第19話 異世界人と小さな変化
「ふわぁあああ」
「ちょっと、気が抜けるからやめてよ」
「わりぃ」
あまりにも腑抜けたあくびをニーナに見咎められて、これまた気の抜けた謝罪を口にする。
柔らかい丸パンをスープに浸しながら、悠真はもちゃもちゃと遅い昼食を食べ進める。朝早くからEランククエストを受け、町の中での肉体労働を終えて帰ってきたところだった。
ゴブリン事変から、そろそろ一週間が経とうかとしている。
悠真たちがティバールに帰ってきてすぐ、駐在騎士や教官がゴブリンを追って森へと入った。しかしリングリーダーやガトはよほど上手く潜伏したようで、今だ発見したと言う報告は無い。
ゴブリンの残党を探し出せず苛立ちが募る騎士たちに対し、冒険者はたちは引きこもりがちだ。あんなものが潜む森になど行きたくないと言うのが、彼らのおおよその統一見解である。リングリーダーが殺されるまでティバールを離れると言い出す者も居るほどだ。
かなり臆病になっているのは確かだが、二十名は居た冒険者が今や半数ほどになってしまったのだから、仕方の無い事とも言える。まあイゴールなど、騎士たちに同道して奴らを追い立てるのに躍起になっている者も居るには居るのだが。
悠真はと言えば、領主の計らいで無償で療術師(回復魔法の使い手)に骨折を直してもらった後は、町の力仕事を中心にこなしながら鍛錬の日々である。当面の生活費はゴブリンを退けた事に対しての報償で充分賄える。その間に、火事場の馬鹿力で可能になった詠唱短縮を、忘れないよう完全に習得してしまおうと言う考えであった。
ちなみに報償の額は予想以上に多かったのだが、これは死者の数が危険度の高さを明確に示したためである。仲間が死ねば死ぬほど金がもらえると言うのは皮肉なものだが、冒険者とはそういう職業ゆえに、誰もが納得して報償を受け取った。
「それにしても……」
「ん?」
客がまばらになり始めた食堂で机を拭くニーナ。その呟きに悠真が反応すると、彼女はこちらに向き直って何やら思案顔で話し始める。
「何だか最近、知らない冒険者が増えて来たよね」
「こないだの事件でこの町に居ついていた冒険者が減ったからなぁ。森の調査に人手が欲しいってのもあって、ギルドから割の良いクエストがいくつか出されてるみたいだな」
冒険者ギルドは国の機関なので、人を誘致するために割の良いクエストを出し、現地以外のギルドでも宣伝をしたりする事は良くあるらしい。
「ふぅん……でもこれって、宿のお客を増やすチャンスだよね! 頑張らなきゃ!」
「そう上手くいくのか?」
「何言ってるのよ、ユーマも宣伝するの! そう言う契約でしょ?」
「うへぇ、そうだった」
この二枚舌カエル亭の宣伝をギルドや出先で行う事、そして蓄魔石への魔力供給が、宿代割引の条件だったのを失念していた悠真。もの凄く嫌そうな顔をし、ニーナに睨み付けられる。
「もー、そうだったじゃないでしょ! ちゃんとやってくれてるの、蓄魔石に魔力入れるのだけじゃない。この魔力バカ! 才能無し!」
「いや、それには理由があるんだって。って言うか何気に非道いな……」
才能無しという言葉に割と傷付きつつ、宣伝をさぼった事については弁明の余地が無くゴニョる悠真。睨み付けてくるニーナは「あたし怒ったからね!」と言った風情で、むしろ可愛らしいくらいなのだが。自分に非がある事を認めると流石にいたたまれなくなってくる。
「ニーナちゃん、足りない材料の仕入れと搬入、終わったよ」
いっそもう逃げ出すか、と悠真が腰を浮かしかけたところに、奥から前掛けを腰に付けた男が現れた。
「あ、パーシーさん。ありがとう。今お茶入れるからちょっと休憩していって」
「おう、悪いね」
パーシーと呼ばれた男は、拭きかけの机をささっと拭いてお茶を入れに行くニーナを見送り、空いた椅子に腰を下ろす。
「お疲れだな、パーシー。今日も混んでたのか?」
パーシーは商業ギルドから派遣された、二枚舌カエル亭の住み込みの従業員だ。と言っても、そこまで大きくない上に宿泊客がほぼ居ないこの宿の事。手伝っているのは仕入れ時の力仕事と、食堂が混雑する昼・夜の時間帯だけだ。今は昼下がりでいわゆるアイドルタイムなので、彼の仕事はひと段落したところという訳だ。
ちなみにそれ以外の時間は他の店で店番をしたりしながら商売を学んでいるらしい。どうやらどっかの商家の三男坊か何かで、店を任される立場ではなく、それゆえ商業ギルドで勉強しながら丁稚のような事をやっている。
「まあな。と言うかお前、あんまりニーナちゃんに迷惑掛けんなよ?」
「迷惑って何だよ」
悠真が不満げに言うと、パーシーは赤毛をかき上げながら責めるように身を乗り出す。
「この店の宣伝さぼってんだろ。契約不履行だ、契約不履行」
「聞き耳立ててたのかよ? いやらしい奴だな」
「うっせえ。とにかくだな、今まではほとんど固定宿を持ってる冒険者ばっかりだったのが、ここに来て旅人の流入があったんだ。ニーナちゃんの魅力を持ってすれば長期宿泊客もがっぽりだ! そうだろ?」
パーシーの力説にげんなりしながら、悠真はスープを飲み干す。
このパーシーとは、悠真が夜の混雑時を避けて夕食を食べる事もあって、よく一緒に賄い飯を食べるような間柄だ。歳が近い事もあって(悠真が十八歳、パーシーが十九歳。ちなみにニーナは十六歳)気安く付き合える友人なのだが、どうもニーナの事が好きらしく、悠真が彼女と話していると必ず突っ掛ってくるのだ。ある時など「何でお前は呼び捨てで俺はさん付けなんだよ!」などと、知るかと言いたくなるような事を言ってくる事もあった。まああまりにも分かりやすいので、悠真もそれに対して怒ると言うよりは、生暖かく見守っているという感じである。
ただ残念な事に現状では、パーシーはニーナにとって「ギルドに派遣してもらった大事な働き手」と言う位置付けで、身内ではない。悪い意味ではなくニーナがパーシーに気を遣う立場を取っている、という意味だが、パーシーにとってはこれがあまり良ろしくない。彼女がパーシーに気を遣い、それを彼が笑顔で返すのを見る度に、悠真は彼の悲哀を感じ取っていつも苦笑してしまうのだ。
「がっぽりかどうかは知らんが、今までより可能性が高いのは確かだろうな」
「だろ? だから、お前は宣伝を真面目にやれ。頼んだぞ」
「分かった分かった……。で、お前はどうするんだ?」
「俺は仕事で付き合いのある商人に噂を流してもらって、間接的に二枚舌カエル亭の良さを、冒険者に伝わるようにするつもりだ」
「なるほどね……」
冒険者である悠真から、そして立場の違う商人から情報を流す事で、噂の宣伝効果を増強させる作戦という訳だ。色恋に目が眩んでるように見えて、流石は商人と言ったところか。意外に良く考えられている。
「ふーむ」
こうして聞いていると、悠真は自身の仕事量を始めとして、話が現実味を帯びてくるのを感じた。そうするとやらない方がおかしいように思えてくるのだから不思議なものである。
もちろん慎重な悠真としては、多少心配な事もある。それは外の者が入って来る事によって起こる、治安の低下。この宿で言えば厄介な客が来るのではないかと言う事だ。しかしそう言う事を経験せずに宿を経営するのも難しい話である。不安は残るが、ここは師エドガーの言葉に則って、不安の中に飛び込むのも良いだろう。まあ実際、不安に身を投じるのはニーナなのだが。
「まあやるだけやってみるさ。……さて、そろそろ行くか」
悠真は水差しからコップに水を注いで飲み干し、立ち上がる。
「あ、ユーマ、もう行くの? お茶入れたんだけど……」
「悪いがお腹一杯だ。それはパーシーが飲んでくれるってよ」
戻ってきたニーナにひらりと手を振って悠真は宿を出る。行先はいつもの小川のほとり。詠唱短縮の完全習得、そして魔法操作を習熟させるために今日もノルマ五十発と気合を入れて、悠真は町を出るのであった。
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ニーナに冒険者の勧誘を頼まれて、さらに数日後。
「シュートラビットの照り焼きサンドをくれ」
「まいどっ!」
出店のおっさんの威勢のいい声を聞き、某照り焼きバーガー的なタレの滴るそれにかぶりつきながら、悠真は町を歩く。目指すは冒険者ギルドだ。
ミアに宣伝を頼まれたのもあるが、実のところ詠唱短縮の習得が上手くいかず、若干やる気を喪失気味になっているのだ。ゴブリン事変であれだけ使いまくったファイアスプラッシュやファイアフェンスですら成功率は八割辺りをうろうろしているくらいだ。勤勉な悠真と言えど、多少腐るのは仕方のない事だろう。
「しっかし……平和だなぁ」
などと悠真は呟くが、別に町の様子はいつも通りである。
要するに悠真は、ゴブリン事変の影響から抜け出せていないのだ。だから普段通りの姿を見せる町に何やら思うところがある。
結局のところ、ゴブリン事変は悠真の体験した修羅場ほどのインパクトを、町には与えていない。
襲撃を受け壊滅したのは村ひとつ。生き残りは少女ひとり。その上、他の村への被害は冒険者の働きによってくい止められたのだ。町民には、ゴブリンが攻めてきたけど冒険者が撃退した、という不穏ではあるが終わった事件として受け止められたのである。
また親玉が生きているという危機感も、騎士が出張っているという安心感で相殺されたような感じになっていた。
「あらユーマ、いらっしゃい。今日は遅いから来ないかと思ったわ」
「まあ、ちょっとな」
ライラに迎えられてギルドに入り、悠真はギルドホールの一角に目を向ける。
そこはいつ来ても何人かの冒険者がたむろしていた椅子とテーブル。今は使う者もあまりなく、ギルドの片隅でぽつねんとしている。余所からの冒険者は増えてきても、そう言う人たちは割の良いクエストを我先にとこなそうとするので、くつろごうとするような人間は居ないのだ。
ゴブリン事変の当事者たる冒険者ギルドは、今人の流入があって俄かに賑わっている。なのにここには、不思議な喪失感が漂っている。
かといって悠真は死んだ冒険者たちとは知り合い程度だ。彼らのパーティの仲間のように、悲しみ悼んで喪失感を埋めるという事もできないのが、難儀なところである。
「よう、ユーマ。どうしたんだボーっとして」
声を掛けてきたのはゼットだ。この黒い毛並みの獣人とはゴブリン事変以来、会えば声を掛け、雑談するような仲だ。死地の中では共に半人前扱いで、補い合うようにして役割を果たしたという連帯感が、ふたりの間には生まれていた。
「うん? あー……今日はクエスト受けるのやめとこうかと思ってな」
「んん? もしかしてお前、死んだやつらの事考えてんのか?」
悠真の視線を追って使用者の居なくなった椅子とテーブルに至り、ゼットは彼の考えている事を理解したようだ。
途端、呆れたような表情を見せるゼット。
「やめとけよ。関係無いやつの事まで考えてたら、キリが無いぜ?」
「それは分かるんだが、あいつらが俺にとって関係があったのか無かったのか……もう少しどっちかに偏ってたら、無関心になるなり素直に悲しむなりできたんだけどなぁ」
「まったく……ややこしい事考えてんなぁ」
「うるさいな。性分なんだよ」
こう言う細かい、決断が難しい事に対して、果断になれないのは悠真らしいと言える。悩んだ上で決める事こそ自身のアイデンティティと、彼が半ば規定してしまっているためでもあるのだが、それで成長できた事もあるので捨てきれない性分であった。
もっとも、最近はエドガーの教えもあって悩み過ぎない程度に改善されつつはある。それでもまだまだ、この悩み症は完治とはいかないようであった。
「もう止そうぜこの話は。終わりゃしねぇ。それより、面白い話があるんだよ」
切り替えるようにそう言って、悪戯っぽい笑みを浮かべるゼット。ちょっと以前までいつも顰めっ面で、人間への憎しみを振りまいていたのがウソのようである。町の人間とは相変わらずのようだったが、ギルドの人間や冒険者に対しては普通に接するようになっていた。
「面白い話?」
ゼットからの珍しい申し出に、悠真は首を傾げる。
とそこに、ミグスがひょこひょことやって来た。
「ゼット、ユーマを誘うんっすか」
「おう、こいつの魔法は絶対役に立つしな」
「おい、いったい何の話なんだよ」
「へっへへ……聞いて驚くなよ? リオ河の下流域でグリフォンが目撃されたんだってよ!」
リオ河はティバールの町から東に半月ほどの位置にあるガリシア山脈を源流とする河で、人間の国の水源のひとつである。ガリシア山脈が背の低い山が連なったものであるため流れは緩やかだが、山やその麓、そして流域各所に存在する森のおかげで水量は豊富で流域もかなり広い。この河にお世話になっている村や町は非常に多いのだ。
「だってよ! じゃねーよ。もしかして狩りに行くつもりか? グリフォンなんて勝てるわけないだろ」
グリフォンは風属性の魔法を使う強力な野生動物である。四肢があるため、ウインドイーグルやワイバーンなどの翼手類と違って、森の中など遮蔽物の多いところでも縦横無尽に動き回れる隙の少ない生物だ。
「ん? いや俺だって勝てるとは思わねぇよ。けど、見てみてぇと思ってな。それに……へへ、もしかしたら、って事もあるかもしれないだろ? アニキが居ると絶対許してくれねぇから、行くなら今なんだよ」
最後はおどけるようにして、ゼットは声をそばだてて言った。それに同調して何やら可笑しそうにミグスも笑う。先輩冒険者の目を盗んで悪巧みをするような感覚なのだろう。
「エイベルでも誘えよ、どうせどっかの食堂で飲んだくれてるだろうし」
「いやいやユーマ、これは経験の無い人間だけで行くってところに意味があるっすよ。エイベルなんかが居ちゃスリルも緊張感も無くなっちまう」
「スリルってお前……」
能天気な考え方に呆れる悠真だったが、実際は真面目に冒険者をやる悠真の方が珍しいのだ。マトモな就労意識のある者は戦う事を仕事に選んだとしても、騎士や衛士の徒弟から始めて、国軍の兵士になろうとする者の方が多い。もちろん、それは常備軍であるがゆえ予算の関係上、狭き門なのだが。
とにかく、世間一般の感覚から言えば、冒険者は一攫千金やてっとり早い立身出世を狙う野心家か、さもなければたまに命掛けるから普段はぐうたらしてたい怠け者かのどちらかである。ゼットやミグスがお金がある状態でさしたる理由もなく旅をしようと思うのも、まあそこから大きくズレた行動というわけでもないだろう。
「まあ真面目なユーマ用に案が無いわけでもないっすよ。例えば経路の近くにある貴族領へのお使いクエストを受けて、現地でもクエストを受けるってのはどうっすか? これならついでに貴族領の観光もできるっす」
「へえ、貴族領か」
「おっ、食いついて来たなユーマ。じゃあそれで行こうぜ」
「まだ行くとは言ってない。現地の物価とか、あと野生動物の情報とかは集めたのか?」
「それは向こう行ってからっすね。無理にこっちで調べるよりもその方がずっと良いはずっす。最悪向こうで野宿って事もあるっすけど、それで文句言うお姫様ってわけでもねぇでしょ?」
ミグスの説明を受け、なんだか卒業旅行を思い出すな、と悠真は小さく呟く。元の世界で男友達と行ったその旅行も、行き当たりばったりで安宿を渡り歩く貧乏旅行だった。
「うーむ、だんだん楽しそうに思えてきた」
懐かしさも手伝っての事だ。それは悠真も自覚しているし、グリフォンを見に行くと言う危険行為についても問題はそのままである。
「いいじゃねぇか、楽しめば」
「そうっす。前から思ってたっすけど、ユーマはもっとだらけても良いっすよ」
「そうだなぁ……じゃあ行くか。今くらいお金に余裕があるのも中々ないだろうしな」
「へっへ、そうこなくちゃな」
言いながら、ゼットは肩を組むようにして悠真をクエスト掲示板の方に促す。
「さーて、ちょうどいいクエストはあるっすかねぇ」
「そうだ、せっかく都会に行くんだから、色町にでも行こうぜ! 金はあるし!」
「い、色っ……!」
悠真たちはワイワイと盛り上がりながら、クエストを見繕う。
やたら決断の早いミグスと「アニキが帰ってくる前に!」と繰り返すゼットに引っ張られて、彼らは翌日にはティバールの町を出発するのであった。




