第16話 異世界人とゴブリン事変(3)
ゴブリン襲撃の報が告げられた、その数時間後。
火急の知らせを領主に伝えに行った伝令役は、ミアたちを連れて帰ってきた。
そのミアを悠真が出迎え、声を掛ける。
「ミア! 来てくれたのか!」
「ええ。戦力が足りないとのお話でしたし、わたくしも冒険者の端くれとして出ない訳には行きませんわ。ああそう言えば、お父様からゴブリンについての情報を聞き出してまいりましたわよ」
「……っていうか、親御さんに止められなかったのか?」
「お母様は引きこも、じゃなくて深窓の令嬢って感じですので不干渉。お父様は……張っ倒して来ましたわ!」
ミアはそう言って、ふんっと鼻息を荒くした。
なんだかよく分からんがほじくり返さない方が良さそうだ。悠真はもちろん、周りで話を聞いていた他の冒険者もそう思った。
「あと、下男も何人か連れてきましたわよ。戦いはできませんが、荷物持ちとか、男手は必要でしょう?」
「ああそれは助かるな。エイベルも襲われた村に防衛陣地を作って、そこを拠点に活動するのもアリだって言ってたし」
「ま、本当は家の護衛を連れて来たかったんですけど、梃子でも動かないって言い張られたから仕方ありませんわ。……まったく!」
臆病になって護衛を手放せなかった領主の気持ちが分からないでもない。そう思った悠真はどうにも責める気にはなれなかったが、ミアにしてみれば自分の家の事だ。憤懣やるかたないと言った所だろう。
とにかくまたプンスカし始めていたので、話を逸らす事にする。
「い、いや、ミアたちが来てくれただけで十分だ。イザベラの身体強化は強力な武器だし、トムの水属性魔法があれば冒険者全体の継戦能力の底上げになる。それに、ゴブリンの情報も持って来てくれたんだろ?」
「そうでしたわね。ではお話いたしますわ」
「あ、ちょっと待ってくれ。今何人かがギルドのまとめ役になってくれてるから、その人たちにも聞いてもらおう」
「分かりましたわ」
悠真とミアはエイベルとイゴールの元へ向かった。
彼らを含めた冒険者たちは、出発前の食事をしながら四、五人のパーティを編成している最中だ。わざわざ小隊を作るのは、大人数での戦いに慣れていない冒険者を配慮しての事である。
もちろん、人間と獣人の雌雄を決した戦争では大規模な戦闘も行われた事はあった。だがそれに参加し生き延びる事ができたような人間は、ほとんどが成り上がって今は都市部で暮らしている。ティバールのような辺境の町に居る冒険者などは、戦争時に兵士をやっていても、やった事があるのは拠点防衛か小集団の相手くらいなのだ。
「エイベル!」
「おう、ユーマ。どうした」
「ミアたちが来てくれた。それで領主からゴブリンについて聞いてきてくれたらしいんだ」
「本当か!」
「それは助かるな」
エイベルとイゴールの机でミアの話を聞く事となったのだが、他の冒険者たちが集まってきたので結局彼女を囲むような形になった。
領主であるミアの父親が若い頃、王立学校(貴族の行く学校らしい)で歴史を紐解き、得たゴブリンに関する知識。そこには冒険者たちの知り得る語り継いだ情報のような生々しさは無く、淡々と事実が並べられていた。だがそれぞれの時代のゴブリン侵攻について語られる整然とした情報は、逆に冒険者たちの心を圧倒する事となった。
それらの話をまとめると、以下のようになる。
人間の領域に侵入してくるゴブリンは主流派ではないあぶれものであり、山に住む主流派は山ゴブリン、侵攻して来るゴブリンは平地ゴブリンと呼ばれている。
ゴブリンは肉体に恵まれた種族で、その戦士は最低でも肉体の起動型魔身技を扱う。
平地ゴブリンの戦力規模は最低でも五十、最大で二百ほどの集団となる。その中には強力な個体も含まれており、リーダー、チーフなど呼び方は様々である。そのような個体は知力が高く、身体強化を使うこともありうるため注意が必要である。
魔法を扱う個体は平地ゴブリンには含まれない(山ゴブリンには存在する)。
「大した情報じゃないか。こう言う情報はもっと広めて欲しいもんだね」
「以前王立学校に準じるような学校ができるって話を聞いた事があるんですが、そうしたところで学ぶ事ができるようになれば、こうした情報も広く知られるようになるでしょうね」
エイベルの呟きに返したのはトムである。
彼の言うように、今の人間の国には国民の多くが通うような教育機関が存在しない。国が運営するのは貴族の通う王立学校のみ。後は貴族崩れの知識人が運営する私塾、町や村の集会場で老人たちが行う町子屋と言った程度だ。トムの言うように国営の市民学校のようなものを作る話は出ているが、今は復興直後の開拓ラッシュだ。金に目がくらんだお偉方は、そちらに多くの資金を投入している状態であった。
「なんにせよ、最大で二百のゴブリンどもを相手にする覚悟は必要だな」
ここに居る冒険者たちが一番聞き流したかったところを、イゴールが指摘する。
過去の記録からすれば最大で二百。今回のゴブリンの侵攻がどの程度かはまだ不明だが、もしその規模の軍勢と正面から戦うとなれば、ティバールの冒険者たちは半ば死地に赴くようなものだ。
そんな逃げ出したくなるような情報を知ってなお、イゴールはいつもの獰猛な笑みを崩さない。
「ふん、周りを見渡しゃどいつも怖気づいた顔してやがる。戦士の矜持としちゃ強敵とやり合うのは望むところだろうが」
「さ、流石に二百もいるゴブリン相手に真っ向勝負はどうかと思うんだが……」
このオッサンとんでもない事言い出しやがる、と内心呆れながら、悠真が冷静につっこみを入れる。応じるようにライラが現在の方針を改めて説明してくれた。
「そうですよ。これから出発するのも時間稼ぎのためなんですから。今ギルドから周辺の町のギルド、駐在騎士団、あと教官に伝令を出してるので、それらの応援が駆けつけてくれるまで無理は禁物ですよ?」
取り敢えず必要ないだろうと周辺の町や都市の情報を学んでいない悠真には分からない事だが、最も近い町ならば馬車で三日ほど。早馬を走らせれば一日の距離だ。移動だけを計算するなら四日間凌げばいい計算である。
「だけど、ヤバイ可能性が増えたんなら、無理に打って出る必要は無いんじゃないか?」
時間稼ぎをするなら、早い話この町の塀の中に篭っていればいい。慎重な悠真らしい提案である。だが、エイベルは首を横に振った。
「いや、他の近隣の村が心配だ。敵の行動方針や意図も知りたい。情報収集は必須ってわけだ。戦える人間の数が少ない分、後手に回るわけにはいかないからな。それに、こう言う状況は貢献度を上げるチャンスなんだ。臆病にならずに、気張っていこうぜ」
冒険者のランクはこれだけのクエストをすれば上がる、という基準が設けられていない。クエストの遂行状況を見て、村や町、あるいは国への貢献が認められるとランクを上げる事ができるのだ。今回のような事件で言えば、解決できればランクの上昇に大きく前進できるだろう。そうしてBランクを超えれば、晴れて騎士団への道が開けるわけである。
では貢献度を上げるとはどういった意味を持つのか。
それは領主に始まり、町人、村人たちの生活を流動させる事に力を尽くすという事である。直截的に「経済活動を促す」と言ってしまってもいい。
肉を始めとする素材の採取依頼も、生息数調整などの討伐依頼も、物資輸送の護衛依頼も、町中の警邏の補助も。すべて人の生活を守る事に繋がっている。逆に言い換えれば、それができない冒険者、それに反する冒険者は一生貢献度を上げる事はできない。武器をぶら下げて町を歩いても見咎められないのは、冒険者の武器が人に対してではなく、外敵や開拓のために振るわれると言う信用がある証左に他ならないのだ。
エイベルに貢献度の話をされた悠真が考えたのは、その「信用」の事だった。彼は自分の提案を省みて、それが保身に走ったものである事にすぐに気づいた。近隣の村とティバールの町には交流がある。それを見捨てるような提案をして、どうして冒険者としての信用、矜持を守れるというのだろうか。
「そうか……そうだな……すまん」
だから悠真は、素直に頭を下げ、謝った。
「人の生活を守る」という冒険者の矜持を主眼に置いた考え方も、そうやって危険を負わされる立場こそが「冒険者」であるというこの世界の常識も、悠真は良く理解していなかった。それでも自分と相手の考え方が相違し、相手の方が正しいと感じた時に反省してその意見を受け入れられるのは、悠真の美徳と言えるだろう。
「真面目だねぇ……」
エイベルもそう感じたのだろう。別にそう言う意図で言ったんじゃ無いんだけど、と続けながらも、不思議と嬉しそうな顔で頬をかきながらそう言った。
結局、冒険者たちはゴブリンに襲われた村をひとまずの目的地と定め、それぞれの装備と継戦物資を担いで出発する事となった。
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村に向かった冒険者たちは、凄惨な光景を目の当たりにする事になった。
食い散らされた家畜の残骸、戦い敗れた男たちの死体、縊り殺された子供や老人、裸に剥かれた女たちの死体。村のどこに目を向けても、そういったものが視界に入らない事は無かった。
そして生存者を探して村を歩いていた冒険者パーティが、とある民家で遂にゴブリンとの邂逅を果たす。
獣人以外の異種族と交流があるものは人間の国には少ない。ゴブリンの姿を見て驚きは少なからずあったはずだが、緑の亜人たちが村娘に圧し掛かっている時に遭遇したため、そんな感情は激昂により即座にかき消されてしまった。
「チッ、どいつかが生きてりゃな」
エイベルは目の前の三つの死体に目を向けて、呟いた。
三匹のゴブリンに対して四人の冒険者が戦いを挑み、無傷での勝利を収めた。非常に良い結果だと言えるが、生け捕りにできれば集団の規模や向かった先を聞き出すチャンスがあったのだ。手放しで喜んで良いか迷うところではある。
「女の子の様子はどうだ?」
「ダメですわね。会話をするには少なくともしばらく休ませてあげませんと」
唯一生き残った村娘の介抱を任されていたミアが溜息をつく。彼女の疲れた様子は、戦う者として女性は男よりも余計な心配や覚悟をしなければならない、という事実を表しているようだった。
「ミア、大丈夫か?」
「何がですの?」
悠真の心配を受けても、彼女は気丈に振る舞う。だが視線はトムが回復魔法を掛けている少女に向けられている。気にならないと言う事は無いはずだ。
「何がってそりゃ、その……」
「……気になさらなくて結構ですわ。薄っぺらく聞こえるかもしれませんが、わたくしにだって覚悟はあります。それに実のところ、あんまり実感が湧かないんですの」
苦笑するようにミアが言う。
危険の中に身を置く冒険者と言っても、わざわざ自分が凄惨になぶられ、殺されるところを想像するような被虐趣味の持ち主はごくごく一部だ。
「まあ、負けるつもりでいるヤツなんて居ないだろうしな」
「そう言う事です」
ミアの様子が大丈夫そうだったので、悠真はエイベル他数名の冒険者と共にゴブリン達の死体を民家から運び出し、アンデッド化しないよう家畜の残骸と一緒に火葬する。一方村人たちの死体は、共同墓地に大きな穴を掘り、丁寧に並べて埋葬した。
どうもこのベロムンドでは火葬は乱暴なやり方で、土葬は肉が土に還る事から世界と一体化できる丁寧な葬送の方法らしい。科学的な知識を持つ悠真にしてみればどちらも同じ事のようにも思えるが、骨と消し炭しか残らない火葬を乱暴な方法とする考え方はなんとなく理解できる気はした。
村や村周辺の調査を行ってゴブリンの行動に関する情報を収集しながら、死体を片付けていく。気が滅入る作業ではあったが、奇襲とはいえゴブリンを一方的に屠った事に一部の冒険者は大きく士気を上げていた。
そんな折、ゴブリンの痕跡を辿っていた獣人たちのうちのひとり、ゼットが情報を掴んだ。
「おい、エイベル! ゴブリンどもの足跡が見つかったぜ!」




