第9話 異世界人とウサギ狩り
修練場に入った悠真と教官は、立てかけてある木製の武器をそれぞれ手に取る。
悠真は細めの両手剣。対して教官は片手剣とバックラーだ。
刃を潰した金属製の武器も置いてあるのだが、悠真の実力が分からないのと装備が整っていない事から、木製武器で立ち合いをする事になった。
「その剣はあまりお勧めせんぞ?」
教官は悠真の武器を見てそう言った。
悠真の手に取った剣はエドガーにもらった剣に一番バランスの近いものである。しかし、他の武器をひと通り振ってみた悠真の感想としては「最も中途半端な武器」と言うものだった。
「リーチは槍や大刀(刀身に長い柄が付いたもの)に及ばない、重量も斧やメイスに負ける。手数や防御では片手剣と盾、ランスと盾の組み合わせに及ばない。中途半端ですもんね」
「なんだ、気付いてたか。それを使うくらいだったら、もっと大きい両手剣の方がまだ良い」
「すいません、師匠がこう言うバランスの両手剣使いなもんで」
「あー……」
エドガーの剣を継ぐには武器を変える訳にはいかない。と悠真は考えている。
少々頑なかもしれないが、これも悠真の意地であった。
「十年前の戦争で現れた勇者が軽めの両手剣使いの魔法剣士だったからな。一時期そう言うスタイルの戦士が増えたもんだよ。もしかしたら、お前の師匠とやらもそう言う手合いなのかもしれん」
「俺の師匠は魔法剣士って感じじゃ無かったですけど……そうかもしれませんね」
「まぁ、勇者のレベルで魔法が使えるならなら、普通は魔法使いとして王宮に召し上げられる方が早いだろうからな。両手剣士が流行った当時も、魔法剣士じゃ無いやつがごまんといたものだ。俺の知ってるやつらはあまり強くなかったがな……。お前も魔法は得意じゃなさそうだが、いいのか?」
「はい。俺は自分が手段をえり好みして良い様な才能ある人間だとは思ってませんが、不思議な縁で教わった剣に愛着が湧いてしまって……」
「ふむ……まぁよかろう」
やり取りの中に悠真の決意を感じ取ったのか、教官はそれ以上特に追求しなかった。
「……って、あれ、俺の師匠によると勇者じゃなくて英雄って話だったんですけど?」
悠真は剣を構えつつ、教官の言葉の中に小さな違和感を見つけたので、それを質問してみた。
やたら細かい所に気付いたものだと自分でも思ったが、歩くデータバンクじみたエドガーの言葉だ。そういう些細な言い換えや言い間違いはしそうにない。
「勇者は勇者だ。英雄なんて言い方、聞いた事も無いぞ」
と、言う事らしい。どうやらエドガーの方が間違っている感じだ。
彼にしては珍しい事だが、まぁそう言う事もあるだろう。
「やっぱり勇者って凄い人なんですか?」
「ああ、そうだ。俺は戦場で実際に目にした事があるんだが、凄まじいレベルの魔身技に加えて、四属性の精霊魔法を最上級のレベルで扱えるんだ。その上固有魔法の雷撃まで持ってやがる。線の細い少年だったが、その戦闘能力は驚嘆の一言だったな」
思い出すように顎をさすりながら、太い声で教官が言う。
そんな少年の戦い方をあのエドガーが真似したというのはいまいち想像できないが、憧れの剣士の真似をする様な時期が彼にもあったと言う事だろう。
「さて、お喋りはここまでにして、取りあえずかかってこい」
盾を前にする様に構える教官に言われ、悠真は一言「お願いします」と声を掛けてから、打ち掛かる。
「はぁっ!」
八相の構えに近い構えから繰り出される一撃。エドガーの魔身技と同じ型の斬撃だ。もちろん魔身技は発動していないが、踏み込み距離が長いため、遠めの間合いから飛び込むのには適している。
「ふんっ! ……中々いい斬撃だ! 重さも速さもまだまだがな!」
教官は悠真の斬り込みを盾で難なく受け流し、返しの突きを繰り出しながらそんな風に言った。
それから悠真と教官は、日が暮れるまで打ち合いを続けた。まともに打ち合えたのは恐らく教官が悠真のスピードに合わせてくれたからだが、エドガーとの稽古を始めて行った時から考えると、かなりスムーズに動けるようになってきている。
「よし、今日はこの辺にしておくか」
「はぁっ、はぁっ。ありがとう、ございました」
「今日の感じだとお前に足りないのは……まず筋力だな。あとスタミナ。で、最後に斬撃の選択肢を増やす事だ」
「それって全部じゃないですか……」
剣士として体力が足りていないのは分かっていた。しかし斬撃の選択肢が無い、つまり剣の扱いに柔軟性が無いと言われて、多少自分の成長を実感していた悠真はがっくりと項垂れる。
「選択肢の中から選ぶのは取りあえず出来ている。だが少し、型に嵌まり過ぎている印象を受けたな。例えばお前は気付いてなかったかも知れんが、俺は突きを繰り出す時、全て違う角度、違うポイントを狙っていた。それに対してお前は、同じ型で返してきた。今はそれでもいいだろうが、鍛錬の時に色んな攻め方、受け方を経験しておかないと後々伸びが無いぞ?」
教官の言葉は悠真にも非常に良く理解できるものであった。だが、部活も勉強も型に嵌めてやってきた優等生の悠真としては、多少気後れのする話でもある。
「……覚えておきます」
悠真は自信無さげにそう答えた。
これについては、もはや慣れるしかあるまい。「慣れ」の前には「不慣れ」な状態が必ずあるもので、その不慣れさから来る後ろ向きな感情が尻込みする要因だ。悠真もそれは理解しているので、自信は無かったが挑むつもりで心を決めていた。
教官との訓練を終えた後、悠真は日課の筋トレとランニングを行った。かなり日が暮れてしまっていたので、トレーニングの強度を若干落として手早く終わらせる。修練場の片隅にある井戸を使って体を拭き、夕食の為に近場の商店に向かった。
屋台で30エクス程使って鳥肉の串焼きを購入する。食券と引き換えたティゲルと果物を持って、ギルドホールに戻ってきた悠真は、そこで酒盛りをしている男衆を見つけた。
「ユーマじゃないっすか! あんたも付き合うっすよ!」
すでにできあがっている顔の赤いミグスがわめきたてる。隣ではオルドが機嫌良さそうに鼻をフゴフゴさせながら、教官の器に酒を注いでいる。
「いや、俺は止めとく。酒飲んだ事無いし。それより酒なんか買って金は大丈夫なのか?」
「金はほとんど俺が出した。ここを出れるくらい金と知識と力を付けてもらのが、俺の仕事だからな。そうそう邪魔はできん」
悠真の質問に答えたのは教官であった。当のミグスは「いいから飲むっす!」などと言いながら悠真に無理やり酒を渡そうとしてくる。
「こいつらは俺の帰還祝いのつもりらしいがな。ちょうどいい。景気付けにお前も飲め」
「景気付け?」
「今日の訓練で、お前の剣技は狩猟を行う冒険者として、十分だと判断した。だから明日からは実地で冒険者としての基礎知識を教えてやる。つまり、お前は明日、冒険者としての第一歩を踏み出すという訳だ。景気付けってのは、その前祝いみたいなものだな」
そう教官に言われると、悠真は手元の器に入った液体が特別なもので、ひどくうまそうに見えてきた。
恐る恐る器に口を付け、ひと口含み、飲み下す。酒は、正月のお屠蘇くらいしか飲んだ事のない悠真にも分かるくらい、味も度数も薄いものだ。だが不思議と、おいしく感じた。
「どうだナ、初めての酒は」
「意外とうまいもんだな」
オルドに聞かれ、器の中で揺れる水面を少し見つめた後、悠真はそう言って酒をひと息に飲み干す。
「いける口だナ、ユーマ」
「違う。あんまりここに居たら酒飲みに付き合わされそうだから、さっさと退散するために飲んだんだ」
「にゃははは、違いねぇっす!」
「じゃあ教官、俺は魔力操作の練習してからもう寝るんで、明日はよろしくお願いしますね」
「ああ」
酒を注ぎ合って盛り上がる三人を残して、悠真はベッドのある部屋に向かった。そして夕食を食べ、何度か簡易結界を使って魔力操作の練習をして眠りに就いたのだった。
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翌日。天気は快晴。
支度を済ませ、ギルドの入り口で教官が来るのを待っていると、ミアたちがやってきた。
「あら、昨日の。おはようございます」
「お、おはよう」
声を掛けられるとは思っていなかった悠真は、少し返事をどもらせてしまう。丁寧な言葉遣いで話されて、同じように返すか迷ったのも原因のひとつだろう。
悠真は迷った挙句、こっちの方が年上なんだと言い聞かせて結局敬語を使わなかった。それに対してミアは特に機嫌を損ねた感じも無く、微笑んでいる。こうしていると昨日とは別人のようだ。赤毛を後ろでポニーテールにしていて活発な印象を持っていたのだが、面と向かうと上品そうな少女である。やはりお嬢様なのだろうか。
ややぶしつけになっているのも気付かず、悠真がミアの様子を観察していると、横合いからおずおずと問いかける声がある。
「あの……ここに居るって事はもしかしてあなたも教官と森に行くんですか?」
栗色の髪の少年である。ローブと杖を持っている所を見ると魔法使いだろう。
「ああ、そうだ。あなたも、って事は君たちも行くのか?」
「ええ、その通りですわ。ご一緒するのでしたら、今日はパーティを組むと言う事ですし、お互い自己紹介いたしませんか?」
「もちろん構わない。……俺はユーマと言う。今アトムの申し子としてギルドにやっかいになっている。今日はよろしく頼む」
自己紹介しながら、悠真は無意識に手を差し出した。出してから、握手の習慣があるのか、失礼に当たらないか若干冷や汗が出る。しかしこれにもミアはにこやかに応じてくれた。
「中々丁寧な方ですわね。わたくしはミア・トーレックと申します。以後お見知りおきを。こちらは幼馴染兼、使用人のトムですわ」
ミアからの紹介を受け、少年がぺこりとお辞儀をする。
「それからこっちが……」
「イザベラと言う。お嬢様の護衛をしている。よろしく」
馬の源獣人はゆっくりと頭を下げた。それに対し、昨日の後ろめたさを少々思い出しつつ、会釈を返す。
挨拶を終え、教官が来るまで悠真たちは雑談して時間をつぶした。話していたのはほとんどミアで、彼女についていろいろと知る事ができた。
彼女は貴族の傍系の血筋で、アーシェリング王国の四大貴族のひとつ、トーレック家の分家筋に当たるらしい。彼女の家はこのティバールの町の領主だそうなので、何気に大したお嬢様なのだ。しかも彼女は三男三女の末娘で、特に働きを求められている事も無いらしい。そうでも無ければこうして冒険者などできるはずもない、と彼女は言った。
悠真は話を聞いていて、彼女が甘やかされているのは事実だが、他方では放置されているようにも感じた。護衛まで居る気ままな冒険者稼業に見えても、何かしら思うところがあるのではないだろうか。もしかすると昨日、黒猫獣人のゼットに挑発され激昂したのにはその辺りの事情が関係しているのかもしれない。
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しばらくすると、腰に横長の皮袋を提げた教官がやってきた。
「おはようございます。……なんです、それ」
悠真が皮袋を指して言うと、教官は同じ皮袋をずいと突き出す。
「おはよう。……こいつは採取用のポーチだ。お前の分だから腰に付けとけ」
「俺の、ですか?」
「金の事なら心配いらんぞ。明日以降従事する作業の報酬から天引きさせてもらう予定だからな」
「そ、そうですか」
話が上手すぎると思った、などとぶつぶつ言いながら、悠真は受け取ったポーチを腰に付ける。見ると皮袋は小さなポケットが複数連なったもので、えんどう豆の鞘によく似た形をしている。採取したものを種類ごとに小分けできるようになっているのだ。
「ミアさんたちは採取ポーチは持っているな? よし、じゃあ出発しよう」
教官に先導され、悠真たちは町を出る。
歩いた時間は数時間ほどだろうか。ミアの家の荘園だという村をひとつ通り過ぎ、小川に沿って歩いて行くと、森が見えてきた。
「あそこが今日の目的地だ。ミアさんは行った事があるか?」
年嵩で威厳もある教官がミアをさん付けで呼ぶのは、恐らく領主に遠慮しての事だろう。悠真としては結構異和感のある言葉遣いだが、当の彼女は気にしてる様子は無い。彼女はそれを当然と捉えているのかもしれないが、悠真が敬語を使わなくても気にしないところを見ると、元々そういう性格なのかもしれない。
「ええ、ありますわ。前回の時は、葉食い兎の追跡で森に入ったんですけど、上手くいかなかったんですの。それが悔しくて、今日は教えを乞いに付いて来たと言う訳ですわ」
「へぇ」
意外と真面目なお嬢様である。
そうこうしている内に森にたどり着き、教官の指導が始まった。
教官の話によれば、シュートラビットの足跡や糞はもちろんの事、木の皮を齧った跡や草を食んだ跡、移動痕(俗にいうケモノ道というやつだ)が無いか目を配りながら歩く事が重要だと言う。
その他の動物についても、教官は痕跡の見つけ方を教えてくれた。例えば灰毛狼の様な肉食の獣、大口とかげのような走竜類、他には鳥類、虫類等である。教えてもらった事の全てを、悠真は自作のメモ帳(薄い板に紙を縛り付けたもの)に書き付けていった。
「そういえば、狩りに使える人語魔法って無いんですか? ここまで来てする質問じゃないとは思うんですけど……」
「もちろんある。多様性こそが人語魔法の最大の利点だからな」
「私も持っていますわよ? 効力は痕跡を光の帯にして案内してくれると言うものです」
持ってんのかよ、とお決まりのサイレントツッコミをする悠真。
というか、それなら独力で痕跡を追う能力を身に付けなくてもいいんじゃ無いのか。そんな疑問が頭をよぎる。
怪訝な顔の悠真を見て、ミアが説明を付け加えた。
「ただ、どの動物のどの痕跡を追うかは術者自身の選択によるものですし、効果範囲を広げてしまうと森などではそこかしこに動物の痕跡がありますから。そんな事をすれば目の前が追跡光で真っ白になってしまいます」
「それこの間、ミアちゃんが実際にやったんですよ。ミアちゃんが驚いて中々魔法を消さないから、その後生き物が警戒して狩りにならなかったんですよ」
「トム、うるさい」
つまり、目的とする種類の動物の痕跡に向かって、ピンポイントで追跡魔法を発動しないと上手くいかないという訳だ。
「その辺りの融通の利かなさを補おうとすれば恐ろしい数の人語魔法を扱う羽目になる。そうなれば、獲物を追うだけで魔力が枯渇してしまうだろうな」
「なるほど……少し覚えればできるような事は自分の力でやった方が良いという訳ですね」
「精霊魔法と違って出力に限界のある人語魔法は、あくまで人ができる事の肩代わりをしてくれるだけ、という認識が必要だな。もちろん、便利なのは便利なんだが」
教官の話を、悠真は要約しながらしっかりとノートに書き込む。話は森の奥に進みながら行われ、実際に痕跡を探したり薬草を見つけたりする訓練も行われているが、悠真などは必要な時以外はずっと紙とペンを握りしめているありさまであった。
今も低木の影に生えていた薬草を株元で切り取り(再び生えてくるから根を抜かないのが常識らしい)、それをスケッチしている。
「それにしても、ユーマはずっとメモ取ってますわね。何を書いているのかしら……うっ!」
悠真の自作ノートを覗き込み、細かく注釈が掛かれたスケッチを見てミアがうめき声を上げる。
「なんだよ、文句でもあるのか?」
「どうしたのミアちゃん……うわっ、凄い!」
トムも悠真のノートを見て驚き、ひったくってメモを読み始めた。ミアの反応に憮然とした表情だった悠真だが、トムの行動に今度は困惑させられる。
「これ、すっごく丁寧なメモだね! ミアちゃんに見習わせたいくらい!」
「わ、わたくしだってこれくらいできますわよ!」
「別に人に見せるつもりで書いてないから、ほとんど乱文だろ。後でまとめるつもりだし」
「後で! まとめる!」
目をキラキラさせながら、トムが言った。
「まとめる、って言うのは、与えられた情報を組み替えて自分の分かりやすい様にする、って事だよね?」
「そ、そうだが……」
別に悠真は、得られた情報を紙に書き付けて保存したい訳ではない。もちろんそうできるならそうしたいが、これから学ぶ事を全て書き留めれば莫大な量になる。冒険者として旅暮らしをし、異世界転移に関する情報を集めるのが当面の目標(その上で剣の修業をしようと悠真は考えている)であるため、そんな荷物を今から作ってしまうのは得策ではないだろう。
だが、自分なりにまとめる作業はすなわち情報のアウトプットであり、紙は残らなくとも手を動かし頭を働かせた事は残ると言うのが、悠真の考えであった。
「これだよ、これが学ぶと言う事なんだよミアちゃん。なんでもかんでも実地で経験すれば良いってものじゃないんだよ……」
「分かった、分かったわよ……今度からちゃんとノートとるから……」
しみじみと語るトムに、観念したようにミアは頷いた。幼馴染と言っていたし、二人で授業を受けたりする事もあるのかもしれない。
ところでこのふたり。使用人と主の関係のはずなのだが、やり取りを見ているとどうも立場を超えた関係であるらしい。トムはミアに遠慮せず苦言を吐くし(ただの毒舌の時もあるが)、ミアもトムに対してはかなりくだけた言葉遣いになる。何とも仲の良い事だ。
爆発しろ、と悠真が心の中で叫んだ、かどうかは闇の中である。
「痕跡は見つけたか? 次に進むぞ」
教官に声を掛けられ、各々目を付けていた動物の痕跡と思われるものを教官にチェックしてもらってから先に進む一行であった。
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「あそこが巣穴だ、分かるか?」
「はい」
教官の問いかけに答え、悠真はゆっくりと剣を抜く。昨日お金を払って取り戻したエドガーの剣である。朝にエドガーの剣を使って素振りをしたためそこまで重くは感じないが、生き物を殺すのはアッシュウルフ以来の事だ。自然、緊張で手のひらが汗に濡れてくるのを悠真は感じていた。
教官は悠真が頷くのを見て、巣穴の入り口正面から、後ろ側に回り込む。巣穴の直上でジャンプして振動を起こし、あぶりだすと言う単純な作戦だ。
悠真たちは巣穴の前に半円状に広がって獲物が出てくるのを待ち構える。
「用意はいいな? いくぞ!」
掛け声と同時に、教官が真上に跳躍し、振動を起こす。
2度、3度と続けると、ひとつの影が巣穴から飛び出してきた。
「う、うわっ……ぐえっ!」
その物体は一直線にトムへと向かい、体当たりで彼を突き飛ばした。
見れば黒に近い褐色の体毛を持つ大きなウサギである。思っていたより大きく凶暴そうで、悠真は今やっているのが冒険者クエストである事を思い出した。
クエストになるのだから少なからず危険があるのだ。そしてその危険の元凶が、目の前のシュートラビットだと言う事だろう。
「このっ! ウインドエンチャント!」
しっかりとシュートラビットの背後を取ったミアが、魔法で剣を強化しつつ切りつける。
彼女の斬撃は飛び退るウサギの背中に届くか届かないかというところだ。しかし、風魔法による強化がそのわずかな間合いの不足を補っている。風の刃によって背中を切り裂かれ、シュートラビットは血しぶきを上げて倒れた。
そこを見逃さずにミアが追い打ちをかけ、シュートラビットの息の根を止めた。
悠真も、そんなミアの戦いを終始見守っている余裕は無かった。二匹目のウサギが巣穴から飛び出して来たのである。このシュートラビットもまた、一直線に外敵である悠真に突進を仕掛けてきた。
「くっ! このっ!」
ミアの方を見てよそ見をしていた悠真であったが、トムが吹っ飛ばされたのを見ていたため、何とか回避に成功する。
ここで華麗に、すれ違いざまに斬り付けたりできれば良かったのだが、この世界に来て真剣を扱い始めてまだ一ヶ月未満なのだ。アッシュウルフを斬った時のように反応できる方が稀なのは仕方のない事である。
「くそっ、次は!」
次は反応し、攻撃を加える。悠真がそう意気込んで振り返ると、シュートラビットが再度突進を仕掛けようと反転したところであった。
「ギィッ!」
「はっ!」
今度はしっかりと相手を見て対応ができた。
すれ違いざまに合わせたのは膝である。アッシュウルフとの戦いでのエドガーを真似た動きだったが、これが綺麗に決まった。致命打にはならなかったが、シュートラビットは態勢を崩され地面を転がる。悠真がそこを追いすがって斬り付ける。
この「追いかけながら効果的な斬撃を放つ」という動きも、エドガーとの訓練の締め、一番へばっている時に必ずやらされたものだ。教官には厳しい言葉をもらったが、間違いなく、悠真は成長してきている。
「ぜあっ!」
突進力を斬撃に乗せ、悠真は剣を振り抜いた。アッシュウルフの時よりも鮮明に、毛皮を、肉を断ち切る感触を感じる。延髄に剣を受けたウサギは、断末魔をあげながらビクビクと体を痙攣させ、絶命した。
「もう一匹いるぞ!」
命を奪った余韻を噛みしめるようにしていた悠真に、教官から声が掛かる。
顔を上げると、その一匹は巣穴を出るや、一直線に森に逃げ込もうと向かっていた。
トムはようやく起き上がったところで、ミアはシュートラビットに突き刺した剣を抜いた直後である。これでは誰も反応できない。
「まずい、逃げられる!」
「イザベラ、お願い!」
悠真が言ったのとほぼ同時に、ミアの要請に答えてイザベラが動く。
そして、勝負は一瞬であった。
イザベラの体が赤く発光する。と、次の瞬間にはシュートラビットが空高く蹴り上げられ、死骸となって落下してきたのだ。魔身技「身体強化」の発動から接近、攻撃まで継ぎ目のない、見事な手際である。
「よーし、もう居ないようだな。ウサギどもを処理して、今日は引き上げるとしよう」
教官の声が掛かり、各々ようやく人心地ついたと言ったところか。
教官は処理して、と言ったが、実際に行ったのは血抜きぐらいであった。綺麗に解体するには専門的な技術が必要なので、精肉店のような買い取り先が近いのであれば任せた方が良いらしい。
二十キロはあろうかという大きなウサギを担いで(ミアは自分の分をイザベラに担いでもらっていたが)、悠真たちは帰路に付くのであった。




