれらが同時に使えるとちょっとした部位欠損すら回復せしめると言う。
とまあ、こんな感じで話しながら二人は村まで歩いたのである。
たどり着いた村は小さいながら、この世界の文化に初めて触れる悠真にとって、新鮮な驚きに満ちていた。
モート村というらしいその村は、悠真の想像する異国の農村風景に近かった。ただ大きく違う点を一つ挙げるとすれば、それは「外敵への備え」に他ならないだろう。
村はだだっ広い平野に存在しており、中心部の家々の周りに畑が存在する、という構造をとっている。そして村の四方面には物見やぐらが立ち、その中でもひときわ大きいものが悠真たちの来た森(シルディアは【大森林】と言ってた)の方角に立っていた。
【大森林】には、人間にとってそれほどの脅威が棲んでいるというのであろうか。それは悠真の知るところではなかったが、脅威の大きさは良く感じられた。
村に入ったエドガーは家々のある場所を目指し、悠真もそれに従って畑のあぜ道をしばらく進む。広場と思しき場所にたどり着き、エドガーはそこで立ち止った。
「うし、じゃあ俺は宿なりなんなり見つくろってくるから、ちょっと待ってろ」
「一緒に行くんじゃないんですか? てっきり宿の取り方とか教えてくれるのかと」
「いやいや、宿って言っても商売でやってる所じゃないぞ? 村ってのは排他的だから、お前みてぇな身分の分からんやつが居ちゃ足手まといだ」
そういうものか。
なにしろ右も左も分からないので、悠真は言われた通りおとなしく待つ事にした。
広場の脇にあった切り株に腰かけ、物珍しげに辺りを見回す。
「ふーん……」
広場の一角には出店が出ていた。商品を見てみると食料品や雑貨が売られている。店構えは流石にこじんまりとしたもので、布の上に商品を並べて大きな傘の様なもので影を作っている程度であった。そろそろ店じまいの時間なのか、店主が商品を片付けている。
「朝と夕方に市がたつのかな。それとも突発的に出店する? でも突発だと不便だろうし、やっぱり定期は定期だろうな。そうだとして、時間帯によって店の種類が変わったりするんだろうか。さっきのは雑貨屋だったけど、雑貨屋が午後に出店する意味って……」
好奇心の赴くままに、想像を巡らせる悠真。ぶつぶつと言葉に出てしまっているのはご愛嬌である。
悠真にとってはついこの間、大学入試を終えたところだ。受験勉強では学びと好奇心を結びつけるやり方で学習の効率を上げていたため、こうして好奇心に任せて考える事が癖になっていた。
「というか宿屋が無いってどういうことなんだろ。商人は取引相手に泊めてもらうとしても、旅人はみんなエドガーみたいに宿を探すのかな?」
思考の飛躍を繰り返しながら、とりとめもなく考える。
今のところ、悠真は異世界に来た寂しさよりも、好奇心が大きく勝っているようである。もしかするとこの世界に来た直後にひどい目にあって、意識が非日常から戻ってきていないのかもしれない。
もしそうであれば、いつかこの異世界生活が彼の日常となった時、彼は大きな寂しさに襲われる事になるだろう。とはいえ、彼にとってこの異世界が日常となるには、まだまだ時間がかかりそうだが。
そうこうしているうちに、エドガーが広場へと戻ってきた。
「どうでした?」
「まあなんとかなったな。ただ馬車が出発するのは三日後らしい。まぁ商売じゃしゃあねぇ」
宿は村長の家の一室を借り、食事も用意してもらえるらしい。その代わりに、近頃村の近くに出没するジャイアントボア(どんな獣かエドガーに聞くと、でかいイノシシ、だそうだ)を討伐する約束をしたようだ。
「明日から俺はジャイアントボアを探しに行く。その間お前はトレーニングだな」
「トレーニング……ですか?」
「そうだ。シルディアにお前の事を頼まれたからな。見たところ魔力はそこそこあるみたいだが、今どの属性の魔法が使えるか判別する道具を持ってねぇ。それに人語魔法はスクロールが居るしなぁ」
顎に手を置き、考え込むようにしてエドガーはそう言った。
「ちょ、ちょっとエドガーさん……!」
気になる言葉を耳にして、エドガーをあわてて止める。
魔力がそこそこあるというのも気になるが、それよりも気になるのは「人語魔法」だ。
「人語魔法ってなんです? 前に魔法の話をした時には言ってませんでしたよね?」
「あれ? そうだったか……?」
「そ、そうですよ……」
「すまんすまん、他人に何かを教えるってのに慣れてないもんでな」
声を上げて笑いながら、エドガーは悠真の肩をバンバンと叩いた。
その流れで、悠真を促しつつ歩き始める。どうやら村長の家まで歩きながら話す、という事らしい。
「人語魔法ってのは、まぁ言葉から分かるかも知れんが人間が作り出した魔法だ。精霊の力を借りた魔法を精霊魔法って言ったりするんだが、この精霊魔法の魔力の流れを解析しようとした物好きが居たらしい。で、術式と呪文で精霊魔法と似たような効果を得ようとして作り出されたのが」
「人語魔法ですか」
「そうだ。ただこの試みは半分失敗でな。出力が全くでないんだよ。それが精霊の力を借りないからかそうでないのかは分かってないんだがな。まぁとにかく、低い出力でできる事しか人語魔法にはできないってわけだ」
人差し指を立て、教壇に立つ教師の指し棒の様に振りながら、エドガーが語る。
やはりゴツイ風貌に似合わず、振る舞いが識者じみている。
「ただ出力が低いといっても、精霊魔法と違って魔法適性に関係なく扱える特性があるからな。重宝はする。例えば生活魔法って分類される魔法は凄いぞ? 火おこし洗濯目覚ましに簡易トイレ用の穴掘り魔法。馬鹿みたいに聞こえるが、使ってみると重宝するんだこれが」
言い方がいやにしみじみとしている。もしかしてトイレで困った事でもあったのだろうか。
「トイレの魔法か。なんかシュールだ……」
悠真がトイレ魔法に思いを馳せようかという時に、二人は村長の家へとたどり着いた。
ここだここだとでかい声を出しながらエドガーが扉を叩く。
悠真のトレーニングの内容については、二人ともすっかり失念していた。主にトイレ魔法のせいで。
二人は村長に挨拶をし、その後食事を振る舞ってもらった。簡素な食事ではあったが、悠真にとってはこの世界に来て初めての普通の食事であった。
村長は寡黙で丁寧な人柄をしていた。食事は同じ卓を囲んでのものだったが、彼がほとんど話さないせいで非常に静かな食卓となった。ただどうやらエドガーの事は歓迎しているようで、言葉少なに、だが好意的な感じで接していた。
悠真はここで初めて知ったのだが、どうやらエドガーはAランクの冒険者らしい。全冒険者の上位一割に満たない実力者だと村長は褒め称え、エドガーがいかに凄い人物かを悠真に語った。もちろん、あくまで「言葉少なに」の範疇ではあるが。
「エドガーさんって凄い人だったんですね」
夕食を終え客人用の二人部屋に通された後、悠真はそんな風に漏らした。
改めて言うような事でもなかったが、こうしてどうでもいい事を聞ける程度には、悠真はエドガーに慣れてきたようである。
エドガーは積極的に話しかけてくるタイプではないが、無口と言う訳でもない。むしろこだわりが多く、問われれば饒舌になるタイプだ。悠真はそういう性質を、たった一日とは言え二人きりでの旅路で感じ取っていた。
「Aランク冒険者って言やぁ、個人としちゃあ正規軍の騎士より強いって言われてるからな。市井の人間にすれば、それだけの人物がお金で動いてくれるんだから重宝がってるだけだろ」
「いいじゃないですか。人に望まれる能力を持ってるってだけで」
「んん? やけに卑屈だなぁおい」
何一つ際立った才能が無く、コツコツ成長する秀才型の悠真である。そういう努力は中々理解されるものではない。ましてや努力の一つの結実である大学への入学は、この世界への召喚によって現実にならなかった。
実際のところ、大学に入れば何が変わるという訳ではないだろうが、悠真くらいの年齢はとかく他人に認められたいと思うものである。環境が変わる事に多少の期待を抱くのも自然な事だろう。
「まぁお前が何を考えてるのかは聞かねぇさ。だがこの世界は何を成すにも力が要る。何かやりたい事がある。なりたい自分がある。そうして俺は力を付けてきたんだ」
言いながら、エドガーは装備を外していく。外套をポールハンガーに掛け、胸当てと下腹部を守る前垂れを外す。そしてベルトを外し、ベルトと一体になった鞘のホルダーから鞘を取り外した。
「お前にはなりたい自分があるか? 成し遂げたい事はあるか?」
エドガーは鞘に入ったままの剣を床に突き立てる。重量を感じさせる重い音に悠真はびくりと反応した。
「途切れちまった話の続きだ。明日から、お前に剣を施してやろうと思ってる。こいつなら体それひとつが力の証だ。単純明快だぜ? まぁ背負うもんも色々と増えちまうが……。お前のやりたい事が何であれ、役に立つはずだ」
「お、俺は……」
「ま、その気が無いってんなら無理強いはしねぇさ。戦いがどうしても嫌だって事もあるだろうしな。もしそうなら……お勉強だな」
そう言って剣をベッドのそばに立て掛け、もそもそとベッドに入っていく。
「答えは明日の朝聞く。一晩じっくり考えとけ。じゃ、おやすみだ」
「は、はい……」
唐突に突きつけられた選択肢。
今日の出来事を整理する事もできず、悠真の夜は悩みに暮れていった。